4.デブ猫に迎えられて門を入ると美味しいコーヒーが待っている
モッコウバラがアーチを形作っている門をくぐって入っていくと、以前からカフェのためにケーキやお菓子を作り、ときどきカウンターも手伝っていたヤスコさんが、「いらっしゃい」と声をかけてくれた。
その門は、ブックカフェと文庫のために屋敷の生垣の角の部分を壊して造ったもので、姉の自慢の一つだった。
茶色い板の両開きの扉がついていて、カフェがオープンしている間は大きく開け放たれている。門からすぐのところにもテーブルとイスが置いてあり、たいがい茶色のデブ猫が寝そべっている。
おかげで、やたらのんびりして、のどかな時間が漂い、初めての訪問者でも、大人でも子どもでも、ためらうことなく中に入っていける。(猫嫌いの人は別だけど。)
「お久しぶりです」
僕はヤスコさんに挨拶して、つい出そうになるため息を飲み込んだ。
これまでは、たいがいそこには姉の姿があった。「これからはヤスコさんが常駐で手伝ってくれることになった」と、ハルさんが話していたけれど、いままでとたいして変わらないようでいて、明らかに違う。姉の不在を改めて示されたようで、胸が詰まった。
「コーヒーはいかが? いま、ハルさんとアヤさんを呼んでくるから」
とヤスコさんが優しげな柔らかい声で言った。近所の主婦で、姉が杉崎家に嫁いできたときからの友人だ。
背が高く、髪の毛を肩まで伸ばして、くるくるのパームドヘアにしている。その髪をピンクの水玉模様の三角巾できっちりと縛って、いかにも清潔そうな雰囲気だ。
正統派の美人ではないが、やたらと美人に見えるのは、その雰囲気と、口角がきゅっと上がった口元の可愛らしさのせいだろう。
「はい、いただきます」
僕はコーヒーをもらうと、リンゴの木陰になったテーブルのところにもっていって座った。梅雨の晴れ間で、清々しい空気の心地よい朝だった。風がやさしくそよいで頬をなでていく。
仕事に追われているのと、子どもが苦手なので滅多に来ないけれど、ここは馴染みの深い、ほっとする場所だ。いまでも、姉の笑顔がいたるところに潜んでいる気がする。イスには手作りのマットが敷かれ、テーブルには、赤と白のチェックのテーブルクロス。
コップにさした可愛らしい小花。小首をかしげた木彫りの小鳥が「こんにちは」というメモを掲げている。
「やっと来ましたね」
ハルさんが、屋敷の玄関のほうから回り込んでやってきた。
「いまね、アヤさんが資料をもってきてくれるから、ちょっと待ってね」
そう言うと、向かいのイスに腰を下ろした。
杉崎家の女主。七〇歳を過ぎて、真っ白になった髪を結い上げているが、弱々しさなど微塵もない。グレーのやわらかい素材のパンツに、緑を基調にした複雑な縞模様のサマーニットのセーターを着ている。昔の女の人にしては背が高いほうで、体格がよく、見事な姿勢が凛とした雰囲気を醸し出している。
気難しい人だそうだが、姉とは不思議とうまが合って、息子とは年の離れた嫁を、わが子のように可愛がっていた。文庫を開くときも、「そんなにいいです。自分たちの資金だけで、最初はこじんまりとスタートしますから」と姉が何度も遠慮し、お断りしたにもかかわらず、どうしても資金を援助すると言ってきかなかった。
おまけに一般財団法人ハル文庫として組織化し、ハルさんの知り合いからたくさんの寄付金を募ってくれた。
そのおかげで、建築家にデザインを依頼して、上品でこじゃれたスペースができあがったのだ。窓も白い木の格子とガラスがはめ込まれて、「子ども用のスペースには贅沢すぎるわ」と姉が言っていたくらいだ。
もっともハルさんは、「子どもだからこそよ。子どものうちから、大人の洗練された雰囲気に触れることは大事なんですよ」と言っていた。僕はなるほど、一理あるかもと思ったものだった。




