第1話 『オレ、プラ板、パテ、トモダチ』
表面処理を終え、ようやくサーフェイサーをかけることが出来る。傷は全て消したはずだ。合わせ目はないはずだ。地獄を見れば、心が乾く──まさにその通り、潤いなどない突けば崩れ去るような心境である。
鼻腔に馴染んだ有機溶剤の香りが換気扇に吸われていく。同時に高い隠ぺい力で灰色になっていくプラ板とパテの集合物。
「さあ、始まりました、第4回表面処理チェック! 司会はこの私、『シルフ』が担当させていただきます!」
「やかましい。あと、離れてろ。お前の場合、やすりがけもシンナーで擦るわけにもいかないんだから」
塗装ブースの隅で、綿棒をマイクに仕立てて騒ぐ『相棒』は、ぱたぱたと離れ胸ポケットに飛び込んでくる。人工スキンは大変高価なのだから、大切にしなければならない。
「ここなら平気でしょ?」
「念のため、ティッシュをかぶっとけ」
「あぁん、マスターってば過保護なんだから」
顔を赤らめくねくねとする。普段ならこの上なく愛らしいのだが、さすがに四度目の作業に心が折れそうになっているとイラッとする。
案ずることはない。プラ板とパテとは友達である。ちょっとばかし、友情に陰りが見えるが平気である。雨降って地固まる、セメント流してプラ板固まる。
目に見える溝はなく、凹みも埋めた。だがそれでも万全とはいえないのが、プラモデル、ないしはフルスクラッチの恐ろしい所である。
どうして表面処理終了後に新たな傷に気が付くのであろう。妖怪の仕業だろうか。妖怪『パーツ隠し』ほど恐ろしいものではないとはいえ、メンタルへのダメージは大きい。
エアブラシのノズルキャップとパーツの距離を一定に保ちながら、ダマにならぬよう、均等に吹いていく。原型の確認作業ではあるが、こういった作業でも綺麗にサフ吹きしたいというのは、モデラーの心情であろう。
平らなA面、垂直なB面、そして均等な幅で真っ直ぐなC面。
落とさぬよう持ち手をしっかりと掴みつつ、ぐるりと塗装していく。この時に間違って落とさぬようにである。1回目はここで落として、ひどい目に遭ったのだ。
じっと、灰色に染まったパーツを観察する。傷はない。歪みもない。凹凸もない。まるで既製品のような仕上がりだ。
「……ぃよっし!」
何度経験してもこの感覚は堪らない。フルスクラッチは骨と心が折れるが、それでもやめられないのはこの達成感が故である。そして、この手に世界で唯一のオリジナルがあるという快感。自分の妄想が形になるという喜び。一種の麻薬だ。こればかりは経験者でなければ分からないだろう。
「出来ましたか!? ねえ、出来ましたか!?」
「おう、出来たぞ、『シルフ』。まだ、右脚だけだが、今からシリコン型作って複製するぞ」
左右非対称ならばそうはいかないが、これは対称だ。複製でも問題ない。
「わーい、やったー! ついにオリジナルアーマーだ!」
「ふふん、我ながら良いデザインだ。曲線と直線の入り混じった美しいライン、それでいてどこか無骨さもある」
ふくらはぎの『しいたけ』の並びなんて最高じゃないか。中央に向かうにつれて凹凸が微妙に移り変わるようにデザインしてあるのだ。プラ板からの切り出しは吐き気がしたが、やってよかったと心から思う。
胸ポケットから飛び降りた相棒は、ティッシュペーパーをマントのように翻しながら、くるくると踊っている。そのたびにピンク色の髪がさらりと流れる。人工の頭髪であるからこその、非現実的な美しさだ。
「マスター、いつから装備できますか?」
紅色の瞳が真っ直ぐにこちらを見ている。15cm故の上目遣いの破壊力は凄まじく、今までの疲労が吹き飛んでしまう。
「そうだな、この後に型取りして、レジン流して、『神経』通して……まあ、明日の昼くらいだろうな」
「ええ、まだ丸一日もかかるんですか!?」
「ああ、かかる。さて、と」
作った後は片づけだ。貧乏大学生に万年床ならぬ万年作業ブースなどはない。そして、その後はバイトである。模型趣味は懐との戦いでもあるのだ。世知辛い。