痴愚神礼讃
知性など何処にあるものか。
教え育てるはずだった学校は、社会の歯車となり螺子となる部品を作り上げる機関になり果てた。
知らせ広めるはずだった報道は、事実を捻じ曲げ覆い隠して書きなぐる物語書きになり果てた。
引き導くはずだった議会場は、箱の隅をつつき足を引きあい他を押し下げる競争の場になり果てた。
知り考えるはずだった民衆は、捻じ曲がった知識と詭弁で相手を叩き伏せる喧嘩屋になり果てた。
社会のための個人排斥、刺激のための偏向報道、統治のための言論競争、自分のための詭弁論術。
痴れ者たちは幸せだろう。愚かで救えない肥溜めの中の勝者となって。
痴愚をつかさどる神がいるなら今こそ讃えよう。なんて素晴らしい性を持たせてくれたのだろう。
興味を深める知性も、その助けとなる周知も、改善のための競争も、隣人を尊ぶ心情でさえも。
そのすべては幸せのためには不要であった。なんて手軽な幸せなのだろう。
痴愚神万歳、万歳。理知神なんてくそくらえ。
万歳、万歳。




