契り
月が夜天に煌々と輝く。しかし淀んだ空気に光は散り、朧げな輪郭を描く。そんな儚い月の眼差しは風に押し流された雲によって、二人の幼子の密会を遮られた。
月が陰り、人工の冷めた光もない暗闇の中で、相手の姿も闇に飲み込まれたままに薄ら笑いを浮かべながら虚空に声を投げる。
「そっか、カナン、ね。神に約束された場所、うん貴方らしい名前だ。よろしく頼むよ、最期の時までね。それで貴方は神の尖兵としてどんな『天恵』でもってお願いを叶えるつもりなの?」
「一人が保有する『天恵』程度の力で人間を滅ぼせるわけがないだろう。俺の保有する力は、正真正銘神から授かった神の御業の一端」
「へぇ、そりゃすごい。神の権能か、流石特別」
さも無邪気に、未来に希望を膨らませながら相棒の素性を問えば、カナンは相も変わらずに仏頂面で答える。
「権能の名を『神意』。全魔獣に対する最上位命令権」
想定以上の返しにエルはニヤついていた顔を固め、言葉を繰り返す。
「お、おいおい命令権って、ほんとに!? それってつまり、この世の魔物は全てカナンの思い通りってことか? 世界にはどれだけの数と力のある魔物がいると……! は、はは、確かにそれは神の御業だな。それができるのだったら、確かに人類滅亡も夢ではないよ! ふふふ、はは、そっか、なるほどね。だから、ワタリドリがここに固まっているわけか」
ワタリドリは空間を転移する能力を持った鳥の魔物だ。その姿は純白で大変美しいが、見ることさえ困難な為幸運の象徴としてだったり、圏外や盗聴できない連絡手段として手に入れようとする人間は数多く存在する。しかし、ワタリドリは自身の3本の尾羽を何処かに隠し、危険が迫った際には尾羽を目印にして転移し逃走する。故に捕えるには尾羽を隠していない、完全なワタリドリを見つけるか卵を盗むしかないため、捕獲するのが最も困難な魔物の一匹とされている。
「転移の力を持つ魔物はコイツしかいない。俺は能力の一つとして魔物の言葉を理解できるのでな、こいつらには情報収集の任を与えている。今回は転移の『天恵』を持つお前を誘き寄せるために利用したが」
よく見ればカナンの腰元にはワタリドリの尾羽が連なった飾りがある。鳥たちはこれを目印として飛んできたのだろう、とエルは考える。
「魔物を統べる王……正に魔王だなぁ、神の使徒様よ。しかし『天恵』というのは神が授けるものだろう? 言っては悪いが結局は『天恵』と同じなんじゃ? それに君は狙って与えられたようだが、どうして私が偶然有用な『天恵』を得た、と言った?」
「『天恵』は神ではなく、世界のシステムが与えている。前にもいったが、神は世界の観測は出来ても干渉はできない。俺は、世界を憂いた神が無理を通してこの力と使命を授けてくださったのだ。観測したお前の存在のこともな。そして、神の代わりに世界を管理するのがシステム。システムは全てにおいて公平だ。世界が生み出すエネルギーを種族ごとに分配し、そのエネルギーは進化に用いられる。大半の生物は魔物化、という形をとるが人間は『天恵』を与えられた。最も、数が多すぎて得られるのは一部の人間のみだがな」
「なるほど、そういうことだったのか。教師に教え込まれたあてずっぽうの常識よりも、貴方の神の御言葉の方がずっと真理らしいよ」
「その常識も、直に滅びる。あえて言うのならばお前の『天恵』はお前の持つ潜在的な才能、魂に刻まれた渇望、恵まれた魔力にそれ以外の種々の要素が折り重なって生まれた最上級の『天恵』だ。誇れ、転移系の力を持った人間は過去全てを見てもお前ひとりだ」
カナンは神より得た知識を淡々と語る。彼は人類を滅するために人類に関する様々な知識を流し込まれていた。そしてこの世界にシステムの存在を知り、理を解するのは彼と協力者たるエルのみであろう。
「最上の『天恵』、ね。これがあるからこそ私は悲願を成せる。神の権能と対等になれる。これを与えてくれた世界と、見つけてくれた神に感謝しなきゃね。……それで私は、どうすればいい?」
穏やかにほほ笑むエルは、覚悟と狂気を秘めた瞳をカナンへと向ける。
「俺もお前も、まだ幼い。お前の転移を用いた奇襲を行うにしても今の姿では行動もままならん」
今は化学と文明が発展し、生活水準が高い時代。たとえ両親がいなくとも未成年ならば手厚い保護が受け取れる時代だ。明らかに保護者が必要な子供が一人で出歩き宿に泊ることは出来なかった。
「となるとしばらくは潜伏か、大人の協力が必要になるのか。いや、通報される前に皆殺しにしてしまえば問題ないよね。……ん? 私はカナンとどうやって連絡を取ればいい? 私は魔物の言葉なんてわからないぞ?」
「死ぬと分かっていて力を貸す人間などお前以外どこにいる。計画は考えてはあるがそれは後で話そう。ゆっくりと綿密に詰めていきたい。それで連絡手段だが『契約』の共有で構わないな」
「カナンは『契約』が使えるんだ。私はいいけど、その共有は位置情報もつけてね。私の『転移』の使用条件的にもその方がありがたい」
カナンは虚空から霧のような半透明の紙とペンを生み出す。二人はそれらに魔力を流し込むことでそれらは実体を持ち、淡く光りを放つ。二人の魔力と『契約』の術式を混ぜ合わせることによって二人の間にだけ効力を及ぼしあう、今は空白の文書が生まれた。
「もちろんそのつもりだ。……さあ、お前も対価を書け。違反した場合当然、死をもって償え」
「何を当たり前なことを。……ほら、これでいい?」
カナンは何の躊躇もなく書き込み、エルもまた同じく戸惑いはなかった。そして二人は言葉を紡ぐ。
『契約』
「我、カナンは此処に誓う」
「我、エル・ロスタッドは此処に誓う」
その言葉を鍵に、文書は溶けるように消えるが、文字のみは浮かび出て向かい合う二人の中心に踊るように滞空する。
光の輪が波紋のように文字から生まれると、二人を透過する。その瞬間交わす契約の内容が突如として頭に刻み込まれた。
- 契約 -
一つ、両者は互いに不利益になること、目的を放棄すること、了承なく蔑ろにすることを行わないことを誓う。
一つ、カナンは神の使徒として、己が目的・神が望まれる人類が滅び去った世の創造を神と己の存在意義に誓う。
一つ、エル・ロスタッドは持ちうる能力・権力を行使し、己が目的・美しき世界を取り戻すために害するものすべてを滅ぼすことを誓う。
一つ、エル・ロスタッドの能力を十全に行使するため、カナンとカナンに従属するものは能力を受け入れることを誓う。
一つ、カナンはエル・ロスタッドに『神意』の命令権を付与する。また、カナンが死亡した際には『神意』をエル・ロスタッドに移譲する。
一つ、相手が道半ばに倒れようとも、目的を成し遂げることを誓う。
一つ、全てを成し遂げたとき、己の命を絶つことを誓う。
以上の契約が破られたとき命をもって償うことを誓う。
その証として、両者は所在、感情、思考を共有することを承諾する。
「了承」
「許諾」
承諾の言葉を同時にして、文字は互いの胸――心臓に飛び込む。命を懸けた契約である以上、反故にすれば契約の文字が心の臓の動きを止めるだろう。
契約が体になじんだ頃合に、頭の中に慣れない感覚が走る。自分のものではない心が同居しているかのようだ。しかしその心は無のように凪いでいながらも神に狂っていて、エルもその濁流に染まってしまいそうだった。
「っ、これが『契約』による念話か。思ったよりしんどい……。これ、制御できる?」
「当然だ。俺の方では調節は出来ん、自力で何とかしろ。もし伝えたいことがあれば強制的に繋げ」
元々は契約者同士が互いを見張るために生まれたものだ。故に受け取る側のみが情報の取捨選択が出来る。
あまりの便利さ故にかつて連絡手段として用いようとした者がいたが、前提としてこの監視機能は契約によって生まれた繋がりに個人情報を乗せるというもので、特に思考傍受はかなり強力な契約を結び思考を乗せられるほどの繋がりがなければ使えなかった。そしてなにより望んだ言葉を送るのではなく、全ての思考が読まれてしまうのでプライバシーの観点からも不都合が多い。更には現代においては電話が確立している以上、さらに必要のないものとなっていた。
よって結局は本来の用途としても監視せずとも普通は罰を恐れて契約を破るようなことはほぼなく、連絡手段としてもそんなデメリットばかりということでこの機能は廃れていった。
エルは意識して狂気の濁流を締め出し、オンラインゲームのように頭の隅でログのように情報が流れる様にカナンの心理情報を加工した。しかしその流れるログも濁流と変わらず無味乾燥としていてカナンには本当に神しかないのだと再認識した。
「あーなんとかなった。うん、これで問題ないね。それで契約内容だけどさ、今更だけどカナンの『神意』って付与とか譲渡できるの?」
「『天恵』は肉体に宿る力、故に肉体の持ち主にしか行使できない。しかし俺の『神意』は魂に宿るもので、俺の代で使命を果たしきれないとき後継者に譲渡できるようなっている。そして命令権の付与と言っているが、実際のところは俺がお前の命令も聞くよう指示しているだけだ。契約文に関しては付与を剥奪する……つまりはその命令を取り消さないという意味になるな。ちなみに言っておくが命令に矛盾が生じた際は俺の命令が優先されることは留意しておけ」
「それはありがたい。少なくとも私が魔物に殺される可能性はないわけか。それにとっさの時に使えるっていうのはありがたいな。だけどこれはカナンが貰った神の力だろ? 神を崇めない私に使わせてもいいのか?」
神の事しか頭になく、神の意志を遂行できることに誇りを持ち、神の使徒であることを存在意義としているカナンだからこそ、神から賜った権能を死んだわけでもないのに一部でも付与することに躊躇いを見せないことにエルは疑問を感じた。
それに対しカナンは鼻で笑う。
「ハ、何を今更。俺とお前は運命共同体だ。そして神の意志に添い遂げるのに何を出し惜しみする必要がある? 互いの全てを以て使命を遂行する、そのためならばお前にすべてくれてやるのも辞さない」
彼はさも当然のように言った。それは理路整然とした主張にも聞こえるが、実質はエルの事を信用しているといっているも同義だ。裏切るような真似をすれば死ぬが、死さえ恐れなければいくらでもやりようはある。別に思考は読まれているとはいえ、制限はされていない。考えるだけならば死にはしないのだ。カナンの武器が魔獣である以上、どこぞに飛ばしてしまえば丸腰。契約に縛られて転移を阻止できないのだから、あとは契約に殺される前に殺せばいいだけの話だ。別に己で手を下さなくとも人は重力に従えばいとも簡単に動かなくなる。
正直命令権うんぬん以前に裏切れるわけなのだが、それでもカナンの持つ力の一部を明け渡してしまうというのはいささか早すぎるのではないかと、エルは無色透明のなんの疑いも持たないカナンの心理を流し見しつつ思う。
「理由など、ただ一つ。神がお前を使徒としてお認めになったからだ。神の御言葉があるのに何故疑わなければならない。それこそ背信だ、ありえんな」
カナンはエルの思考に言葉で返した。裏切りとも取れるような思考を何事もないように無視し、神の盲信を口にするだけだった。もしかすればエルがそもそも裏切るつもりが微塵もないことを読み取ったのかもしれない。少なくとも、互いに裏切る可能性は皆無だということは確かだった。
「あはは、本当に神様の事しか頭にないんだね。少し、哀れに思えるよ。まあそのおかげで私はこうしていられるのだけども。さてさて、次は私の『天恵』の話をしようか。それとももうすべて神様はお見通しでした?」
「お前の今の実力に、運用方法も知りたい。とりあえずすべて余すことなく語れ」
「了解しました、言葉にするには少し面倒だから、訓練ついでに思考を読んで理解して」
そうエルは言うと目を瞑り、心に言葉を並べる。カナンは微動だにしないが理解に努めるべく思考に潜る。
”さて、『転移』についてだけど、まあ能力が能力だけに制約が多い。
まず何を転移させるかにもよるけど魔力の消費が激しい。身内からは魔法の天才とか言われて、カナンから才能があると認められている私の魔力量でも今はそうだな……比較的コストの安い自身の転移が5回できればいいほうか。今まではこの力を隠してきたから碌に練習もしていないものでね、これから成長するにつれて容量も増えるだろうから将来にご期待ください……じゃ遅いか。まともに運用できるようには努力はする。
次に、というよりはこれが一番大きな問題なわけだけど、基本的に転移ができるのは私自身と無生物だけだ。生物は転移させようとすると、心では受け入れていたとしても本能的に拒絶する。私の転移はかなり繊細なものでね、少しの抵抗でもあれば機能しない。膨大な魔力でもあればレジストされても強制は可能だけど、人間には到底無理な話だ。だから『契約』でカナンたちには抵抗できないようにさせてもらった。おかげで転移の拒否権はないけど条件に当てはまる私以外の生物も転移が出来るようになる。まあ、やったことはないけど問題ないでしょう。ただ他人を転移させるのにどれほど魔力を消費するは予測着かないから、これは今度検証でもしようか。
そして範囲だけど基本的に私の視界の中のものを、その中でしか転移できない。正確には位置情報が必要。私がここまで転移できたのはワタリドリが歪めた空間を感知したから。帰るときは、部屋に魔力痕を残してあるからそれを目印にして戻るつもり。でもある程度離れると自分でも感知できないから、長距離転移は基本不可能と思ってくれていいよ。ああ、カナンの位置情報は『契約』で常に把握しているから片道切符でいいのなら出来るか。
他には……カナンの魔力痕でも転移できるね。共有した意識から飛ばすからかなり集中する必要はあるけど。本当はカナンが使役している魔獣の場所を把握してくれていれば魔力さえあればこの場に今すぐ最強魔王軍を集結させてとっとと終わらせる事が出来るのに。しかもカナンに従っていても直接命令に行かなきゃ使役できないって、難儀なものだ。おっと、思考が脱線してしまった。もっと要点だけ伝えられるようになりたいものだね。
よし、これで粗方説明できた? 少し使い勝手は悪いけど、それでも有り余る利便さがあるはずだ。いくら守りを固めようとも、突如として降ってくる天災級の魔物の集団! いつかそんなことをしてみたいものだ”
”理解した。互いの能力を十全に活かす道を模索するとしよう。我々の力があれば神の意志を成し遂げることも不可能ではないな。お前の能力は、まだまだ使えるはずだ。躍進を期待している”
エルは薄く瞼を開けると変わらない無表情がいる。本当に幼子か、と思うほどの無駄のない口調に、この表情。エルも大人びている方だと自負しているが、カナンは心を壊して、代わりに神の信仰心を仕舞い込んだのではないかと思うほど、外も内も波風が立たない。だが、これからの相棒と思えばとても心強く思えるし、安心して背中を預けられるとすら感じられた。
たった一夜しか過ごしていないのに、エルには彼は歴戦の戦友のように、道を示してくれた伝道師のように、そんな唯一無二の理解者のように思えた。彼は人間が嫌いだ。神の敵なのだから当然だろう。自分自身が人であるからこそ己を憎むような少年。そんな彼に、人間であるはずの私に期待しているなどと思われれば、それに応えたくなるというものだ。これに特別な感情なんてものはない。ただ、この相棒に失望されたくないだけの話だ。共に、並び立ちたいと思っただけだ。
これは目的が同じだけの協力者の関係だ。そこに信頼なんてものはない。それでもこの神のことしか頭にない少年は、少女に道と力をくれた。彼にとっては信頼ではなく、神の意に沿ったものであろうとも、エルは信頼というものをカナンにあげることにした。神の傀儡であるカナンを信じることにした。神が望む限り自分と共に歩んでくれると確信して。
それを読み取ったのかカナンはかすかに唇の端を吊り上げる。その笑みは全てを肯定しているかのようだった。
ふとエルは空を見上げる。いつの間にか月は木々の向こうに飲み込まれ、黒はかすかに青を取り戻し始めている。道理で眠いわけだと、興奮冷めずとも小さな体が休息を求める信号に今更ながら気づく。視線を元に戻せば、カナンはすでに背を向けて歩き始めていた。
「時間切れだ。今後の事は追って連絡する。今は力をつけろ」
「わかった、そうする。おやすみ、カナン」
そのままカナンはワタリドリを引き連れ、未だに闇の蔓延る中に消えていった。エルも自分の戻る場所に意識を伸ばせば、その場には何者かがいた痕跡はすでになかった。
うまくいって人類が二人だけになったら、互いの手で互いを殺せればいいなと、眠気でぼけた頭にそう過った。




