別れ
ライナーが隣に座ったまま、夜が明ける。そのころにはライナーの体はもうボロボロになっていた。皮膚は剥がれ落ち、人間の体には見えない部分がむき出しになっていた。
「もう時間みたいだね」
「ナー君!?」
目を丸くしたリタがこちらに駆け寄ってくる。
死期は近いと聞かせていたがここまで近いとは思っても居なかっただろう。
「も、もう一度、蘇生魔法を重ね掛けします! それで体の構成素質を整えれば原理的には不死身になることも可能です!」
「無理だ、リタ」
ライナーが首を振る。リタは理解できないという風にライナーを凝視した。
ライナーの瞳は全てを諦めているようでもあった。これから生き延びることはもちろん、すべての事が自分にはどうにもできないというように諦めていた。
「ボクは呼ばれているんだ。あちらの世界に。魔法の力ではあらがえないほどに強く呼ばれている」
「そんな......」
「ボクはリタにお別れを言いに来たんだ。あの時はお別れどころか心の準備も出来ていなかったからね」
ライナーが動くたびに皮膚ははがれ、中から無機質な液体が流れ出す。
彼はゆっくりとリタと視線を合わせて、両肩に手を置いた。子供のわがままをなだめるように。
リタの瞳から涙が零れ落ちる。ボタボタととめどなく溢れ出て、止まることを知らない。
「リタ、お別れだ。ありがとう。本当にとても少しの間だったけど、ボクは君にまた会えるなんて思っても居なかったんだ。良く頑張ってくれたね」
「これぐらいなんでもねぇですよ! そ、そうだ! ナー君が思い込んでるだけで蘇生魔法はまだ効くかもしれねぇです! だから、これから急いで準備をしてやるだけやってみて......」
リタが地面に魔法陣を書き始める。だが涙で地面が霞み、手は震え、ロクな魔法陣どころか円すらも書けていなかった。
彼がリタを静かに抱きしめる。リタの涙はライナーの肩に落ちて、土くれのような体に染み渡る。
「ボクは君にずっと謝りたいと思っていた」
「何言ってるですか! 私がお礼を言う以外に何があるっていうですか!?」
「ボクは君の人生を簡単に変えてしまった。ボクは自分の命では償えないことを軽率にしてしまったと思っている。後悔ばかり残っているんだ。だからせめて」
「悲しすぎる」
俺の口が勝手に動いた。
本当は端から見守るだけのはずだった。口を滑らせるなと念押しもされていた。
だが耐えられなかった。こんなのは悲しすぎるし、こんなのは空しすぎる。どうせ謝ったところでリタは止まりもしないのに、自分の罪だけ消そうとしたってどうにもならない。
こんな行為に意味がないとは言わない。
だが、今はもっと他にやるべきことがあるんじゃないか?
「ライナー。リタの封印を解け」
「......封印?」
リタが真っ赤な目のまま首を傾げた。
ライナーは頭を掻きむしって長いため息を吐く。
「言わないでくれと言っただろう」
「このままではどっちも報われない。誰も幸せになれないことは分かっているが、それでも後悔は少ない方が良い。そんな言葉はお別れじゃなくて、ただのわがままだ」
「だが封印を解くと、もしかしたら妖精の報復が待ち受けているかもしれない」
「リタの身に降りかかる火の粉ぐらい振り払ってやる。だから安心して封印を解除しろ」
ライナーはまた諦めたように笑った。
だがその笑みは俺を説得することへの諦めだった。
「君は頑固だね。人の話も聞こうとしない」
「それが師匠に褒められた唯一の長所だ」
ライナーは慣れた手つきで地面に魔法陣を描いていく。10分もしないうちに魔法陣は完成した。
リタをその魔法陣に寝ころばせる。
「力を抜いて、ゆっくりと魔法に身をゆだねるんだ」
「何をするのか分かりませんが、ぱっぱとやっちゃってください! 私はナー君が謝る姿よりも、笑顔の方が見たいのですよ」
「相変わらず恐れ知らずだね。昔のまんまだ」
魔法陣が淡く光る。
その後、リタの体が共鳴するように光り輝いた。鎖のような枷が現れる。
「行くよッ!」
「はいッ!!」
鎖がバラバラに砕け散った。砕けた鎖は朝日を反射してキラキラと散り、大気の中に消えていった。
「封印が解除された。これでリタは回復魔法以外の魔法も使えるようになった。けれど、妖精に狙われるリスクもある」
ライナーが苦い顔をした。体が急速にボロボロと壊れていく。
封印を解除する魔法を使ったことで体が耐えられなくなったらしい。
彼はゆっくりと立ち上がり、俺と向き合った。
「ボクは君を信頼することにするよ。だからどうか、リタをよろしく頼むよ」
「もちろん。これで後腐れなく死ねるな」
「それは喜んで良いのかな」
あははと苦笑いしていた。
でも憑き物が晴れたような笑みだった。
「それじゃあ」
右手でリタと握手し、左手で俺と握手する。
その握った手の感覚は瞬く間に消えてなくなり、俺の目の前に居た人間は塵となって風の中に消えていった。
リタは感触を名残惜しむかのように、何度か手のひらでにぎにぎと砂粒を握っていた。
「多分、あたしは違う魔法を使えるようになったところで、違う魔法なんて使わねぇと思います」
リタはニッと笑った。
「あたしは人を救うのが好きなんですよ、結局」
彼女は砂粒を風に返すように捧げた。心の枷が外れた音がした。
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昼前、俺はウィズに大切な話を行おうとした。
ウィズは縁側に座ったまま手持ち無沙汰に指を遊ばせていた。
「ウィズ」
「どうしたの?」
「俺達は今日のうちにここを去ろうと思う」
ウィズは座ったまま目を見開いた。
神妙な雰囲気にウィズは何かを察したようだった。
「それは僕も連れて行ってくれるってことだよね?」
「お前が来る必要はない」
俺ははっきりと言い切った。見放すようだったが、それでも彼女が付いてくる必要が無い事は事実だった。
ウィズはその言葉を聞いて、縁石を握り拳で叩く。
「だったら僕はどうやって生きていけば良いって言うんだ! 僕は戦うことを生きる道にしてきたんだ! そうするしか生きる方法は無かったんだ!」
「お前にはもう倒す者も何かを倒す必要もない。自由に生きて良いんだ」
「自由って、何を、どうすればいいんだよ!!」
ウィズが叫ぶ。
俺はそれに対する上手い返しが浮かばないでいた。
思っていることを真っ直ぐに伝えたところで、彼女には伝わらない。この気持ちをどうやって伝えれば良いのか分からなかった。
俺はあの世界に居た頃よりも、誰かとコミュニケーションを取る努力をしているが、自分の思いを伝えるのはそんなに一朝一夕で出来ることじゃない。
「どうすればいいのか。それもあなたが決めなさい」
「へ?」
俺とウィズは声が聞こえて来た方向を振り向いた。
そこにはティファが立っていた。割烹着姿で、金髪を束ねていた。
「自由って言うのは、何をして良いか分からない人にとってはとても難しいものよ」
ティファが束ねていた髪を解きながら近づいてくる。
俺の様子を見ていたのだろう。盗み聞きも今回に限っては感謝する。
ティファはウィズの肩を掴んで自分に引き寄せた。目をじっと見つめ合う。
「あなたが何をして良いか分からないのは、世界を知らないから。だからあなたは世界を知りなさい。あなたが知っているよりも世界は広いのよ。もちろん私もあまり知らないのだけど」
「世界を知るってどうやって......」
「旅をしなさい。それで世界の今を知りなさい。そしたら戦いよりもしたいことが見つかるかもしれないわ。もしもそれでも戦わなければいけないと思うのなら、それがあなたの生きる道よ」
ウィズはぽかんと口を開けていた。
そんなこと思いつきもしなかったようであった。
「でも、僕にはそんなお金は......」
「どうやったってどうにかなるわ。お金なんかなくても、あなたは器用だからどこでだって生きていけるわ。大丈夫。私が保証する」
ぽんぽんと頭をなでる。
ウィズは顔を上げた。
「僕、戦わなくちゃ生きていけないと思ってたんだ」
「それも一つの見方よ。そういう生き方もあるわ。でもあなたはその生き方を数ある生き方の中から選んだわけじゃない。何より、あなたは女の子なんだから、いろんな楽しみを知らなきゃ!」
そう言って、ティファはボサボサのウィズの髪を整える。
何だかそれだけでとても女の子らしく見えた。
ウィズは状況を整理しながら必死に言葉を紡ぐ。
「僕、旅、してみることにするよ」
彼女は決意したようにそう言った。
そんな彼女なら上手くやっていけそうなそんな気がした。
「ありがとう、ティファ」
「あんた不器用なんだから、そういうことは私に任せなさいよ」
「善処する」
俺はそれだけ言って、ギルドの中へと引き返す。
重い扉を開けると、そこにはギルド長が居て、俺を待ち構えていた。
「俺もお前の仲間に入れてくれへんか? 状況が変わったんや。このままじゃ俺は殺される」
ギルド長が神妙な面持ちでそう言った。
「元よりそのつもりだ。お前は怪しい」
「えらい直接的やな」
ギルド長がガハハと笑った。作り笑いだった。
ちょうどいい所に卓男が降りて来た。
「卓男、どうやって連れていく。俺の手足はもう埋まってるぞ」
「拙者も前の時に改良するしかないと思い、作っておいたのでござる。一人増えることは想定外だったでござるが」
「良い。どうにかする」
ギルド長に顔を合わせる。あの時、誰かと会話していたこと。今朝の魔獣戦に居なかったこと。聞きたいことは山ほどある。
それにあのメイド長の情報を組み合わせれば何かプロメテウスの手がかりがつかめるかもしれない。
急な判断ではあるが、一番合理的だ。
「どこに行けばいい」
「旧王都。話はあそこに行ってからや」
「ならリタの家だな」
俺達は急いで支度を済ませることにした。
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昼下がり。軽食を取ってから出発する。
「にしてもこれは多すぎないか......?」
俺を除いて六人の大所帯である。それに加えてこれほどの大きな荷物。俺が居なければ、他の人達で手分けして持ったとしても持ち運べない量の荷物だ。
「これを腰に巻けば胴体の右と左と前で一人ずつ人を乗せることが出来るでござるよ」
「なんかおんぶ紐とチャイルドシートをくっつけたみたいな見た目だな」
「この際、見た目は気にしていられないでござる」
俺はそれらに人を乗せてティファを肩車した後、座席替わりの荷物を背負う。
俺はしっかりと助走距離を取った上で空躍をする。
「しっかり掴まっておけよ!」
聞きなれた悲鳴に男の野太い悲鳴も相まって、俺達は空へと飛び立った。
情報量が多かったけれど、これで第六章、閉幕致しました!
詳しいギルド長との話はまた次回です。
ここから怒涛の展開を見せたり見せなかったり......?(これまでも結構急展開多かったですけどね)
では第七章、いよいよ開幕です!




