豚と姫
「ここも扉が違うな。」
「こんな上の場所、私なんかの権限じゃここまで来れねーし来たことねーですよ。すげー扉ですね。」
俺はあの三人との勝負を終えて長い長い螺旋階段の終着点に立っていた。目の前に自分の身長の数倍はあるような扉が現れる。
俺はその豪奢な扉に唖然としていた。思わず両脇に抱えたベルモットとリタを落としそうになる。
大型トラックでも楽々入れそうな大きさの扉なのに、その扉のどこを見ても金細工や匠の技が施してある。骨董品なんて目利きなんて出来ないけれど、そんな俺でも開いた口がふさがらなくなるのだから大したものである。
「豪勢でしょうとも。そこは王城最深部にして城の心臓。王の間よ。見ているだけで虫酸が走るわ。」
ベルモットの歯軋りの音が聞こえる。俺はゆっくりと二人を下ろした。
「お前たちは気づいていないかもしれないが、この部屋の中からはとても強い殺気を感じる。隠す気もない殺気だ。」
俺はまっすぐにベルモットを見つめた。
「この殺気は俺に向けられた物でもあるが、お前に向けられた物でもある。ここに王が居るのは間違いない。それでもお前はついてくるか?」
「そのために来たんだもの。ここで引き返したら、私の覚悟だけではなく貴方との誓いまで無かったことになってしまうわ。」
「......分かった。」
俺はあの時の誓いを今でも忘れていない。フェンリル侵攻戦の前、彼女は自分の父である王を殺してくれと言った。
でもヤト爺が死んで俺が憔悴しきっていた時に俺は彼女に自分の父と話し合うことを勧めた。その言葉に彼女が頷いた時から、俺は彼女をここに連れてくると誓ったのだ。
「ちょ、ちょっと待って下さい! あたしの存在を忘れるんじゃねぇですよ! あたしがここに来た目的は禁書庫を見つける事です! ここに来るまで一直線でどこにも無かったって事は、この先にあるとしか考えられねーでしょーが!」
「だからどうしたいんだ?」
「......連れて行って下さい。あの王様に直接場所を聞いてやるです。」
俺は深く溜息を吐いた。その思いは叶えてやりたい。ここまでリタを連れて来たのはその思いを否定できなかったからだ。
昔に死んでしまった幼馴染を生き返らせたいという気持ち。俺も大切な人を失ってしまったから痛いほど良く分かる。俺は様々な人に助けられてようやく決別出来たが、この子にそれをしてくれる人はいなかった。
叶えてやりたい。叶えてやりたい、が。
「......ダメだ。」
「どうしてですか!?」
「この扉の向こうはその思いを叶えてくれる場所じゃない。」
そんな綺麗な願い事を叶えてくれるような場所ではない。この扉の向こうは薄汚い欲望が詰まった、息も詰まるような場所だ。
「......そうですか。では私はこっちで待つですよ。」
「盗み聞きするんじゃないぞ。」
「し、失礼なっ! だっ、誰がそんなことするですか!?」
「俺の周りにはそういうことをする女性が多いんでな。」
そう言ってニッと笑う。俺は彼女から目を離し、真顔で扉に向き合った。
俺は意を決してゆっくりと扉を開ける。
「来たか。下郎の怪物め。」
「どうも、フェンリル国王。あの時以来だな。」
目の前でひじ掛けに頬杖を突きながらこちらを見つめる豚を俺は見つめ返した。本来なら今すぐにでも襲い掛かっているところだが、隣に居る彼女の為に今は自分の心を押さえつける。
フェンリル王の隣には全身黒のタキシードを身に纏った眉目秀麗な美男子がたたずんでいた。腰に刺さった物騒な刀を除けば、最高の執事だ。
フェンリル国王は俺から目を逸らし自分の娘を見つめた。
「どうした? なぜ裏切り者がここにいる。」
「貴方とお話ししに来たのでございます。お父様。」
「お父様とは気の良い呼び方じゃないか。男にほだされて気でもよくしたのか?」
下卑た目で娘をそう見つめるフェンリル王のことを俺は父親だとは思えなかった。
「お父様は私と話す気があるかしら?」
「誰がお前なんかと話す気があるものか。お前をダシにした侵攻も結局は失敗に終わった。フェンリル国がお前のせいでどれだけの被害を被ったと思っている。隣の男をハニートラップにかけることぐらいできただろうになぜ殺さなかった。」
「お父様のそういうところ。私、大嫌いよ。」
「何?」
フェンリル王は眉を顰めた。自分で自分がクズだということを自覚していないのだろうか? そうであれば本当に救いようのないクズだ。誰からもそんなことを言われなかったのだろうか? 忠告した人間を全て切り捨ててここまで上り詰めてきたのだろうか?
「私は貴方の考え方も嫌いだし、貴方のことも嫌いよ。貴方のことをお父様だとは思いたくないし、自分の境遇を呪ったことだって何度もある。出来れば普通の人生を生きたかった。」
「そんなことを言うためだけにここまで来たのか。」
「それでも私は貴方の娘で、貴方は私のお父様なの。」
フェンリル国王の顰めた眉が怪訝な表情に変わる。少し戸惑っているようなそんな印象を受けた。
「貴方が居て、私が居る。私がこういう考えの私になれたのも、この境遇があればこそだわ。私は何も知らない人間でいるよりも、知らなければ良かったと思える人間でいたいから。だからもう貴方を恨んで自分を苦しめるのはやめたの。よく言えば自立、悪く言えば決別ね。」
ベルモットのたたずまいは凛として、エメラルドの瞳はしっかりと目の前の父親を見つめていた。
「だから話したいと思っていたの。これからの私たちの事。」
「......必要ない。」
「何で?」
「駒ではないお前に用はない。」
ベルモットは目を伏せた。フェンリル王はため息を吐きながら目を閉じ、顎をクイッと動かしながら水晶玉に指をかけた。
豚野郎が。
次の瞬間、タキシードがたなびいて一瞬で抜刀し間合いを詰めた。俺は刀を鬼化した腕でつかみ取る。刀に腕が振れた瞬間に触れた部分の鬼化が解け、腕が地面にぼたりと落ちた。切り返した刀を躱して腹に回し蹴りを入れながら、地面が変化した石材のトゲを折って王に投げ返す。タキシードは腹の回し蹴りを躱すと投げられたトゲを切り伏せた。
「交渉は決裂したみたいだな。」
「下民になり下がったものの言葉など、朝食に呼ぶメイドの声よりも価値が無い。」
「このド外道が。」
俺は真っ直ぐにフェンリル王を見つめながらそう言い放った。
フェンリル国王との対戦がついに開幕しました!




