刺客
しばらくしてから居間に降りてみると、そこにはミルフィが一人で座っていた。
「安心できたか?」
「え?」
「ベルモットの顔を見にやってきたんだろう?」
ミルフィはベルモットのたった一人のメイドだったと聞く。ベルモットが消えた時、お別れの挨拶をしたわけでも無かっただろうし、さぞかし心配していたことだろう。
ここに来てベルモットの姿を見た時にも涙を流していた。
「えぇ。安心しました。」
「今日はここで泊まっていくのか?」
「はい。わざわざあの邸宅に帰ったところでお世話をする人もおりませんので。」
ミルフィは俺と出会った時とはうって変わってうやうやしく頭を下げた。
どこから持ってきたのかメイド服に身を包み、清楚に着こなしている。
「と、前置きはここまでにしておいて。」
「はい?」
「お前、何しにここにやってきた?」
部屋の空気が一瞬で張りつめた。
「何を言い出すんです。」
「お前の説明にはいくつか疑問点が残されている。それを話し合って解決しようと言っているんだ。」
「疑問点?」
ミルフィは眉を顰めた。
俺はその様子を気にも留めないふりをして話をつづけた。
「お前、俺と目が合った時、真っ先に逃げ出しただろう。」
「それがどうか致しましたか?」
「もしもお前に何も後ろ暗いところが無いのなら、逃げる必要は無かったのではないか? 確かに盗み見をしていて後ろめたいところはあるかもしれなかったが、話せば分かり合えたはずだ。」
ミルフィは依然として眉一つ動かすことは無かった。多分、これぐらいのことで動揺はしないのだろう。
だが俺の勘が告げている。目の前の女には何か隠していることがある。
「それは、貴方が話しても分かり合えない人間である可能性を考慮して、話すよりもまた機会を改めてうかがった方が良いと判断したからです。」
「なるほど。もしも良い人間だと分かれば話し合う気は合ったんだな?」
「左様でございます。今日は偵察に参りました。それだけでございます。」
整然とした態度でそう答えるミルフィが嘘をついているかどうかは分からなかった。だが理論は間違っていない。
「では次の質問だ。お前、こういうことに慣れているだろう。普通のメイドがこういう行為に慣れているのはおかしいのではないか?」
「それは偵察に慣れているという意味でしょうか。」
「少し違う。スパイ、諜報活動、はたまた暗殺。そういうことに慣れているだろう? よほど特殊な訓練でもしない限り、そういうことに慣れることはない。」
ミルフィの動きは慣れている人間の動きだった。普通の生活をしていてあんな風になる訳が無い。それは俺が一番良く知っている。
何年もの訓練の末に体得した技能であることは明白だ。
そういう特殊な訓練をできる環境が整っていたということである。
ミルフィは数秒間目を瞑り何か考えるそぶりをしてゆっくりと目を開いた。
何を考えているのかは分からなかったが見開かれたその目に揺らぎは無かった。
「王室のメイドの仕事には家事以外にも様々な役割があるのです。」
「暗殺家業もその一つということか?」
「あまり公に申し上げられることではありませんが。」
筋が通っている。いかに怪しい人間であっても筋の通った話をしているのなら信じるしかない。
どこかに粗があるはずだ。
もちろんこれらのアテがすべて外れて「疑ってすみませんでした。」と頭を下げて謝るのが一番の理想形ではあるのだが、俺が目指しているのは隠していることを暴き出すという二番目の理想形だ。
「最後の質問だ。お前はなぜプロメテウスとつながりがある。」
「それはプロメテウス側から交渉を持ちかけられたからです。私も彼らがどのような存在であるか全貌を把握したわけではありません。」
理論は成り立っているように見える。
なのに何かが引っかかる。俺の勘が何かまだ追及するべきところがあると騒いでいるのだ。
「その話は王城の人々には話したのか?」
「いいえ。」
「何故だ。」
「プロメテウスの交渉人に話さぬようと頼まれているからです。」
その時、違和感の正体を掴んだ気がした。
「それは違う。」
「それはどういうことで――」
「お前がもしフェンリル王家のメイドだとして、プロメテウスが手を貸すというあの条件ならば、お前が何もしないはずがない。」
「訳が分かりません。」
ミルフィは困惑した表情をしていた。
それもそのはずだろう。少し言語化するのが難しくちぐはぐな説明になってしまった。
俺は少し息を整えてから頭の中で情報をまとめた。
「プロメテウスは俺達の居場所を何らかの方法を使って割り出している。その情報を貰い、その情報をプロメテウスから口留めされている。」
「その通りでございます。」
「嘘だな。」
俺はキッパリと言い切り、相手の眼を見つめた。
ミルフィは動揺した素振りは見せなかったものの、俺は瞼の奥の瞳が少し揺れたのを見逃さなかった。
「仮にプロメテウスがその条件でお前に情報を与えたとして、お前がすぐさまここにやってくるということはあり得ないんだ。王のことをどれだけ嫌っていたとしても、お前はプロメテウスの情報を王に密告しなければならなかっただろう。足取りの掴めないプロメテウスの唯一掴んだ尻尾を離す訳が無い。」
「私はあの王もこの国も助けるつもりはありません。」
「仮にそうだとするならそれは口約束ではないはずだ。交渉というからにはそれなりの対価を差し出しているはずだ。」
ミルフィの顔が曇った。どうやら図星だったようだ。
契約というには彼女が交わしたプロメテウスとの契約には彼女が支払うべきものは何もない。
情報を伝えるだけでもプロメテウス側にプラスになるというのなら、彼女がここまでコソコソする必要もない。
彼女の目的はベルモットに会うだけではなく他にある。
「お前は何者なんだ。」
フェンリル国のメイドか。はたまたもっと違う何かなのか。
その時、ミルフィは優しく微笑んだ。俺はその笑顔の奥に潜む何かにゾッとしたが、これが彼女の本来の姿であると知るのに時間はかからなかった。
「お見事です。ただの図体の大きい脳筋かと思いきや頭はちゃんと働くようですね。確かに私の話した情報には少し誤りがございます。」
「何者なんだと聞いている。」
ミルフィは目を細めたまま口を開いた。
「私はあなたを暗殺しに来たんです。田熊冷徹さん。」
「そういうことか。」
それを聞いて全ての歯車が合致したような気がした。こんな言葉を聞いた後だが少しだけほっとした。
「それはどういう表情ですか?」
「いや、標的が俺で良かったと思っただけだ。」
「へ?」
「俺はお前に殺されるほどヤワじゃない。」
ミルフィの笑顔が崩れた。
俺は突き立てられそうになったナイフを手刀で叩き折る。
「俺はやらなければならないことをやるまで死ねないんだ。少なくともお前よりは人間性を捨ててしまった。」
「......怪物め。」
「そうかもな。」
少し挑発しすぎてしまったかもしれない。だがこれで俺以外の人間が狙われることはなくなった。
俺はニヤリと笑って彼女を見つめた。
ミルフィの正体が分かったにも関わらず、依然として田熊の強キャラ感がにじみ出ていますね。
ちなみに今のパワーバランスとしては訓練を受けた兵士などでは田熊に太刀打ちすることはできません。ですが王国でも名のある兵士などが何人かで戦えば拮抗した勝負が出来るかもしれない。とそんな感じです。
田熊の成長を感じますね。




