神を名乗る少年
塩見と別れて、雑務室の中で一人胡坐をかいていた。
ここに来ればもしかしたらティファが居るかもしれないと思ったがそんなことは無く、一人ぼうっと縮んだ畳の隙間を眺めていた。
ヤト爺が死んでしばらく経ったが、俺の心が晴れることは無かった。
そんな俺を見て色々な人が声をかけてくれた。
単純に励ますためだけに声をかけてくれた人は少なかったように思うけれど、それでも俺への思いはとても感じられた。彼らとの仲も深まったように思う。
俺は目を閉じて彼らの言葉を思い返していた。
どうやら自分は色々な人に支えられていたらしい。ヤト爺やティファには支えられていた実感があったが、それ以外の人に感じることはあまりなかった。
今思い返してみれば、俺はそんな気持ちに気づいていなかっただけなのだと気づける。
心が温かくなるのが分かる。
そんなことを感じていた時、突然、俺の心に冷たい水を垂らしたような悪寒が走った。
自分がなぜそんなことを感じているのか分からないままに、冷や汗のような物を額から垂らす。
俺は片膝を立てて辺りを見渡す。
違和感の正体は真後ろに居た。
「どうだい。君はソレ、気に入ってくれたかい?」
「お前は......!」
そこに居たのは少年だった。あの闇の中、俺の意識の中で出会った少年だ。
自分はそれを見るまで、その少年のことを忘れていた。
頭の中からその存在だけ抜け落ちていたと言っても良い。
何故自分はソイツのことを忘れていたのかが今は分からない。
「そんなに緊張しないでよ。ホラ、もっと肩の力を抜いて。」
「一体どこから湧いて出た。」
「そういう言い方はいけないなぁ。」
ソイツは苦笑いしてそう言った。俺はソイツの笑顔しか見たことが無いように思う。
窓は開いていない。
足音もしなかった。
ここは心の中でもなんでもない。心の中に現れるというフレーズの非常識さにあの時は気づかなかった。
心の中に意識を感じるなんてことはこれまで一度もなかったのに、その異常性に気づかなかったのは切羽詰まっていたからなのか?
情報が俺の頭の中を錯綜する。
「なぁに、ちょっと様子を見ておこうと思ってね。」
「お前と話すことはない。」
「僕は君に嫌われるようなことをした覚えはないんだけどなぁ。」
確かにそうだ。
だがコイツの目は信じられない。
俺の勘がそう言っている。あの笑顔で細められた目の奥に潜む闇が俺の目にははっきりと見える。
コイツは俺の心の中で神だと名乗った。
神なんてものは存在するはずがない。
「君は相当僕のことを嫌っているみたいだね。時々いるんだよ、そういう人。逆に僕を心の底から信じてくれている人も居る。本当にありがたいことだよ。それで?僕があげたプレゼントは
気に入ってくれたかな?」
「なんだ、この能力は。教えろ。」
そう言った瞬間に、神様と名乗る少年が一層笑みを深くしたのが分かった。
ゾッとするほどの寒気が俺を襲う。
「それは『加護』だよ。神様から与えられたプレゼントというヤツさ。その中でも君にあげたのは『鬼化』の能力。できることは君にもわかるだろ?」
「大幅な身体強化と、それに伴う理性の剥離か?」
「うん。大体合っているね。もちろん違うけれど、僕は全てを教えるつもりはないしね。どうだい?良い能力だろう?」
「これがか?」
答えなど決まっている。
「使いこなせない力は、力ではない。俺はこの能力が嫌いだ。」
「そうなのかい?だったら君は僕が思っていた以上に馬鹿みたいだね。」
「なんだと?」
俺は片膝を立てた状態から立ち上がる。
俺の身長の半分ほどしかないその少年は俺を見上げる事はしなかった。まっすぐ自分の方を向いたまま視線を動かさない。
ソレは笑顔を崩さない。
「君は純粋な力を欲したはずだ。そして純粋な力には必ず代償が伴う。その力がたとえ君を蝕むとしても君がそれに文句を言う権利はない。与えられたものを使えない君が悪いのだよ。そこのところをはき違えてもらっては困る。」
俺が言葉に困って口を開けたままの姿を見ると、ソレは笑顔をそのままに声音をやわらげた。
「一度与えた加護を僕が君から引きはがすことは出来ないんだ。君の中に入った黒い球は君の中で少しずつ姿や形を変える。時には心とまじりあって新たな姿として見えることもある。ソレを取り出すことは僕にも出来ない。」
ソレは悪びれもせずにそう言った。
もしかしたらあの時、自分に心の中で話しかけてきた誰かが俺の『鬼化』の能力の権化なのか?だとしたらアレは俺の心の一部だということになる。俺があんなことを思っていたのか?
いや、多分そう思っていたのだろう。
確かに俺はあの場で強くなりたいと心から願っていた。その事実に嘘偽りはない。金城と戦っていた時にも、ベルモットの父と戦っていた時にも、俺は願っていた。
能力に身をゆだねてしまっていた。
服を着こなせないことを「服に着られる」という風に言うが、俺の場合は「能力に使われていた」のかもしれない。
そうだとすれば、全て俺が悪い。
あの時の一瞬の判断が俺の理性を食い破ってしまった。ヤト爺を殺したのは紛れもなく自分で、俺が判断を誤らなければもしかするとヤト爺は死なずに済んだかもしれない。
俺はこの能力のせいにするという退路すらなくなってしまったのを感じた。
俺の心が塞ぎ込むのが分かる。
「まぁ、それと末永く付き合ってゆくことだね。君はいずれまたそれを使うことになる。」
「どういうことだ。」
「言葉通りの意味さ。君は使える力があればそれに頼らざるを得ない性分なんだよ。」
それを言われて、すぐに否定しようとしたが、否定できないことに気がついた。
もしもまた同じ事が起きた時、俺はそれを使わずに死ぬことが出来るだろうか。俺はその時、理性と命を天秤にかけて考えることが出来るだろうか。
俺はその言葉に何も返すことができなかった。
「まぁ、そう深刻そうな顔をしないでよ。僕が君にその力を与えたのは、君に期待しているからなんだよ。」
「......俺に一体何を期待しているんだ。」
「それはもちろん一一」
こちらを振り向いた時の笑顔はまるで氷のように冷たかった。
「この世界の幸せだよ。」
その言葉を聞いた瞬間にその瞳の闇がドス黒く蠢いたような気がした。ゾッとするような闇だった。
「これは一種の神託なのかもしれないね。」
「俺はお前を神だと認めた訳じゃない。」
「ほう。これでもかい?」
少年は俺に手を突き出した。
俺はソレがやったその行為に反応出来ず、触れることを許し一一
触れていなかった。
その触れた部分は半透明になり、俺の体をすり抜けた。まるで映画館の3D映像に触れてドギマギした感覚だった。
ソレは口の端をニィと上げた。
「じゃあね。」
ソレは瞬く間に消えてしまった。
腰が抜ける寸前だった。
ドアがガチャリと開いた。
「誰だッ!?」
「......何驚いてんのよ。」
「ティファ......」
そこに居たのは金色の髪の少女だった。
あの少年は一体なんだったのでしょう。
本当に神様なのでしょうか?
田熊には本当に世界の平和を期待しているのでしょうか?
謎は深まるばかりです。




