絶望
闇を抜けて視界がパッと開ける。
俺たちの体は地面に落ちる前に勢いを失い、俺はしっかりと両足で着地した。
脇に抱えていた3人を下ろす。
「大丈夫か?」
「あ、ありが......とう。」
少し困惑した様子で一人の女子生徒がそう答える。
もう二人のうち一人はオロオロとして言葉が発せないようであり、もう一人は気絶していた。あまりにもショックだったのだろう。
クラスメイトは......確かに全員いる。
それだけではなく軍服のようなモノを着た人間が数名、こちらに手をかざしている。それとは関係なく向こうの方で自分たちを観察している人間が3人いた。
周りには見たことのない機械があった。色のついた煙が漏れ出ている機械、トカゲと豚を合わせたようなものが入っている小瓶、光の粒が浮遊しては戻っていく壺など仕組みが良く分からないものも多々ある。
ありえない状況にも関わらず、俺の心は凪の海のように落ち着いていた。あるいはまだ状況を上手く呑み込めておらず困惑することすらできないのかもしれない。
カツカツと音を立てながら一人の男が歩み寄る。ローブの上からでも分かるガタイの良い体をしている。もちろん俺ほどではないが。
「ふむ。やはり子供が多いか。しかし皆、良いマナを満ち溢れさせている。......あぁ、ただ一人例外はいるようだが。」
「てめぇは一体何者なんだ!?」
近づいてくる男に対して突っかかるように近づいて行ったのは金城だった。
金城実、クラスのリーダー的存在だ。
気性が荒いところはあるが、物事の本質を見極めて皆をまとめ何でも要領良くこなすので他人からの人望は厚い。
端正な顔立ちで目元がくっきりとしており眉毛が太い。特徴のある顔だが格好良い。サッカーをしているので筋肉もほどほどにあり、女子からの人気も高い。
良くできた人間である。
「おや、私としたことが。私の名前はボルドー。ボルドー=レイブン=ライデリッヒだ。この王国魔道師団の団長を務めている。以後よろしく。」
「俺はてめぇの名前を聞いているんじゃない!ここはどこで、お前らは何者だ!?どうしたら俺達はここから元の場所に戻れるんだよッ!?」
「ふむ。一度に全ての質問に答えるのは骨が折れるな。ロア。こいつらに情報理解の魔法をかけてやれ。」
「承知しました。」
ロアと呼ばれた女性は手から光る糸のようなモノを出した。
それらは浮遊しながら俺たちの頭の中に入ってくる。入ってきた瞬間に少し嫌な感じがしたが、それ以上どうなることもなかった。何も変化は感じられない。
しかし他のクラスメイトは少なからず変化を感じているようだった。
「これが......魔法......?」と誰かが呟いた。それに続けるように金城が少し冷静になった様子でボルドーに話しかけた。
「つまりこの魔法を使ってある程度強制的にこの世界を俺達に理解させたわけだ。」
「そういうことだ。ちなみにその情報理解の魔法は体を流れているマナに直接干渉することによって記憶の中に直接この世界に関する情報を刻みつける事が出来る。」
魔法?マナ?一体何の話をしているんだ?
「俺たちの能力を引き上げる高等な召喚術を使って体を強化させた。マナの量も使える魔法の質も桁違いに強化されている。そして俺たちを召喚した......と。一体何が目的だ?」
金城の目には静かな怒りがこもっていた。
ボルドーと名乗る男はニヤリと笑って言った。
「君たちには戦争をしてもらいたい。」
「「「「「はぁっ!?」」」」」
一瞬の間を置いて全員から一斉に驚嘆が上がる。
いきなりのことに全員が茫然としていた。
もちろん俺も驚きはしたが、心は静かなままだった。凪の海に釣り人が竿を振り針を水に沈めたところで微々たる波紋は海に影響を及ぼさない。その程度の物だった。
日常を逸脱した時から覚悟はできていたのだ。
「そんな事する訳ねぇだろうがよ!」
「君達に否定する権利は無い。」
ボルドーは金城の意見をまるで取るに足らないという風に一蹴する。
金城はその態度に眉間の皺を一層深くした。額にないビキビキと青筋が浮かび上がる。
「俺たちが戦う理由がないだろうが!!」
「君、元の世界に戻りたくはないかね?」
ボルドーがしたり顔のままこちらを見つめる。
金城は元の世界に戻るという言葉を聞いた瞬間に反論の手を緩めた。
ボルドーはまるで相手が何を望んでいるか、どんな返答をしてくるだろうかを全て知っているような口ぶりだった。何度も同じようなやり取りをしてきたかのように。
金城はボルドーを睨みつけていたがそれが無意味であることを悟ったのか少し冷静さを取り戻した。
「......元の世界に戻る方法があるのか?」
「世界石に頼めば良い。」
「世界石?」
「ああ、この世界には三種類の石がある。それらが一つになった時、その石は全ての願いを叶えると言われている。それが世界石だ。我らがオスカー国はその一つである記録石を所持している。」
「......段々、お前の言いたいことが分かってきたぜ。」
「流石、察しが良いな。最初は馬鹿なだけかと思っていたがそうでは無いらしい。」
「ちょっと考えれば分かることだろうが。」
俺たちを戦わせて、敵国から残りの石を奪い取る。そして世界石を完成させる。
それをしなければ俺達は帰ることは出来ない。
最初から拒否権は無かったという訳である。
「クソがッ」
金城は踵を返してドアから出た。
誰もそれを止めようとしないのを見るとこの部屋から出ていくのは別に大丈夫らしい。
何人かが迷った後、部屋を出た。
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ボルドーがカツカツと足音を響かせる。
そして俺の前で足を止めた。
「何のようだ?」
「お前こそ、何か違和感があるのではないか?」
「どういうことだ。」
ボルドーはやれやれと両手を上げた。
まるで厄介者を見つめるような目で自分を見つめ、そして軽蔑するような目で俺を見た。
「お前から見ればこうだろう。勝手に仲間が知らない言葉を話し始めた。勝手に話を進めて、自分を置いてけぼりにした。......こう言っては悪いがお前は『失敗』だ。召喚の過程でマナを作る機関が剥離した。はっきりと言ってやろう。お前に魔法は使えない。お前は戦えない。」
その時、俺の中で何かが沸々と湧き上がってきた。脳が、体が少しずつ熱を帯びてくるのが分かる。心臓の鼓動が少しずつ早くなり血が全身を駆け巡る。
俺が......戦えない?
「何を言っているんだ。」
「お前は戦えない。こんなことに巻き込んでしまって申し訳ない。」
「だから何を――――」
言ってるんだ。その言葉が音になる前にボルドーは浅く「はぁ」と息づくとまるで自分を残念なものを見るように目を細め「......理解しろ。」と静かに呟いた。
拳に少しずつ力が入るのが分かる。拳が強く握られるたびギリギリと音を立てる。
魔法が使えない。その事実は認める。しかし、だからと言って戦えないわけがない。それだけが戦う手段になり得ることなどあり得ない。
「俺と戦ってみるか......?」
「良いだろう。どこからでもかかってこい。」
相手は余裕の表情をしていた。その勝負に挑む姿勢が俺を腹立たせる。
深呼吸して頭を整理すると同時に俺は攻撃の構えを取る。
足幅は肩幅より少し広く、少しずつ足を曲げて重心を低くする。拳を肩の高さまで上げ全身の筋肉を弛緩させる。常にリラックスした無理のない姿勢をとること。しっかりと相手を見据え相手との間合いを測り自分の拳が当たるか当たらないかを見極める。
相手は構えすら取っていない。舐められているのか、それとも取る構えを知らないのか、どちらにせよ戦いに対する侮辱だ。
だったら見せてやる。
俺は強い!
「行くぞッ!!」
一歩を大きく踏み込み筋肉を一気に収縮させる。地面をしっかりと捉え重心を素早く前に移動、一気に間合いを詰めるッ!!
相手の目が俺の体の動きを追えている。全くの素人でもないということか?
相手の体が自分の間合いに入った!
その瞬間だった。
「速度上昇」
ボルドーの姿が不自然な動きをした。
滑らかな重心移動をしたわけでも無く、ただ横に歩いた。それもとても速い動きで。拳の届かない位置に避けられた。早く動くような予備動作も無かった。
ただ「ヘイスト」と言っただけだった。
まるで自分の体が遅くなったかのように拳は空を切る。
何故当たらない!?相手はズブの素人だぞ!?避け方も、攻撃の入れ方も、間合いの取り方も分からないような人間になぜ勝てない!?
改めて体制を立て直し間合いを詰める。
同じようにもっさりと動いて俺の攻撃を避ける。まるで鉢合わせになった自転車を躱すような動きで俺の渾身の一撃をウザったらしく避ける。
入らない?入れられないのか?何度やっても入れられないのではないのか?もしかしたらこのままずっと......?
「もうやめたらどうだ。」
「まだだッ!!」
余計な考えは振り切れ!俺は自分の強さだけを信じていればいい。俺は強い、そうだろう!?
ボルドーは動きを止めた。俺に説得することを諦めるように両手を広げた。このままではどうにもならない。そう思ったのかもしれない。
そちらがその気なら俺も容赦はしない!
上腕二頭筋に力を溜め一気に開放するッ!拳の速度はトップスピード、角度も良い。相手の弱点を適切に打ち砕く鋭い突きだ!相手に当たれば骨折もあり得る!
なのに何だ、この違和感は。
ここまで確信できるのに。状況も全て整っているのに。俺の経験も「行ける!」と言っているのに。
全く勝てる気がしない。
そして俺は驚愕した。
俺の拳は予定よりも少し手前で止まった。行く手を阻んだのは透明な壁。薄く文字が光り輝いている。コンクリートを殴ったような感触があり、少し遅れてやってくる猛烈な痛み。
反動は自分の拳に帰ってくる。およそ、相手を貫いたであろう衝撃が自分の拳を粉砕する。
「これが、魔法だ。」
「おおおおおぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」
ジンジンと拳が痛む。焼けるような痛みに頭が真っ白になりながら地べたをのたうち回る。耐えきれない痛みに嗚咽が漏れる。目を見開いても涙すら流れない常軌を逸した痛みに悶絶する。
これが実践なら確実に死んでいた。
負けた。負けた。完全に負けた。
一縷の勝ち筋も見えはしなかった。
俺の心が、生きる意味が剥がれ落ちていく。俺の全てが踏みにじられていく。
血反吐を吐きたくなるような感覚。どうあがいてもアレに勝てる訳がないという諦め。敗北による屈辱などとうに通り越していた。
大会で負けても絶対に敗北を認めなかった。次は必ず勝てると信じられていた。本当の意味で負けではなかったのだ。次につながる糧に出来ていた。
俺は初めて敗北を認めた。
絶望とも呼べるような敗北だった。
魔法というのは通常の人間が出来ないことをいとも簡単に可能にしてしまいます。
それまで誰かがしてきた努力も全て無かったことにしてしまう。それが魔法です。
これは田熊の成長物語です。