黒い感情
「君が生きていたのは僕にとって大きな驚きだよ。」
「死んだと言ったつもりはないがな。」
「ククク。君は死んでいないにも関わらず、のうのうと暮らしていたわけだね。」
「出来ればずっとそうしてたかったんだけどなぁ。お前さえ出てこなければ今頃ゆっくりと出来ていたのになぁ。」
俺は白い髪の毛をボリボリと掻きながら、恨みを込めた視線をアウテグラルに向ける。
「そんな視線を向けないでくれよ。久しぶりに会うんだからさ。昔の話でもしようか。前にあったのはいつだったかなぁ。」
「前回のフェンリル大侵略の時だ。」
「......そうだったな。」
アイツの目つきは少しきつくなった。だが太った姿では示しがつかない。昔は少し太っている程度だったのに、あの後一体なにがあったのか。
いや、自分も今はこうなってしまっている人のことは言えないか。
「お前と昔話なんてしている暇はない。さっさと終わらせよう。」
「私もそう思ったところだ。構えろ、兵士ども。ヤツは手ごわいぞ。腕がなまっていなければの話だがな。」
俺は神経を周りに張り巡らせた。位置関係と変化。人の視線。大分やってなかったが、衰えていないようだ。
「やれ。」
俺は兵士の中に紛れるように一瞬で移動した。
相手が驚いてこちらを見る。見ていない人間は『視界支配』で無理矢理気づかせる。注意を引きつけつつ、逃げる。そして手のひらが光った瞬間にまた避ける。常人には何をしているのか分からないかもしれない。
だが俺にはすべてが見えている。この飛び交う一つ一つの弾の軌道も、次に飛ぶべき場所も。全員の弾の撃つ場所一つ一つをコントロールすることによって、見える景色がある。俺の事しか見えていない相手には見えない、俺だけの景色が。
だから相手には見えていない。
俺の先に居る自分の味方の姿を。
至る所で悲鳴が上がる。俺は何一つ手出しはしていない。
熟練の兵士でも、こんな高機動力の相手とは戦ったことがないらしい。自分の弾が仲間に当たらないとでも思っているのだろうか。
それでも相手は気づかない。
俺に集中しているので、仲間が倒れていくこともどうせ俺が攻撃しているのだろうと思っている。
上から見ていれば気づくだろう?アウテグラル。
それでもヤツは止めない。ほくそ笑みながら、酒のつまみにしている。
ついに最後の二人になった。俺は彼らの間に割って入る。
そこでようやく彼らは気づいた。
自分たち以外に仲間がいなくなっている事を。
だが気づくのが遅すぎる。それに気づいてしまってから弾を撃つのをやめてしまっている。その位置から動くことを知らないのだ。普段は固定砲台の様に前に撃つことだけを命じられているのだから無理はない。
だが決して褒められた話ではない。
俺はそんなオドオドと行先を見失っている者たちをいともたやすく気絶させた。
「いやぁ、いつ見ても素晴らしい手際だねぇ。一個大隊はある人間をこんなにもいともたやすく倒してしまうとは。」
「お前には連合合同演習戦でも一度も負けたことは無かったからな。」
「言ってくれるじゃないか。私は君みたいに停滞しているわけではないよ。」
「俺に変な期待をさせるなよ。お前にはうんざりさせられた経験しかないし、最早顔も見たくない。」
「貴様ァ!」
アウテグラルは激高した。怒ると鼻息が豚の様に荒くなるのは前と変わっていないらしい。フーフーと息を整え、そしてクククと気味の悪い笑顔で笑い出した。
「まぁ......いいさ。君がフェンリル大侵略の時に失ったもの、いや奪われたものを俺は知っているからなぁ!いくら君が喚こうが、私は君が何もできなかったことを知っている。君はリースを守れなかった。」
「やめろ。」
「彼女は殺されたんだ!フェンリルの力によって消えた!歴戦の英雄でもどうすることも出来なかったんだろう!?」
「やめろ。」
「リースフェルト=アルルカンは無残に殺してやった!!俺の側妻にならぬかと言ったが最後まで反抗的な目をしていたよ!!」
「やめろォッ!!」
アハハハハという甲高い声が聞こえる。虫酸が走る。
「今度、そうされたい人はいるのかい?居るんだね!君の顔は分かりやすい!!良いねぇ!その顔だ!!アハハハハハ!!守れずに死ね!死ね!!」
「殺して見ろ。」
「言われなくてもやってやるよ!!もっと無残に殺してやる!!死ね!『トツカ テンヤ』!!!」
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俺はこの壁すらも超えられないというのか。
目の前にそびえたつ巨大な壁。敵が作った普通の土ではない壁である。
殴るってもダメージが入っているようには思えない。それでも殴り続けるしかない。元の世界でもコンクリートぐらいなら欠けさせることが出来たのに、この壁には強化された俺の腕でも傷一つつかない。
『俺ヲ使エ。』
「誰だ!?」
後ろを見ても誰も居ない。一体どこからきこえてきたんだ?
『俺ニ体ヲ預ケロ。』
間違いない。この声は俺の中から聞こえている声だ。その声が響いていると同時に両腕が沸き立つように震える。
溢れてきた力で思い切り腕を振ると、壁に亀裂が入った。
「うぉぉぉぉぉ!!!!!」
亀裂を中心に渾身の力で連打する。亀裂は少しずつ広がり、やがて大きな穴がぽっかりと開いた。
そこから見えるのはまさに地獄絵図だった。
地面から突き出た無数のトゲ、見えていた山は大きく変化し何本もの拳が生えていた。
トゲの上を駆けるのはヤト爺だった。俺とは比べ物にならないほどの速度で避けている。その見事な動きはまるで踊っているようでもあった。
トゲに触れた瞬間に俺の腕からは黒い血が噴き出した。触れるだけでも切れるようなトゲの上を軽やかに飛び跳ねている。
着地場所などもうないであろうに。
俺がそんなことを思った瞬間、俺の眼下の地面が揺らいだ。
慌てて回避行動をしようとするが、一足遅かった。
俺の太ももをトゲが切り裂く。血が少しずつドクドクと流れ出す。
ここで大声を上げてしまえば気づかれてしまう。
あのヤト爺がこんなにも強い人間だったのか!?彼はいくつの修羅場をくぐりぬけて来たんだ!?
俺は強くなった。
あの金城よりも強くなった。それでもここにはまだ俺は近づけないというのか?
俺は強い。
今の俺は強いはずだ。
それでも足りないのか!?
『俺二戦ワセロ。』
頭の中にその言葉が響いた瞬間に心臓の鼓動が一際大きく打った。
俺の心の中に黒い感情が沸き立つのを感じた。
とてつもなくドス黒い感情だった。
俺が持っている嫉妬や執念をかき集めて練り固めたものが、胃の中を押しあがってくるようなそんな気がした。
胸が、足が、黒く染まっていく。
止めようとしても止められない感情が自分の体を包み込んでいくのが分かる。
俺の頭を飲み込んだ瞬間に視界は真っ暗になった。今は自分がどんな姿になっているのかもわからない。
俺の意識は溺れるように深く沈んでいく。
「俺ガ、コノ場デ、一番強イ。ダカラ、全員殺ス。」
何かが聞こえた気がした。
「サァ、戦イノ、始マリダァァァァァァアアアア!!!!!」
田熊が堕落する。
願ったことは『この場で一番強いことを証明する』こと。
黒い感情が田熊を覆い隠した時、田熊は欲望と本能の化身となる。
その姿は、まさに怪物。




