拘束
手には鉄製の枷がはめられている。重たくて動きそうもない。
腹にはチェーンがしっかりと巻き付いて、椅子と固定されていた。それだけでは足りないのか足枷には鉄球が付いていた。どうせ立てないのだから意味がないではないかと鼻で笑う。
極めつけは首輪であった。
これは敗北の象徴だ。
最早涙も出ない。涙腺が溶けた皮膚で張り付いているのかもしれないが、根本的な理由は多分そこではなくて反骨心すらなくなってしまったからである。
あんなバケモノに勝てるわけがない。
俺がやってきた努力は何だったんだ。
範囲攻撃で隙が無く、当たれば致命傷は免れられない。俺があとどれだけ強くなれば近接攻撃でも相手を倒せるようになるんだ?出来る訳がない。
そもそも魔法が使えない時点で戦うことなど出来るはずがなかったのだ。なのに、大口を叩いて戦争に出向き、結局敵の捕虜となった。これではヤト爺にも卓男にもティファにも、クラスメイトや隊長達にも合わせる顔がない。
むしろここで死ねば、殺してくれれば顔を合わせなくても済む。
俺は生かされていた。敵に情けをかけてもらったのかもしれない。それは俺の覚悟への侮辱だ。
負ければ死ぬ。
あの時、俺は勝たなくてはならなかった。
背中を向けてもそこには死しかなかった。
俺の選択は間違っていなかった。何が間違っていたのか。何かが間違っていたのだ。
そう、俺の間違いは戦場に出てきてしまったことだ。
誰も自分に行くことを勧めなかった。なのに俺は一歩踏み出してしまったのだ。
勝手に思い上がった。
そして今、首輪をつけられて座らされている。
新しい看守がやってきた。俺の姿を見るなり顔を歪めてそっぽを向いた。自分がどう見えているのかは分からないがきっとひどいのだろう。自分でもこれ以上ないほどの痛みに時々歯を食いしばる。
拷問士が手持ち無沙汰に部屋の隅に立っている。
俺の感覚など、痺れるような痛みにかき消されて全く分からなくなっていた。それでもここに居るしかないことに同情すら覚えてしまう。
「もうそろそろ情報の一つでも吐いたらどうだ。」
「......」
「はぁ。」
拷問士は自分にそう言った。
もともと俺が知っている機密情報などない。俺はそれだけ信頼されていなかったのだ。
自分がいま生きられているのは、何か知っているかもしれないと思われているから。そのアドバンテージが無くなってしまえば殺されてしまう。
そう考えたら言い出せなくなってしまっていた。喉が焼けていることを言い訳にも出来るが話せないわけではない。
いっそのこと殺してもらえれば、なんてことを思っているにもかかわらず心が弱すぎる。結局は自分に甘えているだけ。覚悟も思いも胸の内だけ。逃げ道があれば逃げ込んでしまう。
俺は弱い。
「俺達の番はここで終わりだ。夜番を呼んでくる。くれぐれも大人しくしておけよ。」
「......」
小さい格子窓から夕陽が見えた。
もう一日経ってしまったのか。俺のことを心配してくれている人がいる。そんな人などいなければ、自分の命は自分だけのものになるのだが。
鍵がガチャガチャとうるさい音を鳴らす。
看守も拷問士も消えてこの中には自分一人になった。
だからと言って何が変わるわけでも無い。
逃げ出せるわけでも無いし、今の自分の体では何もできないだろう。
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小さな窓枠の中を星が通り過ぎていく。冷たい風が身に染みる。
そういえば夜番の看守がやってこないことに気づき、回らない首で辺りを見渡した。
服が擦れるだけでも痛い。一日も経てば慣れるものだと思っていたが全くそんな気配はなかった。
ガチャリと後ろのドアが開いた。
この国の兵士が着ているはずの鎧の音がしない。看守ではないのか?
誰かが後ろに立った。体が動かせないのがもどかしい。何もできずに、得体のしれない人間に背後を取られるという感覚が、ここまで背筋の凍るものだとは思わなかった。
「ふふ、そんなに緊張しなくてもいいわよ。」
「......」
女の声だ。
看守という可能性もあるが多分違う。ひどく妖艶な声を耳元で囁いてくる。
俺はその声にどう反応して良いものか分からず顔を伏せる。
「貴方、ここから出たくない?私なら貴方を出してあげられるわよ。条件はあるけれど。」
「......」
「ここから出たくはないの?」
「......」
「そう。それなら仕方無いわね。貴方は負け犬だもの。」
「ッ......!!」
現実を改めて突きつけられたような気がした。
俺は負け犬だ。ここに閉じ込められて相手の掌の上で雁字搦めにされている。身動きのできないただの負け犬だ。
「ここから出ようとすれば殺されてしまうかもしれないものね。負け犬にそんな気概は無いでしょう。」
煽りにも近いその言葉たちが俺の心に突き刺さる。本人には到底そんなつもりは無いのかもしれないが。
自分が負け犬と言われた。
以前であれば絶対に受け入れることなどしなかっただろう。
今は、それを自然に受け入れてしまう自分が居た。
それが、負け犬の証なのだ。
冷え切っていた体が少しずつ熱を帯びるのが分かった。
「別に貴方が出たいと思わないなら別の者に頼むわ。別に誰でも良いのよ。こんなチャンスは二度と――」
「負け犬じゃない。」
「へ?」
「俺は負け犬なんかじゃない!!」
監獄の張りつめた冷たい空気が一気に熱を持ったように震えだす。
これは虚勢だ。ただのハッタリと言っても良い。ただ、絶対にここでこの女にそれを言われて黙っていてはいけない。
この女に俺の何が分かる!?俺が何をどれだけ頑張ってきたか!それにどれだけの時間をかけてきたか!それをただの事実で掻き消されてたまるか!
俺の努力は空虚だったかもしれない。本当に身になったのはただの一握りでバケモノには到底かなわないかもしれない。
でも、諦めたら全てが終わる!!
「条件は。」
「へ?」
「条件を言え!!」
「はいっ!?」
女は驚いたように自分のもとを離れたがすぐに平静を取り戻したようだった。
「条件は――」
女はその身を翻しながら、自分の後ろからするりと現れた。
「私を貴方の国に連れていくことよ。」
月の光に照らされる、腰まであるような長さのエメラルドグリーンの髪。艶やかなその髪には手入れが行き届いていることが見て取れる。
沢山の装飾こそないが、汚れ一つないワインレッドのドレス。
それに見合うような身長の高さとスタイルの良いボディラインがドレスに刻まれていた。
「私はベルモット。気軽にベルとでも呼んでくれるかしら?」
妖艶な声が俺の耳を刺激した。
自分よりは少し年齢は上かもしれないが、それでも予想していたよりもずっと若い。もしかしたら10代かもしれない。
年齢と声と体のギャップに現実感がどこかに行ってしまうような気がした。
ベルモットは胸の谷間に指を入れるとその中から鍵束を取り出した。
「これが貴方の鍵よ。そしてこれが監獄のそこの鍵よ。そしてこれが――」
「腰の水筒取ってくれるか?」
「......これ?」
「飲ませてくれ。」
塗装は溶け落ちているが中身は水筒は形を保っていた。
服を取られていたら確実にこれも一緒に没収されていただろう。
ベルモットが飲み口を開いて俺の口に当てる。
「こんなのでなにが変わるというのかしら。」
「ッ!」
喉に流れ込むと同時に火傷が痛みを伴い熱を帯びた。緑色の液体が身に染みる。
これには治癒能力を向上させる力がある。これには助けてもらってばっかりだなと頭で考える。
「お、おぉ、ウォォォォォオオオオオオオオオ!!!!」
「何よ、急に!?大きな声出したら気づかれてしまうでしょう!?」
腹の奥底から叫ぶ。
いままで自分の心をふさいでいた蓋を吹き飛ばすように叫ぶ。
全身の筋肉に力を入れる。
筋肉が悲鳴を上げた。
こんな手枷、こんなチェーン、こんな鉄球、こんな首輪。
こんなもので自分が止められるはずがない。
俺を止めていたのは、自分自身だ!!
破裂音と共に床に金属の破片が散らばった。
「嘘でしょ?」
「お前を連れ出せば良いんだな?」
「えぇ、でも、今さっきの音で看守が近づいているわ。私が想定したルートは閉ざされてしまっているでしょうね。」
俺はベルモットの膝と背中に手を回すと、そのまま持ち上げた。
予想していたよりも軽い。いつも筋肉の付いた男を投げ飛ばしていたからそう感じるのかもしれない。
「な、なにするの!?」
「お前をここから連れ出す。」
「連れ出すって、ど、どうやって!?」
驚いている顔は年齢相応でやっと化けの皮がはがれたような気がした。
俺は外に繋がっているであろう窓枠の下を思い切り蹴り上げた。石材で出来た壁はいとも簡単に壊れて、ぽっかりと大きな穴からは一際輝く星が見えていた。
「ははは......」
「じゃあ、しっかり捕まってろ。」
「え?」
俺はグッと足に力を込めた。
筋肉が、燃料が放り込まれた様に発熱する。
行くべき場所、たどり着かなければならない場所を頭に思い浮かべる。
「『空躍』」
俺たちの体は夜空に大きな弧を描いた。
監獄に残されたものは姿のない女の悲鳴だけであった。
第一章これにて閉幕!明日からは心機一転、第二章!!
田熊って何かを決めるときは誰かと決めるのではなく、必ず自己完結しているんですよね。
第二章も田熊の試練は続きます。
それでも歩みを進め続けることは出来るのでしょうか。




