覚悟
ボルドー隊長が朝礼にてその言葉を放ったのは、俺が空躍を取得してからほんの数日後のことだった。
「我々の若き精鋭である召喚者が実践投入可能レベルに到達した。10日後に本格的な戦力投入を行う。皆、より一層気を引き締めておくように。」
そう言った後、ひとしきり関係のない話をして、俺たちの気持ちを知ってか知らずかいつもと同じように朝礼台を降りていった。俺たちの方を振り返りもしなかった。
俺達に意識させないためなのか。それとも
今にも暴発してしまいそうな緊張感が周囲を包み込む。それでも自我が保てているのはその時が来るのを覚悟できていたからだろう。
戦わなければ死ぬ。
彼らはそんな狂気じみた覚悟をしながら戦ってきたのだろう。
朝礼が終わるとそれぞれおぼつかない足取りで帰っていった。
「田熊氏。」
「何だ?」
隣に居た卓男が緊張した面持ちで額に汗を掻きながら話しかけてくる。どうやら緊張感に気圧されてしまったらしく委縮しているようだった。
「拙者たちは一体どうなってしまうのでござるか?」
「......普通なら蚊帳の外だろうな。」
「そうでござるか。」
「......俺は通常使うポータルは使わずに空躍で戦場に出向こうと思う。」
卓男は少し悲しげな表情をした。
しかしすぐに表情を取り繕うと、では拙者は田熊氏に合う武具を作らねばなりませんな!と明るい声で言った。
胸に熱い何かが込み上げてくるのを感じた。
すまない。
俺は心の中でそう答えた。
卓男はそうと決まれば、と言ってスタスタと帰っていった。
自分も帰ろうかと宿舎に歩みを進めた時、ただ一人身じろぎもせずにそこに立ち続けている人影が見えた。
塩見優奈だった。
昏い瞳がどこか一点を捉えて離さない。
その表情は茫然としているわけでもなく、ただ朝礼台を見ながら立っていた。そこだけ別世界のように静まり返っていて日の出と相まって少し神秘的な感じがした。
どこからともなくやってきた風が、スッと伸びた背筋に細く長い三つ編みを揺らす。口から漏れる白い息が行き場もなくフワフワと漂って空気の中に消えていった。
一体、何を思っているのだろうか。
見られているのに気付いた塩見が少し怪訝そうな目でこちらを見ながら近寄ってくる。俺は黙って見ていたことに少し後ろめたさを感じてたじろいでしまった。なぜか関わってはいけないような、そんなばつの悪さを感じていたからである。
「何のよう?」
氷のような声、普段の塩見の声だ。
塩見の顔はいつもの仏頂面に戻っていた。眼鏡の奥から見える瞳が自分を睨みつけていた。
「いや、何も無かったんだが......その何を考えているのかと思ってな。」
その言葉を聞いて塩見は少し考えるそぶりを見せた。
てっきりすぐにあしらわれるかと思っていたので少し意外だった。
「そうね......何を考えていたか。私にも分からないわ。」
「え?」
「正確に言えば、言い表せない、かしら。」
そう言いながら彼女はまた考え込んだ。自分と会話をしているというよりは、自分と向き合っていると言った方が合っている気がした。自分はその内容を聞いても良いのだろうかと少し戸惑う。
「なんていうか、隊長が私たちを戦地に連れていくって言った時、普通は気を引き締めると思うのだけれど、もうそんな時が来たんだなって思ったの。訓練してれば一日なんてあっという間。いろんなことが目まぐるしく過ぎて行ってまだ状況が呑み込めてないの。現実感が無いの、何から何まで。」
俺は黙ってそれを聞いていた。
そして何かがストンとはまった気がした。
流されるままにこの世界に転移して、教わるがままに一人の戦士として育てられる。さらには、指示されるがままに10日後には戦場に行かなければならない。
飲み込めるはずがない。
それが普通だ。狂気じみた覚悟なんて誰でも出来る訳がない。
「それでも戦わなくてはいけないのか?」
「それは当たり前でしょう。どれだけ現実感が無くても戦わなくてはいけないの。」
「なぜだ。」
「それを求められているから。」
「怖くないのか。」
そこで今までの淀みない返答が途切れた。
まっすぐだった視線が支えを失ったようにぐらつき、一瞬だけ先程の昏さが瞳に宿る。
その質問は自分の口から軽はずみに出たものだったが、その答えは相手の口から容易に出せるものではないことに今更ながらに気づいた。
「それは......」
俺の心に一抹の後悔が浮かんだ。
「怖くない訳、無いでしょう!!」
これまで彼女の口からきいたことのないような大きな声だった。いつも少し達観したように物事を話す彼女の姿しかなかったので驚いた。
吐き出す息が少し震えていた。細い喉を通る空気が細かく振動している。顔は少し血の気が引いて白くなっていた。ここからでも胸の鼓動が聞こえてきそうなほどに肩を大きく揺らしている。
「怖くても戦わなきゃいけないの!......何もできないのに勝手な事言わないで。」
彼女はすぐに冷静さを取り戻し、俺に冷たい目線を向けた。いつも見ていた意志の向けられていない無機質な目ではなく意志のこもった冷たい目線だった。そこには確かな怒りがこもっていた。
彼女は目を閉じながら、フーッと長く細く息を吐いた。
「すまん。」
「......少し熱くなってしまったわ。ごめん。」
「いや、今のは俺が悪かった。」
クラスメイトの精神状態は既に限界だった。
これが戦争だ。誰が悪いわけでもない。
悪いとしたら戦争だ。普通の女子高生がこんなところに来て早々に覚悟なんかできるはずもない。
「私は戦って、他の国にある石を取り戻さなければいけないの。私たちは利用されているけれど、そうしないと駄目なことも確か。だから戦わなくてはいけない。......だから、私たちの前でもうそんな質問はしないで。あと、戦いたいなんて言って私たちを戸惑わせないで。次やったら絶対に許さない。」
俺はそれを了承し、そしてやはりと確信する。
この世界は異常だ。
戦いたくない女の子でさえも戦場に駆り出されるなんて間違っている。
そして――
俺も異常だ。
俺と彼女たちは違う。同じ目線だなんてあり得ないことだった。
俺は戦いたい。例え誰かに望まれなくても。求められてはいなくても。
戦って、誰かの代わりになる。
彼女や他のクラスメイト達が戦わなくてすむように、俺はあの怪物たちを乗り越えなければならない。
狂気じみた覚悟、それが俺には出来るから。
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十日間なんて無いのと同じだった。
修行していれば一日はすぐに過ぎる。塩見が言っていたことと同じことを言っていると思い、少し苦笑いした。
「行ってくる。」
「お達者にでござるよ!」
「あんまり無理はしないでよね。」
右腕には卓男が用意してくれたとある防具と、腰のあたりにティファが用意してくれたコーシーをぶら下げる。ヤト爺は迎えには出てきてくれなかった。雑務室の窓は開いていたが人影は見えない。
俺は彼らに背を向けて思いきり地面を蹴飛ばした。
現代で人に武道を習わせる理由の1つに『他人を慮れるようにするため』というものがあります。
自分は他の人よりも強いから相手を守ってあげるという考え方が根底に身につくのです。
でも本当にこんなことが起こってしまったら、その思いは呪いのようにまとわりついてしまうのかもしれません。




