蛍祭り
「いったい何なんだろう用事って」
私、松本叶は幼馴染の三原仁に呼び出されて外出の準備を整えていた。あいつはいつもこっちの予定を考えなしに私のことを誘ってくる。大体がどうでもいい用事なので半分は断っているのだが、それでも懲りずに誘ってくるあたりはあいつも相当暇なんだろう。
「大事なことがどうとか言ってたけど」
膝下の白いワンピースを身に纏いながら、私はこう呟く。あいついわく、今日の用事は大事なもんだから俺の家に夕方の5時に来てくれないか、ということらしい。そんなメールが1月前に届いたので、今回は私も予定を開けておくことができたのだが、私の誕生日に合わせてというのがどうも気にかかる。いくら聞いても何も答えてくれなかったところを見ると、あいつは何かしら私にサプライズでもする気なのかもしれない。数か月ぶりの再会でなかったら会った時に一発浴びせてもいいくらいだった。
「そんなのになびく叶様じゃないけどねー」
セミロングの髪にヘアピンを差し、ベージュのハンドバッグに荷物が入っていることを確認する。あとはお気に入りの腕時計とワンピースと同じ色のカーディガンを肩に羽織れば完璧だろう。幼なじみのところに行くだけなのにここまでおめかししていく辺り、私にも多少の女子力がついてきたといったところだろうか。
「ああそうだ、日焼け止めくらいはしとかなきゃ」
私は鏡に向かうと、外出の最終準備を始めた。
(ピーンポーン)
「……あいつ出ないんだけど」
準備を終えた私はあいつの家に着いたのだが、チャイムを鳴らしても出てこないことに酷いいら立ちを覚えていた。今は6月、確かに日も長くなってきているとはいえ、この時間帯ともなると肌寒くなってくる。この怒りはカルシウムが足りてないだけでは済まされないのだ。
「呼び出しといて出てこないってどういうことなのよ」
3センチのヒールをカツカツ言わせながら私はもう1度呼び鈴を鳴らそうか本気で考える。とその時だった。
「悪い叶!」
玄関のドアが開く音とともに、あいつは出てきた。せっかくおしゃれをしてきた私に比べてこいつの格好はTシャツにジーンズと味気ない。もっとも、タキシードでも着てきて来られたらそれはそれで困るのだが。
「おっそい。何してたのよ」
「ちょっと探し物してたんだよ」
私の不満にこいつは悪びれもせずにこう答える。
「つーかずいぶんとおめかししてきたのな。お前こんなにおしゃれさんだったっけか?」
「……あんたは私を今すぐ帰らせたいのか」
「わ、悪かったって。その髪留めと腕時計似合ってるぜ。馬子にも衣装って感じで」
「それ褒めてないだろ」
これ以上何か口走ると私の機嫌をさらに損ねると思ったのだろう、私の顔を見てこいつは手元のチラシを私に見せる。
「で、これに行こうと思ってさ」
「……蛍祭り? また懐かしいの持ってきたなあ」
そのチラシは私たちが知り合うきっかけになった蛍祭りのチラシだった。そういえばこいつと知り合ったのはこの祭りだったのをよく覚えている。あの時の私はまだ幼稚園にも通っていなかった気がするが、どうだっただろうか。
「何で蛍祭りに行くだけなのにあんなにもったいぶったのさ」
「それは、いつもみたいに断られたくなかったからな」
また言葉を濁された。何かこいつが考えているのは分かるのだが、相変わらず何が目的なのかさっぱり読めない。
「ふーん、あっそ。私がいつも断ってるのはあんたがいつも前日くらいに明日遊ぼうぜ! って誘ってくるからだって分かってるもんだと思ってたけど」
「えっ、そうだったのか?」
心底驚いたような顔をする仁。真性の馬鹿なんだろうかと頭を抱えたくなった。
「私はサプライズみたいなのがあんまり好きじゃないからね。こっちの準備が全くできてない時にいろいろされるのはリズムが狂って仕方ない。それに私だって暇じゃないんだから、前日にいきなり明日遊ぼうなんて言われて『はい分かりました』なんて気軽に返せるわけないでしょ」
「……それは悪かったな。これからは気を付けるわ」
自分に落ち度があると分かったのか、すぐに謝ってきた。こいつのこういうところは嫌いじゃない。というか、こういう裏表のない奴は付き合いやすくて助かる。だからこそ何か隠そうとしていると一発で分かってしまうことにはこいつは気付いてないらしいが。
「素直でよろしい。じゃ、行こっか蛍祭り」
「おう」
「そういやあんたこの数か月何してたのさ。珍しく連絡来なかったけど」
蛍祭りに向かう途中、私は仁にこう聞いた。
「ちょっと忙しくてな。用事がいろいろあったんだよ」
「用事ねー」
私は適当に流す。どうも数か月会っていない間にこいつは自分の行動を隠すことを覚えたらしい。以前なら何をしてたかまで聞いてもいないのに答えてくれていたのだが。そのあたりを含めてこいつも少しは大人になったということだろうか。
「こっちのことより、お前は大学どうよ。たった数か月でずいぶんと服装に気を使うようになったみたいじゃん。高校の頃なんか寝癖ぼさぼさの頭で登校してたってのに」
「いい加減それで私をいじるのはやめろ。本気で怒るぞ?」
「いや、悪い意味じゃなくてさ。なんつーか、かわいいな、って思ったんだよ」
あいつは頬を赤く染めながらそっぽを向いてそう言った。私も悪い気はしなかったのだが、あんまり喜ぶとつけあがるのがこいつだ。なので、
「何それ気持ち悪い。褒め言葉だけは素直に受け取っておくけど」
冷たい対応をしておいた。
「口調のひどさは相変わらずだなお前」
「こんなんとずっと一緒にいるあんたも十分マゾだと思うけどね」
「誰がドМだ!」
「いやそこまで言ってないから」
こんな軽口を叩ける関係が変わらないのはこいつといて一番楽しいことなのかもしれないな、と私は口には出さないが思っていた。
「で、ついたわけだが」
私は周りを見渡すが、蛍の姿は一向に見えない。もう暗くなっているというのに、光の1つもありはしなかった。
「まだ始まんないの?」
「あと5分くらいだと思ったけど……」
「その割には蛍のほの字もないじゃん。会場ここで合ってんの?」
「当たり前だろ。人だっているんだから」
そうは言っても付近にいる人は遠くに突っ立っている一人とおそらくカップルとみられる男女2人だけだ。本当に会場はここだと胸を張って言えるのだろうか。そんな私の視線を感じ取ったのか、
「分かった、それなら聞いてきてやるよ。お前はここで待ってろ」
仁はそう言って私の元を離れようとする。
「え? なら私も行くよ。その方がすぐ帰れるし」
私もついて行こうとするが、
「その格好じゃ無理だろ。お前はおとなしくここで待ってろよ」
言われて気付く。そういえばあたしの格好はとても活動する格好とは言えないものだった。こんなことになるんだったらいつものようにジーンズでも履いてから来るんだったと軽く後悔する。もっとも、今回はこいつがどこに行くかすら教えてくれなかったせいだ。私は何も悪くない。そもそもこんなにおしゃれをしてきた幼馴染と一緒に街を歩けるだけでも感動ものだと思ってほしいところなのだが。普通の女の子ならこんな格好で男子と歩いたりはしないだろう。もう少しラフな格好で来たりするものだ。
(どうして私はこんなおしゃれな格好でこいつのところに行こうって考えたんだか)
答えは分かりきっている。あいつが大事な用事がある、と言ったからだ。でも、こんなにおしゃれをする意味はあったのかと聞かれると疑問は残る。私が今日わざわざこいつについてきた理由は何なのだろう。
(私が仁のために? いや、まさか)
私がそんなことを考えている間に仁は主催者らしき人のところに聞きに行ってしまう。分からないことが頭の中を堂々巡りする。答えは出ない。
「お待たせ。そろそろ始まるらしいぜ」
こいつは私の心境を知ってか知らずか、戻ってきてそう言った。
「りょーかい」
私は返事をすると、仁の向かいから隣に移動した。
「……久しぶりに見たけどなかなか綺麗だな」
「そうだね」
私も仁も久しぶりに見た光のシャワーを眺めながらそう言い合う。蛍祭りでは毎年100匹あまりもの蛍を放し、育てていた蛍を野に返すのだ。それを見に来る人の数は先ほどの通りで既にほとんどいないのが寂しい現状でもある。と言っても私自身こいつに言われるまで蛍祭りの存在そのものを忘れていたくらいなので、集客の方に問題があるような気もする。
「それで、大事な用事って何なのさ」
私は聞く。待たされるのは嫌いだ。
「なあ、お前ここで俺と初めて会った時のこと覚えてるか?」
こいつはそう聞いてくる。
「初めて会った時?」
私は思い出そうとするが、あまり記憶になかった。
「いや、覚えてない」
「お前、じゃあ初めて蛍見たときなんて言ったか覚えてるか?」
質問の内容が変わった。
「んー、確か蛍ってすぐ死んじゃうんだよね、だったかな」
これは覚えている。蛍は成虫になると水しか飲めず、そのせいで死ぬ、ということを祖母から聞いたばかりだったのだ。
「ちょっとしか光らないんだ、とも言ってた」
こいつは付け足す。変に記憶力だけはいい奴だ。
「そこであんたが、それでもいっぱいできれいだろってつっかかってきたんだっけ」
だんだんと私も思い出してきた。私の何気なく呟いた一言が不満だったのか、仁は突然見ず知らずの私に突っかかってきたのだ。私は変な奴と思ってそれから相手にもしなかったが、こいつはなおも私に突っかかろうとしたのを家族に止められていた。
「まさかあの時はあんたとこんなに長い付き合いになるとは思わなかったけどね」
それから数年、こいつとは小学校で再会した。当時こいつを見たときはもう全然覚えていなかったのだが、向こうが私を覚えていたらしく、私にまた突っかかってきたのを見てめんどくさそうな奴だな、と思ったのは覚えている。だが不思議なもので、学年が進むにつれて腐れ縁もあってか徐々に仲良くなっていき、今のような関係に至る。
「まあ、そうだな」
「それで、結局何が言いたいのさ。私とあんたの腐れ縁の話が今関係あんの?」
長い前振りは嫌いだ。言いたいことがあるなら早く言え、と急かす。
「その腐れ縁、もう少し続けてくれないか?」
「は? どういうことよ」
回りくどい言い方に首を傾げる。
「だから、俺と付き合ってくれないか?」
「えっ」
唐突な告白に私は焦る。この展開は予想の斜め上だった。てっきりまた新作のゲームを一緒にやろうぜ、とかそういう類のものだと思っていたのだが、どうやら本当に大事な話をしようとしていたらしい。
「あんた、自分が言ってること分かってんの? 最近会ってなかったじゃん私たち。いきなり告白って何考えて……」
「ずっと思ってたよ。タイミングがなかっただけで」
仁は平然とそんなことを言う。
「私がどんだけがさつでだらしない奴か分かってんでしょ?」
「それでもお前と付き合いたいんだ」
仁は私の目をまっすぐ見て言う。
「……馬鹿じゃないの」
私はそっぽを向く。恥ずかしくなって目をそらしたのは内緒だ。
「それと、これ。順番が前後しちまったけど、今日誕生日だろ」
あいつが手渡してきたのは水色のブレスレットだった。
「何これ」
私は目のやり場に困りながら一応それを受け取る。
「いや、だから誕生日のプレゼントを……」
「そうじゃなくて、何であんたが私の誕生日を知ってんのよ」
「小学校の頃の卒業文集を見たんだよ」
その言葉に私は頭を抱えた。そういえばそんなことを書いたような気もする。そこまでして調べようとする辺りは執念の賜物だろう。
「まあ、大したもんじゃないけどな。それで、俺も返事はちゃんと聞きたいから、答えてくれないか? お前も答えを引き延ばすのは好きじゃないんだろ?」
仁はそう言う。こいつは私のそういうところも分かっていて今日告白の場所にこの特別感漂う蛍祭りという場を選んだのだろう。
「……私がサプライズ嫌いなの知ってんでしょ」
「涙もろいからだろ?」
「……馬鹿」
もう限界だった。ずっとこらえていたものがあとからあとからあふれ出す。
「……気に入らなくなったらすぐに別れてやるからね。せいぜい私にフラれないように気を付けること。それさえ守れば付き合ってもいい」
「OKってことでいいのか?」
「はっきり言わせんな」
私はそう一言答えるので精一杯だった。
「ありがとう、叶」
「うるさい、いきなり名前で呼ぶな」
私は赤くなった顔を隠すように仁にそう言った。
「じゃ、そろそろ帰ろうぜ」
放流された蛍の光がぽつぽつと消えてきた頃、仁はそう言う。
「もうちょっとだけ見たい」
私はそんなことを言う。
「ちょっとしか光らないからか?」
「もうその話はいいって。それに、その一瞬の輝きがいいんじゃない」
「そうだな」
蛍の輝きは確かに短いものだ。でも、その一瞬の輝きは、儚いが故に美しい。今日の出来事も長い人生から見れば一瞬の出来事かもしれない。でも、それは美しい輝きを放つ1つの思い出として心の中で輝き続ける。蛍と人生は似ているのかもしれない。私は川辺に浮かぶ無数の光を見てそう思った。