第六話 二つ名は格好よくないと意味ないよね
「――ごほっごほっごほっ」
「駿介本当に大丈夫なの? さっきからずっとその咳が止まらないなんておかしいよ! 特にだんだんリズムに乗ってノリノリで加速しちゃってるし! とりあえず治療の呪文をかけさせてよ」
「うむ、もうあの自衛官たちは撒いたようだから駿介も少しは休んだほうがいい」
「あ、なんだもうあいつらを振り切っちゃったかー」
わざわざ大きく響かせてまで聞かせていた相手がいないと分かるや途端に咳が止まる駿介。
やはりさっきまでの苦しそうな格好で咳をしていたのはただの演技で、置いていく自衛隊の彼らを挑発していただけのようだ。
「え? 駿介がずっと咳き込んでたのは全部嘘だったの? そんなぁ……すごく心配してたのにぃ、ガーンだよ」
人一倍彼の身を案じているだけにショックを受けたのか、がっくりだと効果音を自分で口にしてうなだれる千鶴。「駿介のことを信じてたのにぃ」と恨めしそうに鮮やかなブルーの忍者を見つめる。
駿介はトラブルメイカーとして名を馳せているのだから、そんな風に抗議されるのは慣れているはずである。しかし千鶴にだけは弱い彼は珍しく慌てて自分の行動の弁解を始めた。
「いやぁ、僕ってほらエンターメント系の忍者だから。逃げる場合はイメージカラーの青い煙幕を張るとか、ドップラー効果の咳をビートに乗せて響かせながら去っていくとか、その辺追っ手へのサービスにもちゃんと手を尽くさないとポリシーに反するんだよ」
「なに訳の分からんことを言ってるのよ」
冴月が厳しく叱責を横に、隼人は駿介の頭巾に包まれたまた頭にげんこつを一つ落とす。「ぬおお、頭が割れるよーに痛い!」と忍者が転げ回るがこっちの方が長々と説教するよりも手っとり早い。
ゲームから帰還後にも隼人が駿介の頭にげんこつを落としたことがあったが、あの時の教訓からさらに二段階は威力を抑えてある。
乱暴ではあるがあくまで隼人と駿介にとっては仲間内でのスキンシップだ。そのおかげか今回の駿介は大げさに痛がる素振りは見せるもののダメージを負ったような足取りの乱れはない。
「もー今のは仕方ないよ、駿介が逃げる時にまでふざけるのがいけないんだから反省しなさいね。ほら、たんこぶもできてないのにいつまでも痛がってないの。はい治癒だよ」
隼人からのげんこつを受けて大仰に頭を抱える駿介の姿に溜飲が下がったのか、めっと言いながらも治療魔法ですぐにたんこぶを治す千鶴。
この兄妹による的確な飴と鞭によって駿介は千鶴へ傾倒を順調に深めていっているのだが、おそらく折上兄妹にそんなつもりはない。
「はー、あなたたちは時と場所をわきまえずにじゃれ合うのもいいけれど、これからどうするか真剣に考えないとまずいわよ」
冴月が腕組みをすると背をコンクリートブロックに軽くもたれさせてから装備を解除する。
黒一色の魔女スタイルからまたジーンズにシャツというラフな服装に戻った彼女がそうすると、なんとも男前である。
実は孤児院育ちのせいで金銭面で余裕がない一時期、彼女は一回りサイズの大きい隼人から男物のお下がりばかりを着ていたことがあった。
そのせいで多少余裕のできた今でも彼女の普段着の好みが無駄にマニッシュで飾り気がなくなってしまったのだが、それがまた「男装の麗人」だと同級生の女子生徒から人気が高くなる要因なのだから美人は得である。
冴月につられて皆も装備を解除する。
肉体的な違和感はないが、やはり現実世界において戦闘装備をしているとどこか息苦しさを感じてしまうのだ。
今のこの場なら安全そうだし、たとえ自衛隊員に見つかって一般人の服装ならば誤魔化せる。
あの自衛官と対立をしたときはずっと目立つキャラクターの格好をしていたので、その装備さえ解除してしまえば追われているのが彼らだと特定は難しいはずだからだ。
だからといって装備を外したままでモンスターと戦うのは怖いのだから困った問題ではある。
「うーんこれからどうするかって、さっきみたいにモンスターに襲われてる人たちをどんどん救助していけばいいだけでしょ?」
なんでやってることを変更する必要があるの? とむしろ不思議そうな千鶴。もし日本中が彼女のように素直な人間ばかりなら隼人達も当初の作戦を変更せずに済んだだろう。
「うーん、ちょっと今まで通りの救助活動は難しくなったなぁ。さっきの一件で自衛隊を敵に回しちゃった可能性が高い。モンスターが民間人を襲撃している現場へ行くと、どうしても自衛隊とぶつかることが多くなるだろうから彼らと敵対しないためにはちょっと工夫をしなきゃいけないぞ」
「ええ、さっき出くわした奴らみたいにに頭が硬い自衛隊の連中と鉢合わせると厄介ね。もしまた隼人が撃たれたら次は先制される前に反撃の魔法を叩き込むのを我慢できないわ」
「それって絶対に反撃じゃないよね? ふ-ん、でもそっかー、冴月姉は隼人兄が撃たれるのが我慢できないんだ~」
想い人に撫でられてげんこつの痛みから復活したのかにやにやと冴月を肘で突く駿介。タフさとウザさが同居していいる少年である。
「それはそうじゃない。この中で真っ先に敵から撃たれるとしたら隼人に決まっているわ。もし他のメンバーが狙われたとしても日本男児で盾役の隼人が庇うんだから同じでしょうし。もし万一隼人が庇わなかったら役目をさぼってるってことになるわよね? だったら結局私が隼人に制裁するために魔法を使うから隼人がダメージを負うのは同じだし」
「……ちゃんとお前達を守るから折檻するのはやめてくれ」
冷静に制裁するまでの論理を展開する冴月に「こいつの成分にはデレが足りないなぁ」と表面には出さずがっかりする隼人。でもパーティーのリーダーとして、また盾役としては仲間のために壁になることをきちんと受け合う。
「お前達を脅威から身を盾にして守るのは構わないが、自衛隊から攻撃され放題ってのもマズイだろ。だからといって、こっちが相手に攻撃すると国家権力に反逆する悪役になってしまいそうだしな……」
できれば自衛隊と友好的に話し合いをしたいが、こっちが一般人なのに普通の人間ではないことが事態をややこしくしている。
なにしろMMOゲームキャラクターの能力を持っているのがバレたら洒落にならない未来が待っていると予想がつくからだ。魔法やスキルが使えるのを見つかってしまったら、人体実験や解剖にホルマリン漬けといった物騒な未来が待っているぞと隼人の頭の中では警告が発せられている。
ただもしこんな力を持っているのが彼らだけでなく、テストプレイをしていたゲームからログアウトした人間全員がそんな力を持ち帰っていれば追求軽くて済むのではないかという希望的観測があった。
逆に彼らだけしかそんな力を持っていなければ貴重な標本かモルモットにしようとするのは確実だが。
外へ出るまでは担当だった柏崎を通じてゲーム会社にもテストプレイでこんな力を得たことを伝えるつもりだったが、どうやらそれはかなり長い間延期した方がよさそうだなと隼人は判断する。
「あー、そうだ言い忘れてたけれど俺達が得たこの魔法やスキルなんかの力はまだ秘密にしておこう。変わった力を持った人間が政府や群に迫害されるってストーリーを、お前達も小説や映画でよく目にするだろう。そんな暗いストーリーの主人公になるのはまっぴらだからな」
「ええそうね、有象無象相手に秘密にするのは賛成よ」
「僕の演じる忍者は地味な上に口が堅いと巷で評判だから安心していいよ」
「……でも治療魔法を秘密にしちゃうと被害者の治療とか出来なくなっちゃう……」
諸手を挙げた賛成意見が二つある中で、小さな声で反論するのは千鶴だ。
彼女は普段はあまり兄である隼人の意見には逆らわないのだが、今回は唇を引き結んで一歩も引くことのない構えである。
「いや別に千鶴が怪我した人の治療するのを全部止めろって言ってるんじゃない。というかそれだったら最初からこんな状況で人助けするために外には出ないのが一番いい答えだからな。
治療やモンスター退治をしてるのが俺達だってバレないようにやるんだよ。つまりスキルや魔法を使う時は必ずゲームキャラの格好に変身して絶対に顔を出さず正体を隠そうってことだ」
「あ、そうなんだ」
三人がなるほどと頷く。
一般人としての正体は隠したまま、マスクや変装をして活躍するヒーローやヒロインの話は数多い。その内のどれかを思い浮かべて納得したのだろう。
「変装するなら皆でお揃いの覆面を被るってのはどーだろ?」
「悪役レスラーじゃあるまいしマスクマンになるのは御免よ。私や千鶴は顔が見えないようにとんがり帽子を目深に被ったりフードを深く下げるぐらいでいいんじゃない。あれならキャラクター装備の設定画面で顔が見えない角度に調節出来るし。隼人と駿介の場合は兜と忍者頭巾を外さないようにすればいいんじゃないかしら」
駿介の覆面作戦を却下した後に出した冴月の意見はもっともだ。
「ああそれがいいな。正体を隠すのはそれでいいとして、今の内に柏崎さんと連絡を取っておこう。俺達以外にもこんなゲーム世界の力を持った奴がいるか確認が必要だし、さっき自衛隊ともめた時のゲームキャラクターの姿格好がニュースなんかで出回っているかもしれない。そこから俺達に繋げられても困るからな」
隼人は携帯をかけるとすぐに向こうと繋がった。
「あ、柏崎さん、お疲れ様です。それで、あのゲームテスターのバイトのことですが……え? ゲームのデータが全部お釈迦になった? サーバーが飛んだとかじゃなくて、根本的な部分がダメになって復元できないって……それってかなりヤバイですよね。ああ、それで資金回収の目処がつかなくて完全にゲーム業界から撤退するんですか……ってじゃあ俺達のバイトは……そりゃ当然打ち切りですよね。でも反故にされそうな今日までのバイト料は出してくれるよう上と掛け合ってくれるんですか、それはありがとうございます。バイト代入ったらなにかお礼をさせてもらいますよ。
それでこっちには初めてのVRMMOに参加して何も悪影響はなかったかって? そんなことをわざわざ聞くなんて、誰かこれまでにゲームからログアウトした人で何か後になって影響が出た人が……。そうですね、確かにそんな人が一人でもいたらテストにストップがかかるに決まってますか。ええ、もちろん俺達も大丈夫です。これまでお世話になりました。またお会いしましょう」
皆の注目を集めた通話が終わり、隼人はため息をつく。
「今のは横から聞いてただけでも大体内容は分かっただろう。どうやら現実でもゲームキャラの力を使えると判明しているのは現時点で俺達だけのようだ。それにあの会社はVRMMOゲームそのものの開発をストップさせたみたいだからこれから先増えることも期待できない。まあゲームが打ち切りになるなら正体がバレる可能性も他のキャラクターがこっちの世界に増えることもなさそうだな。
だったらやっぱり俺達の正体はさっき決めたみたいに隠す方向でいこう」
「そうかぁ、残念だけれど仲間はいないんだね……で、でも頑張って人助けをしようよ!」
落ち込んだかと思えばすぐに浮上し「ファイトだよ!」と気合いを入れる千鶴。
「ええ、そうね。じゃあ人助けなんて面倒なことは全部千鶴に任せて私はモンスター狩りに精を出しましょうか」
腕組みしたまま不敵な笑みに口を歪ませるのは冴月である。彼女はまだ女子高生なのにこういったハードボイルドな雰囲気がやたらと似合う希少な存在だ。
「うーん、あの忍者の正体が実は僕でした! ってもろ肌脱いで桜吹雪を見せつけるみたいにバラせないのは残念だけど、現実世界でこの忍者姿を着て活躍できるならいいか。これまで通り――いやもっと派手な行動で、他の全てが吹っ飛ぶくらいにぐらい凄い青い忍者だと印象づけてやるぜ!」
そして何やら不穏な決意をしている忍者が一人。
やはり駿介ぐらいの年代の少年に自重を求めるのは難しい。中二病真っ盛りの自意識過剰な時期に他人とは違う特別なものを手に入れたのだから、どうしても見せびらかしたくなるのは当然だ。
事実落ち着いて見える隼人にしたってこの力を誰かに自慢したい気持ちはある。ただリスクを計算すればそれが危険だと判断したから地味に行こうと考えただけである。
「うーん、でもさっきの自衛隊の人達だけでも充分に駿介が忍者で凄く青かったって印象は付いたと思うよ?」
「ち、違うって千鶴姉。俺は「青い装束をした凄い忍者」と覚えて欲しいんであって、「あの忍者、凄く青かったなぁ」って覚えられかたは嫌だよ!」
千鶴が「大丈夫だって、もう駿介は凄く青くなってるよ! あ、違った凄く忍者してるよ!」とどこかおかしい激励を送るが、駿介は納得せず膨れている。
「まあ、駿介の二つ名はこれで「なんか凄く青いの」に決まった訳だが、俺達もキャラクターの姿になったらもう少し格好いい二つ名で呼び合った方がいいかもしれないな。
本名やキャラ名そのままだと、誰かに会話を聞かれたらそこから情報が芋づる式にたどられて俺達までたどり着かれる可能性もあるし」
「ちょっと待って! 僕の二つ名ってもう「なんか凄く青いの」に決定なの!?」
「わぁ駿介にぴったりだね!」
千鶴の合いの手に邪気が含まれていない分、余計に駿介のダメージは大きい。
「こら、しっかりしろなんか凄く青いの。そうなると私や他のメンバーも色を入れた方がいいかな?」
「うん、みんなでお揃いのニックネームっていいね」
一人落ち込んでいる奴もいるが、他のメンバーは改めて自分の二つ名を考える。
「そうだねー私なんかローブの色と職業から「白い修道女」ってのはどう?」
「おお、なかなかいいじゃないか」
「そうね、千鶴には似合ってる二つ名ね」
「えへへ、そうかな?」
千鶴は自らが命名したちょっとあざとい二つ名が気に入ったのか頬を緩める。
このまま和やかな流れで決まるかと思いきや、テンションの底から復活した忍者が口を挟む。
「じゃあその服装から名付ける方式でいくと冴月姉は「ブラックホールよりドス黒い魔女」で隼人兄は前線の盾役なんだから「白銀のサンドバッグ」に決まりだね!」
「うわぁ、二人ともぴったりだよ!」
仕返しだと変な名付けをした駿介は分かりやすいが、それに素直に賛成する千鶴が怖い。彼女の命名のセンスが壊滅しているのかそれとも本当は腹黒なんじゃないかと邪推してしまう。
「……とりあえず二つ名はもう少し考えることにして、まずは本来の姿――今の一般人の格好だな――をできるだけ晒さないようにしようか」
「それがいいわね」
「賛成だよ、凄く青いのなんて二つ名が闇に葬られるならなんでもいいよ。それにしても……ふふ世を忍ぶなんていかにも忍者っぽくていいなー」
「えーもったいないよ、今の二つ名はみんな似合ってたのにぃ」
自分だけはわりとまともな名前のせいか結構残念そうに眉を寄せる千鶴。もしかして自分の妹は天然じゃなくて内心は違うのではという疑惑を胸中で押し殺し、隼人はまた装備変更して鎧姿になる。
それに合わせて全員が姿を変ると、それだけで一般人の集まりから冒険者の一行へと雰囲気まで張り詰めたものに切り替わる。
「それじゃまた人助けに赴きますか」
「怪我人が居たら私の出番だね……あ! でも、もちろんそんな人はいない方がいいんだよ! 別に怪我してる人がいるのを願ってるわけじゃないよ!」
「千鶴は言えば言うほどどつぼにはまっていくわね。まあ、モンスターがいたら私の魔法の出番だから安心しなさい」
「怪我人がいたら千鶴姉の、モンスターがいたら冴月姉の、そして観客が居たらエンターテイナーである僕の忍術の出番だな」
「……そして駿介がいらんことしたらまた俺のげんこつの出番だ」
最初に目立つなと言っていただろうが、隼人は個性的すぎるメンバーに自分の方がげんこつを落とされたような頭痛を覚え始めていた。