第五話 話し合っても通じないことがあるよね
「ち、違いますよ。人質なんて取ってません! 俺達はただここにいた人達をモンスターから助けていただけで……」
隼人は自衛隊員の発した警告に従い両手を上げると、ゆっくり彼らへと近付いていく。
なれない敬語を使って必死に説明しようとしている彼だが、それは端から見れば甲冑姿の騎士が両腕を天に掲げて言い訳をしながらノシノシと間合いを詰めてくる圧迫感のある姿だった。
実際に隼人と向かい合う軍人の二人組はモンスターと対峙したのと変わらない態度だ。緊張で目を血走らせて額からは冷汗を流している。
「嘘をつくな! 応援要請を受けたここにはモンスターが相当数いたはずだ。俺達軍人でも連絡を受けてからここまで駆けつけるのにさえに必死だったんだぞ。明らかに軍人じゃないコスプレをしているお前らがどうやって民間人や警官を助けたっていうんだ!」
「そうだ、それにそこの女の子には気を失った警官からさっさと離れろと警告したよな。なんで離れないんだ? 人質にでもするつもりなのか?」
人助けをしていた隼人達を勝手に敵認定してくる高圧的な態度で苛立つが、なにせ相手は日本国の軍隊である。ここで争っても百害あって一利なし、あくまでも友好的に事態を収拾させたい隼人が仲間に下がるよう指示する。
「そんなつもりありませんって、ほらじゃあみんな怪我人から離れるぞ」
隼人の言葉に従い、不満そうだが意識を失っている民間人や警官の側から移動するパーティー。特に治療にあたっていた千鶴は不満そうにもともとぷっくりとした頬をさらに膨らませている。
彼らが一定距離離れたと見るや、二人いる自衛隊員の内一人が横たわっている怪我人に駆け寄り、膝を突いて様子を観察する。
そんな緊張した様子の彼らに、隼人はできるだけ穏やかな口調で話しかけた。
「彼らは全員無事ですって。俺達がモンスターを追い払って、その警官達の治療もちゃんとしましたから」
「そういえばどうやってモンスターを追い払ったんだ? 機関銃で撃ってもあいつらはなかなか倒れずにしぶとく抵抗し続けていたが、ここには一匹も残っていない。お前達は重火器でも使ったのか?」
「いえ、その、俺の場合は拳でぶん殴って……」
「私は雷よ」
「僕は手裏剣だね」
三人がオークを倒した手段を自己申告するが、答えを聞く度に相手の目がつり上がっていく。
どうやら彼らの答えは信用してもらえなかったようだ。
それにしても今回オークの群れを倒したのは隼人と冴月の二人だけかと思っていたが、どうやら駿介もスコアを稼いでいたようだ。意外にも忍者らしくひっそりと仲間が知らない内に接近していたオークを手裏剣で倒してくれていたらしい。
しかし彼らの答えを聞く方は露骨に不信の表情を作っている。
確かに軍人が所持している銃でさえも倒すのが難しいモンスターを、怪しげな民間人が素手や手裏剣で始末した言われれば納得できないだろう。ましてや魔女の格好をした少女が雷で倒したという言葉などに頷けるはずがない。
そのタイミングで倒れていた警官を介抱していた自衛官の方が、隼人達から目を離さずに警戒している相棒へ声をかけた。
「この警官に怪我はない。ただおかしなことが一点だけあるな。襟元が破れてそこから出血したような跡がある。なのに傷口がまったく確認ができないんだ」
「……それってどういうことだ? 返り血か?」
「いや、明らかに服は噛まれたような破損状態だ。それなのに下の肉体には毛ほどの傷もない」
銃を隼人達に向けたままで隊員は首を捻る。
服は破れてそこに血の跡は残っている。状況からしてモンスターに噛まれて負傷したのは確かなはずなのに、肝心の傷が見当たらないという異常事態にさすがの自衛隊員達も困惑気味だ。
それはそうだろう。下手をしたら致命傷になりかねない首筋の負傷を治療魔法で即座に完治させたなど、おそらくは魔法とは最も縁遠いリアリスト揃いの軍人からしたら想像の他だ。
「あ、それはうちの妹のおかげです」
「……はあ?」
少しでもこじれかけた仲を修復しようと隼人が首を傾げっぱなしの自衛官達に話しかけた。
それだけで、二人の肩がビクッと跳ねる。軍人のくせにどれだけ怯えているのだろうか。
隼人は正直に「妹が治療魔法を使って全快させました」とまで口を滑らせそうになるが、そこはぐっと奥歯をかみしめて重要なちゃんと部分はぼかしている。ここで彼らが魔法を使えることを教えるメリットよりデメリットの方が大きい――すでに冴月が雷を使うとばらしかけている気もするが、念のためだ。
言葉足らずが災いしたか自衛隊の二人はその説明だけでは訳が分からないようだった。
しかし隼人の言葉が事態を動かしたのには間違いがない。
何度も警官の具合を確認する自衛隊員二人の間では謎のアイコンタクトが飛び交い、最後にお互いが深く頷き合った。だがそこで出されたのは隼人達からすればかなり都合の悪い斜め上な方向への結論である。
「……つまり今の彼がこうなっている現状は妹さんのせいだと」
「え? いやそれはまあそう言われるとそうなんですが、ちょっとニュアンスが違いませんか」
「うるさい! だいたいお前らおかしな格好をして胡散臭いんだよ。全員手を首の後ろで組んで跪け!」
警告の声は上擦り、その内容は無茶苦茶だ。彼らを凶悪な犯罪者扱いしている。
自衛隊員といえど人間だ。地震のみならず、モンスターの出現や傷跡のない被害者など前代未聞の事態の連続にストレスが限界を突破して興奮で自制心が飛んでしまったらしい。
もう怪我人だったはずの警官には目もくれないで二人共に危険な相手とみなした冒険者を狙って銃を構えている。
隼人達に向けられた銃口がまた微かに震え、見据えているまぶたもぴくぴく痙攣している。傍目からも銃を持った自衛隊員達が冷静さを失っていると分かるのが一層彼らの恐怖を煽る。
「特にその鎧着てる奴、素顔を隠しているなんてお前は怪しすぎるぞ。その兜を外して顔を見せろ!」
どうしようか思案している最中に名指しされて隼人の頭は真っ白になった。
だいたい顔を隠しているのはパーティー全員が同じである。忍者の駿介は頭巾で、女性陣はローブを目深に被っているのだから顔を観察するのは不可能なはずだ。それでも隼人を真っ先に槍玉に挙げるのだから、よほど鎧を着た大男が怖いらしい……いや、まあ当然か。
だがそんな刺々しい命令をされた方はたまったものではない。
これまではずっと友好路線で我慢を重ねてきたが一向に状況は改善されていない。果たして友好的な態度を続行したとしても、ここまで興奮している相手にその平和主義が通用するか隼人は不安になった。
しかしこんな仲間が危険に陥りそうな場面では迷いなく行動できる人間もいるのだ。
「隼人が怪しいって何よ! そんなことぐらいあなた達に言われないでも分かってるわ! だいたい人助けをしたのに、なんであんた達自衛隊に銃を向けられて命令されなければいけないのよ!」
魔女のとんがり帽子の陰から覗く眼光と舌鋒は鋭い。
冴月は自分達が必死で戦って敵を倒して怪我人を救助した上に治療までしたのに、まるで犯罪者の扱いをされるのが我慢ならないようだった。
もちろん隼人が特に疑われ銃口を向けられたのが彼女をキレさせた最後の一因だ。だが、当の隼人にはなぜ彼女が激高したのかまだはっきりと原因は伝わっていない。
だが、今冴月に危機が迫っていることだけは鈍いと彼女から何度も文句を言われる隼人にも分かった。
いつもの「鈍い」と女性陣から文句を言われるのと別の感覚で、危機を感じると人間の枠を超えるほど鋭くなった反射神経が勝手に彼の体を動かした。
「危ない冴月!」
「きゃっ」
飛びかかるように冴月を抱き抱えて反転すると、隼人の背中で金属が打ち鳴らされる不協和音が響く。
彼の背で鳴ったのは鎧が縦断を軽い音で、その原因となった銃声が問題である。
その場の全員が愕然とした顔で引き金を引いた自衛隊員を凝視した。
冒険者達もまさか自衛隊員が本気で守る対象の日本国民を撃つとは思っていなかったのだ。銃を向けられても脅しでしかないだろうとタカをくくっていた。
だが発砲した隊員もまた「あ、あ」と口を半開きにして、自分の持つ銃から立ち上る微かな煙を呆然と眺めていた。
おそらくは彼も撃つつもりはなかったのだろう。だが緊張が限界を超えたタイミングで冴月が動いたのに過敏に反応して発射してしまったようだ。
顔を青くした冴月が隼人の胸の中で「彼の者達を撃ち倒せ……」と報復するため雷系の呪文を口走った。それを隼人は手で口を抑え込むことでキャンセルする。
彼の背に当たった銃弾は全て鎧ではね返されて、ダメージどころか衝撃さえほどんどなかった。
撃たれたのはショックだが痛みがゼロだったせいか怒りも湧かない。むしろ自分が撃たれたことより冴月が危なかったことの方がむかつくぐらいである。
だからここで冴月が魔法を使うのは止めさせるだけの冷静さが維持できていた。冴月の放とうとしているのはさすがに殺傷能力の高い呪文ではなさそうだが、ここで自衛隊と争っても何の益もない。
「この場で魔法ぶっ放すのは我慢しろ! とにかくいったん逃げるぞ!」
「ちゅっと待って、せめてやられた分ぐらいはやり返させてよ……むぎゅ」
「お前はやられてないだろうが!」
「忍びは正面戦闘するのは嫌だから、合点承知!」
「う、うん、喧嘩なんかしてお互いが怪我するより逃げた方がいいね」
事ここに至ってはもはや話し合いでの解決は無理だと、冴月を抱えて逃走することを選択した隼人。
それに賛成する年少組の二人によって逃走案は過半数をもって可決された。エキサイトしている残った一人の投票権はとりあえず今は無視する。
幸いなことに鎧を着た隼人が殿で矢面煮立てば怪我をする可能性はない。彼は自分ならともかく仲間を銃弾に晒すつもりははないのだから。
「あ、お前ら逃げるな、こら待て! 撃つぞ!」
「いやもう撃ったじゃないか。今さら待てって言われても説得力がないぞ」
「今度会ったらただじゃおかないわよ! 骨の髄まで痺れてもらうわ!」
「銃を人に向けちゃいけないんだからね! あ、それとお巡りさんお大事に!」
「それではさらばだ! ドロン!」
全員が声をかけ終わると駿介が懐から何か丸いものを地面に叩きつける。
するとそこから爆発したようにぱっと煙が広がり一面の視界が閉ざされた。
これは煙幕という奴だろう。彼には珍しく普通の忍者でも使っていそうな古めかしい小道具だ。
ただその煙がなぜか一般的な忍者の使う白ではなく鮮やかな青なのが派手好みな彼らしい。こんな時にまで自分のイメージカラーに拘らないでもと仲間達ですら思ってしまう。
その色のせいで逃走用の煙幕というよりむしろ毒ガスを最後っ屁に噴射したような趣になってしまった。
「ふははは、捕まえられるなら捕まえてみな! ふははははごはっごほ、ごほっごほっ」
「ああ、こんな煙の中大口を開けて笑うから忍者なのに咳込んじゃうんだよ……」
「馬鹿じゃないの? こんな風に真っ青にしたらターゲットまで見えなくなるから最後に嫌がらせの一撃も当てられないじゃない!」
「とにかくお前らは俺が殿を守っている内に早くずらかれ!」
忍者が煙幕を張ると時代劇などでは静かにすぐその場から姿を消すものである。だがこの冒険者一行は退場の仕方でさえもかなり騒々しかった。
◇ ◇ ◇
――ごほっごほっ ヘイ! ごほっごほっ ヤー! ごほっごほっ ハッ!――
おそらくあのやたら目立つ忍者のものだろう、遠ざかる咳の音がラップのように愛の手を入れてリズムを刻んでいた。
しかもそれがドップラー効果で一旦高くなってから低く小さくなっていくのだから、どれだけのスピードで駆けていったのだろうか。
それまでの隼人達の不審な行動と真っ青な煙幕を張っての逃走という予想外の行動にしばらく自衛官たちは唖然としていた。
だが彼らもだてに厳しい訓練を積んではいない。まだ冒険者達の咳が聞こえている内に気を取り直してそちらへ銃弾をばらまいた。
自衛官というのは普段あまり発砲しないが、彼らはここまでゴブリンやオーク――さらには冴月をかばった隼人の背にと実弾射撃をさんざん経験済みだ。
もう実弾を使うことについては吹っ切れているのか、たとえ人間が的となっていても引き金を引くことに忌避感はなく煙幕に向けて手当たり次第にといった射撃だ。
とりあえずマガジンが空になるまでは撃ち続ける。
ひとしきり撃ち終えるとそこに残った物音は自衛隊員コンビの荒い息遣いだけである。
どうやら騒々しい連中は完全ににこの場から立ち去った後らしい。
敵が身近にいないと分かり、ようやく落ち着いて互いの顔を見合わせられるようになった二人の目には「この場の後始末をどうするか?」という共通の恐怖があった。
本来なら彼らが遭遇した事実をその通りに報告すべきである。だがそうするには彼らが犯した失態が余りにも多すぎる。
モンスターに邪魔されて連絡を受けた現場への到着が遅れた。これは仕方ないことだ。
彼らが着いた時には負傷者はすでに手当されてモンスターは退治されていた。これについてはむしろ喜ばしいことだろう。
だがそのモンスターを倒して負傷者を手当してくれたとおぼしき相手に射撃を加え、その上で取り逃がしたとなればどう考えても彼らは叱責されてしまう。
マズイことになった。それをどう誤魔化すべきか悩む二人にはいつのまにか戦友の絆ではなく共犯者としての連帯感が発生している。
ごくりと唾を飲み込み、一人が野外無線機で――この時代でも信頼性を重んじる自衛隊の基本連絡はまだ無線である――上官へ報告する。
「こちら第十四偵察分隊、先ほど極めて不審な人物と接敵。戦闘のすえに民間人と警官を保護したが、彼らを襲っていたモンスターと仮装をしていた不審な四人組には逃走された。一般人保護するのを優先すると追跡は不可能と判断。
モンスターはもちろん、敵対した四人組も戦闘力を持っておりかなり危険。こちらの降伏勧告を無視して、ガスまたは発煙弾を使って逃走したことから他にも武器を持っている可能性が高い。さらに一人については銃弾が命中したにもかかわらず無力化はできず。そんな防弾の装備をしていることからずいぶんと時間をかけて準備していた可能性が高いと予想される。
最後にもう一度こちらの状況を繰り返す、民間人を守るのに手一杯で不審人物達の追跡は不可能。応援を求む!」
「よし、不審者確保のためすぐに応援を送る。それまで負傷者の安全を確保しろ。それと……よくやったぞ」
もちろん今のはかなり虚偽の混じった報告である。
しかし上官から賞賛の言葉まで贈られては、「全部嘘でした」とは言えない。だがこれで彼らが報告した内容が自衛隊にとっては「事実」になってしまったのだ。
「それで逃走した四人組の特徴は分かるか?」
「はっ、容疑者の内一人は西洋の鎧を着た男でこいつがリーダーのようでした。残りの三人は黒尽くめの魔女、白い修道女、青い蛍光色の忍者といった見かけの服装が派手なグループです」
「……念の為にもう一度確保対象の確認するが、鎧騎士に黒い魔女と白い修道女に蛍光青の忍者で間違いないんだな?」
「は、はい!」
ここまで来たら毒を食らわば皿までといった心境で断言する自衛隊員。
「……了解した。応援が到着したら二人は現在本部で行われている対策会議へ出席してくれ。事件現場の正確な情報と確保対象について詳しく聞きたい」
「了解しました!」
思わず敬礼しながら答えた後で、隣りでずっとジト目で報告を聞いていた相棒を発見し挙動不審に陥る自衛官。相棒の視線によってもはや自分達が引き返せない道へ足を踏み入れたことに気がついたのだ。
「どうするつもりだ?」
「そりゃ……逃げ出したあいつらが全部悪いで決まりだろう」
報告した自衛隊員は完全に責任を隼人たちに押しつける気満々である。
だが彼の相棒もそれを止めるどころか激しく頷く。朱に染まれば赤くなるのか、それとも元々こいつらはどちらとも小悪党の気質があったのか話はトントン拍子に進んでいく。
「そうだよな、俺達が苦労してモンスターを倒した後にあいつらが現れて警官を含む負傷者を拉致しようとしたんだ。それを俺達がまた必死になって防いだんだよな」
「ああ、その通りだ。俺達自衛官が我が身も顧みずにテロリストやモンスターと戦って一般人と警官まで助けたとなれば勲章ぐらい貰えるだろう。それに昇進だってな」
がっしりと握手を交わす自衛隊員の小物コンビ。
――どうやらこの二人の間で達した合意は、隼人達にとって碌でもないもののようだった。