第一話 現実への帰還
――グァァァーー!
鼓膜が破れそうな咆哮に隼人達冒険者が身に纏う鎧や武器がビリビリと震えた。
「まったく声も態度もヒットポイントまで大きい奴だったな」
そう呟く隼人の声には安堵の色が濃い。
戦闘開幕時にブレス一発で隼人たち討伐パーティーは甚大なダメージを与えられた。
だがそのブレスの時以上の大音響で洞窟内の空気を震わせた傷だらけのレッドドラゴンは、その巨体の膝をがくりと折ったからだ。
巨大な姿にふさわしく初見で千鶴が「あれ? 二本もあるなんてレッドドラゴンのヒットポイントバーの長さがおかしくなってるよ!」と驚いた画面の端から端にまででも収まらず二つ折りになっていた敵のヒットポイントがようやく後少しで削りきれる所まで落ちてきた。
「よし、今がドラゴンを倒して「注目度ナンバーワンの忍者」と誉め讃えられるチャンスだ!」
「ふふっ残念ね、止めを刺すのは私よ!」
パーティーの中でも好戦的な駿介と冴月のアタッカー陣がここぞとばかりに畳み込もうとする。
だがドラゴンの瞳の中に猛っていた闘志の炎はまだ消えてはいない。
最後の意地なのか力を振り絞り長い首をもたげて口を開くと、ナイフより鋭い牙が並んだ喉奥にこれまでにない高密度の魔力が集まっていく。
「まずい、全員俺の後ろに隠れろ!」
「りょーかい! 忍者らしく背後に潜んでいるよ」
「わ、分かったよぅ」
「ふむ、レディのように守られるのは複雑な気分だけど、隼人を盾にしてると思えば悪くないわね」
鎧と揃いのミスリルの盾を掲げ、自分の背にパーティーメンバーを隠すと折上 隼人は騎士の防御スキル「護衛の極致」を使用した。
隼人の体から薄く青い光が伸びて後ろに庇った三人をすっぽりと覆う。これでパーティーメンバーが与えられるダメージの半分を隼人が肩代わりすることとなる。その分彼が受けるダメージは膨大になるがそれは常に敵の前に立つ壁役としては覚悟の上だ。
さらにスキルに頼るだけでなく、実際に幅広な盾と巨体を張って彼らの身に炎が降りかからないようなポジションを占める。各々の装備を考えればこれで後列へ通り抜けるダメージは相当抑えられるはずだ。
これまでの戦闘で皆のヒットポイントは削られている、ここでドラゴンの必殺技を喰らってしまうと耐久力の低い後衛は全滅しかねない。
ならば一番頑丈で、かつヒールを最優先で受けていた隼人が矢面に立つべきだろう。
後は自分のタフネスを信じ、歯を食いしばって瀕死の相手が放つ最後の一撃に備えるだけだ。これに耐え切れれば隼人たち冒険者が勝利し、焼き尽くせばドラゴンが凱歌を上げることとなる。
「お兄ちゃんもう少しだけ頑張ってね!」
千鶴が慌ててダメージを大幅に軽減させる祝福の膜を彼の前に張る。
これまで戦闘中に何度も防御膜を張ってはドラゴンに攻撃される度に破壊されるというイタチごっこなっていた。どうしても回復を挟む分だけ、準備をしていた開幕に比べて祝福が削れる時間が長くなるのは仕方ない。
「隼人、日本男児ならしっかりと受け止めなさい!」
こんな時だけ都合良く日本男児扱いするのは冴月だ。それでもただ叱咤するだけでなく彼女もまた水精霊の力が込められた壁を隼人の前に出してくれるのはありがたい。
この状況下では、さすが攻撃を重視するロールプレイの冴月でさえドラゴンの放とうとする切り札に守りの一手を選ぶしかなかった。炎系のブレスに対して高い防御力を誇る壁を作ってくれたが、逆を言えば「攻撃は最大の防御」という思想に染まっている冴月でさえも「今だけは防御の一手を打たねば危険だ」と思わせるだけの迫力が瀕死のドラゴンにはあったのだ。
「……」
パーティーで残った一人、駿介から隼人への応援はなかった。
どうやら防御が苦手な軽装の忍者は守りは任せて次のチャンスに賭けるつもりらしく、気配を絶って沈黙を守っている。
目立つのが大好きな彼はこのドラゴンブレス後に一気に反撃しようと、不意打ちするために隼人の背後で息を殺していた。
レッドドラゴンは残された自分の力の全てを注ぎ込むように彼らへ向けて首を突き出すと、その勢いごと体重を乗せたブレスを吐き出した。
――視界の全てが朱一色だ。
隼人は周囲が赤く染まったと錯覚する。
ドラゴンの渾身の一撃はこれまでのブレスのように火炎放射機によって炎が吹付けられるようなものではなく、掲げた盾がサイクロプスの大棍棒でガツンと殴られたような物理的な衝撃まで伴ったものだった。
隼人の巨体が吹き飛ばされそうになり、その圧力に対抗するためラグビーでスクラムを組むように体ごとぶつけて盾を支えた。
それでも踏みしめた石床にブーツが深い窪みを作りながらじりじりとずり下がってしまう。
対象とする彼らだけでなく周りの一帯も一瞬で炎の地獄と変えてしまう恐るべき威力のブレスだ。
「舐めるな。このぐらいで、俺を、倒せるか!」
隼人は気合を入れて炎熱地獄へ立ち向かう。自分へ言い聞かせる言葉がぶつ切りになったのは、長く口を開けていると肺まで焦げ付きそうな高温が襲いかかってきているからだ。
彼の周りに張り巡らせてあった障壁や祝福が澄んだ音を立てて破られると光の粒子となって消えていく。
その度ごとに肌にピリピリとした衝撃を受け、安全圏だったはずのヒットポイントがぐんぐん急速に危険値へと減少していく。
だが、隼人の表情には焦りの色はない。彼がこれまでに乗り越えてきた経験からすれば、ただじっと耐えるだけなら大したことではないからだ。
それに隼人は一人で戦っているのではなく、頼りになる仲間が彼を支えて協力してくれている。
「あなたは隼人の頑丈さを甘くみたわ。ついでに私たちの攻撃力もね。いい加減に痺れて安らかに――いいえ魘されて眠りなさい「大雷蹂躙」」
永遠とも思える炎の奔流が途切れると、間髪を入れず隼人の広い背中に守られつつ呪文を唱えていた冴月の告げたキーワードによって雷系の上位呪文「大雷蹂躙」が発動する。
ブレスを限界の力で吐いて動きの止まったレッドドラゴンを囲むようにして上下から何十本という太い雷が突如現れると、その雷の牙は一斉にドラゴンに突き刺さる。
雷で作られた檻に閉じ込められたように大きく口を開いたまま硬直するドラゴン。防御するどころか苦痛に身をよじることさえできないようだ。
そこにのたくっている危険な光の鞭の隙間を縫うようにして、鮮やかな青の忍者服がドラゴンの背後に出現した。
「危険な盾役は騎士のもの、美味しいところは全て忍者のもの。汚い、さすがに忍者汚いと言われるほど手柄の場面でだけ目立つのが忍の技の真骨頂。隼人兄の痛みも千鶴姉が心配したのも、冴月姉がSなのも全部ドラゴン、お前のせいだ。これで止めの「不幸の暗刃」」
自分に都合のいい台詞を吐きながら駿介が使用したスキル「不幸の暗刃」は一ターンの間溜めが必要で、しかも相手に攻撃モーションを見つかっただけで失敗するという難易度の高い忍者の奥の手だ。
駿介は上手く溜めにかかる一手間をブレスの間隼人に庇われることで埋めて、さらに冴月の放つ雷でドラゴンが硬直するのまで読み切ってこの大技を狙っていたらしい。
発動させるまでのリスクが高いだけあってその効果は絶大である。
レッドドラゴンはボスらしくプレイヤーに対して迫力のある断末魔を上げたかったのかもしれないが、それさえも果たせずに口から出たのは鮮血だけだった。
ただでさえ威力の高い忍者の最大ダメージを叩き出す攻撃をクリティカル込みでくらったのだ。駿介の派手な忍び装束が刀を刺したままドラゴンの後ろから首をぐるりと一周し、完全に急所を掻ききっていた。
致命的な一撃によってドラゴンの長く太い首と胴体は完全に切り離されたのだ。
地響きを上げてダンジョンの床に崩れ落ちる首を取られた巨体。
力を失ったそれが地に触れた部分から分解し、赤い粒子へ変化してレッドドラゴンを倒した隼人たちの体へと吸い込まれていく。
いわゆる経験値というものが目に見える形で冒険者に配られているのだ。
同時に薄暗い洞窟の中とは場違いな明るいファンファーレが鳴り響いた。
「ふう、討伐完了。お、おまけに冴月がレベルアップもしたみたいだな。おめでとう。ようこそレベル九十九のカンストの世界へ」
「レベルアップおめでとう。これで冴さんもカンストだねー」
「ふっ、冴月姉。僕より九十九になるのが遅かったんだから、これからは僕のことを先輩と……」
「ふふ、二人共ありがと。少し遅れてたけれどようやく私も最高レベルの仲間入りよ。あと、駿介は今のドラゴンみたいになりたくなければ黙りなさい」
他のメンバー全員がすでにレベル九十九なのに、一人だけその手前だったのが気にかかっていたのかそれが解消され珍しく無邪気に微笑む冴月。俊介に対応するときだけはそれがやや嗜虐的に変化して親指で喉をかき切るしぐさをしたが上機嫌なのには変わりない。
その笑みを映す隼人の視界の隅に半透明のスクリーンが現れ「レッドドラゴン討伐完了! ミッションコンプリート」と表示された。
ドラゴンが倒れても騎士というより侍のように残心を忘れずに死体と周辺への警戒を緩めなかった彼は、そこでようやく掲げっ放しだった盾を下ろす。
――あれ思ったより盾や体が重いぞ。
「おっとっと」
戦闘中ずっと死に至りかねない攻撃を封じてきた緊張が切れたのか、隼人の足元がふらついてしまう。そんな彼の体をさっと素早く傍らに駆け寄った二人の女性陣が支えた。
――あ、鎧を着ててもこいつらが柔らかいってのは分かるんだな。
倒れかけたのにそんな場違いな感想を持つ隼人。
現実ならば彼女たち二人がかりでも隼人の巨体を受け止めるのは難しく、一緒にひっくり返ってしまいかねない。
だが、このゲーム内ではたとえ女性キャラ、しかも後衛のステータスであっても最高レベルになれば鎧込みの大男を抱きとめるぐらいは軽いものだ。
「こら隼人、あなたは男でしょう。しっかりしなさい」
日本男児とか男だったらだとか彼に対する要求が異常に高い割には、不調を察知すると焦ったように隼人の具合を確認しようとする冴月。
しかし、動揺しながらも手当にとりかかる彼女に千鶴の治療呪文が割り込んだ。
「ちょっと冴さん御免ね。はいお兄ちゃん治癒だよ」
たしかにこのゲーム内で怪我をしたならまず治療呪文をかけるのが一番手っ取り早い。なにしろどんな重傷であっても呪いや毒などでなければそれだけでほぼ万能の回復手段になるからだ。
今回もまた見る見るうちに危険値に突っ込んでいた隼人のヒットポイントが回復し、荒かった呼吸が正常に戻っていく。
「ふう、ずいぶん楽になった。ありがとう千鶴。それに冴月も心配させてすまん」
「むふふ、お礼はいらないよ! 兄さんが怪我したこんな時のために私は回復役になったんだからね」
兄からの感謝の言葉に胸を張って素直に笑顔で返す千鶴。だがもう一人はそうではない。
「心配などしてないわ。ただ、隼人の顔色が悪くて足取りが乱れたからどうかしたのかと思っただけよ!」
「へ? それって普通心配してたって言わないかなぁ」
余計な口を挟んだ駿介の目の前で小さな火花が弾ける。
このパーティー内で雷の呪文を使える人間は一人しかいない。
「うん、言わないよね」
駿介は即座に意見を撤回した。
その間に冴月は自制心を取り戻し、完全にいつものクールな態度を立て直していた。
仕切り直すかのように魔女のトンガリ帽子を外すと長い髪をなびかせる。
「こほん。ふふ、緊張感を伴ったドラゴンとの戦闘とその報酬としてのレベルアップ。今度の冒険は充実していたわ」
魔女という後列のポジションなのにかなりアグレッシブな動きをしていた冴月はなびいた髪を手櫛で整える。
激しい戦闘直後で彼女もドラゴン相手に奮闘していたはずのに、すでにその出で立ちには戦闘の跡は埃一つ残っておらず、長い髪は艶を見せてまだ渦巻いている洞窟の熱風にさらさらと流れている。
「ただ、駿介はちょっとこっちで私と話をしましょうか。なに難しい話ではないわよ。少しばかり最後の一撃の際に述べた口上と今の失言についての質問をするだけだから」
見た目はともかく冴月の内心は戦闘の高ぶりからまだ落ち着いてはいなかったようだ。レッドドラゴンに止めを刺す時に余計なツッコミと今も無用な発言をした駿介を手招きしている。
冴月はにこやかな笑顔を装ってはいるが、その白い額にはわずかに血管が浮き出していた。なまじ彼女の容貌が整っているだけに些細な変化がかなり怖い。
「あ、あの冴月姉、僕になにをするつもりかなぁ?」
「うーんと、そうね。……ご・う・も・ん?」
答える冴月は首をかしげて頬にはほっそりとした人差し指というあざとい姿だ。可愛らしくはあるがその言葉には毒がたっぷりこもっている。
「そんな、萌え系四コマ漫画みたいに可愛らしく言っても血腥さは薄れないぞ!」
一瞬その姿にクラッとしかけた駿介だが、忍者だけあって自制心が強いのか「別に冴月姉なんか怖くないけど、そうだ! ドロップアイテムと宝箱のチェックを忘れてたよ~」とその場を離脱する。
「あ、こら、ちょっと待ちなさい」
冴月が手を伸ばした時には、すでに駿介はドラゴンが消滅するとその場に現れた宝箱へ罠が仕掛けられていないかの調査に取りかかっている。
ここら辺の立ち回りの上手さはさすが忍者である。
伸ばした手が行き場をなくしてどうしようか迷っている冴月。それを生暖かい目で見守る隼人。このパーティーで今みたいな微妙な場面になってしまった場合、空気を入れ換えるのはだいたい気遣いをする千鶴だ。
「で、でも今回ドラゴンが出てきて「ワン」て吠えられた時はゲームとは思えないぐらい怖かったよぅ」
ドラゴンの地響きがする咆哮は迫力満点で、そんな子犬の鳴き声のように可愛らしい物ではなかった。
だが「じゃあどんな鳴き声だった?」と聞かれれば彼らには正確に表現できないのも確かだ。
――でも「ワン」はないだろう「ワン」は。他の三人の意見が一致する。
そんなぐだぐだになりかけた雰囲気の中、その空気を作り出した千鶴は緊張が解けたのか今更体を大きく震わせて床にへたりこんだ。
後ろから途切れないようにタイミング良く治療と守りの祝福を続けてくれた彼女の頑張りなしには、決してレッドドラゴンは倒せなかっただろう。
その影のMVPが震えていると派手な忍者が宝箱の解除を放り出して急いで手を取る。
「レッドドラゴンは倒したし、もう心配はいらないって。それに千鶴姉のことは僕が守るっていつも言ってるだろう」
「だ、だって駿はそう言ってお兄ちゃんや冴さんのことを気にしてくれないから、かえって私の負担が増えるんだよぅ……」
「え? だってあの二人は別に守る必要ないだろ?」
「必要があるから私が回復を頑張ってるんだよっ!」
杖をブンブン振って「怒ってます」というアピールをする千鶴。
だがその手に持つ杖を振り回すのも、絶対に駿介に当たったりしない範囲内だけという所が実に彼女の選んだ回復役の職業にふさわしい性格だ。
「おーい、千鶴も駿介もとにかくクエストを成功させたんだから喜ぼうぜ。しかも今回はフルダイブ型の実験だったせいでいつもとだいぶ感覚が変わっていたのに大成功だったしな」
「それは私も同感ね。ボスのレッドドラゴン戦で特に感じたけれど、見た目や音がリアルになっただけでなく、うっかりすれば現実と混同しそうなぐらい迫力があったわ」
「うん、ブレスなんかお兄ちゃんがこんがり焼かれてしまうんじゃないかってハラハラしちゃった」
「千鶴姉も結構怖いこと言うねー。でも僕も最後の手応えのリアルさにはびっくりしたよー。もし本当にドラゴンがいてそれの喉を切り裂いたらこんな感触だろうなーって思ったもん」
ようやく厳しかった戦闘の緊張がほぐれたのか千鶴も震えは収まり、次第に口数が多くなっていく冒険者一行。
「ああ、駿介。それでドラゴンはどんなアイテムを落としたんだ?」
「えっと、まずお金が二十万ゴールドで後はドラゴンの皮と爪に牙といった素材の類だね。残りは冴月姉が使えそうな魔法使い用のローブと……これは招待状なのかな? なんか手紙で「異境への招待状」ってのが出た。ほい隼人兄」
さっさと手紙を渡された隼人が確かめるが、手触りの良い紙に厳重な封が蝋でされているだけの普通の物だ。
しかしご丁寧に「レッドドラゴン討伐パーティーリーダー様」と宛先が限定されているからには、おそらく他のパーティーには譲渡不能で一回しか使えないタイプのアイテムなのだろう。
「うーん、たぶん一つクエストをクリアしたから次のクエストへの手がかりになるものだろうな。よくあるドラゴンを倒したご褒美に偉いNPCとのコネが作れる招待とか、次のダンジョンへの通行許可証とかいったものじゃないか?」
「ならここで開けた方がいいわね。もうすぐタイムアップだからゲームから落ちるけれど、次に何をするか全員が分かっている方がいいんじゃないかしら」
機知に長けた魔女らしくパーティーの参謀役を担っている冴月が即開封に一票いれる。
隼人が他の二人を見ても別段異議はなさそうだ。
ならばさっさと内容を確認しようと手紙の封を切った。
――その瞬間、隼人は攻撃を受けていないはずなのに体が揺さぶられるようなショックを感じた。
「む!」
「これは何?」
「じ、地震?」
「僕は土遁の術なんて使ってないぞ!」
一同の驚きの叫びと、何かあるといつも彼のいたずらではないかと疑われる駿介が先手を打って無実を訴える声が響く。
だがしばらくそのままじっと息を殺して待っていても、一向に振動は収まらない。
そんな混乱の最中にふと隼人の視界の隅にある半透明のスクリーンに招待状の中身が示されているのに気が付いた。
――ああさっきちょうど封を切ったんだった。今はそれどころじゃないが、何なのか少し気になるな。つい隼人はちらりと目を走らせた。
「見事レッドドラゴンの討伐に成功した功績を称え、それだけの実力を持った冒険者ならと新たな迷宮「異郷の塔」への立ち入り許可が下りました。この迷宮はくぁwせdrftgyふじこlp――」
後半は文字化けして文章の体をなしていない。バグったか? 首を捻る隼人にさらなる悪い知らせが。
「あれ? GMコールにも反応がないよ!?」
異変を報告しようとしていた千鶴からの報告を耳にした隼人は、無表情のままだがその内心で嫌な仮説が組み立てていた。
――まさか一時期流行ったVRMMOがデスゲームに変化したとかいうことはないよな?
さすがにそんな無根拠な説を垂れ流せば仲間が――特に打たれ弱そうなメンタルの千鶴はショックを受けてしまうだろう。
しかし運がいいことに、口をつぐんだ彼より全て自分で試してみなくては気が済まないお調子者がこの場にはいたのだ。
「え、僕のはちゃんと繋がったんだけど? というか今回からフルダイブ型に変更されたからGMじゃなくて僕達のテストを担当している柏崎さんを呼ぶようにゲームを始める前に言われたじゃないか」
「あ、うん。ほんとね、どうやらログアウトもできそう」
駿介だけでなく冴月も外部への呼び出しに成功したようだ。
千鶴はどうやら早とちりをしていたようて本人は真っ赤になっているが、まあ周りに取り越し苦労をさせたのだから恥ずかしい思いをするのもしかたないだろう。
どうやら外部との連絡が閉ざされた訳ではないと安堵し、パーティーを代表して隼人が話し合うことにする。
「あ、ごめん柏崎さん。なんかちょっとゲームに異常があるみたいだけど……え? 何? 外で本当に地震が起こってるの? ああ、うん、分かった。ならすぐにログアウトするよ」
隼人は会話を短く打ち切り、聞き耳を立てていたメンバーへ帰還を告げる。
「なんだかリアルで地震が起こってたみたいだ。だからさっき俺たちの体も揺れたように感じたのは当たり前だな。それで向こうも色々大変だからすぐに戻ってこいってさ」
「あら、そうなの」
「被害がないかちょっと心配だよ」
「とりあえず今日の分は任務完了か」
違和感の原因が判明したせいか、全員が落ち着いたようだ。
「それじゃログアウトするぞ」
隼人が僅かに抱いていた「本当にゲーム世界に閉じこめられてねーだろーな」という不安は、安物の固いベッドの上で目を覚ましたことで消滅した。
跳ねるように上半身を起こそうとして、頭に感じるあまりの重さに被っていた物の存在に気が付く。
「うわ、一瞬間違えたが、これ兜じゃないじゃないか」
キャラクターが被っていた兜じゃないと分かるや、すぐさまヘルメット型のゲーム装置を外して一息つく。
「ふー、助かった……」
ぼそっと呟くがこの点では小さいとはいえ個室でよかった。頼りになる兄貴分を自認している隼人としては弱音をはく姿を妹・弟分には見せられない。
――ゲームから脱出できず、本当にデスゲームに巻き込まれたらどうしようかと思っていたぞ。
フルダイブという体験型ゲームのテスターになるのは彼でも怖い。
その感想が代表するように、感覚のほとんどをゲーム機器によって体感させるゲーム――特にVRMMO開発への世間からの風当たりは強かった。
先ほど隼人が思い浮かべたように、VRMMO=デスゲームという偏った認識がなぜか一般に広まっているからだ。
この風評被害を越えて新規のVRMMOゲームを販売するには幾つものテストやチェックをクリアしなければならないという高い壁があった。
消費者を安心させるためだというが、実際にはチェック項目を多くするとどこからともなく利権や金が集まってくるかららしい。
そんな状況下での失敗のリスクを下げるためと集客を確定するためとコストを下げるために新規ゲームの開発はしないこととなった。
これまで成功を収めていた正統派ファンタジーの中からデータ量が少なくてすむダンジョン攻略タイプのゲームをフルダイブ型に改修することが決定したのだ。
まあそんな裏事情は明かされても単なるテスターである隼人達には関係ないのだが。
保護者の承諾が一括で出来てしかも後の面倒がない、そういう理由で孤児院出身の彼らがVRMMOの被験者に選ばれたのだ。
だが選んだ側の人間である担当の柏崎へ「怖かったですよ」と一言ぐらい文句を付けたっていいよな。ゲーム世界から帰還した時に感じるぼんやりとした頭で隼人はそう考える。
バイト料を聞いただけで内容を吟味するより早く「ぜひ俺達にやらせてください」と隼人自らが売り込んだという都合の悪い事実はすっかり忘れている。
――柏崎さんを責めるのは皆が揃ってからにするか。
ずっとゲーム世界にいたせいで喉の渇きを覚えた隼人はジュースの缶を手にした。
「あ、そうだ。地震があったんだよな。どのくらいの大きさだったんだ?」
ようやく自分が現実世界に戻ってきた原因に思い至り、情報を収集しようとリモコンに手を伸ばす。
「うちの近くに被害がなければいいんだけど」
隼人が気楽な傍観者でいられたのはこの時までだった。
それからしばらくの間、手に取ったジュースも飲まずに隼人は画面に目が釘付けになっていた。
テレビには地震によってこれまで過ごしていた現実とは随分と変わってしまった彼の住む街が映し出されていたからだ。