第十話 襲われてた一般人を助ければ好感度は上がるよね
「ふう、襲ってきてくれたおかげで気兼ねなくストレスが解消出来たな。ではさらばだ!」
「次にまた襲ってきたら今度のより二倍はきつい雷でおしおきするわよ……ってなんであんたらはそれはご褒美ですって息を荒げてるの?」
「怪我はちゃんと治したし、痺れたのも一分たてば元通りになるし後遺症もないから安心してね」
「それではお前たちを成敗したこの青い忍者の活躍を存分に語り継ぐがいい。ふはは、ははは、ごはっ、ごほっ、ごほほほ」
言い捨てると目に痛いほど青い煙と忍者が咳込む音を残して公園から冒険者たちが去っていく。
騒々しい彼らが消えると、静まり返ったその場に残されているのは漂う青い煙の残滓と地面に転がった不良たちだけだ。しかも彼らのほぼ全員が手足を痙攣させて地面を這いずっている。
魔女が去り際に唇の端だけをつり上げた笑みで「追いかけてこないようにちょっと足止めしておくわね」と手にした杖から電撃を飛ばし、その軽い仕草だけで彼らをダウンさせたのだ。
しばらくはじっと沈黙を守っていた不良たち。だが、どうやら冒険者がいなくなったと判断できるだけの時間が経過すると唯一自由に動く口を使ってのグチが漏れ出す。
「くそ、誰だよあんなコスプレしてる野郎たちは本当はチキンで弱い奴ばっかだって吹いてたのは」
「ああ、まったくだ。つまんねー嘘をつきやがって恥かいたじゃねーか」
「あ? 絶対あんな奴らに負けねーって言ってたのはオメーっしょ。あいつら凄ぇヤベー奴らだったっすよ」
この期に及んでも自分たちの判断が甘かったのを認めずに他者に責任を押し付けようとしている。
「あ?」「おう?」そんなあ行だけで済むような醜い争いに公園の外から届いてきた唸り声がピリオドを打った。
「……今なんか聞こえなかったか?」
「はぁ? オメービビってんのかよ」
「いやマジであそこら辺から……」
そう指さした先からのっそりと豚面の怪物が姿を現した。警戒しているのかきょろきょろとその醜い顔を左右に動かして公園内の様子を窺って、中にいるのは獲物である不良たちだけだと確認したようだ。
不良少年たちは一斉に顔色を失った。
所詮彼らは一般人を相手にいきがっているにすぎない。戦闘経験もあると言い張るのがおこがましい同じ不良を相手にした喧嘩ぐらいだ。
さっき彼らが喧嘩を売った冒険者たちの方がこのオークよりも実力は遙かに上だが、見た目で与えるインパクトと恐怖はモンスターの方が上である。
実際彼らはオークの姿を目にしただけで腰が抜けてしまい、それまでなんとか逃げ出そうともぞもぞとしていた動きが止まる。
すでに動きを阻害する痺れはなくなっているはずだが、精神的に完全に呑まれたいわゆる「蛇に睨まれた蛙」状態だ。
しかも状況は更に悪化の一途を辿る。
オークが喉を立てて不快で濁った叫びを上げると、近くの物陰から何匹も新手が現れたのだ。どうやら最初の一匹は斥候役だったようだ。
このオークの群れは狩りや戦闘に関しては狩猟をする人間や作戦行動をしている軍人に近い知能を持っていた。
「……マジヤベーっすよ」
「お、おいこっち来るんじゃねーよ。そっちのデブの方が美味そうだろーが」
「なに言ってんだ、お前の方が肉が締まって歯ごたえが良いに決まってんだろ!」
オークが少年たちの他薦を含んだ内輪もめに配慮してくれるはずもない。無抵抗な餌だと見切って数匹のオークが無造作に近付く。
無警戒で大股なその歩き方から、オークは彼らをすでに敵ではなく食らうための肉だと考えているのが不良たちにまで伝わった。
そのままオークは不良たちに近付き――彼らが転がっている手前で轟音を上げて大きく吹っ飛ばされた。
「なんだよ今の?」
「ヤベーっす、この公園は地雷が埋まってるんじゃね?」
「お前はいつもヤベーしか言わねーな」
吹き飛ばされたオーク数匹が頭を振って彼らの方を見つめる。こっち見んなと思うがそのオークの瞳に困惑の色が混じっているのに不良たちは気を取り直す。
原因は彼らにも分からないが、とりあえず無抵抗のまま食われるという最悪の事態を回避出来そうだったからだ。
「へへっ豚野郎が俺たちに喧嘩売るなんて百年早えーんだよ」
「そうだそうだナメんじゃねーぞ」
「ヤベーだなんてちっとも思わねーっす」
オークとの間合いが開いたおかげか、腰が抜けたのも痺れていたのも治った彼らは虚勢を張れるだけの気力が戻ってきた。
それをじろりと睨んだオークが今度は慎重に地面を踏みしめるようにして一歩ずつやってくる。
「お、おい。また来たぞどーすりゃいいんだよ」
「だからヤベーって言ってたっしょ!」
「馬鹿、今の内に喧嘩の準備しておくんだ」
やっと自分たちにも武器があったことを思い出したのか、慌てて冒険者に蹴散らされた際に散らばった木刀や金属バットを拾い集める不良たち。
彼らを横目にオークは先ほど吹き飛ばされた地点でまた何かにぶつかったように豚面を後ろに仰け反らした。だが今度は接近スピードが遅かったせいか吹き飛ぶほどの衝撃はない。
不思議そうなオークが手を伸ばすとその場所に抵抗がある。目に見えない何かが彼らの前進を阻んでいるようだった。
実を言えば冒険者たち――まあ早い話が千鶴だ――が地面で悶えている不良たちを見て「このままだと危険だよ!」とモンスター避けの簡易結界を張ってくれていたのだ。
本来は野外でキャンプをする時に張るもので、雑魚を弾き飛ばすだけでなく結界に触れると大きな音を出す警報としても重宝する便利なアイテムだ。
しかし、それに助けられた彼らはそんなゲーム世界ではどこの雑貨屋にでも売っているアイテムのことなど知る由もない。
汗の滲んだ手で武器を持ち、オークが結界でできた透明な壁をぺたぺたと触るパントマイムでよくやっているような光景を見守っているだけだ。
「お、おいあいつらに勝てるかな?」
「絶対ヤベーよな」
「なにビビってんだよ。俺たちが負けるわけねーだろ」
「いや、でもさっきのコスプレ懸賞首に……」
「あれはちょっと痺れて倒れた後、立つのがおっくうだから寝てただけだ!」
それを普通は負けたと言うのだが。
だが彼らのようなメンツを気にするタイプにとっては負けたとか逃げるというのはタブーのようだった。だからこんな場面でも互いの顔をちらちらと観察するばかりで誰も率先して逃げようとはしない。
そこで状況がまた変わる。
オークは苛立ったのか見えない壁があるだろうと目星をつけた場所へやみくもに斧や棍棒で殴り始めたのだ。ドラムが打ち鳴らされる騒音の中、不良たちはそれを冷や汗を流しながら見つめているしかないという一種硬直した状況が生まれた。
しかし不良たちが立ち見を許されている立場は長続きはしなかった。
オークが力任せに振り回した斧がこれまでとは違う甲高い音を立てると、そこから空間にひびが走っていく。そのひびは不良たちのいるスペースを囲むように一周すると微かな光を残して拭われたように消滅した。
今のはなんだと顔を合わせる彼らの耳に足音が届く。
これまでもオークの足音は聞いている。ただ今回はその発生源が少しだけ近い。
――そう、ついに結界で守られた場所からオークが一歩踏み込んできたのだ。
それまでは安全圏だった場所へ敵がやってくる。
もう自分たちが安全でないと気が付いた不良たちはなぜか全員が顔を見合わせてへらりと笑い合っていた。ここに至っても彼らはまだ自分が逃げるか戦うか決めかねて誰かの指示待ちをしているのだ。
そんな現実逃避は「伏せろ!」という指示に破られた。鞭の厳しさを持つその声に一斉に地面に身を倒す不良たち。
ほとんどの奴らが慣れた様子で手を首の後ろに組んでいるのはご愛嬌だろう。
公園の中にある木立から軽快でリズミカルな銃声が響き、次の瞬間にはオークの叫びが上がる。
次々にオークの体に命中して血しぶきが上がっててゆく。だがモンスターとしての意地か素直に倒れずにそのまま進路を木立へと変えて突進する。
自分たちへ向かって来たせいか、それまではタタタという三つずつで途切れていた銃声が途切れなくオークを狙うようになった。
ところがオークと銃手との距離は縮まり、銃弾の数も増えたはずなのに命中弾の数は逆に少なくなっている。
理由は単純である。他の獲物へ襲いかかっている敵へ横槍を入れるのと、自分を殺しにかかってくる敵を迎撃するのではプレッシャーが違いすぎるからだ。
モンスターの中では弱い方に数えられるオークだが、戦闘力を比較すると銃器がない状況なら人間が束にならないと勝負にならないのだ。ライオンやゴリラと牙や拳の届く距離で戦うのと同じ――いや積極的な殺意を持っている分オークの方が脅威なのだ。
だから相手の手が届かないアウトレンジから銃撃で始末するしかない。そんな覚悟と恐怖が込められた銃弾の雨である。
「やったか!?」
待ち伏せするポイントまでかなり接近されていたオークの体が崩れ落ちると、流れ弾が不良たちの頭上を通り抜けていくことなど気にせず引き金を引き続けていた音が停止する。
「ヤベー! それはフラグっすよ!」
不良が警告するより早く、血に染まったオークが倒れた状態から四つん這いで最後のダッシュをしてきた。
防御側は一瞬だけ気が緩んでいた。
しかも襲ってきたのはちょうど全員が弾切れのタイミングである。ほんの三・四秒後なら対応出来ただろう。しかしこの時に限っては応戦できない。
ましてや銃で狙うには一番難しい地面ぎりぎりの低い位置からの襲撃だ。
――やられる。
オークの正面に位置する自衛官の脳裏にはその言葉がよぎった。
吐く息がかかるほど接近されては銃は使えない。
――相手は手負いだ、ナイフで仕留めるかそれとも味方の損害も許容し銃で仲間ごと蜂の巣にするか。
部下がオークに接近された指揮官の頭に生まれたどちらも選びたくない二択は、選ぶ必要がなくなった。
オークが爪を振り上げたまま停止していたからだ。
その首にはいつの間にか小さな刃物、いわゆる苦無が突き刺さっていた。
「ふはははは! まさかあんな格好いい立ち去り方をしてまた助けに来るとは思わなかっただろう! ……ってあれ? なんで襲われてるのが自衛隊なんだ? 不良たちはどこいった?」
「あ、俺たちはここです」
「マジヤベーとこ助かりました」
急に出現した忍者に対し敬語で答える不良たち。さすがにモンスターに襲われて、しかも助けられた後で減らず口は叩けないようだ。
だが、自衛隊が居ると分かってから駿介の行動は明らかに不審だった。周りをきょろきょろ見回したかと思うと「じゃ! そういう訳で!」とどういう訳か分からない別れの言葉と「あ、忘れてた。ごほっごほっごほっ」という空咳を一方的に残してまたも青い煙と共に去っていったのだ。
「……な、なんだったんだあいつは?」
「さあな、ただ報告書にあった「とにかく青い忍者」ってことだけは確認できたな」
「ああ、それじゃ非戦闘員の保護と情報集収を……」
「どうした?」
「海江田士長はどこだ?」
沈黙が落ちた。ここは戦場で、返事がないということはそういうことなのだろう。覚悟を決めかけていた舞台に遠慮がちな声がかけられた。
「……あの、たぶんその人見かけたっすよ。だけどヤベーことに巻き込まれてるかも」
「ああ、なら間違いない。あいつはトラブルによく会うよな」
「今回の偵察だってあいつが先頭だと角を曲がる度にモンスターが出るんだよな、偵察役を別の奴に代えたらすいすい移動できたが」
「そうそう」
頷き合って和みかけた自衛隊員たちがはっとしたように問い直す。
「今度はあいつはどんなトラブルに巻き込まれたんだ?」
「なんか忍者の後ろを、西部劇の馬にロープで引きずらるみたいにして引っ張られていきました」
「……は?」
「いかん本部に連絡だ。確保目標に逆に隊員が一名確保されてしまったと!」
まだしばらくこの場での混乱は収まりそうになかった。