魔女と棒使い プロローグ
初投稿です。
呼ばれなくても続きは書くと思いますが、書かなくなったら読んでくれると戻ってくるかもしれません。
端的に言って、状況は意味不明であった。
あまりの展開だ、わけがわからない。眼前の光景自体がバットのように全力で振り回され、頭部を殴りつける。
遅れて反応した脳髄が、数分前に吹っ飛ばされて状況を整理し始める。
少しばかり実家から離れて学生などやっている者が俺だ。
何の変哲もない日常である。時折眠りこけたり宿題を友達に見せてもらったりしながら一日を乗り切り、幽霊部員をやっている部室に一瞬だけ顔を出してすぐ去っていく。
教科書類を部室に置きっぱなしにして、見せかけだけの軽いスクールバッグを揺らして徒歩で帰宅するいつもの行為。
そうして歩きながら、帰ったら何をしようかと考えていた。夕飯は腹が減ったら考えよう。それまで何をして暇をつぶそうか。
勉強のことなど入る余地が全くない、一般学生の鑑、学徒の屑の生活である。
のんびりしてネットでも巡ろうかと思考が纏まる。
それで、ひとまず現在まで頭の中身が追い付いた。それでも、衝撃を受けた脳みそは、グズグズの挽肉となんら変わりの無いものになっていたのであろう。
目の前にあるものを肯定するには、俺の異常を肯定せねば理解が及ばなかったのだから。
もぞもぞと動いているのは、多分足だろう。人間の足。
スケールがおかしいが、それは足なのだろう、か。生々しく、逞しくも悍ましい。
恐らくアパートの二階の俺の部屋であろう窓から突き出されるようにそれはいた。はた迷惑な話である。間抜けな泥棒さんが今にも逃げ出そうとしているのだろうか。
よく見れば、ガラスやら網戸の残骸のようなものが食い込んでいる。どこに、それは、あまりにも大きなその脚に。
とにかく大きく、まるでそこから生えているかのようにも見える肉感的な足だ。
肉感と言っても性的なものを感じさせはしない。あれはどちらかというと、赤子のそれのようなアンバランスさ。
むちっとして、関節と関節の間が狭い子供のような足。男か女かもわからないような、「赤子の脚」。
でも台無しだ。そのサイズが、異様が、どうしようもなく吐き気を催す出来栄えだ。とりあえず生まれたてのような外観の形から判断した。しかし、こんなものをそもそも人体の一パーツとしてみなしていいものか。すぐにでもドッキリの看板を振りかざしてほしい。あまりの勢いで頭部に激突して、辺り一面にトマトジュースをぶちまける事態になっても、今よりは笑えたはずだ。
愉快でない頭をまわすのも限界になって、視界が暗転。
気付いたら両手をついて膝立ちで吐いていた。
とにかく気持ち悪くなりながらも視線を挙げれば、嘲笑うように「赤子の脚」がゆさゆさと揺れていた。
脚を見るだけでこれなのだから、そこから上を見れば一体どうなるものか。
胃の中身と一緒に空っぽになってしまったかのような頭で茫漠と思った。
「これは、まずいか」
これほど冷静な声は、俺の体内から発せられたものではない。思った言葉は似たようなものだが、込められた意はまるで別物だろう。
聞こえたのは、女の声である。冷たいともとれるが、どちらかというと温度など無いような声。風で木々が揺れる音で聞き逃してしまうような、ささやかな声ではあった。
いまいちシルエットの掴めない黒い人影。そう見えるのは俺の頭が働いていないからか。ともかくもそれが目の前に立っていた。
目の前の光景を切り取って、無理やり人型を張り付けたかのような無茶苦茶な登場だった。あるいは、そこに初めから居たのに俺が気付かなかっただけのように、当たり前の様でもあったのか。
女はそのまま脚の生えている窓を見やっているようだった。そして、こちらに向き直る。何か喋ったようだが、俺にはよく聞き取れなかった。
焦ってはいないのだろうが、躊躇は無い動き。首根っこを妙に細い腕で掴まれて、はっきりこう言われた。
「あれが生えているのは、お前の部屋であっているか」
「あ、あ、ああ」
言葉にならなかったが、半ば意味も解らずとにかく首を縦に振った。
それだけ確認して十分だったのか、女は俺を雑にそこら辺に放り投げた。別にファンタジーのように数メートル投げたというわけではない。どちらかというと、その場に置き捨てられたという表現の方が的確な有様だった。そのため、着ていた学生服が吐瀉物にまみれることになったのは悲しい事件である。
コンビニで買った卵サンドとアンパンとお握りの混ざり合った何かがべちゃりと背中にこびりついた。
奇妙な悪寒に、上着を脱ぎ去って思わず放り投げた。
気分の悪い頭で文句を言おうと女を探すと、アパートに入って階段を昇って行ったところだった。追いかけようにも、吐瀉物と一緒によくないものがこびり付いたかのように体が動かなかった。
「赤子の脚」は未だに揺らめいている。今まで見たものが、今見ているモノが白昼夢なのではないかと期待して、吐瀉物から身体を引きずるように離れて空を見上げるように大の字に倒れた。
日当たりが悪いこのアパートの入り口からは青い空はほんの少ししか見えなかったが、少しは気分が落ち着いた。
時間の感覚がおかしくなりそうで、今が日中であることだけが救いのようだった。
視界の端には未だにアンバランスな肌色が揺れている。
何か変化が起きないものかと、吐き気を噛みしめて抑えながらそれを眺めていると、訪れたものがある。
――――絶叫。
身の毛もよだつ雄叫びのような。ひとまずこの世のものとはおもえないものだ。それが全身を襲った。あるいは叫んでいたのは自分だったのか。
耳の中の三半規管で音が拡大されてどうこう、などという人間の機構を無視していた。人体全て、いや、ここら一帯に叩き付けられているかのような振動、いや力か。
身がすくむ。空気が怯える。これがいいものかよくないものかはわからないが、自然に反した音のような何かではあった。
とはいえ、叩き付けられているのは頭も同じだ。この絶叫に言葉も意味もあてることは出来ない。軋んでいる、何もかも。
そんな状態なのにも関わらず、冷静に思考している自分が少しばかり奇妙に思えた。
絶叫と共にがたがたと不自然に蠢く「赤子の脚」。腰の辺りが崩れでもしたのか、頼りなく傾いていき、直下に落ちた。
運悪く真下にあった車が一台犠牲になった以外は、変わった光景も見られず、それだけの損害をもたらしたそれは、車をペシャンコにして跡形もなく消え去った。
声もなく一連の流れを目で追った。先ほどよりも茜色が増した世界で、土臭くもないアスファルトの地に横たわる自分。
それから、その茜色も沈む頃になって余裕を取り戻した俺は、視線を挙げて自分の部屋の窓を見た。
先ほどまで起こっていた奇怪な全ては何の痕跡も無かったかもしれない。
ただ一つの例外、輪郭が捉えられない黒い女だけがそこからこちらを見つめていた。
――スタミナ消費しなきゃ
女、心の叫び。