村での出来事②
「ここ?」
「あ……ああ……、そう……だ……」
特に変わり無いシールと何かに疲れ切った様子のリーデルは、一軒の家の前に立っていた。
どうにかこうにか、ここまでは誰にも発見されること無く辿り着くことが出来た。これはリーデル達の移動の仕方が上手かったというわけでは無く、ただ単に時間帯が良かっただけだった。この時間帯は村の住人が仕事に向かうには遅すぎるし、昼の休憩には若干早い。
外を出歩いている人が皆無なワケでは無かったが、人通りの少ない場所や人目に付きづらい場所を選んで通れば人の目を回避するのは容易だった。リーデルは必要以上に気を張って疲れているようだが。
「いいかシール、オレがいいと言うまで隠れてろよ」
「うん。わかった」
近くにあった植え込みの陰に移動し小声で出されたリーデルの指示にシールが小声で同意を返す。
改めて家の扉の前に立ちその場所からシールが見えない事を確認すると、リーデルは大きく息を吸い込んだ。
「うしっ」
扉を前に気合いを入れ直し、目の前の扉を軽くノックする。
「サリアさーん。依頼品届けに来ましたよー」
中へと声をかけ、そのまま扉の前で待つことしばし。中から靴音が聞えてくると、扉が内側から開らかれた。
「ああ、リーデルかい。いつまで経っても来ないから心配してたんだよ」
「いや、ハハハ、昨日は色々あってさ」
出てきたのは金髪を後ろで一つ縛りにした初老の女性。服の上にエプロンをつけているところをと中から漂ってくる匂いからして、昼食の準備の途中であったようだ。
「ふ~ん。まっ、見たトコそんなに大きな怪我も無さそうだし、元気ならそれでいいよ」
「ありがと。これ、依頼されたカプカの実」
手に持った袋をサリアへと差し出すリーデル。
サリアはそれを受け取ると、中身を確認するために袋の口を開いた。
「……リーデル」
「な、なにか?」
袋の中身を確認したサリアの声が低くなった。
声をかけられたリーデルの肩がビクッと跳ね上がる。
「私はアンタに何て依頼を出したんだっけ?」
「ハイ! カプカの実を五個です!」
質問されたリーデルが姿勢を正して返事を返す。
サリアの声は依然として低いままだ。
「いいや、私はこう頼んだはずだよ。『新鮮なカプカの実を五個』とね。違うかい?」
「ハッ、ハイ! その通りです!」
「そうだろうそうだろう。――じゃあ、なんでこのカプカの実は干からびる寸前なんだい?」
「…………それには深い事情がイデデデデデデデ!!」
リーデルの言い訳はサリアに顔をわしづかみにされた事で悲鳴に変わった。
女の細腕に似合わぬその力に、リーデルの頭蓋がきしみをあげる。
「アンタこれ自分家に残ってたヤツだろ!」
「まだ食えそうだから大丈夫だとイギャアアアアア!!」
リーデルの言葉に、サリアの腕の力が一層強まった。
あまりの痛みに、すわ、自分はここまでかとリーデルが意識を手放そうとしたその時、事態は動く。
「リーデルをいじめないで!」
今まで隠れていたシールがいつの間にか飛び出し、リーデルを庇うように立ちはだかった。
いきなりの展開にサリアの力が少し弱まる。
「シール! 駄目だ隠れてろ!」
「でも!」
「いいから! 今ならまだ間に合う! 早く隠れ――」
「リーデル」
必死に戻るようにと言い募るリーデルと、それに食い下がるシール。
しばらく呆けたままに二人の様子を眺めていたサリアは、我に返ると再び腕に力を込めた。
「この子、なんだい?」
「いやあのこれはですね」
「わたしシール。お願いだからリーデルをいじめないで」
「ああいや、これは虐めてるんじゃないんだよ」
シールの懇願に、サリアが慌ててリーデルを投げ捨てた。そしてその離れた手が優しくシールの肩へと移動する。
リーデルが痛む頭を抱えながら蹲るが、サリアにはもう目に入っていなかった。
「シールと言ったね。アンタ、その格好はどうしたんだい?」
「これ? リーデルがくれたの」
「そう、コイツが」
「いや違うんだホント待って」
サリアの冷めきった視線が下へと向けられる。
視界の隅で何かが動いているが、あれはムシだ。たった今から、とびきり大きな害虫に決定だ。
「シール、お腹は空いてないかい? よかったら中で一緒に昼ご飯でもどう?」
「ごはん? おいしい?」
ごはんと聞いたシールの顔が期待に染まる。
そんな様子にサリアの顔から笑顔がこぼれた。
「ああ、おいしいとも。これでも料理にはそこそこ自信があるんだよ」
「うん、おいしいごはん食べたい!」
「そうかいそうかい。じゃあ中へお上がり。ご飯の前にその格好もどうにかしないとね」
中に入るのを促す様に優しく背中を押しながら、サリアは背後に目を向けた。
大きなムシがビクンと跳ねたが、目に力を入れて睨みつけると青くなって動かなくなった。
入口に着いた扉が閉まる。
これにより、内と外とが分けられる。
「……言い訳くらい言わせてくれぇ」
入り口前でうなだれるムシの鳴き声は、誰の耳にも届かなかった。
◆◆◆◆◆
「入ってきな」
扉の前でヒザを抱えて座り込み、流れる雲をただ呆然と眺めていたリーデルの背後から声がかかった。もはや半ば思考を放棄したリーデルは、その声に言われるがまま家の中へと入っていく。
「ここに座んな」
テーブルに座った声の主が指差したのは、目の前の何もない床の上。リーデルは素直にそこに正座した。逆らう気力などとうに残ってはいなかった。
「今からアンタに質問をする。正直に答えな」
有無を言わさぬ迫力のこもった一声。
リーデルは首を縦に振り、了承の意を返す。
「まず、この子はドコの子だい? 村では見ない顔だけど」
声の主であるサリアが、反対側に座って食事をしているシールを指差した。差された本人は目の前にある食事で夢中なのか、全く気にせず食べ続けている。サリアに着替えさせられたのか、着ている服が若草色のワンピースに変わっていた。
かわいい。似合ってる。なにより変にドキドキしなくて良い。リーデルはそう思った。
「シールとは昨日、森にあった遺跡の中で会いました。話してみると行くところがないと言うので村まで連れてきました」
シールから目を離し、サリアへと向き直る。
別に隠すような事でも無いし、リーデルは昨日あったことをそのまま簡単に口にした。
「次。この子をどうしようと思ってるんだい? 連れてきて終わりってわけじゃないんだろう?」
「部屋が余っているので、一緒に住もうかと考えております」
「アンタ、あの埃だらけの部屋に女の子を住まわせようってんじゃないだろうね」
リーデルの言葉に、サリアの声に込められたプレッシャーが強くなった。
そのあまりの迫力に、リーデルの額から冷や汗が流れ落ちる。
「…………掃除すればダイジョブじゃね?」
「大丈夫なわけあるかこのバカ!」
なんとか絞りだした一言に瞬時に返ってくる怒声。
どこからともなく現れた箒での一撃が、リーデルの頭に直撃した。
「ぬぐおぉぉ……っ」
「シール。このバカはもう駄目だよ。コイツは女の子がどれほど繊細な生き物なのかをまるで理解しちゃいない」
「も?」
「こんなのと無理して一緒に住むことない。ねえ、シール。私と一緒に住まないかい?」
痛みに悶絶するリーデルを無視し、二人の会話をそっちのけで食事に没頭していたシールにサリアは優しく語りかけた。
今までの話の流れをよく理解していないシールは、とりあえず口の中で咀嚼している食べ物を飲み込んだ。
「んぐ、むりなんかしてないよ? リーデルはやさしいし、いっしょに住むのは楽しそうだもん」
「シール……」
とりあえず聞えた範囲の内容について答えると、その言葉にリーデルが嬉しそうな笑みを浮かべた。
「でも、ウチに住めば毎日おいしい食事を食べられるよ。コイツはまともに料理なんて出来ないし」
「おいしい料理……」
言われ、シールの視線が先ほどまで食べていた料理へと注がれる。
シールの視線が、床に座っているリーデルに移る。
頭の中に浮かびあがるのは、朝食として出された硬くて噛み切れないパンと周りのことなど気にならない位おいしかった食事。
「……ううぅ~」
「そこで悩むのかよ!」
シールは頭を抱えた。頭の中でおいしい料理とリーデルの顔がグルグルと回る。
リーデルにはツッコまれたが、シールにとっては真剣に悩むほど大事なことなのだ。
「私と一緒に住むことになっても、リーデルと会えなくなるワケじゃないし。そうだ! もし私と一緒に住むのなら、今夜はとびっきりおいしいものを作ろうかねぇ」
「ちょっ、ズルくね!?」
「……とびっきり、おいしいもの」
悩む様子を見せるシールに、ここぞとばかりにサリアが畳みかける。
その言葉にシールの顔が上がった。
「うん! サリアといっしょに住む!」
「そうかいそうかい! じゃあ早速住む部屋の準備をしないとね!」
悩みの欠片も残っていない様なシールの元気な返事に、サリアが心底嬉しそうな声を出した。
そして、話は早速二人が今後の予定へと移っていく。リーデルを置いて。
「ちょっと待て! サリアさん家だって余ってる部屋ねえだろ! 知ってんだぞ!」
自分を置いて進む事態に、リーデルは空気を変えようと異議を申し立てる。
サリアがリーデルの家の事情を把握しているのと同じくらい、リーデルもサリアの家の事情を把握している。この家に他人を住まわせる事が出来るような空き部屋などは無かったはずだ。
「ん? 余っているよ? いつまで経っても帰ってこないバカの部屋がね」
「ディードさんの部屋かよ! そこだって掃除してないんじゃねえの?」
「アンタと一緒にして欲しくないね。私はちゃんと定期的に掃除してるんだよ」
なんとか絞りだしたリーデルの反撃はまるで効果が無い。
「あのバカの良かった所は物に執着が無い所だね。私物がほとんどないから今日からだって住めるよ」
「そんな勝手な……ディードさんが帰って来たらどうすんだよ」
「そのときはアンタの家の埃まみれの部屋に押し込んじまえばいいんだよ」
「ひでえ……」
サリアのあまりの言いように愕然とするリーデルに、とてとてとシールが近づいてくる。
「リーデル。そういうわけでいっしょに住めなくなったけど、おんがえしはちゃんとするからね!」
「………………ああ、うん」
シールの何の含みもない満面の笑みに、リーデルの身体から力が抜けた。
身体の上に重たい敗北感が覆いかぶさってくる。
戦いは終わった。
少年は、“おいしいごはん”に負けたのである。