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村での出来事①

 窓から差し込む光が、部屋の中を明るく照らしだす。一日の始まりを示す澄んだ光。


「……まぶし」


 そんな部屋の中で、一人の少年が微睡まどろみの中にいた。差し込んで来る光が眩しいのだろう。朝日からその顔を隠すように、ゴロリと寝がえりを打つ。


「ぐわっ」


 ドスン、と音を立ててその体が落下した。突然の衝撃に、リーデルの意識が一気に覚醒する。

 自分の身体が転がっているのは床の上。すぐ近くには皮の痛んだ二人掛けのソファ。その横に置かれた見慣れたレザーアーマーと鉄のレガース。離れたところにテーブル。それに付随して椅子が二脚。


「……あぁ、そうか。あの後ソファで寝たんだっけ」


 そして、そのソファから落っこちた。

 今の状況を把握し、リーデルが頭をボリボリと掻いた。


「ん~~」


 硬くなった身体をほぐすように大きく背伸び。首を何度か左右に回し、身体の調子を確かめる。特に異常は感じられない。


「よっしと」


 入口の脇にある木桶を二つ手に掴み、リーデルは外に出た。目指すのは村の中心近くにある井戸だ。

 雲の多い空模様に雨季が近いことを感じつつ、勝手知ったる村の中を進んでいく。

 すれ違う村人たちに挨拶しつつ井戸までたどり着くと、その前では三人の主婦たちが話しこんでいた。井戸端会議の真っ最中であるらしい。


「おはようございまーす」

「おやリーデル、ずいぶん遅いお目覚めだね。…………なんだい、自分の身体を見せつける趣味でもできたのかい?」

「違う違う。何でそうなるかな……」


 自分へと胡乱な目を向けてきた中央の女性に軽く返しつつ、リーデルは井戸に付いたロープに手をかける。

 この井戸は、滑車へとつながったロープを巻き取る事によってそのロープの先に付いた桶を引っ張り上げて水を汲む仕組みだ。

 ロープを引張り水を汲み上げると、リーデルは持ってきた木桶へと中身を移し、その水を使い早速自らの顔を洗う。両手ですくい上げた水を、自分の顔に叩きつけるかのようにしてかけ、トドメに余った水を頭からかぶる。


「あー、さっぱりした」

「……ふ~ん」

「……なんすか、変な声出して」


 先ほどまではうるさい位だった話し声がいつの間にやら止んでいた。

 自分の身体をジロジロ見られているのに気付いたリーデルが女性へと尋ねると、あまりよろしくないタイプの笑みが返ってくる。


「いや、なに。あんたもだいぶ男らしくなったと思ってねぇ。昔はあんなにひょろっちかったのに」

「もっ、元々ひょろっちくなんかねぇよ!」

「いーや、ひょひょろだったね。ねぇ?」

「そうそう」

「力こぶだってまともになかったじゃない」


 どうやら話しの種がリーデルへと移ったらしい。三人の「アハハハハ」と言う笑い声が周囲に響く。


「コノッ! ……ッチ」


 リーデルはそれらの声に言い返そうと口を開いて、しかし途中で止めて口をつぐんだ。この人たちにはそれこそ赤子の頃のことから自分の事を知られているのだ。反論したところで言い負けるに決まっている。

 こちらがおとなしく引き下がった方が傷が浅くて済むということは、これまでの経験から明らかであった。


「なに拗ねてんだい? 褒めてんだよ」

「さっきののどこに褒める要素があったよ。あと拗ねてない」

「そーいう態度を拗ねてるって言うんだよ」


 『まったく、しょうがないねぇ』とでも言う様に、女性の一人が息をはいた。


「じゃ、たくましいリーデルくんに依頼をしようかね。あんた、今日は暇かい?」

「依頼? 今日は別に何も……。あっ、駄目だわ」

「そうかい? まぁ急な頼みだしね。なら明日以降は?」

「たぶん、大丈夫」

「じゃあ頼むよ。明日の今ぐらいの時間になったら家まで来とくれ」

「りょーかい」


 そうこうしている内に水汲みが終了する。

 水の入った木桶を両手に持ち、リーデルが立ち上がる。


「じゃ、オレ帰るわ。おばちゃんたちもあんまり話し込んでると旦那さんに怒られんぞ」

「はん。家のにそんな度胸はないよ」

「そうそう。図体ばっかり大きくてね!」

「……まったく」


 再び辺りに笑い声が響く。

 その姦しい話声を背後に、リーデルは帰路に付くのだった。



 ◆◆◆◆◆



「うしっと。さて、何があったか……」


 汲んできた水を床に下ろし、リーデルは自宅の食糧置き場をあさり始める。いつもよりだいぶ遅くなったが朝食の準備を始めるのだ。


「ありゃ、もうこんだけしかないのか」


 カプカの実が五個にセシグリのパンが三個。干し肉が少々。出てきたのはそれだけだった。

 そろそろ買い出しをしなければと思いつつ、リーデルは朝食に使う分の食料をつかみ取る。セシグリのパンを二個。干し肉を残りの三分の二ほど。

 まず、セシグリのパンをそれぞれナイフでだいたい二等分になるように切り分ける。次に、切り分けたそれらの間に干し肉を挟み込む。


「ん~」


 聞えてきた自分以外の声に、リーデルがナイフを置いて振り返った。


「おう、おはよう。そこの水で顔洗いな」

「ん~」


 半開きの目を擦りながら部屋へと入ってきたシールに先ほど汲んできた水の入った木桶を指し示す。ちゃんと起きているのかどうか怪しかったが、言われた通りに木桶に向かっている様なのを確認し、リーデルは再び朝食の準備へと戻る。

 といっても、もうほとんどやることは残っていない。先ほどのパンを皿に乗せて出来上がりである。


「――ぷあっ」


 そこに顔を洗い終わったシールが声を上げた。ぶるぶると顔を振って水滴を飛ばし、飛ばしきれなかった分を腕で拭いとる。


「ちょうどよかった。朝飯できたからそっち座んな」

「うん」


 テーブルに朝食を並べ終わったリーデルに言われ、シールが椅子へと腰を下ろす。次いで、リーデルが対面の席に着く。


「あり合わせで悪いけど、食えよ。昨日はあのまま寝ちゃったから腹減ってるだろ?」

「うん! ありがとう!」


 パンをくわえたリーデルに促され、シールも目の前の皿の上に置かれたパンへと手を伸ばす。

 眠気で忘れていた空腹感が再び湧き上がってくるのを感じ、シールは小さな口を精一杯開け、思い切ってパンにかじりついた。

 そして、そこでシールの動きが止まる。


「…………ふぁ、ふぁふぁい」


 予想外の事態に、パンをくわえたままのシールの口から声が漏れる。

 シールがパンを口に含んで最初に感じたのは、味についてではなくその触感だった。パンがまったくかみ切れない。それ以前に歯がパンに刺さらない。一旦食事を中断し、改めて口に入れた物を観察してみたが、やはり歯形すら付いていなかった。

 チラリとリーデルに目を向けてみると、普通にかみちぎって食べている。手にある物とリーデルが食べている物を見比べて見ても、シールには同じ物にしか見えなかった。

 試しにもう一度、今度は思いっきりかみついてみる。やはりパンに歯が刺さらない。むしろ、こんな硬さの物をかんだ自分の歯が心配になった。

 シールはパンから再度口を離し、そっと皿の上へと戻した。


「どっ、どうした? 具合悪いのか?」


 用意した朝食に全然手をつけていないシールに気がついたリーデルが心配して声をかける。手を膝の上に乗せてうつむいている様子は、まるで何かを耐えているかのように見えた。


「ごめんね、リーデル。わたし、ごはん食べられないや」

「え、いや、ホントどうした? セシグリのパン、嫌いだったか?」


 顔を伏せたまま悲しそうな声を出すシールに、リーデルが顔色を変えた。なんだかよく分からないが、シールが今にも泣き出してしまうそうなくらいに落ち込んでいることだけは感じ取れた。

 そんなリーデルの声を受けても、シールの顔は上がらない。ただ、質問に答えるように首が弱弱しく横に振られた。


「じゃあ、どうたんだ? 言ってみな?」


 内心の焦りを表に出さない様に意識しながら、リーデルが努めて優しくシールに問いかけた。

 元々怒ってなどいないし、泣かれでもしたらそれこそどう対処してよいのか見当もつかない。


「……あの、ね?」

「あ、ああ」


 少し顔を上げたシールが上目づかいにリーデルを見上げた。その不安げな表情につられ、リーデルの表情も真剣なモノに変わっていく。

 しかし、シールの口がそこで止まってしまった。しばし、二人の間を沈黙が支配する。

 緊張でジリジリと身体が焦がされるような感覚に襲われながら、リーデルは辛抱強くシールの次の言葉を待ち続けた。

 リーデルの身体が緊張で丸焦げになるくらい経った頃、シールが再び口を開く。


「あのね?」

「ああ」


 先ほどと同じ言葉を口にしたシールは、しかし先ほどとは違いそこで止まりはしなかった。

 遂に来るのかと考えると、知らずにリーデルの喉が鳴る。


「――――いの」

「ごめん、聞えなかった。もう一回言ってくれないか」


 しかし、あまりに小さかったその声を、リーデルは上手く聞きとることが出来なかった。先ほどよりも顔を近づけ、耳に神経を集中させる。

 その様子にシールがますます身を小さくさせる。リーデルの真剣な眼差しに押され、居心地が悪そうに身体を動かした。


「だから、その、ね?」

「うん」

「――パンがかたくて、かみきれないの」

 

 この後、小さく切られたセシグリのパンを一生懸命咀嚼そしゃくするシールの姿が見られた。



 ◆◆◆◆◆



 場所は変わってリーデルの自室。

 ようやくシャツを着たリーデルは、これからのことについて『さて、どうしたものか』と考えだした。

 目の前にいるのは『自分よりも一回り小さい少女』。説明を付け加えるのならば『自分のシャツしか身に着けていない、自分よりも一回り小さい同年代程度の少女』だ。

 これはよろしくない。大変よろしくない。シャツ一枚だけでは風邪をひいてしまうかもしれないし、お腹を冷やしてしまうかもしれない。動くといろいろなところが見えそうで、いろんな意味で目が離せない。これは何ともけしからん。いかんともしがたい事態だ。


「というわけで、オレは今から出かけてくる。留守は任せた」

「というわけってどんなわけ?」


 シールが小さく小首を傾げたが、そんなものは今のリーデルにとって気にすべき事柄ではない。

 出来るだけ自然に、かつ素早くシールへと背を向けた。


「………………シール、その手を離してくれないか」

「いっしょに行く」


 シャツを掴まれた。ここで振り払うのは簡単だが、それはあまり上手い方法とは言えないだろう。

 リーデルは後ろに向き直るとシールの肩を優しく掴み、静かに言い聞かせるように言葉を紡いだ。


「いいか、シール。オレは今から外に行って、やらなきゃならない事があるんだ」

「お仕事?」

「そう、仕事だ。とっても大事な仕事なんだ。大丈夫。すぐ帰ってくるから」


 そこまで言い切り、リーデルは再びシールへと背を向けた。

 一歩目の足を前に出し、床に着く前に後ろへと引っ張られる。


「……シール」

「手伝う。いっしょに連れてって」


 振り返ってみれば、クリっとした鳶色の瞳が自分を見上げている。だがしかし、それがどうした。

 リーデルは再びシールの肩へと手を置いた。


「リーデルにはいっぱいお世話になったから、少しでもおんがえししたいの」

「それは素晴らしくありがたいお言葉なのだが、オレはちっとも気にしちゃおられないので留守番しててくれ」

「わたしの決意は、あのパンみたいにかたいよ!」

「そうか。じゃあそのパンみたいに黙って静かに留守番しててくれ」

「……めいわく、かな?」

「イヤだなそんな訳無いじゃないですかむしろその鉄壁の硬さでもってひょろっちいオレを守ってくださいお願いします!」


 完敗だった。まごうことなき完全敗北だった。乙女の涙は伊達ではない。見えた瞬間、リーデルは地に四肢を着いてこうべを垂れていた。


「……連れてってくれる?」

「ああ、連れてく連れてく」


 敗者は勝者に逆らえない。ならば、もう覚悟を決めるしかなかった。

 玄関。内と外とを隔てる扉を前にして、リーデルはシールに向き直る。


「いいか? これから行うことについて、シールが気をつけるべきはただ一つだ」

「うん」

「――人には見つかるな。できるな?」

「がんばる!」

「よし! じゃあ行くぞ!」


 リーデルが扉へと手をかける。今これより、外と内とは繋がった。

 

 真昼の村で、シャツ一枚の少女を連れた少年の世間体を賭けた戦いが幕を上げる。


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