出会い、灯火④
狙いを定めた銃口から魔力の弾丸が撃ち出される。
「グギャン!」
魔弾は狙いを外さず的に命中。血に濡れたバロル・サージスウルフが地面に倒れた。
「……これで全部か。シール、怪我ないか?」
周りにもう魔物がいないことを確認したリーデルが背後のシールへと向き直る。
「うん、だいじょうぶ。リーデルは?」
「オレも大丈夫だよ。バロル・サージスウルフなんていくら来たって負けないさ」
「そっか。リーデル、つよいんだね」
「いや、うんまぁ、ほどほどかな。ハハハハハ」
リーデル達はまだ森の中にいた。
木々の間から見える空にはもう星が浮かんでいる。かろうじて空の端に夕焼けが見えるので日はまだ完全には落ち切っていないようだが、日の光が届きづらい森の中はもう真っ暗だ。
リーデルは夜目が効く方なのでまだ大丈夫だが、シールの方は暗くて足元が見えづらいため躓いてしまう事が何度もあった。
さらに何回か魔物に襲われ、シールを庇いながら戦わなければならなかったリーデルたちは思うように森の中を進めずにいた。
グズグズしている暇はない。リーデルはシールに声をかけ、村に向かって再び歩き出す。
時折コウモリの魔物、バロル・キスクバットが襲いかかってはくるが、この魔物はバロル・サージスウルフよりも弱い。リーデルの攻撃でバタバタと落ちていく。
「もう少しで森の出口だ。森を抜ければそんなに魔物も出ないし、もうチョットだぞ。……どうした?」
「……なんでもない。だいじょうぶ」
振り返ってシールを元気づけるように明るい声を投げかけたリーデルは、シールの動きの違和感に気がついた。
本人は大丈夫と言っているが、明らかに足を引きずっている。
「足、痛いのか?」
「…………うん」
シールが言いづらそうにしながら小さく頷いた。
足の痛み。この場合は疲労ではなく怪我だろう。
リーデルはシールの前にしゃがみ込み、きつく縛った靴ひもを解いて履かせてやったショートブーツを脱がしていく。
「――靴ずれだな、こりゃ」
ショートブーツを履いていたシールの足はところどころ皮が剥け、少しながらも出血しているようだった。
大きさの合わない靴を履いて慣れていないであろう暗い森の中を歩いたのだ。靴ずれをおこしてしまうのも無理はない。
「リーデル、わたし、まだ歩けるよ」
「ちょっとじっとしてろよ」
どこか焦ったようなシールの声をあえて無視するようにして、リーデルはシールの足の治療を始める。
水筒に残っていた水でシールの足を軽く洗い流し、自分の足と同じように帯状の布を丁寧に巻きつけていく。
簡単な治療が終わると自分の足に巻いていた布を解き、先ほどシールから脱がしたショートブーツを自分が履く。解いた布は荷物の中に突っ込んだ。
「この荷物、そんなに重い物は入ってないんだけど、持てるか?」
「う、うん」
されるがままに、シールはリーデルが持っていた荷物を背負わされる。
荷物といっても、リーデルの動きを邪魔しない程度の物だ。リーデルより一回り小さいシールであっても背負うことぐらいはできる。
シールが荷物を問題無く背負えていることを確認したリーデルは、くるりと反転してシールに背中を見せるようにして屈みこんだ。
「……リーデル?」
「ほら、乗れよ」
「えっ、でも」
「いいから。その足じゃ速くは歩けないだろ。おぶってやるから」
急かすようにリーデルが振り向く。
その声に押されるようにして、シールの手がおずおずとリーデルの首へと回される。
「しっかり捕まったか?」
「……うん」
「うし、じゃあいくぞ」
かけ声とともに足にグッと力を入れ、リーデルが勢いよく立ち上がる。
「――うわぁ、あははっ」
「なんだ、どうかしたか?」
すぐ後ろから聞えた微かな笑い声に、リーデルが背後に振り返る。
「リーデルの背中、高いね。それに大きくってなんだか安心する」
リーデルの首に回された腕がキュッと締まる。
不意に、今まで嗅いだ事のないような香りが鼻に届いた。
(ッツ!?)
瞬時にそれが何の匂いかを理解したリーデルの頬が急速に赤みを帯びていく。
腕や背中から感じる感触が今更ながらにリーデルの心を盛大に掻き乱し始めた。
(イヤイヤイヤッ! 今そんな場合じゃないから! さっき見た裸なんて思い浮かべんなよ俺の頭!!)
「リーデル、どうしたの? だいじょうぶ?」
動きを止めたかと思うと、ものすごい勢いで真っ赤になった顔を振りだしたリーデルを心配したシールが声をかける。
その声が届いたのか、頭を振るのを止めたリーデルがいまだに赤く染まる顔をシールへと向けた。
「なっ、なんでもない! なんでもないから!」
「? へんなの」
壊れたように「なんでもない!」を繰り返すリーデル。
要領を得ないリーデルの言動に、シールが小さく首を傾げた。
(落ちつけ! 落ちつくんだオレ! こういう時は深呼吸だ!)
思いっきり空気を吸い、勢いよく息を吐き出す。一度では到底収まらない。二度三度でもまるで足りない。途中から面白がってシールも真似しだし、回数も五十に迫ろうかというまで繰り返し、ようやくリーデルの頭の中から不埒な映像が抜けていった。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ…………。よし! 行くぞっ!」
「おーっ!」
「グオーッ!」
気を取り直して出発の声を上げるリーデル。とりあえず合わせるように元気よく返事を返すシール。背後から響いた敵意を孕んだ獣の雄叫び。
明らかに声が一つ多かった。さっきまで聞えていなかった、それでいて聞き覚えのある声。
「……ハ、ハハハハ。よお、また会ったな」
リーデルが振り返った先に居たのは、四本足の毛むくじゃら。暗闇に溶けるような真っ黒な毛皮と、反対に暗闇においてその存在を一層際立たせている赤い瞳。
バロル・ラグールベアだ。
「――グオオオォォォォ!!」
「ヤベッ!? シール、しっかり捕まってろよ!」
「お? おおお?」
完全に自分たちに狙いを定められた。そのことを悟ったリーデルは一も二もなく全速力で走りだした。
戦うかなんて考えるまでもない。一対一ですら勝てる見込みはほとんどないというのに、他人を守りながら戦うなんて馬鹿げている。
(覚えてろとは言ったし、ギタギタにしてやるとも言ったけどさ! なにもこんなときに出てこなくてもいいだろ!!)
内心で悪態を吐きながら、ただガムシャラに足を動かす。
普段からいろいろな場所で活動しているリーデルは自分の足腰に少し自信があった。
しかし、
「速ーなチキショウッ!」
チラリと後ろを振り返ったリーデルの顔に焦りが浮かぶ。走り出した頃に比べ、明らかに距離が縮まってきてしまっている。
(このままじゃ追いつかれる! なんとかしてどうにかしないと!)
すでにだいぶ荒くなった息を吐きながら、必死で頭を回転させる。
(このまま森の外まで突っ走る? 却下! そこまで追いつかれないなんて保証はないし、第一森の外に出たからってアイツが追っかけてくるのを止めるわけじゃない! どこかに隠れる? 却下! 隠れるのに必要な場所も時間もあるわけないだろ! 諦めて戦う? まだ保留! とりあえずそれは最後の最後だ! とりあえず何かで足止めする? 却下! 何かってなんだよ! そんな都合のいい物があるわけねぇだろ!)
激しい運動に息が上がる。どんなに空気を吸いこもうとも、肺が酸素を要求し続ける。酸素不足で頭の中の考えが纏まらなくなってくる。
ここは森の中。周りには当然草木が生えているだけだ。今はなるべく走りやすいようにと障害物となる木の少ない場所を選んで走っているが、この状況で利用できるような便利な物がそこらに転がっているわけもない。
(いや、待て。障害物? そうか、その手があった。……でもホントに使えるか? 下手すると余計にこっちが不利に――)
「リーデル! 後ろ来てるよ!」
思考の途中にシールの声が割って入る。リーデルはそこで初めてバロル・ラグールベアの足音が自分たちのすぐ後ろまで迫っていることを感じ取った。
考えている暇はもうない。
「チッ! 悪いなシール、ちょっと揺れるぜ!」
「うわわわわ!?」
勢いを殺さぬようにしながら進行方向を斜め横方向へとズラす。
乱雑に立ち並ぶ木々の間を縫うようにしながら、より木々が密集した方へと走る勢いそのまに突っ込んだ。
(よしっっ!!)
チラリと背後を振り返り、リーデルは自分が賭けに勝ったことを理解した。後ろに迫って来ていたバロル・ラグールベアの速度が、先ほどまでに比べ明らかに落ちてきている。
密集した木々の間を走るには、バロル・ラグールベアの体躯は大きすぎる。その巨体が通り抜けることが出来ないようなルートを選べば、天然の障害物達が自然と行く手を阻んでくれる。細い若木程度なら構わず蹴散らしているようだが、ある程度の樹齢を重ねたモノはそう簡単に破壊できはしないし、下手にぶつかれば逆に走る勢いを殺がれることとなる。
それとは逆に、リーデルはその身のこなしでもってスイスイと障害物を避けていく。バロル・ラグールベアと違い、通り抜けられないほどに狭い間隔で木が生えていることなどそうそうない。少し注意さえすればその勢いのままに走り続けることが出来る。
(イケるっっ!! このままのスピードさえ維持できれば振りきれ――)
息遣いが聞こえそうなくらいまで狭まってきていた両者の距離が再び開き始める。そのことにリーデルは安堵した。
その瞬間だった。
(――――え?)
ほんの少しの油断。小さく些細なミス。
前に出そうとした足が感じる抵抗感。自分の身体が勝手に前のめりに倒れてゆく。
驚くほどゆっくりと感じる時間の中で、せり出した木の根に引っかかった自分の足がリーデルの視界に映り込む。
――躓いた。
暴れ狂う心臓の音が一層大きくなった気がした。
立て直そうといくら考えようとも思う様に動かない身体。土色の壁が徐々に迫り、
「ぐっ!」
「きゃあっ!」
地面に強く叩きつけられ、勢いそのままに地面を転がる。
シールも背中から投げ出され、同様にして地を滑った。
「グウオオオォォォォォッッ!!」
仕留める好機と思ったか、バロル・ラグールベアから一層激しい雄叫びが上がる。
一度は再び開いた距離が瞬時に詰められ、地に伏せた二人に向かって襲いかかる。
「クッソォォォッッ!!」
リーデルが咄嗟にシールを抱えて横に跳んだ。
その背後を強烈な一撃が通り過ぎるのをリーデルは背中越しに感じ取る。
しかし、そこまでだった。
先ほどまでの全速力が原因か、足に力が入らない。
バロル・ラグールベアが二人へと振り返る。その間にリーデルが出来たことと言えば、自身の背後にシールを移動させることだけだった。
「ガアァァッッ!!」
「――――ッッ!!」
振り上げられた右の巨腕。
リーデルはその衝撃を想像して目をキツク閉じた。
「集え黄色! つらぬいて!」
背後から声が響いた。続いて、顔に生温かい何かが付着するのを感じる。
リーデルがいくら待とうと、想像していた衝撃はこなかった。
「――――っな!?」
恐る恐る瞼を開いたリーデルは、目の前の光景に絶句した。
目に映ったのは、串刺しにされたバロル・ラグールベア。地面から伸びた大きな棘に刺し貫かれ、大量の血を流しながらビクビクと痙攣を繰り返すその様からは、先ほどまで見せていた獰猛さなどもはや欠片も残っていない。
「だいじょうぶ? けがしてない?」
予想外の光景に呆然とするリーデルの横にシールが並ぶ。未だに立ち上がれていないリーデルに合わせるようにしてしゃがみ、心配するようにその顔を覗き込んだ。
「これっ、なにがっ、なんでっ!?」
身体中をシールにぺたぺたと触られながら、しかしリーデルはそれにまともな反応を返せないでいた。
目の前の現実が理解できない。串刺しにされた魔物の死体を指差し、纏まらない思考が声となってシールに向けられる。
「え? なんでって、リーデルに攻撃しようとしたから。赤い目のヤツはてきだってみんなも言ってるし……」
リーデルの言葉にきょとんとしながらシールが返した。まるで、『なんでそんな当たり前のことを聞くの?』とでも言いたいような口ぶりだ。
「こっこれ、オマエがやったのか!?」
「きゃっ!? リーデルいたい、いたいよ」
シールの言葉に反応したリーデルがその肩をガッと掴んだ。そのまま激しい口調でまくし立てたが、痛がるシールを見てハッと我に返った。
「わ、わるい……」
「ううん、だいじょうぶ。……けど、わたしよけいなことしたかな。あいつ、たおしちゃダメだった?」
掴まれていた肩を撫で、まるで親に叱られた子供の様にしょんぼりしながら、シールがリーデルの顔を覗き込んだ。
落ち込んでしまったシールに、リーデルが慌てて弁解し始める。
「あっ、いや、違うんだ! オレじゃバロル・ラグールベアには勝てないし、助けてくれたのには感謝してるっ! でも、オマエがこれをやったってのが信じられなくて……」
早口で言い訳めいたことを口にしながら、チラッと横に視線を向けた。
視線の先には、絶命したバロル・ラグールベアとそれを貫く岩の槍。
「これって、あれのこと?」
地面から突き出た岩を指しながら、シールが首を傾げる。
「そうだよ。これって魔法だろ? オマエ、魔法が使えたのか」
「リーデルはできないの?」
「見るのだって初めてだよ」
まるで出来ない事の方が不思議だといった様な態度で首を傾げるシール。
未だ驚愕が抜けきらないリーデルは、もう一度岩に串刺しにされた魔物へと目を向けた。
魔法とは、自身に宿る魔力と呼ばれるエネルギーを用いて様々なことを行う技術体系の総称だ。リーデルの聞いた話では、自分の魔力量に自信のある者が魔法使いに弟子入りをし、直接の教えを請わなければ身に着けることは敵わないような技術であるらしい。一口に魔法と言っても様々な種類があるのらしいだが、地面から岩の槍を突き出すようにして攻撃したところを見るに、シールが使用したのは精霊魔法なのだろう。
精霊の力を借りて発動するという精霊魔法は、魔法に属する技術の中で一番有名だ。ある人物が魔物に対抗する手段として世界に広められた技術であると言われており、伝説や昔話に登場する魔法使いのほとんどがこの魔法を使いこなすことを考えれば、もはや魔法の代名詞と言ってもいい。
当然、そんなスゴイモノをリーデルが使えるはずも無い。魔法を教えてくれる人どころか、魔法を使う人すら周りにいなかったのだ。というか、相手を一撃で倒せるようなモノが使えるのならそもそもあんなに必死になって逃げようとなんてする必要はなかった。
「ふーん、まあいいや。それよりリーデル」
「まあいいやって……。はぁ、オレもなんだかイロイロどうでも良くなってきた。なんだよ?」
「おんぶ」
魔法云々についてはあまり興味は無いのか、それまでの話を軽く流したシールがリーデルに向かって両手を突き出してくる。
それを見て、リーデルもなんだかいろいろバカらしくなった。
助かった。シールが助けてくれた。それでいいではないか。
「ねぇ」
「ん?」
シールを背負ってリーデルが立ち上がると、背中側から首に回されたシールの腕がキュッと締まった。
「もう、落とさないでね?」
「あいよ」
リーデルはまっすぐ前を見ながら、背後からささやくように投げかけられた言葉に短く返事を返す。
目線の先に、森の出口が見えてきた。
◆◆◆◆◆
「よっ、と」
日も落ちてだいぶ経った頃、ようやく村に到着したリーデルが自分の家の扉を開けた。
幸いにして、あの後森を出てからは他の魔物に襲われることも無く、無事に村まで返ってくることが出来た。
「すー、すー」
背中からの寝息を聞きながら家の奥へと足を進める。薄暗い廊下を通り、ドアの前で立ち止まった。左右に向かい合う様に付いている二つのドア。
「部屋が空いてるとは言ったけど、しばらく掃除なんてしてないしな。そんなところに寝かせらんないし……」
リーデルは左のドアに手をかけた。自分がいつも寝ているベッドのある部屋。大きな音を立てない様に、そっとドアを開く。
部屋の中はそれなりにキチンと整っていた。部屋の隅にある机の上には多少乱雑に物が置かれているが、木製の剣らしき物やらなんやらが箱に入れられその脇に置かれており、床に物が散らばっているなんてことはない。
リーデルはこの部屋唯一の窓の近くに置かれたベッドにゆっくりとシールを下ろした。背負っている荷物を床に下ろして枕に頭が乗るようにして仰向けに寝かせ、首元まで布団をかけてやる。
「すー、すー」
その間、シールはまったく起きるようなそぶりを見せなかった。幸せそうな寝顔で、実に気持ち良さそうに眠り続けている。初めて会った時のように。
リーデルがベッドから離れる。音もなくドアへと移動し、静かにそっとドアを開ける。
「おやすみ、シール」
ドアが閉まる間際、小さな声が空気を揺らした。
音もなくドアが閉まる。