出会い、灯火②
「――ハァッ、ハァッ…………くそっ、あのヤロウ! 次に会ったらギッタギタにしてやる!」
荒い息と共にはき出された文句は、周囲に反響する轟音によってかき消された。
正直、生きた心地がしなかった。滝を真っ逆さまに落ちるなどリーデルにとってはもちろん初めての体験である。恐らく人生で一番死というものを身近に感じた瞬間であった。
大きく何度も息を吸い、はく。
「……にしても、こんなところにこんな場所があるなんて」
身体中から水を滴らせながら、リーデルが周囲を観察する。
滝の轟音が辺りに反響し、背後から差しこむ光が周囲を薄暗いながらも照らし出していた。
「滝の裏の洞窟。そして――」
今リーデルがいるこの場は、滝によって隠されるように存在している洞窟の中。そして、更に視線の先に映ったのは――
「見るからに怪しい扉、か」
そこにあったのは壁だ。周囲とは色の違うその壁は、自然の物ではなく明らかに人工物。そうなると、その壁から握るのにちょうどいい位置に突き出している出っ張りは、扉の開け閉めのために掴む取っ手にしか見えない。
リーデルは、自分の内から好奇心がムクムクと湧き上がってくるのを感じた。
自分の今まで知らなかった場所に、見るからに怪しい扉がある。その先に何があるのかなんて想像もつかない。
好奇心に従い扉に近づくと、躊躇なく出っ張りを掴んだ。正直言って素直に開くとは思っていなかったのだが、ぐっと力を込めて引くと、わずかな抵抗感の後に割とあっさりと扉が開いた。
少しばかりの緊張と共にリーデルは中へと踏み込んでいく。
踏み出した足元がむき出しの地面から灰色のくすんだ床へと変わる。左右から奥へと伸びる壁も同様に薄汚れた灰色をしており、天上からつり下がった白い球がぼんやりと通路を照らしている。
どうやら奥へと続いているらしい。
通路に沿ってリーデルは歩みを進める。埃っぽい通路には特にこれといった物はなく、人工的な見た目に反して人がいるような痕跡は全く確認できない。一応周囲の気配に気を配りながら進むが、特別何も起こることはなく開けた部屋へとたどり着いた。
「う~ん、これは……」
あごに手を当て周囲を見回したリーデルから、何とも言えない声が漏れる。
そこにあったのは大小様々な何か。中央にデンと大きな何かが据えてあり、その何かと管を通して壁際の様々な何かが繋がっている。どれもこれもリーデルには扱い方のわからない物ばかりで、そもそもそれらがなんであるのかもわからない。こんな物は今まで見たことがなかった。
「――もしかして、ここって『遺跡』か?」
『遺跡』。今よりもはるかに発達した技術を持ちながら滅びてしまった古代の文明。その存在の証が、世界各地に存在すると言われる遺跡たちだ。そこには古代人たちの残した様々な技術を使用した品が眠っているという。その大部分は使用方法すら分からない物であるらしいが、数少ない使用方法が判明した物が自分たちの生活を支えているということはリーデルも知っている。
もしもここがその古代文明の遺跡であるのなら、この部屋にある物がなんなのかがリーデルに分からなくても無理はない。専門家ですら頭を悩ませるような物なのだ。学の無いリーデルに理解できるはずがない。
そこまで納得しかけ、リーデルはふと、目の前に見覚えがある物が混じっていることに気がついた。
「もしかして、これって結界装置? 村にあるのと似てるような……」
それは、部屋の中央に存在する大きなガラス管付きの台座の様な物だった。その管の中では大きく透明な結晶体が弱弱しく光を発している。
結界装置は、古代人の技術の中で使用方法がわかった数少ない例の一つだ。魔石と呼ばれる魔力を宿した結晶体を利用した物で、魔物を遠ざける効果を持つこの装置は今では大抵の村や町に設置されており、人々を魔物の脅威から守っている。
「ということは、おそらくこの遺跡の中に魔物は居ない、か。……ん?」
結界装置だろう物に近寄り、その周りをグルッと一回りしたリーデルは、そこで装置から伸びている管が一本だけ他とは全く違う方向へと伸びていることに気がついた。他の管は全部この部屋にある物に繋がっているのだが、その一本だけがどうやら左側にある別の部屋へと伸びている。
中央の結果装置以外、自分に理解できるようなものはなさそうだ。
周囲をもう一度見回しそう判断したリーデルは、その管をたどって左横の部屋へと足を進めた。
「なんだこれ?」
進んだ部屋の中には、埃をかぶった奇妙な箱があった。広い空間にポツンと設置された箱に、ここまでたどってきた管がつながっている。
リーデルは箱の前で考え込むように腕を組んだ。
結構な大きさだ。具体的には人一人が入れるぐらい。
「何が入ってんだ? まさか棺桶じゃないよな、これ」
恐る恐るといった感じでリーデルが箱を叩く。人一人分ぐらいというところから、古代人のミイラが頭の中へと浮かんできた。中身は気になるが、そんなものは見たくない。
強度を確かめるようにもう二三度箱を叩く。先ほどより強く叩いたが、へこむ様子はない。感じからすると、どうやら金属製であるらしい。
「この部屋には、これしかないしなぁ」
大した物があるわけでもなく、自分の好奇心を満たすような物が見つけられなかったことに息をついたそのとき、リーデルの手がコンッと音を立てて箱についた丸いものに当たった。
カチッと音を立てて、丸いものが箱の中に沈み込む。
「……あ」
慌てて手をひっこめた時にはもう遅い。触れてもいないのに、埃だらけの箱のふたが開いていく。
箱の中が視界へと入ってくる。
まず見えたのは足の様なもの。続いて胴体の様なもの、腕の様なもの、頭の様なもの。
箱が完全に開き切り、箱の中身がリーデルの前にさらされる。
見間違えるはずもない。中に入っていたのは人だった。髪の長い全裸の人間が箱の中にすっぽりと収まっている。しかも――
「……お、女の子?」
目の前の光景に、リーデルは顔が徐々に熱を帯びるのを感じた。
リーデルは16歳だ。子供のころと違い、異性の裸に何も思わないはずがない。
「ミイラじゃ……ないよな」
視線を明後日の方向へと反らし、しかし箱の中の少女をチラッ、チラッと見ながら、リーデルは少女の身体を確認する。
実際に見たことはないが、ミイラは確か渇いてシワッシワの死体のはずだ。対してこの少女の体にはしわ一つ見られない。
ミイラではなさそうな事に心の中で安堵しつつ、しかしリーデルは少女を直視できない。異性の身体に興味はある。だが、それ以上になんだか気恥ずかしかった。
なるべく少女の身体を見ないようにしながら箱の反対側、少女の顔がある方へと移動し、少女の顔を覗き込んだ。
顔を近づけ、改めて少女の顔を確認する。
(……かわいい)
歳は自分より少し下くらいだろうか。さらさらとした長い茶色の髪に長いまつ毛。全体的に整った顔を前にリーデルは『こういう娘のことを美少女というのか』と漠然と思った。
ゆっくりと少女の頬に手を伸ばす。
「暖かい」
頬に触れた掌から、少女の体温が伝わってくる。よくよく耳を澄ませば、小さくではあるがすー、すーと寝息に似た呼吸音が聞こえてきていた。
「生きてる、のか」
どうやら少女は生きている、と言うよりも眠っているようだ。
リーデルは知らず知らずのうちに小さく静かに息をはいた。
「見ず知らずの少女ではあるが、生きているとわかってほっとした」と言うのがリーデルの偽らざる本音だった。
「どうするかな。起こした方がいいのか?」
少女の頬から手を離し、今後のことについて考えを巡らす。
今は洞窟内にあった遺跡の中なので具体的な時間はわからないが、滝から落ちた時間から考えるとあまりモタモタはしていられない。村からそんなに離れていないとはいっても、ここは魔物がいる森の中だ。いくらこの辺の魔物のほとんどがあまり強くないといっても、夜中の森は昼間とは全く違うし、第一野宿の準備などしてきていない。ここに魔物避けの結界が張ってあるとはいえ、何の準備も無しに魔物がいる森の中で野宿など真っ平御免だ。
とはいえ、この少女をこのまま、というのもリーデルにはできなかった。見捨てて行って何かあったのでは後味が悪い。
結果、『少女を今すぐ起こす』という結論になるのだが
「なんか、気持ち良さそうに寝てるんだよな~」
少女の寝顔を前に思わず苦笑が漏れてしまう。
少女の寝顔は、起こすのを躊躇うほど穏やかなものだった。口元がうっすら笑みの形を作り、実に幸せそうに眠っている。
「こんだけ気持ち良さそうだと、起こしづらいよなぁ」
少女のおでこに静かに手を伸ばし、そっと顔にかかっていた髪を払う。
「…………ん」
「……へ?」
しかし、リーデルの手が少女の髪を払った瞬間、全く動く気配の無かった少女の顔に変化が表われた。
形の良い眉毛がピクッと動き、まぶたがうっすらと開いていく。
「え、いや、まじで? うわっ!」
「ん、う~」
予期しない出来事にまともに動けないリーデルを余所に、少女が目を覚ました。眠気眼を擦りながら、その上体を起こす。
少女の突然の大きな動きに驚いたリーデルが情けなくも尻もちを着いた。
「……」
「……」
少女がぼーっと辺りを見渡す。
右を見て、左を見て、尻もちを着いたまま固まっているリーデルと目が合った。
「……」
「……」
両者の間に沈黙が下りる。
先に我に返ったのはリーデル。少女を見ていたその顔が徐々に赤みを帯びていく。
「わーっ! 前! 前隠せよっ!」
顔を赤くしたリーデルが少女から勢いよく目をそらし、両手を身体の前でバタバタと振り回す。身体を起こした少女の胸が丸見えだった。
しかし、リーデルが慌てているのを余所に、少女は大きなあくびを一つ。次いで大きく背伸びに移行した。
「だ、だから! 前を隠せってば!」
「…………あなた、だれ?」
一人慌てるリーデルを余所に、少女はマイペースに小首を傾げて問いかけてくる。
――こうして、少年は少女と出会った。
世界を大きく動かす光が、この時確かに灯ったのだ。