A-009 力の限界
その力に気づいてからは、世界が変わって見えた。
何気ない景色の中、あらゆるところに数字が並ぶ。
現在の時刻、十時十七分。
現在の気温、二十三度六分。
ポーション一個、五十ミリリットル。
「慣れるとけっこう便利だなこれ」
ポーション作りでは早速その効果が発揮された。
薬草や液体の分量が一目でわかる。
面倒な作業がなくなり、効率がさらにアップした。
計量に使う道具はもういらないかもしれない。
「五分加熱したらこれを混ぜて完成っと」
容器から温度計を抜いて、販売用の小瓶に詰め直していく。
時間や分量を完璧に把握できるこの能力だが、温度だけは少々事情が違った。
対象に直接触らないといけないので、やけどするような高い温度は測ることができないのである。
「やはり温度計は必須か」
他にも色々と試してみた結果、身体能力は特に変化していないことが分かった。
例えば、距離が正確に把握できるようになったのは視力が上がったからではなく、視覚から得られる情報を正確に、そして詳細に判断しているだけなのだと思われる。
別に赤外線や超音波が分かるわけではないので、当然、暗闇では何も見えない。
人の限界を超えるのではなく、人の力を最大限に引き出す能力というべきだろう。
「まぁ、特にあって困る能力というわけでもないし」
むしろ、弓を使う上では強力なメリットにすらなる。
不安があるとすれば、力の正体が不明なことだけ。
「今日は、自分で薬草を集めてみようかな」
深く考えても仕方ないので、街の外へ出かけることにした。
ちょうど、少し特殊な薬草が必要だと思っていたところだ。
注文した弓が完成するまでに矢のほうも充実させておきたい。
気分転換もかねて、北にある草原に行ってみるのもいいだろう。
昨日買ってきた装備一式を身に着け、街の北門へと向かった。
「街の外に出るのは、森を出たときに襲われて以来だっけ」
草原にさわやかな風が吹き抜ける。
最近、外に出る機会が随分と増えた。
以前と比べて、かなり健康的な生活を送っていると思う。
若干体力も上がり、長時間動いても疲れなくなってきた。
薬草を探しながら草原を歩き回り、次々と鞄に詰め込んでいく。
目的の薬草はあまり需要がないのか、すぐに見つけることが出来た。
「意外と早く集まってしまった」
まだ太陽は空の高い位置で輝いている。
どうしよう、今から戻ってもポーション作りの続きは出来ないし。
成分の抽出には薬草をしばらく水につけておかなければならない。
「芝生に天気……これは昼寝をするしか」
天気の良い日には、よく学校の中庭で昼寝をしている人がいたのを思い出した。
近くに木陰を見つけたので、早速、その下で横になってみる。
背中にあたる芝の感触が気持ちよく、草の匂いも気分を落ち着かせてくれた。
慣れない生活で疲れがたまっていたのか、僕はすぐに眠り込んでしまう。
太陽の光と風の感覚が、普段の睡眠とはまた違った心地よさをもたらしていた。
「きゃぁぁぁぁ」
けれど、そんなまどろみの一時は誰かの悲鳴によって終わりを迎えた。
飛び起きると、遠くのほうで少女が熊のような生物に襲われていた。
草原に熊が出るということに驚きつつも、落ち着いて状況の把握に努める。
双方の速度は同じくらいで、すぐに追い付かれるということはなさそうだ。
しかし、逃げ回っている少女の動きが次第に遅くなっていく。
両者の体力には決定的な違いがあるのだ。
このままいけば、あと数分もしないうちに距離の均衡は崩れてしまうだろう。
「いけるか?」
距離は七十メートルほどで、当てられない距離ではない。
少女は一直線に走っているため、動きの予測も容易だ。
僕は素早く弓を構えると、狙いを定めて矢を放った。
複雑な計算により描かれた軌跡が、熊の頭へとつながる。
「よしっ」
不意打ちを受けた熊がこちらに気づき、僕と視線が交差した。
ところが、すぐに興味をなくしたのか目の前の少女の追跡に戻る。
「そんなっ……ほとんど効いてない!?」
続けて二本、三本と矢を放つが熊の動きは変わらない。
つまり、この弓では威力が絶対的に足りないのだ。
決定的なダメージを与えるにはもっと近くから攻撃する必要がある。
「こっちだ!」
そう考えて大きく声を上げると、少女は僕に気づいて逃げる方向を変えた。
結果、僕と少女と熊とが一直線上に並ぶ。
これでは弓での攻撃は難しい。腰から短剣を抜いて構えた。
もちろん、状況を正確に把握する能力を使えば弓で熊だけを狙うことはできる。
けれど、正面から飛来する矢に少女がどう反応するかが分からなかったのだ。
「僕の後ろへ」
タイミングを見極め、少女と熊との間に割り込んで短剣を振るった。
熊の狙いが、明確に僕へと切り替わったのが感じられる。
直後、僕の視界が真っ赤に染まった。
危険を感じて横に跳び退くと、元居た場所に熊が突撃してきていた。
「くっ」
体勢を立て直して短剣を構える。
熊を睨むと、その周りをほんのりと赤い光が囲んでいた。
魔法──未知なる力の存在が脳裏よぎる。
光に警戒しながら距離を詰めると、再び赤い光が輝いた。
今度は、熊の右肩から腰の左側に向かって斜めに光の線が引かれている。
慌てて下がった僕が見たのは、鋭い爪が光をなぞって振り下される光景だった。
「もしかして、これは……」
強力な状況把握能力の延長線上。
対象の動きを完全に把握することで可能となるのは、起こりうる未来の限定。
すなわち、この光の正体は魔法ではなく、攻撃範囲の予測に他ならない。
「いよいよ僕も万能じみてきたな」
予想通り、こちらに襲い掛かろうとしていた熊の前方が赤く染まった。
僕はその範囲をぎりぎり外側へ移動し、すれ違いざまに短剣を滑らせる。
ほとんど効いている様子はないが、何もしないよりはマシだろう。
それに、何度か攻撃を避けるうちに予測範囲が狭まっているのた分かった。
おそらく、相手の動きを参考にして精度を高めているのだと思われる。
「でも、これはちょっと」
危なげなく回避を続けていた僕だが、やはりこのままでは体力が持たない。
予測精度の向上で、避けるための動作は格段に減ってはいるのだけど……。
「そこの君、この薬草をつぶして矢に塗って!」
「えっ?」
こうなった以上、手段は選んでいられない。
上手くやってくれるかはわからないが、使えるものは何でも使おう。
いまだおびえている少女に向け、身に着けていたカバンを放り投げる。
「僕の力じゃ太刀打ちできない!」
「で、でも」
「その薬草は相手の動きを鈍らせる効果があるはずだ」
「……わかりました」
僕の言わんとしたことが理解できたらしい。
少女は震える指を動かし、近くにあった石を使って薬草をつぶし始めた。
「出来たら教えて!」
指示を出しながらも、攻撃の回避はしっかりと行う。
この能力、実は最強なんじゃないだろうか?
攻撃予測の赤い領域は、今では曲線数本で描けるくらいに狭まっている。
元の範囲、物理的に行動できる限界なのだと思うが、今やその部分の表示は黄色い光に置き換わっていた。
「はぁ……はぁ……」
戦いを始めてから一分、すでに息が上がってきている。
体感的には十分以上経ったようにも感じられるが、僕の体内時計は極めて正確だ。
一方の相手は、疲れたそぶりなど全く見せずに攻撃をさらに激しく変化させる。
これまでよりも格段に速度が上がり、次々と連続して攻撃を繰り出し始めたのだ。
最初の攻撃を避けても、すぐに次の攻撃が襲い掛かって来る。
体勢を立て直す間もなく回避を強いられ、次第に僕は追い詰められていった。
前言撤回……、この能力、予想以上に使えない。
頭では分かっていても、体がついていかないという残念なパターンだった。
「この速さ、もしかして魔法? まさか、身体強化か!?」
気づいたところでどうにもならず、攻撃は速く鋭く変化していく。
予測範囲は徐々に広がり、避けきれなくなった攻撃が当たり始めた。
もう長くは持たないだろう。体のあちこちに激痛が走る。
「出来ました!」
まさに間一髪といったところか。
少女は僕の指示に忠実に従い、薬草を使って一本の矢を完成させていた。
そう、麻痺効果を持つ薬草を塗りこんだ毒矢だ。
この薬草は痛みを抑えるのに使うものだが、副作用で体が麻痺するのである。
「それをこっちへ! 投げてもいい!」
だが、その言葉を言い終わらないうちに次の攻撃が放たれた。
それも、視界に煌く光の外側、完全に予測範囲を裏切る一撃だった。
魔法によってのみ可能な、物理法則を凌駕した常識外の動き。
全ての前提が崩れた瞬間だった。
未知の力を前にして、視界全てが予測範囲で埋め尽くされる。
「がはっ」
「きゃぁぁぁぁ」
腹部に衝撃、少し遅れて激痛が走った。後ろから悲鳴も聞こえる。
危うく意識を手放しかけたが、なんとか投げられた矢をキャッチした。
もはや弓を構えている時間は無い。
そのまま、矢を握った手で熊の腹部を突き刺した。
吸収されるまで時間の掛かるポーションとは異なり、血液に直接浸入した薬草の成分が熊の動きを鈍らせていく。
「ほら、逃げるよ」
「あ……あ……」
「時間が無い、急いで!」
顔面蒼白となっていた少女の元へ駆け寄り、手を引いて歩き出した。
自分では走ってるつもりなのだが、時速は五キロメートルにも満たない。
同時に、カバンから自作のポーションを取り出して飲み干していく。
麻痺の効果がいつまで続くか分からない以上、すぐにここから離れる必要があった。
「もう大丈夫……、街は……もう……す……ぐ……」
あれから何分歩いたかは覚えていない。
意識が朦朧としていたせいで、正確な時間の測定も不可能になった。
隣を歩く少女もどこか上の空で、とても頼りに出来そうもない。
だから、気力を振り絞ってただひたすらに歩き続けた。
街に近づくと、僕達の姿を見つけた門番が慌てて駆け寄ってくる。
それを見て安堵した僕には、意識を保つだけの力はもう残っていなかった。
2014.02.27 誤字訂正
「進入」⇒「浸入」