A-011 忍び寄る影
目覚めてみれば、ここ数日ですっかり見慣れた光景が飛び込んできた。
要するに、ギルド二階にある部屋のベッドで天井を見上げていた。
製薬関連の道具が無いので、いつも使っている自分の部屋ではない。
ギルドは病院の役割も兼ねているのか、怪我人として運び込まれたらしい。
それにしても……。
「何とか助かったか。ポーションに救われたかな?」
元の世界であれば、すぐにでも手術が必要な怪我だったんじゃないかと思う。
回復魔法的な何かで治療してもらったのか、痛みは随分とましになっていた。
「あれ……?」
そこでふと、太もものあたりに重みを感じたので体を起こしてみる。
誰かがベッドの傍で椅子に座り、僕の脚を枕にして眠り込んでいた。
顔は見えないけれど、状況からして草原で熊に襲われていた少女なのだろう。
ずっと看病してくれていたらしく、部屋にはタオルや薬が散らばっていた。
ところで、安らかに眠っている少女を眺めていて気付いたことが一つ。
「ネコ耳?」
なんということでしょう。あの想像上の産物でしかなかった存在が今目の前に。
尻尾が付いていることも確認しました。なぜ草原で気付けなかったのだろうか。
しかし、これはこれで興味深いものがある。
なにせ、人間の耳に加えてネコ耳まで頭に生えているのだから。
全部の耳で音を聞いているのか? 気になる。とっても気になる。
特に遺伝子的にどうなっているのかとかそういう方面で非常に気になる。
「にゅぅー、あっ!」
そんなことを考えているうちに、少女が目を覚ましていた。
キョロキョロと周りを見回し、僕が起きていることに気付いて動きが固まる。
「とりあえず……、おはようございます?」
「あの、えっと、おはようございます!」
「草原で熊に追いかけられていた人だよね」
「はいっ! あの時は助けていただき、ありがとうございました」
「元気そうでよかったよ。僕は流渡、ひとまずよろしくかな?」
「わたしはルルといいます。よろしくお願いします」
「それで、あれからどのくらい経ったかわかる?」
「ちょうど一日ですね。ルートさんが全然起きなくて心配しました」
「さすがにあの怪我だし、むしろ一日で回復したのが驚きだよ」
「すみません、わたしのせいですよね……」
「いやまぁ、うーん。幸いにも無事だったし大丈夫だよ」
そのあと聞いた話では、ルルはまだ十三才だというのにも関わらず冒険者として家計を支えているとのことだった。昨日も依頼を受けて薬草を採集していたのだが、途中で熊に遭遇してしまい草原を逃げ回っていたらしい。
「ところで、さっきから気になってたんだけど」
「どうしましたか」
「その耳って、本物?」
好奇心が抑えきれず、さっきから疑問に思っていたことを口に出していた。
魔法が存在する世界とはいえ、ただのアクセサリーな可能性もあることだし。
たが、ルルはその言葉を聞くやいなや、警戒心をあらわにして僕を睨んできた。
尻尾がピンと立ち上がり、かすかな音も聞き漏らすまいと耳をそばだてている。
「…………」
しまった、獣人と人間、つまりアニマとヒューマは仲が悪いんだったっけ。
冒険者の街だし、実力さえあればそんなに関係ないのかと思っていたけど、必要だから仲良くしているだけであって、問題の根はかなり深いのかもしれない。
「ごめん、深い意味はないんだ。ただ、初めて見たから……」
「そうだったんですか」
緊張から解放されたルルの耳から力が抜け、尻尾がペタリと地面に触れる。
これまでの自在な動きを見れば、もはや本物であることに疑いはなかった。
この話題は続けるべきではない。そう判断した僕は強引に話題を変えにかかる。
「そういえば、北の草原ってあんなに強い熊が生息しているところだったんだね。依頼の推奨ランクがFだったから油断してたよ」
ランクFであれだとしたら、冒険者について考えを新たにしなければならない。
「あっ、そうでした。今回の件に関して詳しく話を聞きたい方がいらっしゃるそうです。ルートさんが起きたら連れてくるように言われていまして、できるだけ急いでほしいとのことだったのでわたしについてきてもらえませんか?」
「やっぱり何かあるのか……。わかった。すぐ準備するから少しだけ待ってて」
素早く着替えを済ませ、ルルの後に続いてギルドの一階へと向かった。
怪我が完治していないせいで階段を下りるのが地味にがつらい。
エスカレーターやエレベーターが偉大だったということを改めて実感した。
「あら、ルートさん。意識が戻られたんですね!」
階段を下りるとすぐ、受付で作業をしていたリサさんに呼び止められた。
「えぇ、おかげさまで」
「早速で悪いのですが、草原での出来事を詳しく聞きたいという方が」
「聞いています」
「ルルさんにも話を聞きたいそうです」
「はい」
「それでは、調整いたしますのでしばらくお待ちください」
リサさんが依頼者の人に連絡した結果、集合は二時間後ということになり、それまではギルド一階のロビーでルルと雑談をしながら時間を潰すことにした。
「へぇー、じゃぁそっちの耳は音が聞こえるわけじゃないんだ」
「ですです。お父さんみたいな純粋なアニマだと違うんですけど」
「純粋? ルルは違うってこと?」
「そうですよー。お母さんはヒューマなのでわたしはハーフなんです」
「なるほど。というか、ヒューマとアニマって子供作れたんだ」
「種族間の仲が良くないので、わたしのような存在は滅多にいないですけどね」
いよいよをもってDNAがどうなっているのかわからなくなってきたぞ……。
ヒューマは──身体能力に違いはあれど──元の世界の人間とほとんど違いはない。
アニマは動物に近い種族で、全身が毛におおわれていたりする。二足歩行が特徴。
二つの種族が結婚して子をなすと、ルルのようなハーフアニマが生まれるわけだ。
「耳とか尻尾って何に使ってるの?」
「尻尾はバランスをとったりですね。物を掴んだりも出来ますよ。耳は、えーっと、何に使うんでしょうね?」
「いや、僕に聞かれても……」
「そうですよね……。すみません。わからないです」
耳の存在意義がわからず、ルルはしょんぼりとして俯いてしまった。
ピコピコと動いていた耳はペタンと伏せられ、尻尾も力なく垂れ下がっている。
とりあえず、感情の表現手段としては大いに役立っていることが分かった。
「まぁ、可愛いしいいんじゃないの? アクセサリみたいで」
「可愛い……、ですか?」
「うん」
「そんなこと言われたのは初めてです」
「そうなの?」
「大抵は気味悪がられてしまうので……」
これも文化の違いか。元の世界では割と人気があったと記憶しているのだけれど。
アニマという存在すでにいるため、中間の容姿は異端にみられるのかもしれない。
「依頼者の方がもうすぐ到着するとのことです。お二人はこちらでお待ちください」
時間が経つのは早いもので、話し込んでいた僕らはリサさんの声に従い、ポーションの作成依頼を受けたときにも使った会議室に案内された。五分も経たないうちに再び部屋の扉が開き、リサさんに連れられて入ってきたのは僕の見知った人物だった。
「久しぶりね、ルート」
「お久しぶりです。フレアさん、アリスさん。その節はお世話になりました」
「助かったのはこちらも同じよ。最近、噂になってるそうじゃない」
「えぇ、まぁ」
「それからあなたは、ルルだったかしら」
「も、もしかして……、お二人は【疾風迅雷】の?」
「そう呼ばれることもあるわね」
「もしよければ、握手してもらってもいいですか!」
「もちろんよ」
ポーションを買いに来ていた人の話によれば、腕よりの冒険者が集うレインフォードにおいても二つ名を持つチームは二組しかいない。完璧なチームワークで人数以上の働きをこなす【五人十色】の五人と、圧倒的な攻撃速度を誇る【疾風迅雷】の二人だ。
身体強化と体術を駆使し、瞬間移動ともいえる動きを誇る【疾風】のアリス。
攻撃魔法最速を誇る雷属性を操り、高速詠唱を得意とする【迅雷】のフレア。
たった今、僕の目の前でルルと握手しているのはそんな雲の上の人物とのこと。
「ルートさんはお二人と知り合いだったんですか?」
「盗賊に襲われていたところを助けられたんだ」
「なるほどー。私にとってのルートさんみたいな存在なんですね」
「僕なんかよりずいぶんと手際が良かったけどね」
「でも、あの時のルートさんはとてもかっこよかったですよ」
「そうよ、ルート。あなたは彼女の命を救ったの。誇りなさい」
面と向かって言われると、やっぱり気恥ずかしい思いがある。この部屋に鏡があれば、窓から差し込む夕日の色以上に自分の顔が赤く染まっているのを確認できただろう。
「とりあえず、ルートは寝ていたということだし。アリス、状況の確認をお願い」
「了解しました。昨日の昼過ぎ、北門からギルドへ重傷者を発見したとの緊急連絡が入りました。すぐに治療院へ搬送し、容態が落ち着いたところでギルド二階へ移動、以後経過観察状態となりました」
「かなりひどい怪我だったと思うんですが、治療院というのは?」
「回復魔法の使い手が集まる施設の名称です。回復魔法は単独では効果が低く、複数人で同時に行使にすることによって初めて実用的な効果を得ることができます」
「そうだったんですか。あとでお礼を言いにいかないといけないな」
「正直、自分でポーションを飲んでいなければ命はなかったそうよ」
「え……。もしかして、治療費とかを請求される流れですかね」
いや、お金は結構あるけども。病院ってお金が掛かるイメージがあるし……。
「大丈夫よ。冒険者の治療費はギルドの仲介手数料から賄われることになってるわ」
「活動実績に応じて負担率が変わり、今回は状況を考慮してゼロ割負担となりました」
「レインフォードでは、冒険者が安心して活動できる仕組みが整えられているの」
「なるほど」
「とにかく、こちらで把握しているのはこれだけよ。昨日のルルはとても話を聞ける状態ではなかったし、詳しい状況の説明をお願いするわ」
「わかった」
「わかりました」
ただ、僕が関わったのは途中からだし、最初はルルに話してもらわないといけない。
「僕は助けに入る前の状況は分からないから、それまではルルから説明をお願い」
「はい。あの日はいつものように薬草を集めていたんです。それで、目的の量が集まったので帰ろうとしたとき、木の陰から突然、えっと、ビッグフットでしたっけ? とにかく大きな熊に襲いかかられたんです」
「草原にビッグフットが出たのですか?」
「北にある森の近くだったと思います。なんとか街まで逃げ切れればと走ったのですが、とても体力が持ちそうに無くて……」
「ここからは僕が引き継ぐよ」
「お願いします」
「僕も薬草を集めに草原に出ていました、途中で悲鳴が聞こえたので周囲を確認すると、ルルがビッグフットに追いかけられているのを目撃、すぐさま狙撃を行いました。ただ、ダメージを与えるには至らず、ナイフを使って接近戦を試みるも腹部を負傷、持っていた痺れ草で動きを止めることを思いつき、なんとか逃げてきました」
「まって、あの弓で効果が無かったの? 距離は覚えているかしら?」
「距離は約七十メートル。僕が使った弓を見ているのなら話が早いですね。あの弓で熊の頭を射抜いたのですが、何事も無かったかのようにルルを追い続けてましたよ」
二人は、僕らの話を聞くと黙りこんでしまった。何かいやな予感がする。
「もう少し詳しい特徴はわかる?」
「すみません、わたしはそんな余裕無くて……」
「やっぱりそうよね」
「全長は二メートル四十五センチ、体重は五百キロ以上あるかと。ルルを追いかけていた時の速度は時速四十キロメートルくらいでしたね」
あれ、よく考えるとルルはその速度で逃げていたってことになるのか? 百メートルを九秒で走るペースである。身体強化なのかアニマとしての基礎能力なのかは知らないが、これが冒険者達の標準レベルなのだとしたら僕はこの先どうすればいいのだろうか。
「あぁ、追い詰められてからは身体強化を使ってきましたね。急に動きが鋭くなったので間違いないかと思います」
「なっ……、アリス!」
「間違いありません。すぐに北の草原への出入りを制限、調査団を編成します」
「二人とも、落ち着いて聞いて頂戴。あなた達が遭遇したビッグフットは魔物化していた可能性が高いわ」
フレアさんの言葉に、ルルは真っ青な顔を浮かべる。しかし……。
「魔物、ですか?」
僕はただ、初めて聞く単語の意味が分からずに困惑するばかりだった。
2014.04.07 誤字訂正
「をを」⇒「を」
2014.04.07 誤字訂正
「ビックフット」⇒「ビッグフット」
2014.04.07 本文修正
「三百キロ」⇒「五百キロ」