A-010 力の正体
あれは、いつのことだっただろう。
「どうしてこんなことをしたんですか!」
普段は静かな研究室に、珍しく僕の大声が響き渡る。
早足で博士の机の前まで歩み寄ると、持ってきた資料を叩きつけた。
「これは、開発中の医療機器に関する資料だな」
「えぇ、最近かなり注目されているようですね」
「で、これがどうかしたのか?」
「実験データが半分ほど間違っているかと」
「……確かにその通りだな。確認が不十分だったかもしれん」
「博士にしては珍しいミスですね」
「全くだ。持つべきものは優秀な学生だな」
「ごまかさないで下さい!」
再び机を叩きつけると、博士は諦めたかのようにため息を漏らした。
血液中から治療を行うナノマシンの研究、そのデータが明らかにおかしいのだ。
実験成果が、実際の数値よりも悪い結果になるように修正されているのである。
「間違いでこんな数値にはなりません! どう見ても改ざんじゃないですか!」
「まぁ、流渡なら気づくのも当然だろうな」
「未公開の論文だから良かったものの、柊機関の信用に関わります」
「しかしだ、別に嘘をついているわけではないぞ」
「どういうことですか」
「実験条件の部分を改変して、わざと失敗するようにしてある」
「ばれたとしても、考察が足りなかっただけという扱いになると?」
「誰も気づかんだろうがな。本当の実験結果は見せるわけにはいかんのだ」
「一体何が問題なんです」
「流渡よ、柊機関の基本理念は覚えているか?」
「細かい言い回しは忘れましたが、大まかな内容であれば」
何にでも挑戦してみるというのが研究室の方針だが、一つだけ例外がある。
それは、戦争に使われるような武器の類には一切関わらないというものだ。
「科学技術の発展に、戦争の存在が少なからず寄与してきたことは本機関も認めるところではあるが、人道的な立場から本機関は武器開発の研究には一切関与しないものとする。ただし、人類全体に著しく不利益を負わせる敵対勢力の殲滅、もしくは、今後発生するであろう戦闘による犠牲者数の減少のためと判断した場合は例外的に開発に参加することがあり、本機関が関与した技術は全て公表するものとする」
無駄に長々と説明しているが、「武器の開発なんてしたら圧力が掛かって面倒なことになるからやらん」と博士が言っていたのでたぶんそれが本音なのだろう。
「その通りだ。よく覚えているな」
「なぜか柊機関の広報も僕の担当になってますから、説明する機会が多くて」
「例外の部分を突かれて無人兵器の開発はかなりやらされたがな」
戦場へ人間を送り込まなくて済むように無人兵器を開発して戦死者をゼロにする。
そんな大義名分の下に、技術の独占を懸念した各国が情報の開示を求めてきたのだ。
今では無人兵器の使用は戦いの主流となり、開戦の敷居は大きく引き下げられた。
結果、国家間の衝突は特定区域での模擬戦と化し、日々争いが繰り広げられている。
強力な武装に高度なAIを搭載した無人兵器同士の争いは、生身の人間では到底及びのつかない速度と精度で展開され、百万分の一秒単位という思考速度が要求される。
狙っていたとはいえ、戦場から人間が必要とされなくなるもの当然の流れといえた。
「戦死者が減る一方で、戦争自体は増加しているのが微妙なところですが」
「だが、このナノマシンを使えばその現状が大きく覆ることになるのだよ」
「そうか、AIに匹敵する思考速度を持つ人間を搭乗させれば……」
「あぁ、プログラムには不可能とされる柔軟な戦術を取ることができるだろうな」
発表する論文では、自然治癒能力の向上、有害物質の除去、薬の自動投与や健康状態の管理など様々な機能がうたわれているが、真の効果はそれだけに留まらない。
体内にコンピュータが搭載されているようなもので、状況把握能力の向上、瞬間記憶や高速演算、正確な行動制御までもが可能となるのである。
「つまり、本当の実験データを示すということは、無人兵器の独壇場である戦場に人間を引っ張り出してしまう結果に繋がりかねないというわけですね」
「わかってもらえたようだな」
「当然です。僕も情報の隠蔽には全力を尽くしましょう」
◆ ◆ ◆
あぁ、この力はそういうことなのか。
この世界に初めて来た日の、懐かしい記憶が呼び起される。
──ふむ、もしかしたら例の薬の副作用かもしれんな。
博士が僕に投与していたという謎の薬。もはやその正体は疑いようが無い。
柊機関が開発した特殊な医療機器、公表したのは機能を制限した廉価版だが、それでも世に革命をもたらした強力な発明品の一つだ。体内に留まり、持続的な治療を行うことで多くの医師と患者の負担を軽減させたと言われている。
だが、あの博士のことだ。僕に投与されたのはおそらくオリジナルのほうだろう。
ナノマシン・ジェネレーティング・エンジン──NGEと呼ばれるそれこそ、だれにも知られることなく闇に葬り去られた柊機関の最高傑作。
思い返してみれば、おかしな点はいくつもあった。言葉をすぐ覚えられたのも、弓矢を命中させられたのも、敵の行動を予測できたのもそう。
理由が明らかになった以上、警戒していた副作用の心配は払拭された。性能が違うとはいえ、ナノマシンの安全性は度重なる検査によって証明されている。あとは、与えられたこの力を十分に発揮するにはどうすればよいかを考えていけばいい。
僕の身体に残された唯一の故郷との繋がり。これを無駄にするわけにはいかない。
希望が見えてきた。詳しい状態は分からないが、NGEはどんな状況にでも対応できるように開発されていたはずだ。だから、それを駆使して、いつの日にか……。
──もう一度、あの世界に。
2014.03.03 誤字訂正
「人間も搭乗」⇒「人間を搭乗」