天狗の花嫁
全ては時のせいなのだ。村で不作や不幸事や続いたのは偶然だった。だが私は今、山へと続く道を歩いている。持てるだけのお供え物や衣、日常道具を抱え、純白の婚礼衣装に身を包んで。もうどれ程歩いただろうか。足が擦れて痛い。幼少時にはよく遊んだ山だが、こんなに道は長かっただろうか。村人は涙を流して悲しんではいたが、私は生贄だ。私は村一番の美人。自負はある。だから美女を捧げる話が出た時から、覚悟はできていた。村長が告げに来ても、私は黙って承諾したのだ。ああ、喉が渇いて仕方がない。もうじき行けば小川があったはずだと自分を勇気づけ、私はさらに進んだ。
ようやく小川が見え、私はお供え物を川岸に置き、川に足を浸した。程良く冷たい水が痛む足を癒す。その時、私は遠く小川の中に佇む人影を見た。驚いたためかふっと力が抜けて、川の中に膝をついてしまい、その音に人影が振り返った。私は息もできない。白い衣を水が濡らしていく。人影は私の方に近寄って来た。そして私は見る。その赤い顔を。その高い鼻を。そう。私は天狗様の花嫁として、差し出されたのだ。私はそのまま気を失った。
目を覚ますと、私は薄い布の上に寝かされていた。やおら起き上がって見れば、枝を支柱に布を被せただけの住処。額に濡らされた布が乗せられていた事に気付く。天狗様が気遣ってくださったのだろうか。それとも喰われるか。私が考えを巡らせていると、布が持ち上がって、天狗様が入って来る。…大きい。随分と筋肉のついた上半身。背中の中程まで伸びた茶色の髪。恐怖を感じなかったと言えば嘘になる。だが、振り返った天狗様の瞳に吸い込まれて、動きが取れない。天狗様は優しく屈むと、何かを喋る。言葉が理解できない。天狗様は神の言葉を話されるのか。私は首を傾げた。それを見た天狗様は諦めたように微笑すると、私の額に軽く触れて再び寝かせた。そして冷たい布を額にのせる。優しい瞳。ああ、私は何て事を考えたのだろう。天狗様は人を喰らったりしないのだ。この方は、こんなにも私の事を気遣ってくれているのに。私は横になったまま、「天狗様」と呼んだ。天狗様が私の目を見る。私は笑ってもう一度呼んだ。これ以上の言葉は要らない。言葉の要らない愛。天狗様も笑って屈み込み、私に接吻する。私もぎこちなく応えた。そう。私はこの方を愛するのだ。私は天狗の花嫁なのだから。
《完》
誠にありがとうございます
字数を1000字以内にきって書いたものなので、窮屈でしたね…