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狼さまの花嫁  作者: 優莉
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ヘレンと仔狼とのんびり午後を過ごしていたしていたアンジュだったが、こちらに来る際に自分を見送ってくれた両親の顔が、不意にちらついた。


顔を蒼白させて今にも倒れてしまいそうな程心配してくれた父と、自分を不安にさせないように気丈に微笑んでいた母。

きっと二人とも、今も王城にいるアンジュの身を心配しているに違いない。


空になったカップにお茶を注ぐヘレンの邪魔をしてしまわないように、アンジュは彼女が仕事を終えると同時に名前を呼ぶ。

家にいる両親に手紙を送りたいことを伝えると、ヘレンは快く頷いてすぐに上に掛け合いにいった。


しばらくして紙とペンとインクを手にしたヘレンが帰ってくると、にっこりと微笑む。


「ロイド様がいらっしゃらないようでしたので直接お許しは得ていませんが…アンジュ様のなさることですもの、あの方なら賛成してくれますわ」

「…そうだったの?勝手にこんなことをして大丈夫かしら」

「ええ、きっと」


まるで本人の意見を聞いたかのように力強く頷くヘレンに、アンジュもようやく肩の力を抜く。

ロイドのことをよく知っているヘレンがそういうのなら大丈夫だろう。


すると、今までアンジュの膝の上で行儀よく座っていたはずの仔狼が、僅かに身じろぎ始めた。

退屈させてしまっただろうか。そのまま様子を見守っていると、紙に直接唾液が付かないように牙の先端で器用にくわえ、そっとアンジュの手元に差し出した。

仔狼の意外な一面に驚いていたアンジュだったが、嬉しそうに口元を綻ばせると、小さな頭をゆっくりと撫でるのであった。





日が暮れる直前、アンジュの膝の上で眠っていたはずの仔狼が目を覚ますと、身軽に床に降りて部屋を出ていってしまった。

そんな仔狼の姿を確認すると、今まで穏やかにお喋りを楽しんでいたはずのヘレンがこの時を待っていたとばかりに立ち上がる。


「さあアンジュ様、そろそろお時間ですわ」


そろそろとは、一体なんのことだろうか。

ヘレンの言わんとしていることをいまいち理解しきれていないアンジュが小さく首を傾げる。


「この後ロイド様に会われるのでしょう?綺麗に御粧しして、あの方を驚かせて差し上げましょう」

「…え?い、いいわ。それに御粧しなんて、わたしにはとても似合わないし…」


どこか消極的なアンジュの呟きに、形の良いヘレンの眉がぴくりと上がった。


「何をおっしゃるのですか。アンジュ様は十分魅力的な方ですよ、もっと自信をお持ちになってください」

「ヘレン…」


少しだけ叱るような口調の中には、アンジュを思っての優しさがあることに、アンジュは気がついている。

普段は自己を主張しないどころか、自身に対して少々否定的な傾向にあるアンジュ。

自意識が過剰になりすぎることも問題だけれど、その逆も良いとは思えない。このままでは、いつかロイドとは釣り合わないからと自ら身を引いてしまうのでは。

そう考えたヘレンは、この機会がアンジュに少しでも自信をつけてあげられるきっかけになれば良いと思っていた。


(…そうね。いつまでも自分なんか、なんて言っていてはだめよね)


同時にアンジュも、そんなヘレンたちの優しさに応えてあげられたらと思っている。


小さな一歩かもしれない。

けれど、確実に前に進んでいる。

自分が少しだけ変われるような、アンジュはそんな気持ちを抱いていた。







*****




入浴も済ませ、アンジュが支度を終えた頃には日はすっかり暮れてしまっていた。

もうそろそろ、昨夜ロイドがアンジュの部屋を訪れた時と同じ時刻になるだろう。

困ったような、どことなく落ち着かないような。様々な想いが入り混じり難しい表情を浮かべているアンジュにヘレンが気がつき、くすりと笑う。


「も、もう。笑わないで、ヘレン。これでも緊張しているのよ?」

「すみません、アンジュ様があまりにも可愛らしかったもので」


謝罪の言葉は述べるけれど、ヘレンの口元から笑みが消えることはなかった。



空が少しずつ夜の色を帯び、淡い光を放っていた月が厚い雲の隙間から姿を現し始めた頃だった。


こつこつと、昨夜と同じように扉が叩かれた音にアンジュの肩がびくりと跳ねる。

にっこりと笑みを深めてアンジュを見つめるヘレンの様子に、今度こそロイドが来たのだと悟る。

ぱっと顔を上げヘレンを見上げるアンジュの眼は、不安げに揺れていた。


けれどアンジュの不安は、決してロイド自身に向けられているものでは無い。

その理由を知っているヘレンは、アンジュに向き合うと、小さな子どもに言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いだ。


「大丈夫です、アンジュ様。よくお似合いですよ」

「…ほ、本当に?」

「ええ、本当です。けれどいつまでもそんな顔をされていては、ロイド様がご心配なされますわ」


だから笑って下さいと微笑むヘレンの言葉に勇気付けられたように笑うアンジュに、ヘレンが満足げに頷く。



「…アンジュ、そろそろいいか?」


扉の向こうから、待ちぼうけにされていたロイドの声が響いた。

その声に慌てて立ち上がったアンジュが勢いよく返事をすると、さっと改めて自分の身なりを確かめた。


髪の乱れはない、ドレスのほつれもない。化粧から何からヘレンに手伝ってもらったので問題はないはずなのだが、こういった恰好は滅多にしない為やはり不安だった。

けれど先程のヘレンの言葉が、アンジュの小さな背中を押す。


すうと数回深く呼吸を繰り返すと、アンジュはようやくその扉を開き、ロイドを部屋に招き入れた。


「…お、お待たせしてすみませんでした」


恐る恐る呟くアンジュを安心させる為、気にしていないと笑おうとしたロイドの目に、ようやくアンジュの姿が映った。


うっすらとなされた化粧、後頭部には薔薇の模様の描かれた銀製の髪留めが止めてあり、栗色の長い髪がゆったりと背中に流されている。

薄黄色のドレスの裾や胸元にはレースなどの装飾が施されており、僅かに開いた胸元で桃色の宝石が控えめに輝いていた。


昨晩見た時と明らかに違う彼女の姿に、ロイドの目が驚きに見開かれる。


お互い黙ったまま言葉を発しようとしないアンジュとロイドは、いつの間にか部屋から出ていったヘレンの存在に気づいていない。

その扉の向こうでヘレンは、アンジュの姿を見るなりすっかり固まってしまったロイドの姿を思い出し、小さくほくそ笑むのだった。





「……あ、あの…」

「…………」



ロイドがアンジュの部屋を訪れてから、数分がたっていた。


長く続く沈黙に耐え切れないとばかりにロイドに尋ねたアンジュだったが、その返答が返ってくることはない。

やはり、似合っていなかったのだろうか。この華美な恰好は、自分には不釣り合いだったのだ。


(…それも、そうよね)


似合うと言ってくれたヘレンを疑う気持ちはなかったが、難しそうに顔をしかめるロイドを見て、アンジュがそっと息をつく。

いくら貴族の出といえども、こんなに着飾った恰好などしたことがない。

今の自分はロイドからしたら、服に着られているようにしか見えないだろう。


何を期待していたのだろう、と思う。


ロイドのことが知りたくて、一歩を踏み出してみた。

自分なりに、勇気を出した結果だった。


それがどうだろう。

目の前のロイドは言葉を掛けるどころか、すっかり身を固くしてしまって。

一人舞い上がり浮かれていた自分を恥じると、いよいよアンジュの目に涙が浮かび上がってきた。



「…ごめん、なさい…」



アンジュの力無い呟きにようやく我に帰ったロイドがその涙を見ると、今度こそぎょっとした。


(なんだ、何故泣く?何故謝るんだ?)


今にも泣き出してしまいそうなアンジュの理由が分からず、ロイドは混乱するばかりだった。

けれど混乱する考えの中で、部屋に入ってから自分がまだアンジュに何も言葉を掛けていないことを思い出す。

そこで、彼女が勘違いをしていることにようやく気がついた。



「いや、違う。違うんだ、アンジュ」

「……?」


何が違うのだと、予想通りアンジュの瞳が訴える。

その悲しそうな表情に、胸が痛んだ。


違う、そんな顔をさせたいわけではないのだ。


なんて言葉を掛けたらいいのだろう、ロイドは考えに詰まったように頭を掻いたが、やがて諦めたようにそっと息をついた。


「…よく、似合っている。本当に」


かなりの時間を要した割に出てきた言葉はこれかと、ロイドは自分に嫌気がさした。

女性への対応に多少は慣れていようとも、アンジュ相手にそれは全く意味をなさないのだ。

なんて情けないのだろうといたたまれない気持ちになって、思わずアンジュから目を逸らす。


「…すまない。こういった時、気の利いた言葉の一つでも掛けてやれたら良いんだが」


ロイドの言葉に、今まで彼から目を逸らしていたアンジュが恐る恐る顔を上げた。

ロイドのその表情が、嘘をついているようには見えない。

先程まで不安で凍りついていた心が、少しずつ溶けていくのを感じる。


「…本当に?変じゃないですか…?」

「…ああ、似合っている。綺麗だ」


気がついたら、そう尋ねていた。


もう一度繰り返されるロイドの言葉に、アンジュがほっと息をつく。

ありふれた言葉ではあるけれど、その不器用さな優しさがアンジュには心地よかった。

思えば難しそうな表情をしていたのも、もしかしたら今のように言葉を探してくれていたからなのかもしれない。

もしそうだとしたら、とても嬉しい。

そんな思いを抱きながら見上げたアンジュだったが、再び黙り込んでしまったロイドに現れた変化に気がつくと、しばらく驚いたように見つめていた。


「あの、陛下…」

「…あまり見ないでやってくれ」


頬にうっすらと差した朱に、極めつけはアンジュの言葉を遮るようなロイドの一言。

それだけで、今のアンジュには十分だった。


また一つ見ることのできたロイドの新しい一面に、アンジュは今度こそ嬉しそうに微笑むのだった。






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