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09:「あなたはそれを教えてくれるの?」

ヒロイン視点の話です

「……ふう」

 溜め息をついて、ミリエはソファに腰を下ろした。

 時間は既に夜9時を回っている。今日は、ただ両親や弟妹に顔を見せるだけのつもりだったのに。

 昼までには済まそうと宿を出たが、あいにく母ともうすぐ嫁ぐ妹は、花嫁修行のマナー講師だか誰だかに挨拶に出かけたとかで行き違いになってしまった。それでも父と弟には会えたし、初めて会う年下の兄嫁とも話ができたし、一応は目的を果たしたので、さあ帰ろうと思っていた矢先、なぜか兄嫁のドレス選びに付き合わされ、それが終われば帰ってきた母と妹、さらに職場から帰宅した兄とともに、数年ぶりに家族揃って夕食を共にし、もう遅いから泊まれと、かつての自室に案内され…

「……つかれた……」

 呟いて、ミリエは部屋の隅、衣紋かけに掛けられた仮仕立て済みのドレスを見やる。

 それがここにある理由はわかる。買ったからだ。だが、なぜ買ってしまったのだろう?

 衝動買いに対する後悔は別にしても、ミリエは自分がドレスを買ってしまった理由がよくわからない。

 育ちの良さゆえ、元々物欲が乏しかったところに、修道院で5年間も清貧の日々を送った身である。高価なドレスに価値を見いだす感覚は失ったと思っていたが。


 それは、暗い緋色と明るい紅色が、まるで波打つ水面の揺らめくように重なり合い見え隠れし、裾には銀糸で縁取られた様々な色の花々が刺繍された、しかし色の割には派手さは感じられず落ち着いた、寒色を好む彼女にも好ましく感じられるドレスだった。

 見れば見るほど手の込んだ逸品だ。いったい値段はいかほどなのだろう。兄嫁も、後から様子を見に来た父までもが、それにしろと言うので決めてしまったが、考えたらまた溜め息が出た。


 出家していたので、現在彼女自身が自由にできる資産はほとんど無い。確かに山は下りたが、還俗の手続きだってまだ終わっていないのだ。

 幸いなことに、スカヤ修道院から王都の養護院へ紹介状を書いて貰っていたので、とりあえずそこで働くつもりでいた。手持ちの金は仕事に慣れるまでの生活費で、無駄には使えない。

 だから、妹の結婚式には母のドレスを借りるつもりだったのに。

 ……なるべくなら、金銭面で実家の世話にはなりたくなかった。


 働いて、ある程度貯蓄ができたら、どこか別の街の治療院にでも勤めながら静かに暮らしたいと、何となく考えていた。王都には家族が居るし、居づらいと思ったからだ。

 それに、ここには…あの人もいる。

 ゲルンドル・ドン・レギオ侯爵。既に王族籍を離れ臣下に降ったとはいえ、彼は王都に拠点を構える。ここにいれば、また彼に目を付けられぬとも限らない。

 だから実家に…父に、これ以上の借りは作りたくなかったのだ。王党派に属する父は、王太子の右腕とも目されるゲルンドル侯爵に請われれば断らないだろう。


 ……いや、もしかしたら自分は…それも覚悟の上だった、のかもしれない。


 父からの手紙が届いたとき、なんとなく予感はしていたから。

 父が、家族の皆が…それを望むのなら。

 私は今度こそ、第二王子のものになるのかもしれない。

 きっと『報い』だろう。この《ちから》を持って生まれてきたことの。


(……それが私の《運命》なのか…)


 家族の中で、いや、バンレッシィ家という貴族としてもけして低くはない地位にある家庭環境の中でも、どう足掻いてもミリエは異端だった。

 物心つく前から不可思議なビジョンを見ていた。今ならわかるが、それは当時彼女の周囲にいた人々の記憶やら何やらを、無節操に感知してしまった映像だったのだと思う。いずれにせよ、かなり大きくなるまで彼女は、それらビジョンと現実との区別がつかず、そのせいでひどく気味悪がられたし、知能の発達が遅れているのではと疑われたそうだ。

 成長するにつれ、無節操に他人の思考を読み取ってしまうことは減ったが、代わりに別のビジョンが増えた。

 例えば、掃除夫として長年仕えていた老人の背に、ある時から湿っぽくて厭な感じのする影がへばり付いていたかと思ったら、数日後に彼が急な病で倒れ帰らぬ人になったりだとか。例えば、婚約者と二人遠乗りに出かけようとする姉の背に、あの厭な影を見つけてしまい、行かせたくなくて泣きわめき癇癪すらも起こして引き止めたら、その日二人が行こうとしていた渓谷に至る道で崖崩れが起こっていただとか。

 それはとても曖昧なビジョンだった。

 厭なものは、見える時もあれば見えない時もあった。あるいはもっと具体的なものが浮かぶこともあった。幸せなものもあれば悲しいものもあった。過去を見たかと思えば現在起こっている光景が見え、そうなるであろう未来も見えた。

 いずれにせよ、当時のミリエはそれを制御できなかった。

 見たくて見ていたんじゃないのに。

 見たくなんて、なかったのに。

 誰かが……『大切な人』が、不幸になる未来なんて。


 ……そして、気がつけば「魔女」と噂されるようになっていた。


 そんなミリエを、見捨てるわけにもいかなかった家族は、6年前決断した。父は家名とミリエ自身を守るため、彼女を出家させた。兄はスカヤ山まで見送ってくれた。姉は泣きながらごめんねと謝ってくれた。

 それだけで、十分だと思ったはず。


 だが、ミリエは戻ってきた。


 自分でもはっきりとはわからないでいる。

 何のために戻った。家族に会いたかった。会ってどうする。認めてほしかった。何を。わたしを。だってわたしは……

 気味が悪いと避けられた。不吉なことを言うなと嫌われた。興味深いと好奇の目で見られた。

 好いてほしかった。嫌われたくなかった。利用されたくなかった。


 ……それでも。

 やり残したことが、たくさん、あるような気がして。


 なぜ自分は、こんな能力を持って生まれたのだろう。

 ずっとそう思っていた。

 修道院に入り修養を積む中で聞き知ったのは、ミリエの持つ《ちから》は、おそらく突然変異的なものだろうということだった。確かに、彼女の知る限りバンレッシィの家系に千里眼はいなかった。もちろん、紫の瞳を持つ者も。

 ――貴女がその《ちから》を持っていたことも、天の下された《運命》ですよ。

 彼女を導いた修道院長はそう言った。優しげな微笑みを浮かべて、けれど現実を突き付けてくれた。

 ――怒っても、泣いても、忘れたふりをしても、まして誰かや何かを呪ったところで、貴女の《ちから》が消えることはない。認めなさい。《運命》とはそうしたもの。認めなさい。そして、それをうまく利用してやりなさい。

 スカヤを下りるときにも、修道院長は言ってくれたのだった。

 ――山を下りると決意したのなら、それが貴女の《運命》なのでしょう。


「……私の…運命……」

 ぽつりとミリエは呟いた。運命。運命とは何だろう。

 一人でつましく静かに生きるのか。レギオのものになるのか。それとも他の何かと出会うのだろうか。

 ミリエには自分のことがわからない。予見者には、自らのことは見ることができない者が多いのだそうだ。いや、何も予見者でなくとも、自分のことなどわからないのが当たり前だろう。


 やり残したことが…悔いがあった。

 でも、どうすればそれをなくせるのかは、今の彼女にはわからない。

 それに。

 まだ見ぬ誰かに会いたい気がする。

 ……今の自分には予想もつかない、見たことも聞いたこともない可能性に、賭けてみたい気がする。


 何とはなしに、ミリエはドレスを見つめている。それはとても艶やかで美しかった。

 紅いドレスなど、彼女は今まで一度も着たことがない。派手すぎて自分には似合わないだろうと思っていたから。なのに買わされてしまった。なぜだろう?

 一度も着たことがなかった色。

 全然興味がなかった高価なドレス。


 ――この深緋を出すために、いったい何度染め重ねるか、ご存じですか?

 ――まだ初春の、それはそれは寒い日に、冷たい染液に漬け、染めて媒染し、さらに冷たい川に晒して洗います。それを繰り返すんです。何回も何十回も、時には何百回も。

 ――染め職人たちの手は、あかぎれでひび割れて真っ赤になります。染料の紅と、流血の紅です。

 ――ああ、もちろん『製品』に血垢など付けませんよ。汚れるのは彼らの手だけです。……それが彼らの仕事です。

 ――その仕事の先に、あなたが今お手に取っていらっしゃる、その美しい深緋が完成します。もちろんそこで終わりではない。今度は型を作り、切り、縫い合わせ…様々な工程を経て、それは美しく仕上がります。

 ――そして最期の仕上げは。

 ――ミリエ様、貴女のように美しい方を、さらに美しく彩るために、そのドレスは作られたのです。

 ――貴女に着ていただくために…貴女のために、それはここに来たのです。何十何百という人々の、血や汗や泥や埃や垢や…いろんなもので汚れた手を経て。


 そう言われて思わず、手に持った真紅に目線を落とした刹那。

 ミリエには『見えた』


 例えば、まだ薄紅の反物を川に晒す職人の男や女たち。

 染料を値切る親方と応じない染料屋。

 反物を買い付けに来た仲買人。

 反物やら何やらを山ほど詰んで街道を急ぐ隊商の馬車。

 そこに降る雨。

 全身ずぶ濡れになって荷を守ろうと慌てふためく商人たち。

 反物を切る鋏とそれを持つ針子の手。

 色鮮やかなたくさんの糸。

 自分の指示に従わない針子に苛立っているデザイナーの男。


 彼に言われなければ、わざわざ『見よう』とは思わなかっただろう。


「……面白い、ひと、だったわ…」

 うまいこと彼女を言いくるめてドレスを買わせてしまった、あのオレンジ髪の青年。

 だが彼に教えられたこともある。ドレス一つ作るのにそんなに大勢の人が関わっているなんて知らなかった。いや、知識はあった。だが実感がなかったのだ。

 彼の話に感心したのと、自分の無知が恥ずかしかったこともあり、言われる言葉をただ素直に聞いていたら…気がつけば、コレだ。

「……フフ…本当に……変なの…」

 とうとうミリエは微苦笑してしまった。

 あの売り子の青年。

 初めて彼を見た時、なぜだろうか、何かが気になったのだった。それが何なのかわからなくて余計に気になって、思わず観察してしまった。結果がこれである。


 ミリエには、他者の思考を感知する能力がある。それは魔術とは全く別の力であって、今だ解明されない世界の神秘の一つとされているが、とにかく他人の考えていることや、その人物が見聞きしたであろう事物が見えたり聞こえたりする。

 だが、スカヤ山で修業したおかげで、かなりその能力を制御できるようになった。人の思考は、よほどのこと(激しい恐怖や強烈な憎悪など)か、あるいは相手が幼い子供でもないかぎり、今のミリエには読めない。

 ちなみになぜ子供の心は読めてしまうかというと、子供はその多くが、未だ心を鎧で覆い隠すことを知らないからだ。

 人は大人になると、自分の心を覆い隠そうとするようになる。だから、隠す意志がある人物の心は読まないよう、ミリエは訓練を詰んだ。しかしそれは、例えば幼い子供のように隠す意志がなければ、聞こえてしまうという事でもある。


 あの時。

 兄嫁に呼ばれ渋々出向いた部屋で、買う気もない高価なドレスと売る気満々の販売員を前に、どう逃げようか思案していた。するとかすかに『聞こえた』のだ。

 甘いものがどうとか可愛いとか言っていたから、てっきり幼い子供でもいるのかと思ったのだが、そういえば今この屋敷には幼い子供などいないと思い出し(一番年下の弟ですら既に12才で、声もほとんど『聞こえなく』なっていて、少し寂しく感じたものだ)一体誰だろうと振り向いた先にいたのが、あの売り子の青年だった。

 正直にいえば、驚いた。

 青年は、おそらく自分と同じくらいの歳だと思われたが、その年齢で『聞こえて』しまう人に会ったのは、山を下りてから初めてだった。物珍しさに、まじまじと見つめてしまったら、彼の短期記憶の中に見知った顔がいたので、ますますびっくりして、ついその知人の名を呟いてしまった。

 だが、さらに驚いたことに青年は、ミリエが彼の記憶や思考をのぞき見たのだと気づいても、嫌悪であるとか否定的な感情を抱かなかった。

 そればかりか、妙に彼女のことが気に入ったらしく、やたらと彼女を「可愛い」と褒めちぎっていて、恥ずかしかった。


(可愛い、なんて他人に言われたのは…何年ぶりだろう…)


 まだ能力を制御できるようになる前。

 実家にいた頃、会う人々が自分に向ける賞賛やら誹謗中傷やらあからさまな欲望やら、様々な『言葉』を聞き慣れていたミリエではあったが、彼女について「美しい」とか「綺麗」とか、あるいは「恐ろしい」と評する声はあっても、「可愛い」などという評価は、家族以外では本当に幼い頃しか聞かなかったものだが。

 きっと、子供みたいに無邪気な人なのだ。

 やたらと褒められるのが照れくさいと同時になんだか面白くて、もう少し彼と話してみたくなった。それに、最初に彼女の応対をしていた初老の販売員より、逃げやすそうにも見えたから。


 だが、ミリエがドレスに興味がない旨の発言をした途端に。

 青年の雰囲気が変わった。

 彼は、彼女の何かに怒って、それからとても悔しそうに…悲しそうに呟いた。

 『知らないの?』かと。


 ――何を?


 自分は未熟な人間だ。ミリエはそれを知っていた。けれど、具体的にどこが未熟なのかまでは、はっきりとは知らない。自分のことは見えないから。

 ……私は何を知らないのだろう?

 あなたはそれを教えてくれるの?


 『知らないなら教えてあげる』


 ……彼は、確かにそう『言った』


 そして今、ミリエの目の前には、染めるのに非常に手間がかかるがそれゆえ深く美しい緋色を現す稀少なドレスがある。


 美しいものを『美しい』と感じることを、彼に教わった、気がする。

 あまりにも高い授業料ではあったが。

 きっとこれも報いだ。自分が無知であると気づけなかったことに対しての。

 そう考えれば、いきなり父に借金を負ってしまったことも、まあ仕方がないと納得できる気がした。

「……フフ……可笑しい」

 ミリエは微苦笑する。

 何年ぶりだろうか、こんなに楽しい気分になったのは。


 そもそも声を上げて笑ったこと自体が数年ぶりだったのだが、あいにく部屋に一人きりだったので、その笑みは、本人はもちろん誰にも気付かれることなく、闇に溶けて消えていった。

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