07:バンレッシィ・ミリエ
バンレッシィ家のお屋敷は、今まで俺が見てきた貴族の屋敷の中じゃ、そこそこの規模だった。
う~ん、なんていうか…普通?っていうと変かもしれないけど…上流階級としては普通だな。敷地の面積も、お隣のカロッゾ侯爵んちとたぶん同じくらいだし、門構えも、やっぱり御近所みんなよく似た北守式だし。
……俺も、慣れてきたもんだよな~。
一年くらい前までは、こんな豪邸に足を踏み入れること自体がなんかもう怖かったんだけど。御用聞きに連れてってもらうようになったら一ヶ月で慣れた。環境適応能力が高いのも、数多い俺の長所の一つだぜ。
ていうか、まあバンレッシィ家も確かに立派だけど…実は俺、もっとすげえ屋敷にも入ったことあるから、あんまビビらずに済んでるっていうか。
いや運よく、宰相ゴルディーン公の中屋敷に連れてってもらえてさ。あそこはヤバかったぜ…これが本物の大豪邸か!ってビビりまくった。あれで中屋敷だっていうんだから上屋敷とかどうなってるの…ていうか宰相んちでアレなら王宮とかどんな魔窟なの…ヤダ怖い想像したくない…
とまあそんなわけだから、バンレッシィさんちとか、上屋敷でこの規模ならまあ普通だよねっていうか。
いや敷地内に屋敷が大小あわせて13棟とかなぜか馬10頭も飼ってるとか使用人だけでも100人以上いて私兵は常時30人詰めてるとかそういうんじゃなくてよかったわ良心的な豪邸で…
バンレッシィ家の使用人に馬車の荷物を運び出してもらい、俺も包みを一抱え持って彼等に続いた。クスト班長とニニア女史は執事らしき壮年の男性と打ち合わせ中だ。まあ下っ端は荷運びが妥当だよな。
「ねえアサラ屋さん、すごいグッドタイミングだったよ!今ミリエお嬢様が戻ってきてるんだってさ」
と前を行く使用人の青年が言った。おっ、やっぱりミリエ嬢いるのか。ラッキー!
「ミリエお嬢様というと…」
俺は何も知らないふりをして話を促した。
「お館様の二番目のお嬢様さ。…あまり詳しくは言えないんだけど、しばらく遠くにお住まいだったのが、戻ってらしたんだ。しかも今朝!」
おおお。やっぱり昨日の今日で実家に戻ってきたのか。我ながらマジ素晴らしい空気の読みっぷりだったな。いや、ここに来るって決めたの俺じゃないけど。
「ミリエお嬢様は、いろいろ事情があって、末のチェリエお嬢様の結婚式に着ていくお召し物がなくてお困りなんだ。今日は、いいものが見つかるといいな」
「それはもう、必ず御期待にお応えいたしますよ!」
「そりゃ頼もしい!」
とか適当に話しながら、俺は予め班長から指示を受けていた商品を取り出し、種類ごとに並べていった。
商品を置いた控えの部屋の出入口付近に待機して、俺は班長や女史が若奥様と交わす会話に耳を澄ませていた。
「このまえシシィ夫人の晩餐会にいったら、夫人が、それはもう素敵なピンクのドレスをお召しでね、ああいうのないかしら?」
「ピンクの…今流行りの、紗を重ねたスカートのものでしょうか?」
「そう!あ~でも同じ色じゃつまんないわよねえ…赤とかある?」
と若奥様が言い終える前には、該当しそうな商品を選んで、控えにやってきた女史に手渡すわけだ。
今日は、女史もいるからこういう役回りだけど、ノウェスナ先輩と二人で御用聞きに出るときは俺も接客するよ。例えば、先輩が融通の聞かない販売員って役で、俺はちょっとユルくて話がわかりそうな販売員の役とか。「定価ですから下げられません」「そこをなんとか」「まあまあ先輩こんなにおっしゃるのですから少しくらい」「やれやれ仕方ない少しだけですよ」みたいな感じの小芝居で意外と釣れるんだよね。……ああいや、普段は普通の接客してるよ?小芝居打つのはホラ、すんごい優柔不断な客で、いい加減はよ決めろやゴルァ!!とか思った時だけだよ?
「……あ~んもう!イロイロありすぎて悩んじゃう!こういう時に限ってお義母様はお出かけだし、旦那様はお仕事だし…お義父様にお聞きするわけにも……あら、そういえばミリエ様は?どうなさったの?」
と若奥様がおそらく侍女に尋ねる声が聞こえた。販売が始まっても彼女がそこにいないことがずっと気になってたので、俺もほっと息をつく。やっとか…
「ミリエ様は、大奥様の古いドレスで構わないからとご遠慮なさいまして…」
おそらく侍女のくぐもった声が聞こえて、俺は気色ばんだ。何ですと!?…いけません、いけませんよ!うら若く美しい女性がそんな時代遅れのドレスなんて!いや時代を超えた定番品の良さってのもありますけどね!
という俺の心の声が聞こえたかのように、若奥様も小さく叫んだ。
「まあ!ダメよそんなの!そりゃお義母様のドレスだからモノは良いでしょうけど…ミリエ様はまだお若いし、それにあんなにお美しい方なのに、もったいない!」
おお若奥様…えっと名前なんだっけ…アイラじゃなくて…そうだアンネ様だ!ありがとうアンネ様!あんた噂通り良いお客様だな!
「すぐミリエ様をここへお連れして!…そういえば、すっかり忘れてたけど、ミリエ様のドレスの件は旦那様からもお願いされてたんだったわ。あらいけない私ったら」
うぉい!忘れてたのかよ!?あらいけないで済ますなよあとで旦那に怒られてたぞ絶対!思い出してよかったな!?
そういえばこの若奥様、昨年嫁いできたばかりでまだ10代だったはず。どうりで若い娘らしく言動が軽やかだ。軽すぎる気もしないでもないけど。
まあそれはいいや。よっしゃ!彼女にまた会える!
お話くらいはできるかな~無理かな~班長も女史もいるしな~無理っぽいよな~チクショウ!!下っ端のこの身が憎い!!
ああ…わかってたさ…今日は班長もいるし俺の出番などあるはずもないということは…でもあるいはひょっとしてとか夢見るぐらいはいいじゃない!
それでも、せめて姿くらいは目に納めときたいなと思ったので、俺は控えの間の扉からそぉ~っと顔を出した。
すると、室内に控えている侍女の一人が気付いて、咎めるように見てくる。すかさず俺はウインクし、お願い!の意味で小さく片手を振った。すると、きっと俺みたいな見物人根性丸出しの奴に慣れてるんだろう、こっそり苦笑して、静かにしてよ!みたいに口に人差し指をあてた。
あ~よかった、話のわかる人で…縁があったらなんかお礼しよう。
まず目に入ってきたのは大きな姿見。その中に映っている上品な身なりの栗毛の若い女が若奥様、バンレッシィ・アンネ様だろう。その隣にはニニア女史が営業スマイルを浮かべて立ち、生地を若奥様の胸元にあて何やらアドバイス?してるっぽい。えっと、クスト班長は…姿見から下がった場所で年配の侍女と話してるな。ああ、侍女服の件かな?相手の人なんとなく侍女頭っぽいし。
だいたい状況を把握した時、部屋の入口のドアがノックされた。ミリエお嬢様をお連れしました、という声が聞こえる。
扉が開き、背の高い侍女の背後から静かに現れたのは、昨日傭兵ギルドで見た、あの彼女だった。
一歩、また一歩。歩くごとに黒髪がさらさらふわふわ揺れる。おおお黒髪…イイ!!良いよ黒髪!!
今日は結ってなくて、そのまま背中に流れてるけど、すごく良いねえ…あっ顔上げた!おおっ確かに瞳が紫だ…うひょ~…これは…なんていうか……かわいいなあ…
……皆がみんな美人とか神秘的とか言うからキレイ系だと思ってたけど…うん、確かに綺麗な人だけど…綺麗すぎて、なんか…お人形さんみたいで…かわいいな。
改めて見た彼女の顔立ちは、確かに、滅多にお目にかかれないほど整っていた。
俺が今まで会った女の子の中で一番美人だと思うのは芸妓の某Aちゃんだけど、Aちゃんは常に完全武装(化粧・カツラ・衣装その他)してたからな…普段着と薄化粧でこの美女っぷりは…なかなかいないぜ…
彼女は、予想通り町娘みたいな質素な服装だった。グレーのワンピースの上に桃色のショールを羽織っている。この上に旅装のマントがあれば昨日とほぼ同じ格好になるな。
だがしかし…それなりに似合ってはいる。ていうか何着てもかわいい。
薄紫の視線はけぶるように下げられ、イマイチどこを見てるのかわからない。昨日も遠目に見た、すんなりした鼻筋。そして薄い唇は固く閉じられている。見るからに無表情だった。いやしかし…無表情でもかわいいな…笑ったらもっとかわいいだろ~な…
「ミリエ様!さあ選んでくださいませ!せっかくアサラ屋さんが良いドレスをたくさん持ってきてくれたんですもの」
「アンネ様…私は、お母様の若い頃のドレスでいいと」
若奥様の言葉に、薄い唇が開き、少女のような細い声が漏れ出した。
彼女、容姿は間違いなく成人した女性なんだが、俺にはなんとなく少女みたいに思えるので、イメージ通りの声だ。つまり何が言いたいかというと、声もかわいい。
「いけませんわ。ミリエ様のドレスを選んでおくようにと、レイド様からも頼まれてるんです。ミリエ様がドレスをお決めになってくださらないと、私が怒られちゃいますわ」
「お兄様が…そう…わかりました…」
ふ、と溜め息をついて彼女は目を伏せる。諦めたような態度も子供っぽくてかわいい。その側では若奥様が、にんまり笑みを浮かべていた。まだ10代らしいけど、若頭領の奥方としては十分な裁量だな。
まあ確かに、出家してたとはいえバンレッシィ家のご令嬢が、お下がりドレスで結婚式に出るってのも、なんとなくみっともない話だし。うん、その判断は正解ですよ若奥様!俺ら的にも大正解です!
とここで、さりげなく…時代劇に出てくるシノビの者みたいに存在感を薄め、静かに、クスト班長が…動いた。
「何か御希望の色などはございますか?」
見れば、さっきまで班長と話していた侍女頭っぽい年配の侍女は、今まさにお辞儀をして部屋を辞すところだった。いつのまに話を付けたんだ…はええ…
「ありません…最近のドレスはよくわからないので、適当に選んでいただけますか?」
「では僭越ながら、ミリエ様のお召し物は、わたくしクスト・ジェファーゾがお見立て致しましょう」
ピシリと背筋を伸ばし、流行の、しかし落ち着いた色の上品なスーツに身を包んだクスト班長が優雅に微笑する。俺は思わずゴクッと唾を飲んだ。始まるぜ…班長の狩りが…!
ああっミリエ嬢!ゴメンね俺が担当だったら良かったのにありとあらゆる意味で!気をしっかり持って!そのロマンスグレーっぽいおじ様マジで容赦無く食いちぎりにくる肉食獣だから!