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捨てられ貴族と山暮らしの少年  作者: 花鶏
§ 別れの日 §
20/24

獣傷


 カイルとラタは友達になった。


 かと言って、何かが変わったわけでもない。

 ラタは相変わらず素っ気ないし、カイルが山を降りる日は刻々と近づいている。

 気温が高くなってきても、ラタはずっと長袖を捲ることもなかった。


 ある日の夕方。

 小屋に戻ったラタの足取りが僅かに重いことにカイルは気づいた。


 いつになく背負子を乱暴に下ろす。


 カイルは野苺のペーストをかき混ぜていた手を止める。


「……どうした?」

「別に」


 ラタは即答したが、こちらを向こうともしない。

 よく見ると麻布の脇腹が黒く濡れている。


「それ、血じゃないのか!? 怪我したのか」


 駆け寄って裾をめくると、肋の下に三本、浅く裂けた跡が走っていた。

 なにかの爪痕だ。

 ラタはカイルの手を振り払って傷を隠した。


「たいした傷じゃない」


 確かに傷自体は深くない。

 だが野生の獣傷は、運が悪いと傷が膿んで腐りだす。


「洗ってきた。ほっとけば治る」

「だめだって! ほら、せっかく作った軟膏があるんだから」


 伸ばした手を振り払われる。


 ラタは寝台をちらりと見てから、いつも自分がくるまっている床の毛皮を掴んで出ていこうとする。


「ラタ!」


 思わず腕を掴んでしまい、さっきより強い力で振り払われる。


 黒曜石のような黒い瞳の奥に剥き出しの怒りが見え、カイルはそれ以上手を出すのをやめた。


「……分かった、ごめん。触られたくないんだな」


 手負いの獣にするように、とにかく刺激しないよう、ゆっくり話しかける。


「ひとりで休みたいよな。

 傷に軟膏塗って、寝台で寝て。

 それだけ約束してくれたら、俺が作業場に行く」


 ラタが眉を顰める。


「……金持ちが、外でなんか、寝れるのか」

「今日は寒くないから寝れる」


 ラタはカイルを見据えたまま、警戒するように傷を押さえている。

 じりじりと後退るラタに、カイルは言い募る。


「いいか、ラタ。逃げたら、俺はお前を一晩中追いかけて撫で回すぞ」


 ラタはもの凄く嫌そうな顔でぎゅうっと眉を寄せた。


 カイルは出来るだけ優しく、しかし強い声で言った。


「ラタ。頼むから。軟膏を塗って、寝台で寝ろ」

「……分かった……」


 カイルは昨日の残りの鍋と燕麦の袋を抱えて、ラタとの距離をとりながら扉へ移動する。


「後で粥だけ持ってくるよ」


 途中に置いてあった背負子から勝手に野草を拝借して小屋から出た。


 まだ陽の沈みきらない中を、風下の作業場へ向かう。


 ラタはおそらくカイルがいると気が休まらないのだろう。

 ひとりにするのは心配だが仕方がない。


 作業場で慣れない手つきで火を熾し、粥を作る。

 それを小屋に持っていった時には、ラタは寝台で丸まって眠っていた。

 カイルはラタの毛皮を借りて作業場に戻り、麻袋や皮を集めてその上で寝た。



 翌朝、節々の痛む身体を伸ばしながら小屋に戻る。

 ラタは昨日と同じ姿で眠っていた。

 すぐそばの床に水差しと薬草が置かれている。


 鍋の粥がなくなっていることに安心して、そっと寝台を覗き込む。


 ラタの呼吸は短く、浅い。


 額に玉のような汗が吹き出している。

 起こさないようにそっと額に触れると、内側からじっとりと熱を持っていた。


 獣に傷をつけられて熱が出る。

 これは良くない症状だ。


 焦る気持ちを抑えて薬草茶を煎じる。


 昨夜、ひとりにするべきではなかっただろうか。


(いや、昨日はきっと、ラタがゆっくり休めるのが一番大事だった)


 深呼吸して状況を整理する。

 薪はまだある。

 食糧も少しは余裕がある。

 とりあえず水だ。


 三度往復して湧水を汲む間に記憶を漁る。

 昔読んだ旅行記に似た状況があり、こういう時の看病について書いてあった。


(思い出せ。思い出せ)


 傷口を清め、軟膏を塗り、布で覆う。

 汗を拭き、意識が戻るたびに水を飲ませる。

 食べられそうなら粥を食べさせる。

 ひたすらそれを繰り返す。


 初めは嫌な顔をしていたラタは、途中から大人しく身を任せるようになった。


 丸一日そうやって過ごして、夜明け前、ようやくラタの熱が少し引いてきた。


 獣傷の熱は三、四日続くはずだ。

 ひとりにするのは心配だが、明日は食糧を探しに行った方がいい。

 罠の確認もしてみなければ。


(何かかかってたとして、俺に捌けるのかな……)


 浅い呼吸も少し落ち着き、そのままラタが眠ったのを確認して、カイルも寝台に突っ伏して意識を失った。



 明るい陽射しに跳ね起きる。

 いつの間にか太陽が高く昇っている。


 寝台にラタの姿がない。


 一瞬血の気が引いたが、外から薪を割る音が聞こえる。

 慌てて小屋の裏手に回る。


「ラタ! 何してんだお前!?」

「薪割り」

「それは見りゃ分かる! ちゃんと寝てろ!」

「もう治った」


 少し息は上がっているが、振り向いた顔は無理をしているようには見えなかった。


 額に触れてみるともう熱もない。

 触られることを嫌がる様子もない。


「……早くないか?

 普通は、治るにしても、まだ三、四日寝てるもんだよ。

 ……あんな熱が出たら、治らないこともある」


 山の民は町の人間より丈夫なのだろうか。それとも――


「……もしかして鱗持ちって、人より丈夫なのか?」


 そんな疑問がするりと口をついてでてくる。

 しまったと口を塞いだが、ラタはいつものように淡々と答える。


「たぶん」

「そうか……ほんとに、もう大丈夫なのか?」

「ん」


 端的な返事。

 いつものラタだ。


 安堵で急に身体から力が抜ける。


 しゃがみ込みながらカイルは大きく息を吐いた。


「……死んだりしなくて、良かった」

「うん。水とかくれたから、いつもより早く治った気がする」

「……うん」


 死んだりしなくて、良かった。


 それがラタが鱗持ちだったおかげだというなら、――カイルは少しだけ、そのことに感謝した。



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