緑のシェルター
しばらく森を進んで少し開けた場所に出る。
木の幹に寄りかかるように座らされる。
足が痛くて頭ががんがんする。
とんでもなく長い時間歩かされたように感じたのに、太陽の位置は殆ど動いていなかった。
少年はカイルの届かない場所に荷物を置き、森へ入っては戻って来て、手慣れた様子で木の枝を切ったり蔦を集めたりしている。
そのついでといった風に、カイルのそばに少しずつ草を置いていく。
枝や蔦が山になった頃、少年はカイルのそばに来て屈んだ。草を一枚摘んでカイルの口元に翳す。
「食べないのか」
「あ、……え、これ、食べ物?」
カイルがきょとんと匂いの強い草を見つめると、少年はそれを自分の口に放り込み、しゃくしゃくと小気味よい音を立てながら食べてしまった。
ポケットに手を突っ込み、カイルに何かを差し出す。
その手のひらには、ひと握りの小さな赤い実が乗っていた。
これは分かる。
カイルの知っているものに比べて小さく赤みも薄いが、野苺だ。
食べ物だ、と思った途端に急激に胃が蠢き、痛みすら感じる。
そういえば昨日から何も食べていない。
(……虫がついてる)
一匹ずつ摘むには多すぎる小さな羽虫が赤い実を這っている。
――いや、そんな贅沢を言っている場合ではない。何か食べないと身がもたない。
深窓の御令嬢じゃあるまいし、虫が何ほどのものか。
カイルは野苺を半分掴み、えいっと勢いをつけて口に放り込む。
まだ未熟な野苺は酸っぱいばかりでえぐみもひどい。それでも、その奥に僅かに感じる甘みが、胸を締め付けるほどに嬉しい。
喉の詰まりを飲み込むようなカイルを少年は意外そうに見た。
そうして唇を尖らせて、自分の掌に残った野苺に「フッ」と短く息を吹きかける。
羽虫はあっけなく飛ばされ、少年はカイルの目の前で綺麗になった野苺を頬張った。
そんな簡単な方法が、と唖然と見つめていると、少年はぺろりと唇を舐めた。
「おまえ、金持ちなのに、虫も食うのか」
「…………。
……貴重な、タンパク質、だからな!」
「そうか。そんなに腹が減ってるならラムソンはやめた方がいいか」
そう言って草の中からさっきの臭い葉を拾い上げ、自分のポケットに突っ込んだ。
カイルから離れて作業を再開する。
エルダーの木の根元で太い二本の枝をV字に組み、ひっくり返して幹に立てかける。そこに横木を渡し、蔦で手際よく固定していく。
褐色の指先が動くたびに蔦が枝を締め上げ、骨組みが出来上がっていく。
(凄いな……)
一分の迷いもない、驚くべき速さに圧倒される。
いくつも作った骨組みを屋根の低い方から順に重ねていく。
カイルが呆けて見入っていると、少年が残していった草が風に飛ばされそうになって、慌てて集める。
これも、食べ物なのだろうか。
恐る恐る口に入れると、爽やかな酸味が広がった。
(……あ、美味しい)
歯で噛み切るたび、じわりと葉の水分が口内に馴染む。
多分、たまにサラダに入ってるやつだ。名前は分からない。
カイルが久しぶりの食事を噛み締めるている間に、緑の小さなシェルターが完成する。
少年に引き摺られるようにしてその中に押し込まれると、乾燥した苔がふかふかと敷き詰められ、エルダーの甘い香りが籠もっていた。
冷たい風が遮られて、それだけでずいぶんと肌寒さが和らぐ。
ちゃんとした寝床だ。
ほんの数時間前まで泥まみれで死を待っていたことが、もはや悪い夢のようだった。
シェルターから身を乗り出すと、少年は隣の白樺の木の幹にナイフでV字を刻んでいる。
透明な雫がじわりと滲み出し、やがてポタポタと滴り落ちてくる。
白樺の樹皮に溜めたものをカイルに渡してくれる。
飲んでみると、水よりとろみがあり、仄かに甘くて美味しい。
「……美味しい。
凄い……絶望から救ってくれる、英雄だ」
「なんだそれ」
カイルの呟きに、少年は初めて軽く笑みを見せた。
それを見て、カイルはようやく目の前の英雄が人であったと思い当たる。
「俺はカイル。君、名前は?」
少年は少し驚いたように目を見開き、それからゆっくりと答えた。
「……ラタ」
「ラタか。助けてくれてありがとう」
彼が拾ってくれなければ、きっとあのまま干涸びて死んでいた。
そのうえ足が治るまで家に置いてくれるなんて、本当に頭が上がらない。
(家……?)
カイルは出来たてのシェルターを見回す。
「あの、ラタの家って、これ?」
「そんなわけないだろ」
ラタは呆れたように否定して、白樺の皮を屋根に重ねる。
「おれは、仕事中なんだ。二日後に拾いにくるから、生きてろ」
シェルターの中に先程の草や木の実を入れ、山盛りに積む。荷物の中から出した干し肉を半分に切り分けて、それも草の上に乗せた。
「たぶん、熱が出る。それまでに飲んで、食って、足を高くして寝てろ」
「……え?」
「二日くらい持つと思うけど、もし樹液が枯れてもあっちの沢の水はやめとけ」
「えっ?」
「獣はエルダーの木は避けるけど、出会したら、……その時はしょうがない。安心しろ、骨は埋めとく」
「あの、ラタさん? 今、安心する要素どこだった?」
真っ直ぐにこちらを見る黒い目には、冗談の色はない。
「……もしかして俺、ここでひとりでお留守番?」
「おるすばんだ。拾いに来なかったら、ごめんな」
「待って、それ、どういう」
慌てて身体を起こそうとして、動かした足から激痛が走る。
呻くカイルに目もくれずラタは立ち去った。
軽い足音が遠ざかる。
カイルは呆然と身を横たえ、シェルターの天井を見上げた。
鳥の声、風の音、自分の呼吸。
それだけが聞こえる孤独な空間で、とにかく言われた通りに飲んで食べて寝て、熱に耐えて時間が過ぎるのを待った。
二日後。
約束の「足音」が聞こえた時、カイルにはそれが現実なのか、熱が見せる最後の幻なのか判別がつかなかった。
素っ気ない低い声が耳に届く。
「生きてた」
白樺の皮を取り払われる。
逆光の中に浮かぶ、夢にまで見たシルエット。
「……ほんと、に、戻って、きた……」
正直に言えば、ラタが戻ってくる保証などないと思っていた。
不安と孤独と空腹の中で、カイルがここに留まっていたのは、身動きがとれないから倒れていただけにすぎない。
白樺の樹液と、青くさい葉っぱ、そして泥水のような味のする干し肉が、カイルの命を繋ぎ止めた。
ラタがカイルの額に手を当ててから、シェルターから引きずり出す。
無造作に、けれど傷めた足には響かない手際の良さ。
そのままカイルに肩を貸して立たせてくれる。
掴まれた腕から伝わる温かい体温が、悪夢から現実に引き上げてくれる。
それがあまりにも感動的で、カイルは思わずその身体にしがみつく。
土と、血と、臭い草と、――人の匂い。
「……絶対、戻ってくるって、信じてたよぉぉ」
「うそつけ」
片足だけで、気の遠くなる道程を引き摺られるように歩く。
ラタの家に辿り着いた時には、カイルは殆ど意識を失っていた。




