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捨てられ貴族と山暮らしの少年  作者: 花鶏
§ 山の暮らし §
11/24

文字を教える 2


 カイルは掠れそうな声を精一杯隠して、腹に力を入れた。


「…………もしかしてそれ、……冗談じゃ、なくて?」

「なにが」

「……いや、冗談っていうか、……、

 心配してくれてるときの、言い方なのかなって、思ってて」


 いつも、怒っている風でもなかったから、照れ隠しのようなものだと思っていた。


 ラタはぱちぱちと真っ黒な目を瞬いてから、困ったように眉を下げた。


「……足を治す気がないなら出ていけって、何度も言った」

「……うん……」


 カイルはラタを直視できず、床を見つめる。


 自分が、一番初めから、前提を間違えていたのだと悟る。


 行き倒れていたところを助けてもらって、ラタのことを山での守護者のように感じてしまっていた。


(……だって、親切の見返りも求めないし、迷惑かけても全然怒らないから……)


 厄介者として虐げられたなら、「出ていけ」という言葉を冗談などとは思わなかった。


 家族のように迎えられたから、家族のような甘えが許されると勘違いしてしまったのだ。


 立ち尽くすカイルを、顔を顰めて見ていたラタは、しばらく何かを考えるように黙っていた。

 それから一度手元に視線を落として、カイルに向き直る。


「……足に悪い。座れ」


 断頭台に上げられる気分でカイルはラタに向き合って座り直す。


 ラタはゆっくりと、今までで初めて、長い言葉で説明した。


「おまえの足は、たぶん、ちゃんとすればひと月くらいで治る。

 春だから、ひと月なら面倒見れると思った。


 だけど無理をすると治らない。

 長い期間は、おれは、ふたりぶんはできない。

 ふたりとも死ぬ。


 だから、おまえが足を治す気がないなら、おれはおまえを助けられない。

 助けられないなら、おれは、おまえの面倒はみない」


 おそらくラタも、カイルがそんなことも分かっていなかったことに、今気づいたのだろう。


 説明された事実が胸に重く落ちる。

 カイルは、自分がこんなに頭が悪いと思ったのは、人生で初めてだった。


「……ごめん」

「おまえは寝てろと言ったら寝てた。

 だから、分かってなかったことは、もういい。

 これから、どうする。足を治して出ていくのか、今出ていくのか、おれを追い出してこの家を奪うのか」


 みっつめの選択肢に愕然とする。


 一瞬、そんな風に思われていたのかという悲しさが湧く。

 それから、本当に何も分かっていなかった自分に落ち込む。


 ラタにとっては、カイルは、触れば袋叩きにされるかもしれない対象だった。

 連れ込めば棲家を奪われることもありうる。


 そんな中で保護してくれたというのに、自分は何を甘いことを考えていたのだろう。


「……ごめん。ちゃんと、足を治す」

「分かった」


 ラタの返事は、いつも通りの素っ気ないものだった。




 翌朝もラタはいつも通りカイルの包帯を巻き直してくれた。

 乾燥中の野草の手入れの仕方を説明して、紐にするイラクサを寝台の横に山盛りにして、外へ出かけて行った。


 昨日までと同じ距離感で、昨日までと同じように世話を焼いてくれる。

 それが名前を呼ぶほどでもない関係だったことに、勝手にカイルの胸が沈む。


 ここはカイルの父が治める土地ではない。

 もし本当にカイルを拐ったのがバルモア伯爵だとすれば、カイルを匿ったことでラタはとばっちりを受ける可能性さえある。


 勝手に仲良くなれた気がして、それが嬉しくて、そんなことにすら思い至らなかった。


(早く足を治して出ていくのが一番ラタのためになる。

 日々の些細な手伝いなんか、それに比べたら……)


 仲良くなったつもりだった相手に、いなくなることが一番喜ばれるのだという事実は、流石のカイルにも重かった。


 ぐっと口を引き結んで、カイルは黙々と野草をかき混ぜ、紐を撚る。


 今は、それしかできない。


 だから、それだけは、やるのだ。



 昼食を温めたあとも、ひたすら紐を撚る。

 暖炉の火に灰を被せていると、ふと昨日の石板が目に留まる。


 いつの間に書いたのか、ラタの名前と、三つの植物の名前がいくつか増えている。


(……俺がいるうちに、お祖父様の書き付けがある程度読めるようになると、いいな……)


 忙しいのにひとりで練習をしたラタも、そう考えたのかもしれない。


 そんなことを思いながら石板を見つめていると、単語の群れの中にひとつだけ見慣れない綴りがある。


『IXXLE』


 見たことのない単語だ。


「……? イッ……クスル……? イクスレ?」


 何かの記号だろうか。


 IXX――ここで既に規則が崩れる。

 少なくとも、カイルの知る言語ではない。


 そもそも、昨日カイルは、練習されている四つの単語しか見本を書いていない。


 「I、X、X、L、E……」


 もしかしたら、LEもアルファベットではないのかもしれない。


(――あ、)


 その白い線を、単語ではなく形として捉えてみて、カイルは昨夜、石板に書いた単語を思い出す。

 ラタ、

 シダ、

 マツ、

 ヘザー、


 それから――


(……『KYLE』、だ)


 黒を背景にした拙い白亜の直線が、唐突に自分の名前を結ぶ。


 息を詰めるように、カイルはもう一度最初から読む。

 指でなぞって消してしまいそうになり、慌てて手を引いた。


 一度見ただけのカイルの名前を、ラタが綴ろうとしていた。


 ――カイルはそれだけで、もう十分だと思った。



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