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捨てられ貴族と山暮らしの少年  作者: 花鶏
§ 山に捨てられた貴族 §
1/6

気がつけば、山


 五月の空は、気が遠くなるほど澄んでいた。


 その青色を切り取る若葉の緑がさやさやと風に揺れている。


 土の上に仰向けに倒れたまま、カイルは痛む喉で慎重に息を吸った。


(……水……)


 傾斜の多い森を、足を引き摺りながら彷徨って二日。もう指一本動かせる気がしない。


 カイルはグランフォード子爵家の次男だ。

 町で見知らぬ男たちに拐われ、意識を取り戻したときには山の斜面に投げ捨てられていた。

 おそらくあの連中は嫡男である兄と間違えて、お調子者と名高い次男のカイルを拐ったのだろう。

 それに気づいた途端に山にポイ捨てとは恐れ入る。


 長い斜面を滑り落ち、幸い命に別状はなかったが、それ以降、歩くと足に激痛が走る。


 渇いた喉が唾液を飲み込もうとするも、カイルの口はもう唾液を出すことはなく、痛みが増しただけだった。


(……もしかして、俺、……死ぬのか……)


 木漏れ日がきらきらと煌めき、遠くから鳥の囀りが聞こえる。

 カイルの命が消えゆくことなど些事だとでも言わんばかりに、世界は残酷なほどに穏やかだった。


 何かを考える気力もなくカイルはそっと目を閉じた。


 朦朧とした意識の中で土を踏む足音が聞こえる。

 どうせまた幻聴だ。

 あるいは、大好きだった祖父が天国から迎えに来ているのかもしれない。


 足音が、耳元で止まる。


「――殺してやろうか?」


 予期せぬ物騒な言葉が耳に届いて、カイルは驚いて目を開く。


 眼球を回すと、色黒の、髪も目も真っ黒い少年がカイルを見下ろしていた。

 二十一になったばかりのカイルよりだいぶ若い。十六、七だろうか。


 カイルは一瞬、やっとこの痛みと乾きから解放されるのかと安堵して――慌てて思考を振り絞る。


(死にたくない)


 少年のいでたちはいかにも山の民といった風で、カイルを拐った連中とは関係なさそうに見える。

 この見知らぬ少年がなぜカイルを殺そうとするのか。


 なんとか彼を説得して助けてもらわなければ。

 市井では袖のカフリンクスだけでも売れば金になるが、それはカイルを殺してしまえば手に入るものなので交渉材料にはならない。


 母が呆れながら褒めてくれた口八丁の発揮のしどころだと思ったものの、頭も回らなければ満足に声を出すこともできなかった。


「…………そんな、意地悪、言わないで、……助けてよ」


 カイルはなんとかそれだけ搾り出す。

 少年は黒い目をぱちぱちと瞬いた。


「助けてほしいのか? おれに?」


 何を聞かれているのかよく分からない。


 視界がぼやける。


「……助けて」


 声が掠れて、ちゃんと発音できたかどうかも分からなかった。


 思考が暗いところに落ちていく。


 そんなカイルの意識を、突然の冷たい刺激が引き上げた。


 口内に水が含まれている。身体がびくりと跳ね、乾き切った粘膜に水分が染み込む。


「……っ、げほっ! ……っ」


 焦りで喉を詰まらせると、口元の水筒が取り上げられる。


 無表情の黒い瞳と目が合って、咽せていると水が与えられないのだと理解する。

 カイルは貪りたい衝動を堪えて、少しずつ含まれる水を時間をかけて飲んだ。


 カイルが落ち着いたのを見て、少年は水筒を仕舞い、ナイフを取りだす。


「服、切るぞ」


 少年は返事も待たずにカイルの靴を脱がせ、泥で汚れたズボンの裾を裂く。

 その眉根が寄ったのを見て、カイルは自分の足に目を向けた。


 足首の辺りが腫れ、紫色に変色している。


 足を触られて痛みに叫ぶ。

 口に布を突っ込まれる。

 脳味噌を殴られるような激痛を凌ぎきると、いつの間にかカイルの足は枝で固定されていた。


 手当をされたことに対する安堵と痛みの余韻で涙と油汗が滲んだ。


「……あ、あり、がと……」


 とりあえず、助かったのだろうか。


 荒い呼吸を整えるカイルを、少年がじっと見ている。


「……誰かおまえを捜しているか?」


 家族はきっとカイルを捜しているが、ここにいるということをどう伝えればいいのだろう。


「……ここ、どこ」

「山」


 カイルが眉を下げると、答えになっていないことに気づいたのか、少年は右を指差した。


「麓まで半日歩くと、ルーエン村」


 村の名前に聞き覚えがない。


「グランフォード、領内?」

「領主はバルモア様」


 どうやら山を超えて隣のバルモア伯爵領にいるらしい。


「……手紙を、出せば、迎えに来てもらえると、思う、けど……」


 どこへ、という情報は伏せた。

 カイルを拐った連中に、この少年からカイルの生存が伝わってしまう可能性があるからだ。


 少年は少し困った顔で口元をこする。


「途中が山梯子だ。その足で村まで降りるのは無理だと思う。

 ……足が治るまで、おれの家に来るか?」


 思いがけない提案に、一縷の光を見た思いがする。


「……いい、の?」


 少年は少し考えるようにしてから、カイルに肩を貸して立ち上がる。


 地面に右足をつくたびに背筋まで痛みが走る。

 少年に体重をかけることを申し訳なく思いながら、カイルは必死に足を進めた。



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