表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一番嫌いで、一番好きな君を救うために、俺は何度でも世界をやり直す  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/20

第16話「境界へ」

 放課後の昇降口は、いつもなら騒がしい。

 部活の掛け声がして、靴箱が鳴って、誰かの笑い声が廊下に跳ね返る。

 今日は、その音が遠い。

 レナと並んで靴を履いた瞬間から、世界が薄くなっていく感じがした。

 言葉にするなら、彩度が落ちる。

 目で見て分かるのに、体の方が先に気づく。

 風が、軽い。

 皮膚の表面だけを撫でて、中まで入ってこない。

 外に出た瞬間、街の色が抜けた。

 建物も空も残っている。

 でも、塗料だけが剥がれたみたいに、どれも同じ灰色に寄っていく。

 その中で、レナの目だけが妙に目立った。

 暗いのに、光がある。

 まるで、そこだけ別のページから貼り付けたみたいに。

「……見えてる?」

 俺が聞くと、レナは頷いた。

 頷き方が小さい。

 言葉を減らしてるときのレナだ。

「境界に近いです」

 レナの声は落ち着いていた。

 落ち着いてるのに、歩幅が少し速い。

 急いでいるというより、遅れるのが怖い歩き方だった。

 街の人間が、遅い。

 歩いている。

 笑っている。

 スマホを見ている。

 全部、普通のはずなのに、動作の端が一拍遅れる。

 手を振る。

 振った手が遅れて戻る。

 口が動く。

 音が少し遅れてついてくる気がする。

 俺は無意識に自分の手を見た。

 血色が薄い。

 寒いわけじゃない。

 世界の側が、俺から色を抜こうとしてる。

 工業区画に入ると、さらに音が減った。

 車の走行音が遠のく。

 鉄の匂いだけが残る。

 大きな倉庫の影。

 使われてないコンテナ。

 人のいない道。

 こういう場所は、前から苦手だった。

 誰にも見られてない場所ってだけで、何かが起きてもおかしくない気がする。

 レナは立ち止まった。

 アスファルトの割れ目のそば。

 そこに、影が薄く集まっている。

 影のはずなのに、影より白い。

 俺は喉が乾いた。

「ここ」

 レナはそう言って、しゃがみ込んだ。

 指先を地面に触れさせる。

 触れた瞬間、音がした。

 紙を破る音に似ている。

 バリ、ではない。

 もっと静かで、もっと嫌な音だ。

 リリ、と繊維が裂ける感じ。

 空間が裂けた。

 本のページを破ったみたいに、縦に。

 裂け目の中は、白でも黒でもない。

 色がない。

 というより、まだ塗られてない空白。

 見ていると、目が焦点を失いそうになる。

 俺は一歩だけ後ずさった。

「……これ、何だよ」

 レナは裂け目を見たまま言った。

「境界です」

 声が淡々としてるのに、指先が震えている。

 震えを隠すために、指を強く地面に押しつけた。

「世界のログとログが、直接触れ合う場所」

 ログ。

 レナは時々、そういう言葉を使う。

 世界を世界として見てない言い方。

 俺の背中がざらついた。

 あの補正音。

 カリ……という、耳の奥を削る音が、ここではずっと鳴っている。

「行くよ」

 レナが立ち上がった。

 そして、俺の手を取った。

 指が冷たい。

 冷たいのに、握り方は強い。

 逃げないようにする力だ。

 俺は、握り返した。

 それだけで、何かを決めてしまった感じがした。

「……離すなよ」

 俺が言うと、レナは一度だけ目を細めた。

「離しません」

 言い切る声に、逃げ道がなかった。

 俺たちは裂け目に踏み込んだ。

 足が、地面に触れない。

 浮いてるわけじゃない。

 踏んだ感触が、遅れてくる。

 自分の足音が、遅れて再生される。

 コツ。

 コツ。

 音が後ろから追いかけてくる。

 背中の方で鳴って、やっと耳に届く。

 心臓が、変になる。

 鼓動が前後にずれる。

 打った。

 遅れて打った。

 もう一度打った。

 今のは、いつのだ。

 呼吸が合わない。

 吸ったのに、吸えてない。

 吐いたのに、吐けてない。

 俺は思わずレナの手を強く握った。

 その瞬間、レナの指が俺の指を握り返した。

 同じタイミングじゃない。

 少しズレてる。

 でも、それが逆に安心した。

 この場所では、ズレが普通なんだ。

 ズレが、世界の本音なんだ。

 境界の中は、道がない。

 景色もない。

 白紙の上を歩いてるみたいな感覚。

 ただ、遠くに線がある。

 線というより、傷跡。

 何度も書いて、消して、また書いて、紙が毛羽立った跡。

 俺はその線を見た瞬間、背筋が固まった。

 あれは、俺の死の跡だ。

 根拠はない。

 でも体がそう言ってる。

「……俺が死んだら、いつも戻るのは」

 言葉が途中で途切れた。

 喉が鳴った。

 この場所で声を出すと、声まで遅れる気がして怖い。

「お前のせいなのか」

 俺は言った。

 レナは歩きながら、首を振った。

 すぐには答えない。

 言葉を選んでいる。

 選ぶたびに、何かが削れていくみたいに。

「違います」

 レナはそう言った。

 短く。

 でも、そこで止まらなかった。

「私は……あなたを記録しているわけではありません」

 俺は思わず足を止めた。

 止めたはずなのに、止まった感触が遅れてくる。

 境界の嫌がらせみたいな遅れ。

「じゃあ、何だよ」

 俺の声が少し上ずった。

「俺が死ぬたびに、世界が戻る。俺は何回も……」

 口にしかけて、噛んだ。

 数を言うと、現実になる気がした。

 レナは一度だけ俺を見た。

 目が揺れていた。

 記録の光、みたいな揺れ方。

 瞳の奥で、文字が回っているみたいな。

「あなた“だけ”を戻しているわけではありません」

 レナが言った。

「世界全体が、あなたの死を受け入れられない。それだけです」

 それだけ。

 その言い方が、俺を刺した。

 それだけ、というには重すぎる。

 世界が俺の死を受け入れられない。

 つまり、俺が死ぬと世界が壊れる。

 それを避けるために、世界が巻き戻る。

 俺が原因。

 クロウの言葉が、境界の空白の中で反響した。

 君が壊している。

 俺は息を吸った。

 吸ったつもりで、吸えていない。

 喉の奥が焼けるように乾く。

「……じゃあ、俺はどうすりゃいいんだ」

 俺は言った。

 怒鳴りたかった。

 でも怒鳴ると、声が粉々になりそうだった。

 レナは前を見たまま言った。

「死なないでください」

 言葉は短い。

 でも、そこに全部が入っていた。

 死なないで。

 死ねないで。

 死んだら終わる。

 俺の中で、初めてその結びつきがはっきりした。

 境界の奥に、壁が見えた。

 巨大な白紙の壁。

 白いのに、ただの白じゃない。

 目が滑る。

 文字が書けない白。

 記述前の白。

 何もないのに、圧がある。

 俺は近づくほど、胸が痛くなった。

 鼓動が壁に吸われる。

 壁が、微かに震えた。

 音がした。

 声みたいな音。

 はっきり聞こえない。

 言葉にならない。

 でも、喉の奥に残る。

 断末魔の直前の息みたいな音が、壁の内側から滲んでくる。

 俺は足が止まった。

「……何だよ、これ」

 レナは壁の前で立ち止まった。

 指先を握りしめる。

 爪が手のひらに食い込む。

 血は出ていない。

 出ていないのに、痛みだけが伝わってくる。

「ここが限界です」

 レナは言った。

「これ以上ログを書けない」

 壁の白が、目に刺さる。

 白いのに、汚れている気がする。

 汚れじゃない。

 傷だ。

 何度も書いて、消して、書いて、消して。

 世界が俺を生かすために削った跡。

「これ以上死んだら」

 レナの声が少しだけ揺れた。

 揺れたのは、感情じゃない。

 歯が噛み合わない音だ。

「あなたは戻れなくなります」

 俺は息を吐いた。

 吐いた息が、遅れて消える。

 戻れない。

 その言葉が、腹の底に落ちた。

 今までは、どこかで思っていた。

 どうせ戻る。

 どうせやり直せる。

 だから無茶ができた。

 だから、庇えた。

 だから、死ねた。

 死ねたことが、ここに全部積もってる。

 壁の内側で、また声がした。

 知らない誰かの声。

 でも、知っている気がする。

 俺の声だ。

 俺の声が、知らない言葉で喘いでる。

 レナが俺の手を握り直した。

 さっきより強く。

 痛いほど強く。

「天城くん」

 レナは俺の名前を呼んだ。

 呼び方が、いつもより柔らかかった。

 柔らかいのに、引き返せない響きだった。

「あなたは、境界を見ました。だからもう、前と同じようにはいきません」

 俺は壁を見つめた。

 白紙の壁。

 何も書けない壁。

 そこに耳を当てると、世界の裏側が鳴っている。

 俺は唇を噛んだ。

 血の味がした。

 それだけは、遅れなかった。

 白紙の壁を見つめるたび、胸の奥で、知らない誰かの断末魔が震えていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ