表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一番嫌いで、一番好きな君を救うために、俺は何度でも世界をやり直す  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/20

第12話「前の世界の君」

 放課後の廊下は、いつもより静かだった。

 部活へ向かう足音と、誰かの笑い声はある。あるのに、膜が一枚挟まってるみたいに遠い。

 世界が軋んでる、って言葉を思い出す。

 昨日からずっと、耳の奥でギシギシ鳴ってる感じが消えない。

 俺は自分の机に鞄を置いたまま、窓の外を見た。

 雲は普通に流れてる。

 でも、普通って何だ。

 普通の定義が、毎日少しずつ削れていく。

「天城」

 背後から声がした。

 クロノだった。相変わらず中性的な顔で、どこか楽しそうに笑ってる。

 あいつの笑顔は、安心じゃなくて引っかかりを置いていく。

「話、あるってさ」

「誰から」

 分かってるのに聞いた。聞けば違う答えが返ってくる気がしたから。

 クロノは肩をすくめる。

「屋上。来れる? っていうか、来るよね」

「命令かよ」

「忠告。今はね」

 クロノは俺の目をまっすぐ見た。

 そこだけ、笑ってない。

「行かないと、君は余計に迷う。そういう顔してる」

 迷ってる。

 当たってるから腹が立つ。

 俺は舌打ちを飲み込んで、鞄の肩紐を掴んだ。右腕が微かに疼いた。刺された場所の、ないはずの痛み。

 その痛みが、背中を押す。

「分かった。行く」

 クロノは満足げに頷いた。

「じゃ、俺は見ないことにする。見ないほうが、長生きできるから」

「縁起でもないこと言うな」

「縁起って、君の場合もう」

 クロノは言いかけて、口を閉じた。

 その隙が、怖い。

 俺は教室を出た。

 階段を上がる。足音が少し遅れて返ってくる気がする。手すりが冷たい。鉄の冷たさが、やけに現実っぽい。

 屋上の扉の前で、一度息を吸った。

 胸が詰まる感じがした。

 怖い、とは言わない。

 でも、身体はちゃんと怖がっている。

 扉を押した。

 屋上の風が顔に当たった。夕方の風は冷たくて、乾いていて、どこか街の匂いが混ざってる。排気ガスと、遠くのパン屋の甘い匂いと、土の匂い。

 夕焼けが、フェンス越しに広がっていた。

 街のビルが黒い影になって、空だけが燃えてる。太陽はもう傾ききっていて、輪郭が潰れかけている。

 その逆光の中に、男がいた。

 フェンスにもたれて、夕焼けを背負って立っている。

 灰色のローブ。半分の仮面。整った顔。年齢は二十代後半くらいに見えるのに、目だけが古い。

 ネメシス幹部、灰冠。

 クロウ。

「やあ」

 クロウは軽く手を上げた。

 挨拶の仕方だけは、普通の青年みたいだ。

 普通の青年が、こんな場所にいるはずがないのに。

「呼び出したのはお前か」

「そう。話がしたかった。君が最近、いい顔をしているからね」

「褒めてんのか」

「評価だよ。君は追い詰められると、目が鋭くなる」

 胸の奥が冷えた。

 この言い方だ。俺を知っているみたいな言い方。

 前にも言われた。前の君はもっと鋭かった、と。

 俺は一歩だけ前に出た。距離を詰めたくないのに、逃げたくない。

「用件は」

「直球だね。好きだよ」

 クロウは笑った。

 笑い方が薄い。目だけ笑ってないんじゃなくて、目しか笑ってない。

「君はね、この街を救ってきた」

 俺の喉が鳴った。

 風が一瞬だけ止まった気がした。夕焼けが濃くなる。空の色が、肌に染みる。

「何の話だ」

「事実の話」

 クロウは淡々と言った。

 淡々と、残酷なことを事務的に並べる声。

「君は千回以上、死んだ。自分の命を代価にしてね」

 千回以上。

 数字が大きすぎて、理解が遅れる。

 脳が追いつく前に、身体が反応する。胃の奥がひっくり返るような感覚。指先が冷たくなる。

「……冗談だろ」

 俺は笑おうとした。

 口角が動かない。

 空気が重い。笑えない。息が浅い。

「冗談に見える?」

 クロウが首を傾ける。

「前の世界での君は、今よりずっと笑わなかった。無駄な会話もしなかった。目的のために必要なことだけをしていた」

 俺は拳を握った。

 指の関節が白くなる。爪が掌に食い込む。

「前の世界って何だよ。俺は俺だ。昨日まで普通に生きて」

「昨日?」

 クロウは楽しそうに言った。

「君の昨日は、君だけのものじゃない。君が死ぬたび、世界は書き換わる。君が戻るたび、この街は一歩だけ、別の形になる」

 俺の頭の中で、何かが鳴った。

 ギシ、という音。

 昨日まで聞こえてた軋みより、もっと近い。骨の内側で鳴る音。

「やめろ」

「やめないよ。君にとって必要だからね」

 クロウはフェンスから背を離した。

 一歩。俺に近づいた。

 距離が縮まるだけで、皮膚が粟立つ。風が冷たいのに、額に汗が滲む。

「君は千回以上救った。そのたびに、失敗もした。そのたびに、誰かを失った」

 クロウの声が、夕焼けの中でやけに鮮明だった。

 街の音が遠くなる。鳥の声が消える。風の音も薄れる。

 俺の耳は、クロウの声だけを拾う。

「その記憶は、君には残らない。残るのは、痛みの残像と、理由のない恐怖だけ」

 右腕が疼いた。

 刺された場所の、ないはずの痛み。熱。痺れ。

 俺は唇を噛んだ。

 そして、見えた。

 見えた、というより、浮かんだ。

 目の前の夕焼けに、別の映像が重なる。

 街が崩れている。

 ビルが傾いて、ガラスが降って、煙が空を覆っている。

 俺の足元が揺れる。地面が裂ける。遠くで誰かが叫んでいる。

 音は聞こえない。

 聞こえないのに、叫びの形だけが見える。

 血の匂いだけが、鼻の奥に残る。

 レナがいた。

 血だらけだった。制服が赤黒く染まって、髪に灰が絡んで、頬に涙の跡がある。

 レナが何か叫んでいる。

 口が動く。喉が震える。

 でも、声は届かない。

 俺の手が見えた。

 真っ赤だった。指の間に血が溜まって、滴が落ちる。

 それなのに、俺の顔は冷静だった。

 笑っていない。怒っていない。泣いていない。

 ただ、決めている顔。

 次に何をするか、もう分かっている顔。

 映像が砂嵐みたいに崩れた。

 ノイズが走る。視界が白くなる。

 俺はよろめいて、膝が軽く折れた。

「っ……」

 喉が痛い。息が引っかかる。

 クロウが俺を見下ろしている。

「思い出しかけたね」

 その言い方が、腹の底を冷たくする。

「君は英雄だった。少なくとも、この街では」

「英雄?」

 声が掠れた。

「俺が?」

 クロウは頷く。

「英雄候補、じゃなく、英雄そのものだった。君は何度も選んだ。誰かを救うために、自分が死ぬことを」

 吐き気がした。

 英雄という言葉が、汚く聞こえる。

 血の手。崩壊する街。泣きながら叫ぶレナ。

 そんなものの上に英雄なんて名前を乗せるな。

「俺はそんなこと、望んでない」

「望んでない?」

 クロウが笑う。

「望む望まないで世界は動かない。君は動いた。だからこうなっている」

 その瞬間。

 屋上の扉が、勢いよく開いた。

 金属がぶつかる乾いた音。風が一段、荒くなる。

「その話は、今はまだしてはいけません」

 レナだった。

 息が荒い。走ってきたのが分かる。頬が赤くて、額に汗が浮いている。制服の襟が少し乱れている。

 レナはクロウと俺の間に立った。

 剣は抜いていない。なのに、空気が変わる。鋭くなる。

 レナの目が、真っ直ぐクロウを刺している。

 その目は、いつもよりずっと剥き出しだった。

「記録者はいつも、彼から真実を遠ざける」

 クロウは肩をすくめた。

「優しいね。残酷だね。どっちかな」

「黙って」

 レナの声が低い。

 普段のレナは、短くて静かだ。今は違う。短いのに、震えている。怒りじゃなくて、必死さの震え。

 レナの指先が少し震えていた。

 俺はその震えを見てしまった。

 隠してるのは、悪意じゃない。

 守るためだ。

 そのニュアンスが、胸を締める。

 クロウは俺の方へ視線を戻した。

「今日のところはここまでにしよう。君が知るべきことは、もう始まっている」

 レナが一歩前へ出る。

「始まっていません。あなたが始めようとしているだけです」

「同じことだよ」

 クロウは軽く指を鳴らした。

 灰が舞った。

 ローブの裾が、粒子みたいに崩れていく。輪郭が薄くなる。

 消える直前に、クロウは俺にだけ聞こえるくらいの声で言った。

「都市崩壊ルートのカウントダウンは、もう始まっている」

 そして、消えた。

 灰が風に散る。屋上の空気が戻る。遠くの車の音が帰ってくる。校庭の声がかすかに聞こえる。

 俺は、膝がまだ少し震えていた。

 レナは俺の方を向いた。

 さっきまでの鋭さが、一瞬で削げ落ちる。肩が少し落ちる。息が揺れる。

 レナは俯いた。

「ごめんなさい、天城くん」

 それだけ言った。

 謝る理由が多すぎて、言葉がそれ以上出てこないみたいな謝り方だった。

 俺は喉を鳴らした。

 言いたいことが山ほどある。

 お前は何を知ってるんだ。

 俺は何なんだ。

 千回って何だ。

 英雄って何だ。

 でも、どれを口にしても、レナを傷つける気がした。

 傷つけたいわけじゃないのに。

「……俺が本当に、そんなことをしてきたとして」

 声が、思ったより小さかった。

 風が冷たい。指先が冷える。

「俺は、どうすればいいんだ?」

 レナは顔を上げた。

 目が赤いわけじゃない。泣いてない。泣かないようにしてる目。

 まばたきの回数が少ない。乾いてるみたいに見える。

「その答えを出すのは、あなた自身です」

 レナの声は短い。

 けど、その短さの中に、時間が詰まっている。

 千回分の時間が。

 俺は笑えなかった。

 信じたい。

 でも、怖い。

 信じた瞬間、俺は俺じゃなくなる気がした。

 英雄だった自分に飲み込まれて、今の俺が消える気がした。

 レナが俺の腕に触れようとして、途中で止めた。

 指先が空を掴む。触れたいのに触れない。

 その距離が、刺さった。

 俺は一歩だけ後ろへ下がった。

 レナもそれ以上近づかなかった。

 屋上のフェンス越しに、夕焼けがまだ燃えている。

 さっきより赤い。

 赤が濃くなって、街の影が黒く沈んでいく。

 あの赤は、血に似ている。

 似ているだけだと思いたいのに、似すぎている。

 俺は空を見上げた。

 夕焼けの色が、やけに血の色に近く見えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ