表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一番嫌いで、一番好きな君を救うために、俺は何度でも世界をやり直す  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/20

第10話「血塗られた模擬戦」

 体育館の床って、やたら滑る。

 ワックスの匂いが鼻の奥に残って、スニーカーの底がきゅっと鳴る。こういう音を聞くと、授業より先に「帰りたい」が来るのが俺だ。

 なのに今日の体育館は、妙に浮かれていた。

 ステージ前にクラスごとに整列して、あちこちで拍手と歓声が起きている。文化祭の前日みたいな、変に落ち着かない熱。

「学食無料券ってマジかよ」

 トオルが俺の横で小声を漏らした。

「しかも一週間分。勝ったらな」

「勝つわ。俺、今日だけは本気出す」

「本気出すのはゲームだけにしろ」

「うるせえ。腹が減ってる時の俺は強い」

 いつも通りの軽口。こういうのがあると、世界が壊れてるとかどうとか、いったん頭の隅に押し込めることができる。

 昨日からずっと、胸のどこかがざらついている。

 屋上でレナが言いかけた言葉。

 死ぬところを見た、という言葉。

 信じる信じない以前に、俺の中のどこかが「そうかも」と頷きかけていて、そこが一番気持ち悪い。

 ステージ上に司会役の教師が立った。体育担当の声がでかい先生だ。マイクが要らないタイプ。

「はいはい、静かにー! 本日は特別模擬戦イベントを実施する! 異能実技の一環だが、まあ、祭りだと思って楽しめ!」

 歓声が上がる。

 先生はホワイトボードを指さした。そこにはでかでかと、クラス対抗フラッグ戦、と書かれている。

 ルールは簡単だ。結界内のフィールドに置かれた旗を奪って、自陣に持ち帰る。倒されたら退場。時間内に旗を多く持ち帰ったチームが勝ち。

 よくあるやつだ。

「各クラス、チーム編成は事前に決めた通りだ。怪我は結界が防ぐ。遠慮なくやれ」

 怪我は結界が防ぐ。

 その言葉のせいで、みんな遠慮がなくなる。つまり、盛り上がる。

 ステージの端の方、壁際に目をやると、クロノがいた。

 相変わらず、学園の制服とも教師の服とも違う、妙に整った格好をしている。前髪が目にかかっていて、笑ってるのかそうじゃないのか分からない顔。

 俺が見ているのに気づいたのか、クロノは軽く手を振った。

 気軽すぎる。

 屋上での「いいところだったのにね」を思い出して、胃の奥がひくっとした。

 隣にレナが立っている。いつもより少しだけ近い。

 昨日から、近い。

 今朝から、もっと近い。

 それがありがたいのか、怖いのか、自分でも整理できない。

「……大丈夫ですか」

 レナが小さく言った。

「何が」

「顔が、硬いです」

「俺はいつも硬いだろ」

「いつもより、です」

 レナは視線を落としたまま、言葉を削って投げてくる。なのに、言葉の端に熱がある。風呂上がりの湯気みたいな、触れたら火傷しそうな熱。

「模擬戦だし、気楽にやるだけだ」

「気楽に、できるなら」

 レナがそこで止まった。

 言いかけたものを飲み込む癖。昨日から、そればかりが目につく。

 先生の説明が終わり、誘導が始まった。

 体育館を出て、グラウンドへ向かう。

 結界フィールドは、普段の校庭よりずっと広い場所に展開される。異能実技用の専用区画。金属の柱が等間隔に立っていて、その柱から薄い光の膜が張られる。

 空気が変わる。

 膜が張られた瞬間、外の音が少し遠くなる。風が弱くなり、匂いが薄くなる。

 世界がひとつ、箱に収まった感じ。

「結界、展開します!」

 係の生徒が叫ぶ。

 光が足元から立ち上がり、フィールドの端に沿って走る。柱から柱へ、線が繋がって、最後に天井みたいな膜がふわりと閉じた。

 俺は思わず手を伸ばしそうになった。

 透明なのに、そこにある。触れたら冷たいだろうか。

 レナは、その結界を見て顔色を変えた。

 ほんのわずかに唇が白くなる。

「どうした」

「……嫌な感じがします」

「嫌な感じって」

「結界が、いつもより薄い」

 俺には分からない。けど、レナがそう言うなら、薄いんだろう。

 クロノが前に出てきた。いつの間にマイクを持っている。

 教師が「おい、クロノくん?」と制止するような声を出したけど、クロノは笑って一歩進んだ。

「追加ルールを一つ」

 クロノの声はよく通る。なのに、体育の先生ほど押しが強くない。薄い刃物みたいな通り方だ。

「最後まで立っていたチームが勝ち。旗はおまけ」

 一瞬、間が空いて。

 次の瞬間、歓声と笑いが爆発した。

「バトロワじゃん!」

「やべえ、燃える!」

「最後まで立ってたら勝ちって、最強じゃん!」

 ノリは、祭りだ。

 みんな、結界が守ると思っている。

 だから、危ないと思わない。

 俺はレナを見る。

 レナは笑っていない。

 肩の力が抜けていない。目が、フィールドの端ではなく、人の動きの隙間を見ている。何かを探すみたいに。

 俺の背中が冷えた。

 開始の合図が鳴る。

 笛の音が短く切れて、同時に各チームが動いた。

 俺たちのクラスは、トオルと俺と、あと数人が前に出る。旗役のやつらは後方。守りを固めて、様子を見る。

 最初の数秒は、いつも通りだった。

 派手な異能が飛び交う。炎が走り、風が渦を巻き、地面が少し盛り上がる。結界が揺れて、薄い膜が波打つ。

 みんな笑ってる。叫んでる。スポーツみたいに。

 だからこそ、次の瞬間が異物だった。

 他クラスの一人が、明らかに威力の違う攻撃を放った。

 光の槍みたいなものが、一直線に飛んできた。

 速い。太い。迷いがない。

「伏せろ!」

 俺は叫んで、近くの一年の肩を押し下げた。

 槍が地面に突き刺さる。

 音が遅れて来た。耳の奥で金属が割れるような音。熱が頬を撫でて、焦げた匂いが鼻に刺さる。

 地面が黒く焦げている。

 結界が、きしんだ。

 膜が目に見えるくらい波打って、辺りの空気が震えた。

「おい、今の……」

 トオルが言いかけて止まった。

 攻撃を放った生徒が、ふらりと立っている。顔が虚ろだ。目の焦点が合っていない。

 そして、その瞳の奥に、灰色の紋章みたいなものが浮かんでいた。

 灰色。

 灰粒子の記憶が脳裏に刺さる。

「ネメシス……?」

 誰かが呟いた。冗談みたいな声で。

 次の攻撃が来た。

 また槍。今度は横から。

 俺は体が勝手に動いた。考えるより先に、足が出る。

 地面を蹴って、槍の軌道に割り込む。

 結界の膜を利用して跳ねる。膜の縁は少し硬い。そこを足場にすると、一瞬だけ身体が軽くなる。

 槍が俺の横を抜ける。

 熱が制服の袖を舐めた。

 右腕が疼く。ないはずの痛みが、そこにあるみたいに。

 俺は舌打ちして、次の槍の発射元を見る。

 さっきの生徒だ。腕を伸ばして、無表情で撃ってくる。

 あの目は、意思の目じゃない。

 操られてる。

 俺の頭の中で、クロノの声が蘇った。

 君は、思ってるよりずっとおかしい。

 今、その言葉はどうでもいい。

 目の前の攻撃を止めないと、誰かが死ぬ。

 結界が守る? 嘘だ。今の衝撃で、結界が悲鳴を上げた。

「後ろ下がれ! 旗組、伏せろ!」

 俺は叫びながら走った。

 距離を詰める。真っ直ぐじゃない。槍の軌道を避けながら、柱を盾にして、視界の端で次の発射の予兆を読む。

 腕の角度。肩の動き。息の間。

 全部、初めて見るはずなのに、知っている気がした。

 いつ撃ってくるか、分かる。

 いつ死ぬか、分かるみたいに。

 槍が来る。

 俺は地面を滑るように踏み込み、柱の影に潜る。槍が柱に当たって弾け、熱が散る。

 その隙に、俺は飛び出した。

 相手の懐へ。

 近距離なら、槍は使えない。

 俺は相手の手首を掴んで捻った。骨が軋む感覚。相手は痛がらない。ただ、動きが止まる。

 次に、膝を入れる。腹へ。

 相手の体がくの字に折れた。

 その瞬間、瞳の灰色の紋章が一瞬だけ濃くなった。

 俺はぞっとした。

 今、俺が殴ったのは生徒だ。

 敵じゃない。

 でも、止めなきゃいけない。

「おい! 天城!」

 トオルの声。

 振り向くと、別方向から攻撃が飛んでいた。今度は鋭い風の刃。しかも二枚。三枚。

 狙いが人に向いている。

 俺は反射的に飛び込んだ。

 風が頬を切る。熱い。いや、冷たい。皮膚が薄く削がれる感覚。

 それでも、間に合った。

 俺の背中の向こうで、クラスのやつが尻餅をついて固まっている。目が大きく開いて、声が出ていない。

「動け!」

 俺が叫ぶと、ようやく体が動いた。

 誰かが泣きそうな声を上げる。

 祭りの声が消えて、別の音が増えていく。悲鳴。怒鳴り声。呼吸の荒さ。

 模擬戦の空気が、ひっくり返った。

「お前、前にもこれやったことあるだろ」

 トオルが、妙に軽い声で言った。

 冗談だ。震えを隠す冗談。

 俺は笑えなかった。

「ねえよ。俺、こんなイベント知らねえ」

「でも動きが攻略済みなんだよ!」

「うるせえ、今は喋るな!」

 俺は言いながら、足場を探した。

 柱。段差。倒れた旗台。フィールドの端の膜。

 視界の端で攻撃の軌道を拾う。

 前線の敵は二人。操られてるやつが一人、明らかに異能出力が高いのが一人。

 後方にもいる。狙撃。気配が薄い。

 嫌な予感が背中を這った。

 俺は振り返ろうとした。

 その瞬間、背中に衝撃が来た。

 冷たい針を押し込まれたみたいな感覚。

 息が、途中で切れた。

 空気が逆流する。胸の中で泡が弾ける。口の中に鉄の味。

「……っ」

 声が出ない。

 足が崩れる。

 俺は膝をつき、手を地面についた。掌が汗で滑る。指先が痺れる。

 視界が暗くなる。

 周りの音が遠ざかっていく。

 まただ。

 この感じ。

 心臓が、遠くで鳴っているみたいになる。

 一、二、三。

 数えるみたいに鳴る。

 四が、来ない。

 世界がほどける予兆が、肌の表面を撫でた。景色が粒になりかける。輪郭が崩れて、色が抜ける。

 俺は思った。

 また死ぬのか。

 そして、また朝に戻るのか。

 そのとき、誰かが俺の体を抱えた。

 重力が少し軽くなる。地面の冷たさが離れる。

「ユウ!」

 レナの声。

 俺の名前を呼ぶ声が、遠いのに刺さる。

 次の瞬間、胸に温かい手が当たった。

 レナの手のひらだ。

 そこだけ、世界が近い。

「……だめです」

 レナの声が震えていない。震えていないのに、息が浅い。

 唇が白い。

 睫毛が揺れている。

「ここであなたは死んだ」

 レナが言った。

 言い方が、断定だった。

 俺は目を開けようとする。開かない。まぶたが重い。

「だから、これは……なかったことにする」

 レナの声が、静かに落ちる。

 その瞬間、胸の痛みが逆に引かれていった。

 押し込まれた針が、抜けていく。

 空気が、戻る。

 血の味が薄くなる。

 視界の暗さが、少しだけ明るくなる。

 地面に落ちたはずの赤い筋が、粒みたいにほどけて、風に流れるように消えた。

 消えた粒が、俺の体へ戻っていく。

 ありえない。

 でも、起きている。

 俺の中で、何かが巻き戻った。

 死の寸前で止まった。

 俺は喉を鳴らした。苦しくて、情けない音が出た。

「……何、した」

 声が出た。

 レナは答えない。

 ただ、俺の胸に当てた手を離さない。まるで、離したらまた世界が崩れるみたいに。

 レナの指先が、ほんの少し震えた。

 震えたのは一瞬で、すぐに押し殺される。

 レナの目が、俺を見る。

 そこにあるのは、守る者の目だ。

 守りすぎて壊れてしまいそうな目。

「生きてください」

 レナが言った。

 短い言葉。

 命令みたいで、祈りみたいで、胸が痛くなる。

 俺は笑おうとして、うまくいかなかった。

 代わりに、息を吐いた。

「生きてるよ……今は」

 俺の声は掠れていた。

 遠くで、結界が軋む音がした。誰かの叫びが聞こえる。戦闘はまだ続いている。

 なのに、俺の周りだけ時間が伸びていた。

 レナの髪が揺れる。汗が頬に薄く光る。呼吸が浅い。

 これが何度も繰り返されてきた景色だとしたら。

 俺は、何度もここで死にかけたのか。

 レナは、何度もここで俺を見てきたのか。

 その考えが、背筋を冷やした。

「立てますか」

 レナが言う。

 俺は頷こうとして、首が重いことに気づいた。

 それでも、立ち上がろうとした。

「無理すんな」

 トオルの声がした。俺の横にしゃがみ込んでいる。顔が青いのに、目は必死だ。

「無理しないと、無理だろ」

 俺が言うと、トオルは苦笑した。

「お前、そういうとこだぞ」

「今さら」

 俺はレナの肩を借りて立った。

 足が震える。息が整わない。胸の奥に、さっきの針の感覚が薄く残っている。

 でも、死んでない。

 それだけで、世界が少しだけ現実に戻る。

 その瞬間、笛の音が鳴り響いた。

 開始の笛じゃない。

 中止の合図だ。

 結界の膜が揺れ、光がしぼむ。

 柱の線が消えていく。箱が開き、外の音が戻ってくる。

 教師の怒鳴り声が一斉に飛ぶ。

「全員、異能停止! その場で座れ! 動くな!」

 生徒の叫び、泣き声、混乱。

 模擬戦は終わった。

 でも、終わり方が最悪だった。

 上空のスピーカーから、淡々としたアナウンスが流れた。

「システムトラブルにより、本日の模擬戦は中止します。全生徒は速やかに指示に従ってください」

 システムトラブル。

 言葉の軽さが、腹の底に刺さる。

 今のはトラブルじゃない。攻撃だった。殺意だった。

 俺は息を整えながら、視線を上げた。

 観覧席の上。体育館の高い壁の影。

 そこにクロノがいた。

 いつの間に、という場所。

 クロノは手を叩いていた。

 ゆっくり。

 乾いた音。

 パチ。パチ。パチ。

 その音が、周りの混乱と妙に噛み合って、気持ち悪い。

 クロノは俺を見て笑った。

 楽しそうじゃない笑い。

 確認するための笑い。

「やっぱり、君は英雄になる器だよ」

 クロノの声は、距離があるのに届いた。

「前と同じくね」

 俺はその言葉に反応できなかった。

 前。

 同じく。

 何の話だ。

 聞きたいのに、今は身体が言うことを聞かない。胸の奥がまだざらついて、呼吸が浅い。

 レナが俺の腕を支えたまま、クロノを睨む。

 睨んでいるのに、言葉が出ない。

 言葉を出したら、何かが決定的に壊れるみたいに。

 クロノの拍手が、もう一度響いた。

 パチ。

 その音が、さっきの逆再生の感覚と重なる。

 救われた。

 確かに救われた。

 でも、その救いは、俺の意思の外で起きた。

 俺の死が、なかったことにされた。

 それが正しいはずなのに。

 なぜか、胸の奥が冷えていく。

 俺はレナの手の温度を感じながら、思った。

 また、救われた。けれど、それが正しいことだとは、なぜか思えなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ