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姫は歌姫

 僕は夜の街を出歩いていた。

 お供は深紅の小鳥、ゲッカ。

 王都は街灯も整備され、夜でも散歩するには十分に明るく、ゲッカのつややかな紅い羽が輝いている。

 ——「スタンピード以後」、昼間はギルドで得た依頼をこなす日々が続いている。

 大手のギルドから根回しがあったのか、あまりうまみの無いような依頼しか、我らがギルドには集まらなくなってしまっていた。

 キノちゃんとティアちゃんの移籍が端を発しているのは間違いなく、二人は申し訳なさそうにしているが、ギルドマスターのラモンさんは「そんなの全然気にするな!」と相変わらずの男気をあふれ出している。

 理想だけでは生計が成り立たないのは事実だが、僕らはひそかに恩返し目的の上納をしている。

 スタンピードで手に入れた大量の魔石や素材は、余すことなくゲッカが回収した。これを一度に市場に流すのは経済の混乱を招くに違いない。

 僕らは最低限の生活費を拝借し、それ以外を少しずつ、ギルドに寄付している。

 気付いたら毎晩ギルド内に現れる大量の魔石。

 ラモンさんや、戦列に復帰したオランザさんなど、見張りをして真相を確認しようとするが、隙をついてゲッカがそっと戦果を供える。

 見張っている場所から死角になる場所で、一瞬の出来事に誰もついていけない。

さすがに僕らが一番怪しまれているが、証拠はつかませていない。

全部を受け取ろうとはしないが、冒険者たちを養うため、系列の孤児院の運営のため、背に腹は変えられない。少しずつ融かしてくれているようだ。

キノちゃんとティアちゃんは、自身のステータスに慢心することなく、研鑽を続けている。

パラメータが上がった影響で、≪絶唱≫や≪弾跳≫がコントロールつかなくても、ある程度形にはなっている。

キノちゃんは敵からの妨害が暖簾に腕押しで、華麗に避ける様がまるで踊って歌うようだ。

 ティアちゃんも、照準が合わなくても数打ちゃ当たるの精神で、また、キノちゃんに当たりそうになってもすんでで回避し、アクロバティックなダンスのようなマシンガンアタックとなっている。

 強い敵は≪プロデュース≫が無いと安定して倒せないため、そんな敵に遭遇した時に初めて介入するようにしている。

 僕は偉そうな立場だけど、実際は持ちつ持たれつだ。

戦闘スキルを持ちあわせていないため、パラメータのアドバンテージがあっても、相手が強力な≪能力≫を使ってくれば生命に危険が及ぶことがある。

そこだけは気をつけなさい、とゲッカが注意喚起してくれている。

 仲間がいなければ、僕はただの「高レベル」なのだ。

 そうは言いつつも、力強い仲間も増え、日中の探索兼修業だけで形になっている昨今、夜な夜な王都の探索に繰り出している。

 社会勉強が第一の理由。夜の観光も、さすが王都、治安は比較的良い。

たまに暴漢と出くわしても、ゲッカの≪威圧≫で不戦勝となる。その中には、ギルド前で一戦交えたヤトリ、彼の取り巻きも混ざっていたようだが……徐々にその嫌がらせも減っていった。

夜遊びのもうひとつの理由、それは、「歌声」だ。

お城の近くを通りかかると、かすかにではあるけど、女性の歌が聞こえてくることがある。それは決まって夜であり、耳をすまさないと気付かないほどだが、おそらく、かなりの実力者だ。

王都グラシリス、その名を冠したグラシリス城は、他の侵入を許さない起伏の大きい山に背中を預け、足場に城下が広がっている。

城前は夜間でも屈強な兵士が警備している。近づこうにも、不審者扱いで追い払われるのが目に見えている。

ただ、歌声を聞くと、好奇心が増すばかり。

「なんとか近づけないかな?」

「警備を突破するのは簡単だろうけど、彼らに罪はないから、手は出しにくいわね」

 ゲッカも、僕のワガママに付き合ってくれている。

「そうだよね……正面突破して、突破された側は責任問題になってしまうだろうし、そんな無理やりだと、心証良くないだろうし」

「脇から試す?」

 たしかに、城の後方は山、前方は兵士で近づきにくい。横は手薄なのかもしれない……と以前も試みてみたが、側方は側方で、ゲッカの≪グレートウォール≫のような魔法による障壁で守られている。

 そこもむりやり突破すれば術者に感づかれてしまうだろうし、

「うーん……ん?」

 ダメもとで城脇に歩み寄ったところ、障壁が弱まっていることに気付いた。

 例えるなら、ビニールハウスの入り口のような感じで、風でも吹けば隙間があくような状態だ。

 突然の好機に驚いていると、次第に障壁は元の強さを取り戻し、排他的な顔でにらみつけてくる。

「術者の状態で変わるのかもしれないわね。もう少し待ってみる?」

 そのまま待機していると……数分後、障壁がまた弱まった。

 「今だ!」とばかりに魔法の障壁をくぐり、難なく城の敷地内に潜り込むことができた。

「……これって、犯罪だよね」

「帰る?」

「……行こう」

 パラメータが常人離れになったおかげか、城壁をよじ登ったり、場内で気配を探られずに歩みを進めるのが容易に行えた。

 目標の歌声まで徐々に近づく。

 僕をここまで駆り立てる理由、それは、「歌声」が元の世界で大好きだったアイドル歌手と似ていたからだ。

 

——僕は最初からアイドルになりたかったわけではない。

 孤児院では、亡くなった両親の影響か、遊び友達としてピアノをしょっちゅう弾いていた。歌も好きだったけど、どちらかというと、広く音楽が好きだった。

 そんなある日、今(当時)をときめくアイドルが孤児院に表敬訪問に来た。

 あまりその人のことは知らなかったけど、職員さんや周りの子供たちの反応から、誰もが知る人気アイドルだということはすぐに推測できた。

僕は幼いながら、そんなアイドルが孤児院に無償で来るということは、それはイメージアップのためのパフォーマンスに過ぎない、と斜に構え、部屋の隅で体育座りをして丸まっていた。

しかし、人気アイドルにも関わらず、最低限のスタッフのみで来訪し、ドキュメンタリー演出のためのテレビクルーなどは見当たらなかった。

 あとになって知ったのは、本当に個人の心意気のみで行っている訪問活動らしく、おおっぴらにしていないせいか世間ではあまりその活動が知られていないほどだった。

 ステージとも言えないステージで、ほぼ即席のコンサートが始まった。みんな許可されたところまでは我先にと近づき、片隅で体育座りの僕には歌声しか聞こえなかった。

 ……歌声「しか」なんて失礼極まりなかった。

 僕の耳に届いたのは、若いのに艶のある歌声。いわゆる「カワイイ」それではなく、どこか落ち着いていて、だけど、アップテンポな曲にも負けない、心地よい重み。

 僕はいつの間にか立ち上がり、近づきすぎて注意されるほどだった。

 そこに見えたのは、小さなステージで僕らに向かって全力で歌声を届けてくれる、ひときわ輝く一流のアイドル歌手だった。

 心を奪われた僕は、そのあとのことはほとんど記憶が無かった。

 だけど、僕の好みはあっという間に書き換えられ、単純だけど、夢は「アイドル」になった。

 僕がアイドル見習いとして芸能界に足を踏み入れた時には、彼女はさらにその地位を高め、一人で数万人をコンサートに集める大人気アイドルになっていた。

 そんな忙しい中でも「小規模な」コンサートは続けているようで、僕は追い付けないまでも、尊敬するアイドルの先輩として常に目標としていた。


 近づけば近づくほど、その歌声は鮮明になる。

 あこがれの人に重ねるのは声の主に失礼かもしれないけど、だんだんと確信に変わっていく。

 僕はこの歌声が好きだ——。

 気づけば中庭にたどり着いていた。飛び出すような愚行はせず、一歩引いた舞台裏に身を潜める。

 そっと、声の方に目をやると——。

 彼女は月夜に照らされていた。

 高貴なその姿は、艶のある歌声に矛盾しなかった。

 月下の彼女は、気高く、美しく。

 歌の最高潮では、その右腕で月をつかむような仕草——。

 召し物はおそらく、上等な青いドレスであり、その様はまるで民を鼓舞させる英雄のようだった。

 僕はただ魅入られ、近寄ることも忘れてその姿と歌声に圧倒されていた。

 絵画にして奉りたくなるほど綺麗で、心をつかんで離さないほど歌声は沁み入った。

 元の世界でのあの感動に匹敵する、そんな出会いだった。

 ……と。

 歌い終えて上品にお辞儀をする彼女に対し、パチパチパチ、と手拍子しながら近づく男性。身なりからは、こちらも位が高そうだ。

「見事だよ、ミリア姫」

「ありがとうございます、おじさま」

 僕はゲッカに口パクで驚きを伝える。

(「姫」!?)

(城の中で悠長に歌えるのは、≪音響魔術士≫か、趣味としてのお偉いさんか、そんな感じじゃないかしら)

 ミリア姫のワンマンコンサートを傍らで見物していた男性は、よく見れば「おじさま」と言われる割には若々しく、プリンセス映画に登場する王子様のようだった。

「あいかわらず、感情がこもったところでは結界も弱くなるようだが、それだけ表現形は文句のつけようがないな」

 城の周りに張られた障壁の強弱……侵入者の僕らは特に合点がいった。

「その癖のせいで、いつもご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「いや、護衛のおかげと言ってはなんだが、特等席でいつも聞かせてもらってるからな。おつりがくるくらいだ」

「おじさまったら」

「さて、今日も素敵な夜を過ごさせてもらったよ。夜更かしはしないようにね、おやすみ」

「おやすみなさい……」

 最後まで紳士にふるまう「おじさま」がこちらに近づいてくるが、忍者のように気配を殺し、通り過ぎるのをやり過ごす。

 ミリア姫は遠ざかる背中を口惜しそうに見つめ続け……そっと両手を胸の前でぎゅっと握りしめる。

(ミリア姫って、絶対あの「おじさま」のこと好きだよね)

(目を輝かせて何言ってるのよ……)

 素敵な出会いの感動と、宮廷恋愛物語を同時に味わい、元アイドル、元女子にとってはワクワクが止まらなかった。

 同時に、部外者としての申し訳なさも湧き上がってくる。

(そろそろおいとましようか。……悪趣味かもしれないけど、またのぞかせてほしいな)

うなずくゲッカとともに、そっと踵を返したそのとき、

「そろそろ出てきたらどう?」

「「!」」

 声をかけてきたのは、まぎれもなくミリア姫だった。

 先ほどまでのやや甘さもある声色ではなく、かといって怒りがこもったでもなく、知り合いにでも声をかけるような、そんな印象だった。

「……僕たちのことでしょうか」

 ミリア姫の眼前に、正直に名乗り出る。

「あら、思ったよりもかわいらしい客人だったのね」

「のぞきのような真似をしてしまい、すみませんでした!」

 あなたの歌声に導かれて……と言い訳したかったが、まずは素直に謝った。

「そうね、城への不法侵入は通常は重罪だけど、まあ、許しましょう」

「え……そんなあっさり?」

 ミリア姫はクスリと笑う。

「私の≪占星術≫で、あなたとの出会いは予見されてたの」

「≪占星術≫で予見?」

 ≪能力≫の一種なのだろう。高貴なこととは別に余裕があるのは、それが理由なのかもしれない。

「おおまかな未来しかわからないけど、例えば、『分かれ道が現れて、その時には右の道に曲がると良い』みたいにね。今回は、『見物者が現れて、その出会いはプラスに働く』って見えてたの。どんな『見物者』なのか、どんな『プラス』なのかはわからなかったけど」

 罪と罰のアンバランスに安心しつつ、その懐の深さが心配になる。

「……不法侵入者で初対面の僕らに、そこまで教えちゃって良いんですか?」

「それだけ自分の≪占星術≫を信用しているし、今までもそうやって生きてきたから……」

 そう語るミリア姫は、月夜のせいなのか、不思議と少し寂しそうに見えた。

 僕は、それならば、と率直に思いを伝える。

「素敵な歌でした」

「ありがとう。恥ずかしながら歌は趣味なの」

「誇っていいことです! 実を言えば、僕もあなたの声に誘われて……こちらへ」

「うれしいことを言ってくれるわね。危険を冒してまで歌ってよかった」

「危険? 僕らの不法侵入のことですか?」

「そうじゃないわ。さっきも言った通り、あなたの登場はむしろ、良いことの兆しに他ならない。……あなたが不法侵入できたことと関連はあるけど」

「障壁! ……ですか?」

 ミリア姫は静かにうなずく。

「その通り。厳密には私の≪能力≫のひとつである≪防御結界≫、これに関連してるの。常時発動してるんだけど、さすがに他のことに気を取られると、弱まるのよね。おじさま……ソラーレ大臣も言っていたでしょ? 『感情がこもったところでは結界も弱くなる』って」

 「おじさま」は大臣だったのか、とその驚きは置いておきつつ、引き続きミリア姫に耳を傾ける。

「話が回りくどくなるけど、私はこう見えても、狙われやすい立場……いちおうこの王国の継承順位第一位の姫なの。あ、自己紹介が遅れたわね。名前はミリア・グラシリス。よろしくね」

僕も型どおりにかしこまった自己紹介で返した。

(さらっと言うけど、やっぱり、お姫様なんだ……)

 どう見てもお姫様な彼女から、想定通りの自己紹介。次いで、物騒な話も。

「この国は中途半端に平和なの。国王である父は凡庸なんだけど、私の≪占星術≫が政治にはうってつけでね。国は安泰の方向に舵が切られ、今に至っている。皮肉にも、それに甘えて責務をサボる輩もいて……。これも≪占星術≫を用いて悪政者を浮き彫りにさせ、弾劾し、政治の安定に努めているんだけどね」

 跡目争いだけでなく、正義による危険……。

さっきまで神々しく感じた月明かりが、今度は反転、侘しさとなってミリア姫を照らす。

「いくら予見できても、私には武力がないの。幸い≪防御結界≫があるけど、守るのみ。それも、気を取られれば弱くなる。有事は騎士団長でもあるソラーレ大臣と、騎士団の方々が守ってくださるのだけれどね。いまは騎士団が手薄で、そこを突かれればいつもより危険なの」

「どうして手薄に……」

 事件でもあったのだろうか、一国の騎士団が駆り出される事態なんて……。

「最近、モンスターが活性化しているのは知っているでしょ? そのせいなのか、この前は、おそらく伝説級のドラゴンが一瞬現れ、一瞬で姿を消したみたいでね。しかも王都からさほど離れていないところで。それの調査に人員が割かれて」

(! ……)

『サファイアドラゴン』のことに違いない。犯人は僕だ。

「それと、先日もめったにおこらないスタンピードが王都を巻き込む可能性のある位置で起こったみたいで。不思議なことにこれもいつの間にか収束されていて。変に解決が早かったぶん、こちらも調査が難航してるみたいなのよね」

「……」

 これも僕が関わっている。

前者は自作自演、後者は超スピード解決だったが、いずれも通常では考えられない解決過程を踏んだぶん、対応策を検討するにも時間がかかってしまっているのだろう。

「そんな大変な時にワガママなのはわかっているんだけど……歌いたい、そんな気持ちがあふれて……」

 生命を常に狙われている緊張感、それは想像もできないほど心を削るものなのだろう。たいていの場合、それを支えるのは、自分の愛するもの……。

 ミリア姫にとって、それは歌。その歌は、彼女だけでなく、僕を含めた周りの者も幸せにしてくれる。

「わかります。ミリア姫も歌に愛されてるのだと思います」

「……思ったよりもナイトなのね」

 僕が決めてしまったときには恒例だが、ゲッカが呆れたように宙を舞う。

コホンと咳払いし、≪占星術≫に従う。

「僕もあなたを守ります。こう見えても、お力になれるくらいの実力はあると思います」

「ふふふ、正真正銘のナイト様、ね」

 おそらく、僕らであれば十分な護衛になれるだろう。少なくとも、警備が手薄なうちは用心棒を買って出たい。

≪占星術≫の思し召し通りなのだろう。ミリア姫は嬉しそうに、柔らかい笑顔となる。

 打ち解けられたところで、僕はひとつ、妙案が浮かぶ。

「それと……あなたへのプレゼントがあります」

「プレゼント?」

「『歌』です」

 個人的な思いに戻るが、彼女は僕の好きな歌声を想起させる。

元の世界の、あこがれのあの人の、僕の大好きな歌、それをミリア姫に歌ってほしい……そんなワガママすぎる願いがあふれてしまった。

「どんな歌かしら」

 月が映るそのきれいな瞳で興味津々で見つめられると恥ずかしいけど、

「僕が歌っても良いですか?」

「実演ね」

 この姿になって歌うのは初めてだけど、不思議と自信があった。

 元の世界では何回も歌った歌。初めてあこがれの人を知った時の歌。オーディションでも歌った歌。

 恥ずかしさも無く、ミリア姫に伝えたかった。

≪音響≫で紡ぐ伴奏、月夜に音符を並べ、無我夢中で弾き語った。

 ——歌い切った。

 ミリア姫は、今度も柔らかい笑顔でこちらを見つめてくれている。

「良い歌ね……聞いたことない旋律だけど、心に刺さってくる……。私も歌いたいわ」

「よかった、気に入ってもらえて」

「あなたも、歌を愛しているのね」

 思っていた以上の反応に、僕は胸をなでおろした。

「ピィ(お取込みのところ、悪いけど)」

 さっき飛び立っていたはずのゲッカがいつの間にか僕の肩で休み、耳打ちしてくる。

(わぁ! ……ごめん、盛り上がっちゃって)

(いいのよ、私も聞いてて気持ちよかったわ。≪音響≫もかなり使いこなせているわね。パラメータの上昇も作用しているのかしら)

 聞けば、魔法はそもそもイメージを具現化しており、これを音楽に代用したものが≪音響≫、これを生業にしてるのが≪音響魔術士≫。

 イメージさえできれば、元の世界の楽器による演奏も表現可能になる。

(要件は……それ?)

(ううん。ひとつ報告。……あの大臣、いつの間にか戻ってきてて、こっちの様子を伺ってたわよ。油断できないわね)

 ひそひそ話だけが進んでミリア姫は置いてきぼりを食らっているが、早速先ほどの僕の歌唱を反芻し、自分のものにしようと努めている。飲み込みも早いようだ。

(僕の歌を聞かれちゃったのは恥ずかしいけど、優秀なナイトだね)

(そうなら良いんだけど。ただ……私たちを泳がせすぎなんじゃないかな、って。護衛なら、部外者をこんなに近づかせて不用心じゃない?)

(うーん……大臣も≪占星術≫、というかミリア姫を信用してるんじゃない? ミリア姫が気を許してる相手だから、ほっといても大丈夫だろう、って)

(たしかに……それに、≪占星術≫があれば大臣が『凶星』ならとっくの昔に……考えすぎね)

 ゲッカの心配の意味がよくわからなかった。

 今は素敵な出会いに乾杯。ピアノ演奏やパーカッションのイメージも合わさった次曲に、ミリア姫は二度目の感動をしてくれた。

「これも聞いたこともない音楽……」

 彼女は未知の音に驚きつつも、すぐに吸収し、彼女の歌声を乗せてくれる。

彼女とのセッションは、時間を忘れるほど楽しかった。目の前にいるのはお姫様ではなく、共通の趣味を持った友達……そんな感覚だった。

僕らは、大臣の言いつけを守らずに「夜更かし」してしまった。


***


 ゲッカはたまにこの世界のことをレクチャーしてくれる。

この世界に来たときはその頻度は高かったが、だんだんと影を潜めてきている。

それだけ僕がこの世界に慣れてきた証拠なのかもしれないが、ミリア姫の謁見後、久々に根本的な理を教えてくれた。

≪プロデューサー≫が≪音響≫も使えて便利すぎるが、そもそも≪音響≫は大多数の人たちに同時に伝達するための方法なのだそうだ。

≪検索≫で人材を探し、≪鑑定≫で人材を見定め、≪音響≫で人材に思いを表現する。そして≪プロデュース≫で人材を強化する。

そんな流れを体現するために与えられた≪能力≫の数々、ということらしい

一方で、自分だけでは成り立たないのが、この≪職業≫の肝なのだと思う。

女神様は≪能力≫の悪用を自制するように言っていたが、実際には、仲間がその抑止力になる。

僕としては、≪能力≫をみんなのために生かせられれば、そんな思いに尽きるのだけれど。

「——ハオ君、ねえ、ハオ君!」

 目を覚ますと、そこには、エルフの美少女、キノちゃんが心配そうにのぞき込んできていた。

 あまりの可愛さに、すぐに覚醒する。

「ごめん、寝ちゃってたみたい」

 ギルドの待合室……といっても、机やイスが乱雑に並べられたところだけど、そこでのミーティング中に僕は寝落ちしてしまっていたようだ。

「ハオ君、疲れてる……よね? もしかして、私たちに付き合ってくれてるせいで?」

「いやいや、そんなことないよ」

 僕の寝不足の理由、それは、夜な夜なの密会のせいだ。

もちろん、ミリア姫との。もちろん、共通の趣味の友人として。

大臣もこちらのことには気づいているはずだけど、静観してくれているようだ。

僕のおすすめの曲は出会いの時のあの一曲だけではない。

あこがれのあの人は、たくさんの名曲を持っている。

せっかくの理解者であるミリア姫に、受け取ってもらえるだけ受け取ってほしい。そんな思いで、≪音響≫を駆使し、楽曲提供を行っている。

彼女も言葉たがわずそれらの曲を気に入ってくれているようで、あっという間に自分のものにしてくれる。

伝える時間は少なく済むが、彼女の歌を聞くのは、時間がいくらあっても足りない。

だけど、昼間も激務なミリア姫のことを案じ、そして、大臣との時間も考慮し、何とか非常識ではない程度にお時間を頂戴している。

彼女も無理している感はなさそうだけど、こちらとしては遠慮気味なタイムスケジュールでとどめている。

そうはいっても、ついつい睡眠時間が削られてしまう。毎日、ぜいたくなマンツーマンコンサート。帰宅後も興奮が冷めやらないのだ。

「私が言うのもなんだけど、たまには休んだ方がいいんじゃない、かな?」

「キノちゃん……ごめんね、僕の勝手でこうなってるのに……優しさがうれしいよ」

「ううん、優しいのはハオ君の方だよ」

 美少女の笑顔はかなりの癒しになる。

 そういえば、もう一人の美少女、寝落ちする前は同席していたはずのティアちゃんの姿がない。

周りを見渡すと、後ろの方で隠れたつもりになっているティアちゃんとラモンさんが、こちらに……というよりは、キノちゃんに何か合図を送っている。

 それに気づいたキノちゃんは「ハッ」として、頬を赤くしてモジモジし始めた。

「大丈夫? キノちゃん?」

「あの……これも私が言うのは違うかもしれないんだけど……その……」

 より赤みを増したキノちゃんに、後ろの二人は煽りを強める。

 キノちゃんは意を決したように、両こぶしをぎゅっと握りしめる。

「こ、こんどの闘技祭に、一緒に行きたいの!」

「闘技祭って、もしかして、三日後にある、あの?」

 世間に疎い僕にも、今回のことは心当たりがあった。

「うん! 闘技に興味があるわけじゃないんだけど、あ、ハオ君と一緒に行けるならどこでも、は! あの、えーと、今回はオープニングセレモニーでミリア姫が歌ってくださるみたいで……」

「評判らしいね」

 毎晩直接聞かせてもらっているとは言い出せず。

「うん。私、これでも≪歌い手≫だから、歌が好きで……歌好きにとっては、ミリア姫の歌声は憧れで……聞いたことはないんだけど、噂によると、誰もが聞き惚れる美しい歌声で、だけどその立場のせいか、なかなか表には出てこなくて……」

——今回の催しについて、ミリア姫本人から直接聞き及んでいる。

「ハオ、今度、闘技祭があるのは知ってる?」

 いつものコンサートの幕間、世間話程度に切り出された。

 闘技祭——闘技場で行われる、三年に一度のお祭りだ。

 腕に覚えのある猛者が、魔法や武道を駆使して年間を通して予選をこなし、勝ち進んだものがこの日に頂点を争う権利を得る。つまりは、王国で一番強いものを決める、大イベントだ。

 ちなみに、たびたび話題に出るヤトリ(僕がビンタで、ゲッカが≪威圧≫で叩きのめしてしまった冒険者)も、前年度は優勝しないまでも、闘技祭にはエントリーして善戦したとのことだ。

「その闘技祭がどうかしたんですか?」

「私が、開会の歌唱を担うことにしたの」

「ええっ! それは危ないんじゃないですか? 狙ってくださいって言ってるようなもんですし」

「≪占星術≫では、『吉』とでたわ。ソラーレ大臣も了承してくれたしね」

「よく許可が下りましたね」

「それだけ、≪占星術≫は信用に足るものなのよ。あとは政治的に言えば、イベントのオープニングアクトは権力の表現でもあるから、もともとここ何年も、受けるように周りからの圧力が強かったのよね。特に父……国王から。しかも闘技祭は王国を上げての大イベント。この国の姫である私が行うのはむしろ自然なことなのよ。いままで断っていたのだは確かだけれど、今回は風向きが変わったみたい」

「≪占星術≫でそう見えたんですか?」

「そうね」

 ミリア姫は、急に視線を逸らした。

「ミリア姫?」

「私には、≪防御結界≫もあるし、少なからず、騎士団の方々も……ソラーレ大臣も守ってくれることにはなってるわ」

 今度は、打って変わって笑顔でこちらの手を握って、その距離で目を見つめてくる。

「ひ、姫!?」

「あなたも守ってね」

「……もちろんです」

 『男だったら好きになってる』とまた言いそうになったけど、なんとか我慢した。

 むりやりまとめられてしまったが、そんなこんなで僕は裏方として、闘技祭に参加することになった。

 一応、極秘の任務だ。いくらキノちゃんたちであっても、口が避けても言えない。

——そう思っていたら、キノちゃんからの、闘技祭への誘い。

「ごめん……その日は先約が……」

「あ……そうだよね……ハオ君、忙しいし……」

 途端に、キノちゃんの顔が曇る。罪悪感で目を見れないが、おそらく涙目だ。

「いや、その、キノちゃんとはお出かけしたいけど、その日はどうしても……」

「……気を使わせちゃって、ごめんね」

 せっかく、勇気を出して誘ってくれたのに。

「日を改めてお出かけしよう! 今回のお詫びに、その時はキノちゃんの好きなことなんでも付き合うよ」

「え……! ……うれしい」

 表情の変化が忙しいが、何とかいつもの笑顔でまとまった。

 ゲッカがいつものように窓際に飛んでいく。絶対に呆れている。

 

「ミリア姫……ああ、どんな歌声なんだろう」

 胸を高鳴らせるのは、キノちゃん。

「ウワサだけなんだろ? キノっちの歌の方がウマいんじゃないか?」

ティアちゃんは出店の綿菓子をほおばりながら、花より団子状態だ。

「ティア! 畏れ多いよ!」

 慌てて訂正するのも無理はない。

 本来、闘技祭のメインは最強を決める死闘、これに尽きる。

 ただ、今回は様相が異なる。

 客層も、例年よりは女性や子どもの比率が若干高い。

 理由は、キノちゃんのそれと同じ——ミリア姫の歌唱を楽しみに来ている人が多いのだ。

 そんな環境で、自分の方が歌がうまいなんて叫ぶのは、この場で「私が最強」と叫ぶのと同じくらい、自殺行為に等しい。

 喧噪のおかげか、難を逃れた彼女たちは、指定された座席に向かう。

「うわぁ……初めて来たけど、広いね」

「すげぇ! ティアもここで戦いたい!」

 感想は各々。

闘技のメインステージを中心に、収容人数五万人を超える、王国で最大の会場。

一番外層の立見席からは、競技者が点のように見えるほどの広さだ。

「席としては中層くらいだけど、ミリア姫の歌、聞こえるのかなぁ」

 ——事前の打ち合わせ。

「ここはこういう強さと勢いで……そうです。あ、そこは、もう少しタイミングを遅らせて……」

 僕は、≪音響魔術士≫の方々に、音楽のイメージを伝えていた。

 ミリア姫の『今度の闘技祭、あなたが最初に教えてくれた歌、あの歌を歌わせてほしいの』という発言がきっかけとなり、僕が音楽技術スタッフの中心となっている。

 お気に入りの歌とはいえ、まさか催事の歌に選ばれるとは、気恥ずかしいような、光栄なような。

 謹んでお受けし、キャパシティーの大きな会場でも後れを取らないような≪音響≫となるように、練り上げている。 

 まずは部外者がいきなり現れたことについては、ミリア姫の口添えでクリアした。

 そうはいっても実力社会。最初は新参者の意見を聞いてくれる雰囲気ではなかったが、実際に僕の奏でる曲を聞いてもらい、そうしたらすぐに受け入れてくれた。

幸いだったのは、元の世界もこの世界も、音楽の受容体は共通していたことだ。

ただ、こちらの音楽はイメージの伝聞や思い付きに頼って出来上がっている。魔法が発達している弊害で、楽器などがはっきりとした形では発展しなかったことが原因だ。

そのため、元の世界の音楽は発想の外だったようで、あきらかにベテランの方も、

「宮廷の≪音響魔術士≫として何十年もやってきたが、こんな音楽、聞いたことがない……どこでこんな複雑で独創的な音の組み合わせを学んだんだい?」

「えーっと、僕の……『田舎』ではこんな感じで伝承されていて……それを真似しているだけです」

「君の故郷を紹介してくれ! 休業してでも学びに行きたい!」

 そんな調子だ。

 みなさんが興味を持ってくれ、思ったよりもセッションは順調に進んだ。

 リハーサルでも、会場の隅まで音が聞こえるように、かつ、闘技場外には音漏れが最小限になるように、≪音響≫さまさまの調整済みだ。

——迎えた当日。

 いわゆる楽屋のような場所で、ミリア姫は鏡を目の前にして椅子に座り、気持ちを作っていた。

 集中のためか、人払いをし、音楽スタッフとして紛れ込んだとゲッカだけ、在室を許されている。

 ゲッカはミリア姫の前では火の鳥に徹しており、僕とセットの位置づけだ。

 そこへ。

「本番前にごめんね、調子はどうだい?」

「おじさま! おじさまなら大歓迎です」

 ソラーレ大臣の前では、ミリア姫は一人の少女だ。ついついこちらもニヤニヤしてしまう。

「俺も姫の歌をゆっくり聞きたいところだけど、ちゃんと護衛もやらなきゃならないからね」

「お手数をおかけいたします」

「それと」大臣が僕の方を向き直り「最初に君が現れた時は何者かと思ったけど、結果的には姫が君の曲を気に入り、こんな晴れ舞台に出てくる機会を与えてくれたんだ。礼を言うよ」

「あ、ありがとうございます」

 僕が≪音響魔術士≫の一員となってからは、向こうも無視できなくなったのだろう、それまでの監視をうやむやにして、いちスタッフとして受け入れてくれている。

「ミリア姫」

 かしこまった大臣に、ミリア姫が少し身構える。

「なんでしょう、おじさま」

「本当に困ったときのために覚えておいてほしいことがある。いいかい? 複雑だけど、『闘技場ステージの五番退場口、そこから少し進んだところにある女神をかたどった石像が二つ、この石像同士がお見合いするようにその頭を回す、すると、緊急避難用の通路が現れる。言いたいことはわかるね?」

「いざというときは、そこから逃げ出すってことですよね。しっかりと覚えたので、大丈夫です。ありがとうございます」

「一部の王国関係者しか知らない、極秘情報だ。まあ、ミリア姫もまぎれもなく王国関係者だからな。転ばぬ先の杖、ってやつさ」

 そう言い残し、大臣は部屋をあとにし、僕たちだけが取り残された。

 極秘情報を活用してでも、今回の舞台を無事に終わらせたいのだろう。

 僕が音響スタッフの代表として動いていたように、大臣は警備スタッフの代表として守りを固めていた。その集大成といったところか。

 ミリア姫は両手を祈りの形に組み、目をつぶって無言になっている。緊張が増してきているようだ。

「ミリア姫、僕もあなたを守りますからね」

その一言で、彼女は指の絡まりを弱めた。 

実は僕は、本番では音響スタッフを他に任せ、警備スタッフにスイッチする予定となっている。

まだうつむき加減の少女の肩に、そっと話しかける。

「僕だけに聞かせてもらえる歌声もうれしいですけど、せっかくなら国民の方々にもあなたの歌声を聞かせてあげてください。皆さん、楽しみにしていると思います」

「ありがとう……余計なことは気にせず、歌わせてもらうわ」

 そう言うと、さっと立ち上がり、いたずらな笑顔で、

「ソラーレ大臣のさっきの言葉、覚えた?」

 痛いところを突いてくる。

「えっと、どっかの出口の……女神様を……えいっと……」

「まったく……」

 ミリア姫はそっと僕の耳元に口を近づけ、驚く僕を気にせずに、耳打ちをしてくる。

(今度はよく聞いてね)

「は、はい!」

 吐息がかかる距離で心臓のドキドキが止まらない。

なんとか頭に刻み込むための準備をしたいが、まるで頬にキスでもされるかのような——

 ちゅっ……

「へ!?」

 たとえ話ではなくなっていた。

 柔らかな唇の感触が、僕の右頬にしっかり残る。 

現実を整理できずにフリーズする僕に、

「私だけで何とかなると思うから、ハオは気にしなくて大丈夫よ」

「でも……」

「……出会ってくれて、ありがとう……ハオ」

 そう言うと、ミリア姫はあっさりとその場を立ち去る。

 彼女の背中を呆然と見送る、僕。

 ……まだ状況が理解できない。

 いつもだったら、ゲッカが呆れるようなシチュエーションだが、

「……」

 ゲッカは考えに浸っている。

「ゲッカ……?」

「……あなたはあなたの仕事をしなさい。しっかりとね」

 急にいつも通りになったゲッカを見て、頬の感覚がすっと消えていった。


『みなさま、お待たせしました! 本日は記念すべき第50回目の闘技祭です!』

 ステージの真ん中に現れた、宮廷服に身を包んだ男性。≪音響≫によりあたかもマイクのように声を響かせる。

 彼、マスターオブセレモニーにより会場が熱量を増す。

『そして、みなさんおまちかね! 今回は記念大会にふさわしく、オープニングアクトはそう、この方です!』 

 煽りと歓声の中、舞台演出の砲撃(白煙メイン)が放たれる。

 煙が徐々に薄くなると、そこに現れたのは、白いドレスで身を包んだ、ミリア姫だった。

 楽屋の姿とは違い、ウェディングドレスを少しライトにしたような、それでいてただただ美しい姿だった。

「「「オー!!!」」」

 人々から驚きや感嘆が漏れ、中には言葉を失い、歓声に加われない人もいる。

 僕とゲッカは、特等席——六番退場口からステージと観客席を見渡している。

 ここは、ステージの真後ろに位置し、演者の後ろ姿しか見えない点では残念なところではあるが、背後は観客席が無い、野球場でいうところのバックスクリーンのようになっている。死角が少ないのが警備上の利点だ。

 それと、大臣の言葉——五番出口にも近いのが幸いしている。

 ちなみに、僕らの背後はそれこそバックスクリーンのように、ステージの様子が拡大して映し出されている。そういうことに特化した≪映像魔術士≫という方々もいるようで、ミリア姫のご尊顔が最外層からも十分に堪能できる。

 そして、僕らとミリア姫の間には≪音響魔術士≫がスタンバイし、これもオーケストラのような形で音楽を奏でる算段だ。

 ミリア姫が丁寧に深く、お辞儀をする。

顔を上げると、

『みなさん、本日はようこそお越しいただきました』 

 彼女の美声も、≪音響≫によりそのまま拡声される。

『この晴れの舞台で歌唱の大役を仰せつかり、誠に恐縮です。これから闘う戦士の皆さまのため、謹んで独唱いたします』

 一国の姫にも関わらず、丁寧な物言いが、観衆の静寂を促す。

 ≪音響魔術士≫の方々が、腕を振り上げる。

 ——イントロの時点で、観客たちはかつてない音の重なりに驚いていた。

 それはとっつきにくいからではなく、人の本能に刺さる、心地良い旋律だから。

 僕があの日——元の世界で——感動したのと同じ経験が彼らを待ち構える。

 ミリア姫は、本番前の緊張が嘘だったかのように、歌を紡ぐ。

 彼女の歌声を聞き慣れている僕でさえ、この巨大会場に作り上げられる≪音響≫の迫力で、より一層感情がなだれ込んでくる。

 僕と同じように、涙を流す人もたくさんいた。

 その歌声は、威風堂堂、人々に力を与えるような、そして八面玲瓏、人々の心を浄化するような、とにかく、聞き入るしかなかった。

 仮に彼女を狙う人間がいたとしても、いま動き出せるとしたらまともな人間ではないだろう……そう信じたかった。

 歌が佳境に入り、ミリア姫が右手を天に掲げた。

 初めて会った日、月夜に照らされた彼女は、月夜に手を掲げ……


「「「ドゴォォォォォ!!!」」」

 

 二番退場口——五番退場口とは真逆——から、突如爆発音が轟轟と鳴り響き、それと同時に閃光がステージ中央に向かって放たれる。

「≪グレートウォール≫!」

 閃光、おそらく何らかの魔法が、≪グレートウォール≫に激突する。その衝撃だけでも砂嵐のような土煙が立ち上がる。

ゲッカの反応が勝ってくれたおかげで、ステージのミリア姫含めて他の人たちも、事なきを得た。 

「うわぁあああ!!!」「きゃぁあああ!!!」

 先ほどまで感動に包まれていた観客席が一転、悲鳴のるつぼとなる。

 立ち上がる砂煙の中、さらにパニックになる観客たち。

「……っ!」

 おそらく、ミリア姫の≪防御結界≫が弱まるタイミング——熱唱時——を賊は狙ったのだろう。

 ゲッカは冷静に、

「私は光源の方に向かうわ! ハオは姫を!」

 僕はうなずき、未だ砂煙の立ち込めるステージへ走る。

 ……そこには、≪音響魔術士≫の方々が咳き込んだり、地面に臥したり。

 幸いケガ人はいなそうだが、ミリア姫の姿は見えなかった。

 視界が悪い中で移動するとすれば、目的地がわかっているからだ。

 僕は手探りで五番退場口へと向かう。


「……はぁ、はぁ」

 砂煙を浴びて茶色く汚れてしまった白いドレス、ミリア姫は指示を受けていた目的地、そしてその先の緊急避難路にたどり着いていた。

 そこは光がほとんど差し込まず、壁伝いに一本道になってることが何とかわかる様な通路だった。

「大丈夫か! ミリア姫!」

「おじさま!」

 魔法を松明のようにして周囲を照らすソラーレ大臣が、合流した。

「約束通り、ここに逃げ込めたんだな、良かった」

「おじさまの助言のおかげです。他の方も無事なら良いのですが」

「……大丈夫だよ」

 声のトーンが下がり、松明に照らされたソラーレ大臣の顔が怪しく照らされる。

「おじさま……?」

「俺は一応この国の大臣だからね。民の被害は最小限にしたつもりさ」

「!」

 ミリア姫が身構える。

「ついにこの日を迎えたんだ。君を殺す、その日をね」

「おじ……さま……」

「驚くよね、キャハハハ! 慕っていた叔父上が、まさか自分を殺そうとしてるなんてさ!」

 暗闇に、下衆な笑い声が響く。

 ミリア姫は、壁沿いにもたれかかり、驚きでもなく、怒りでもなく、強いて言えば憐れみの目で大臣を見つめていた。

「なんだ、その目は!」

「……わかっていました」

「は?」

「あなたが私を亡き者にしようとしていることは」

「……≪占星術≫か」

「はい。厳密には、≪占星術≫を授かった時、その時からずっと、あなたは私にとって『凶』であると示されていました。その後に出会うどんな悪人よりも黒く濁った色で」

「そこは俺にとっても疑問だった。汚職まみれの俺が、他のどんなヤツよりも悪事を重ねてきたこの俺が、弾劾されることなくお前の傍でのうのうとしていられる……≪占星術≫を使えるお前ならすぐにそれを告発できる……それなのにしなかった。最初は俺もおびえて過ごしてたがな。いざとなればバラされる前に殺しちまおう。そう思いながら月日が経ち、俺はひとつの仮説を立てた」

「お願いします……言わないでください」

 ミリア姫の目から涙がこぼれ、顔についた砂ぼこりに縦筋を入れる。

「俺に惚れてたんだろ?」

「ぅ……」

「俺を告発しなかったんじゃない……できなかったんだろ?」


 ——一国の姫たる少女は、物心つく前から歌うのが好きだった。

 歌声は子供ながらに見事だったが、おべっかがメインで、自分の歌と向き合ってくれる人がいなかった。

「鳥が苦しんでるみたいだな、あ、わりぃ、言い過ぎた」

 新鮮な感想だった。辛辣だったが、自分の歌に満足がいっていなかった少女には鋭く刺さった。

 すでに汚職に手を染め始めていたその男は、当時は打算もなく、本性そのままの素直な感想を言い放っただけだった。

 ただ、本音のぶん、少女はうれしかった。

 残念ながら、目の前の相手は「凶」の存在。だが、それを少女は頭の片隅に追いやり、月日を重ねた。

「凶」の存在を、自分の歌の第一理解者として。それは次第に、自分でも十分な咀嚼ができないまま、特殊な感情を作り上げてしまった。

 黒が黒にさらに染まる中、少女は他の「凶」の存在は無慈悲に弾劾した。

 結果、国政はつつがなし。皮肉にも、男は他者の弾劾で相対的に地位を高め、大臣にまで上り詰めた。

 それでも満足しない男は、そして、いつ自らを暴かれるともしれない恐怖にも脅かされながら、今日のこの日を計画した。


「殺そうとしている相手を好きになっちまうなんて、皮肉なもんだよな!」

「……じたかった」

「あぁ?」

 目を伏せたままのミリア姫が唇をかみしめる。

「あなたを信じたかった!」 

「……残念だったな」

 ミリア姫はその場にへたり込み、うつむき加減で無抵抗を貫く。

「……あのタイミングで仕掛けてきたのも、悲しかった」

「ん? ああ、歌の最高潮だったもんな。乗りに乗ってるところで悪かったな。その証拠に、お前はいつものように空に手を掲げて……」

「あの癖は、あなたしか知らなかったんです」

「何を言ってんだ。いつもそうやってただろうが。だからこそ、結界が弱まるそのタイミングを狙ってやったのに……」

「他の方々の前では、無意識に身振りが出るほど、感情を込めて歌ったことはありません」

「……そういうことか。そうなると、あのタイミングってことは、俺しかいねぇな」

 大臣は小さく口笛を吹き、反省の色は無い。

「私の……歌に対する気持ちまで踏みにじられた……そう感じました。あのタイミングが私の弱点だと知っているのはあなただけだったんです……ハオが現れるまでは」

「それは悪かったが……! はぁーん……お姫様も気が多いな。本気で歌える相手が俺以外に見つかったってことか」

「……そこまでわかっていただけたのなら、せめてハオには手を出さないでください。あなたがハオにもこの場所のことを知らせたのは、私とともにハオのことも……」

「へへ、もう遅いみたいだぞ」

「——ミリア姫!」

 暗闇の先の光源を追いかけ、辿りついた場所、そこには、壁を背中越しに座り込む、涙のミリア姫。それと、人相が変わってしまったソラーレ大臣。

 二人に近づく道中、彼らの掛け合いが聞こえてきて、大まかな構図は理解できた。

 僕は無防備に大臣に背を向け、ミリア姫の介抱を優先する。

「大丈夫ですか!?」

 背中には薄ら笑いを含んだ声が刺さる。

「王子様の到着みたいだぜ、お姫様」

 力を失ったように僕を見つめるミリア姫の目には、生気を感じなかった。

「ハオ……ごめんなさい……」

「謝らないでください。僕をこの場に来させないようにここに入るための手順を……曖昧にして……守ろうとしてくれてたんですね、犠牲になるのは自分だけ、と」

楽屋での別れ際の耳打ち……とキス。あれはミリア姫からの別れの決意。僕はすぐには気づかなかったが、ゲッカの冷静さが思考の早送りをしてくれた。

「こうなることがわかってたから、あなたを巻き込みたくなかった……」

「大切な人を守るためなら、約束を破ることだってありますよ」

「ハオ……」

 ミリア姫を落ち着かせようと努めるも、逆なでするような下卑た声の悪人は、こちらの都合を配慮してくれない。

「イチャイチャはもういいか? この距離じゃあ、姫の≪防御結界≫も意味をなさないことは織り込み済みだ。そして、音響野郎は知らないかもしれないけどなぁ、俺は二回前の闘技祭の優勝者だ! この意味が分かるな? ……詰んでるんだよ、お前らはな!」

「!」

 おそらく、先ほどの爆発も、ソラーレ大臣によるものだろう。いくらこちらにパラメータの有利があっても、無傷ではいられないだろうし、ミリア姫は一撃でも食らえば……。

飛び出してはきたものの、僕には攻撃や防御に特化した≪能力≫は無いし、この状況ではミリア姫も同じだ。

「俺のために死んでくれるお前らに、素敵なストーリーを教えてやろう。冥土の土産としてな。シンプルだが素敵なお話だ」

 僕は声の主をにらみつけながら、方法を探る。ただの近接戦だけで太刀打ちできるだろうか。

「あるところに、≪音響魔術士≫として姫に近づいた男がいました。そいつは実は間者で、闘技祭の混乱に乗じて姫を殺しました、とさ……」

「そんなことしたら、警備責任者のクビが飛ぶ……」

 僕の発言を打ち消すように、彼は続ける。

「そして、失意の中、大臣は、その賊を殺しました。姫を守れなかった責任も問われるが、姫がいなくなった王国は新たな王を必要とし、そこにかつての有能な大臣が上り詰め、あとは平和に暮らしました、とさ……めでたし、めでたし。どうだ、いい話だろ?」

「都合が良いにも、ほどがあるだろ!」

 僕はミリア姫を胸に抱いたまま、顔だけで大臣をにらみつける。

「……愛想がねぇな。もういいか……そろそろ死ね! ≪フレルーチェ≫!」

「ぁが……!!!」

 僕の背中に光の矢が突き刺さる。

「ハオ!?」

 僕が盾となってミリア姫は無傷だが、背中の激痛は本物だった。

 大臣が左手を前に伸ばし、右手を反対側に引き、あたかも矢を放つような仕草で、数本の光の矢が飛び出した。

避けられれば避けようと画策していたが、光の矢は目で追うのは困難で、躱すという概念が存在しなかった。

何とか耐えた僕の姿は意外だったようだが、

「ひゅー、死なねえのかよ。お前何者だ?」

 そう言いながらも大臣の余裕の表情は覆らなかった。

「……その攻撃でミリア姫まで死んでしまったら、犯人はまるわかりだろうに」

 歯を食いしばりながら皮肉を言ってみるが、

「姫の方は死因がわからないくらいグチャグチャにしてやるから、心配はいらねぇよ。顔はわかるようにしといてやるがな」

 僕はミリア姫の耳がそんな言葉で汚れないように強く抱きしめる。

 胸の中のミリア姫からは嗚咽が漏れる。

「お前の魔力耐性は意外だったが、ダメージは十分なようだな。それなら」

 暗闇の中、光源がいくつか灯る。

 それは僕らを囲むようにして、魔法陣?のようなものが空中に浮かんでいる。

「珍しいだろ? 時限魔法って言うんだぜ。仕掛けておけば、任意のタイミングで発動できる。詠唱や発動に時間がかかるものが、うまく使えば同時に乱射できるし、……今回みたいに、アリバイ作りにも使えるしな。便利な代物だ」

 舞台でのミリア姫への攻撃、大臣は真逆の位置にいたはずで、共犯者のものかとも思ったが、今の説明で合点がいく。

 しかし、状況の解決にはつながらない。

「さあ……仲良く……死ねぇ!!!」

 

 それはまだ、ミリア姫の独唱の前。

「≪プロデュース≫・≪検索≫をしてみたんだけどさ」

「得策ね。何が見えたの?」

 僕とゲッカは、六番退場口で作戦会議をしていた。

 ミリア姫の≪占星術≫を信用すれば、彼女が大丈夫と言えば大丈夫なんだろうけれど。

 彼女の様子がおかしいのならば、それは絶対ではない。

「ミリア姫の歌の最中に、あっちの方から攻撃が飛んでくる。しかも強力な」

「やっぱり何か起きるのね。止めなきゃ」

「その攻撃はゲッカの≪グレートウォール≫で打ち消されるんだけど、ただ、そのあとの混乱の中、ミリア姫は大臣の言葉通りに抜け道に向かい、そこで大臣と合流して……」

「よくないことが起こるのね。現行犯で捕まえるためにも、きっかけの事件が起きなければならないってことね」

「僕がそれを止めに行きつつ、ゲッカは攻撃の第二波を食い止めるために、攻撃地点に向かう」

「それが正解なの? ハオと私が分かれて、ハオに危険が及んだら……」

「第二波もゲッカじゃないと止められないくらいの威力みたいで、止めなければたくさんの人が犠牲になってしまうはず。ゲッカはそちらが片付いたら、こっちに助けに来てくれて事なきを得る、みたい」

「できなくもなさそうだけど……無理はしたくないわね」

 実は、僕はゲッカに嘘をついた。

 大臣が事件を起こしてから、僕とゲッカが分かれるところまでは見えたが、そこから先は見えなかった。

 いままで何度か≪プロデュース≫・≪検索≫を使ってみたが制約もあるようで、僕の力だけで解決できない不確定要素があるときはそこから先が不明瞭になるようだ。

 つまり、僕がミリア姫の方に向かっても、どうなるかはわからない。

 そんなことを言えば、ゲッカはこの流れに反対をするだろう。

 だけど、せっかく大臣がしっぽを出すこの機会、逃したくはない。


『私は光源の方に向かうわ! ハオは姫を!』

 ゲッカは一直線に現場に向かう。

 辺りを見渡しても、≪検索≫を使っても、攻撃を放った賊が見当たらない。

「第二撃は……」

 起きるはずである次の攻撃に備える。

 こちらも、攻撃元となるようなものは見当たらない。

「どうやって……ん? 壁になにか……ある……!」

 一見すると、闘技場を構成する、いち壁だ。

 魔力の高いゲッカだからこそ感じるのか、魔力が漏れ出るのをかすかに感じる。

「もしかして」

 ゲッカは≪特級魔導師≫が時限魔法を使うのを経験している。自身がモンスターと思われて罠のように攻撃を受けたときがそれだが、その時の感覚と似ている。

「≪ネームレス≫!」壁を崩すと、そこには強力な魔法の発生源となる魔法陣が現れた。

「≪インフェルノ≫!」ちょうどその壁の向こうは虚空。お構いなしに獄炎を放つ。

 魔法陣は打ち消され、役目を終える。

 念のため、ほかに魔法陣から漏れ出る魔力が無いかどうか、探りを入れる。

 急ぐ気持ちに負けないように、迅速丁寧に気配を探る。

……他のものはなさそうだ。

「あとは合流ね」

 急いで抜け道の入り口の方に向かう。宣伝通りの石像が見つかるが、

「しまった……私だと動かせない。≪検索≫!」

 焦りながらも、ゲッカには心当たりがあった。力と素早さを持っていて、説明も省ける存在。

「ティア!」

 キノとともに観客の誘導や瓦礫の処理を行っていた彼女に声をかける。

「おう、ゲッカっちじゃん!」

「説明はあと! とにかく、こっちについてきて」

 戦闘時以外は正確に≪弾跳≫を使用できるティアは、ゲッカのスピードに負けず、石像へ向け一直線に追跳する。

 ほとんどタイムロスのないまま、

「この二つの石像の顔を向き合わせて!」

「なんでそんなことするんだ?」

「早く!」

 迫力に押され、ティアは言われたとおり開錠を試みる。。

 扉が開き、ゲッカが飛び込む。

「ゲッカっち、めっちゃ急いでるけど、どうしたんだ……行っちゃった——」

  

「ハオ! 大丈夫!?」

 ソラーレ大臣の構える光の矢、これによって照らされる領域は限りがあったが、ゲッカが高速で近づきながら状況を把握するには十分だった。

 力をなくしてへたりこむミリア姫と、その盾になっている僕。

 とどめを刺そうとするソラーレ大臣。

 彼はゲッカの登場に刺激され、行動を急ぐ。

「ちっ、≪ソラルーチェ≫!」

 それでもゲッカにはかなわなかった。

「≪グレートウォール≫!」僕らを守るように張られたバリアは、光の矢をものともしない。

「ぐぁ!」

 ≪グレートウォール≫に勢いを奪われた光の矢が乱反射し、ソラーレ大臣自身にも衝撃が伝わる。

「≪ネームレス≫!」

 生きて捕らえるためというよりは、この通路の崩壊を防ぐため、ゲッカは手加減気味の火球をソラーレ大臣に打ち込む。

「っ!!!」

 悲鳴を上げる間もなく、彼は吹き飛ばされ、遠く衝突した先で壁が崩れ、外からの光が差し込んだ。

 日差しが背中のケガに沁みる。

 明るくなったぶん、ゲッカの怒り顔が鮮明だ。

「ハオったら、また無理して!」

「……返す言葉もない……です」

 僕は状況の収束を感じながら……意識を失った。

 ミリア姫に受け止めてもらうように倒れてしまったところまでは記憶が残っている。

 あとで聞いた話だが、遅れて現場に来たティアちゃんが、その時の有様を後日キノちゃんに伝えたそうだ。

『お姫様とハオっちが抱き合ってた』

 後日再開したキノちゃんがそのときやけに死んだような目をしていたのは、軽蔑が原因だったのだろうか。


 目を覚ますと、見慣れない高い天井と、ベッド周りの純白の天蓋がまぶしかった。

「ハオ……」

 ミリア姫が涙を浮かべていた。

「ここは……?」

「グラシリス城の私の部屋よ」

 ガバッ! 僕は飛び起きる。

背中は思ったよりも健康だった。記憶が正しければ、僕の背中は穴だらけだったはず。

 ミリア姫が優しく僕を横たわらせ、布団をかけなおしてくれる。

 彼女の説明では、僕は二日間ほど寝込んでいたそうだ。

 宮廷の髄を見せつけるかのごとく、治療班が僕の救護にあたってくれ、驚異的な回復を見せた結果なのだそうだ。

 他の人たちの動向というと、ゲッカはけがをした観客の補償や、闘技場の修繕費用に回すようにと、貯蓄していた魔石をポンと寄付したとのことだ。断る関係者に対し「私も壁を壊したから」と男前なことを言っていたらしい。

 ギブアンドテイクとしては、ギルドの現状が挙げられる。姫を守り、復興費用まで提供する我々に対し、王国は見返りとして、国家直令という名目の依頼を当ギルドに提供してくれている。

他のギルドからの圧力で細々状態だった当ギルドも、国のお墨付きを得たことで手のひらを返したように一般の依頼も舞い込むようになった。オランザさんを筆頭としたギルド所属の面々は、うれしい悲鳴のなか大忙しだ。

 これも、ミリア姫の計らいであることは言うまでもない。

 城で目を覚ました今日この頃、そのような現状を知った。

 ちなみに夜は、ミリア姫が添い寝……するなんてことはなく、僕のプライベートを守ってくれていた。

 一人で暗い天井を眺めながら、ミリア姫の顔を思い出す。

 ソラーレ大臣……彼のことを語るミリア姫の表情は気丈を体現していた。

大臣は命に別状はなく、悪事が露呈したことで投獄された、とのことだ。一国の姫や不特定多数の人間に対する殺人未遂、ほか汚職など、余罪多数。沙汰については、厳しいものになることは≪占星術≫を使わずとも明白であり、ミリア姫の心中を察すると心苦しかった。

 すでに退院ならぬ退城も検討できるほど回復していたが、翌日もお姫様ベッドに非物理的に縛り付けられていた。

 当のミリア姫は、僕の前では今まで通りの彼女でいようと努めている。

 以前の彼女との一番の違いは「歌」だ。

 「歌」の内容ではなく、「歌」の話題がひとつも出てこない。

 看病で果物を傍らで剥いてくれている時も、鼻歌すらでない。

 世間話の時も、天気の話とか、政治の話とか、堅苦しい。

 理由としては僕でも想像できる。

大好きな歌が、大臣の心には届けられなかった。大臣は歌を利用し、ミリア姫自身も利用してしまった。歌への贖罪……。

「ミリア姫、昔話として聞いてほしいのですが」

 僕は唐突に、脈絡もなく、彼女に打ち明けた。少し驚いた表情の彼女に、僕は続ける。

「僕は……親友を守るつもりだったのに、逆に親友の大事なものを奪ってしまった、そんな経験があります」

「大事なもの?」

「……いのち、です」

「! ……何か理由があるのでしょう?」

「そうですね……厳密には、親友のいのちを守ろうとして、それは守れたけど、彼女のいのちより大事なものを奪ってしまった、結果、彼女はいのちを捨てた……そんな感じです」

「……つらかったわね」

 こんなことを彼女に伝えること自体、重苦しくて仕方ないのはわかっている。

 それでもこの話題を出したのは、同じ轍を踏みたくないからだ。

「いま、話さないといけない、そう思って」

「私のために話してくれたのでしょう?」

 僕は彼女の目を真っすぐのぞきながら、ゆっくりとうなずく。

「僕はあなたの歌を聞きたい……それだけではだめですか?」

 ミリア姫は目を見開き……次第に柔らかい笑顔に変わった。

「……十分よ」

 笑顔のまま、彼女の目からは涙がこぼれた。

 城の一室、天から授かったかのような美しい歌声がそこに響くようになったのは、間もなくのことだった。

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