表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/30

EP4 - 女主人(5)

「はぁー、はぁーっ……、っとに、これで満足なのか、ぁあ……?」


 夜の森の中、幾つもの狼やコウモリ、蛇なんかの死体の上で俺は夜空を仰ぐ。

 何度も噛まれ、何度も引き裂かれかけたが、結局モノを言うのは精神力だ。

 いつまで経っても屈しない俺に、悪夢の方はほどほど呆れ果てたらしい。

 襲ってくる獣はいなくなり、森の中には静寂が訪れていた。


「俺は、まだまだ、いけるぞ……?」


 肩で息を繰り返しながらも気配を伺う。

 こちらを伺う様子もなく、本当に今ので種切れらしい。

 随分と盛大なお出迎えをしてくれた割に、しょぼい幕切れだ。


「ンなら、あとは核に取り憑いてる夢魔を祓って……」


 眠気が、ひどい。

 盛大に暴れすぎた反動か、俺自身今にも寝落ちしそうだ。

 夢の中で、寝落ち。

 それは怪物の腹の中で無防備となるに等しい。


「いま、会いに行ってやるからなっ……」


 血の池と化した地面に手を置き、意識を夢に同化させる。

 深層心理への壁は物理的な物じゃない。感覚的なものだ。


 それは対処者の心の壁とも言い換えることもでき、故に、本来ならカウンセリングで過去のトラウマなどを調べ、手がかりを得る事が手順なのだが、相手が酒に酔ってるなら問題ない。

 心の壁は容易く通り抜けられるはずだ。


「インサート」


 どぷん。と、足元が泥のように溶け、俺は暗闇の中へと落ちていく。

 呼吸をする必要はない。ここは夢の中だ。


 上下左右、光のない空間でパニックを起こしそうになる体を自制し、これまで幾つもの悪夢の中を渡り歩いて来た感覚に従う。


 夢の奥底、心の弱い部分。


 他者には決して見せることのないそれは泥の中で幾つもの腕に絡みつかられるようにして見つかった。


「売り飛ばした連中への、後ろめたさってやつかな……」


 眠る裸の女主人に絡みつく女の腕の数々。

 要はこの腕がこの悪夢の正体だ。


「……拍子抜けっちゃ拍子抜けだけど……」


 森の中の獣たちで力を使い果たしたのだろう。一本を引き剥がしてみるが何も起きなかった。本体の弱い夢魔は往々にして最初の出迎えが派手だったりするのできっとその部類だ。

 手間ではあるが腕を引き剥がし、女主人の心を解放してやれば夢魔は四散する。


 この気持ち悪い腕を喰らう必要はあるが、…‥まぁ、その程度は眠気覚ましにするつもりで我慢して食らえば――、「あれ」


 腕を引き剥がしているつもりが、いつの間にか腕に掴まれていた。

 引き剥がそうとしてそれが女主人のものだと気付く。


 無意識のうちに助けを求めて……? いや、それにしても、「……アンタ、狸寝入りしてんだろ」


 告げれば、固く閉ざされた瞳はゆっくりと開かれ、赤く染まった魔性の瞳が、俺を愉快げに見つめ返してきた。


「夜這をかけた男にしては無粋ではなくて?」

「ッ……」


 刹那、足元に散らばる腕であったものは蛇へと変わる。


 一斉に牙を剥き襲い掛かって来るそれらに右手で闇を操り切り裂いて抵抗したが、全身に纏わりつかれ、次第に身動きが取れなくなっていった。


「あちら側で味見して差し上げても良かったのだけど、剥き出しの魂を味わうというのも、なかなか甘美なものでしょう?」

「分かってて潰されたのか」

「お酒は好きですもの。――それに、眠ってしまっても、貴方達は私の身体を破壊したりはしないでしょう? だって、目的は入れ物では無くて中身でしょう?」


 蛇を思わせる指先が頬をなぞり、首から鎖骨へと降りていく。


「生憎おばさんと寝る趣味はないんだけどなッ……」

「そう? 新しい趣味に目覚めるいい機会だと思うケレド」


 蛇越しに裸体が纏わりつく。

 見た目の歳に反して柔らかいのはこれが夢の中だからか?


「初めて、襲われる側の気持ちが分かった気がするよっ……」


 これまで、何人もの女性を悪夢から救って来たけど、誰も彼もこんな気色悪い気持ちだったんだろうなァッ……?


「大丈夫。そう怖がる必要はないわ? あなたの他の子達と同じように、自分から、尻尾を振るようになるのだから」


 魔性と呼ぶしかない怪しげな光を瞳に浮かべて女は微笑む。


「やっぱりあんたンとこの奴隷は、こうやって食われたんだな……!」

「食べた、……そうね。食べちゃった♡」


 うふふ、と愉しげな笑みを浮かべ、夢魔、始祖の悪夢は嗤う。


「だって、夢の中で気持ちよくなったほうが幸せでしょう……? 現実の世界なんて、苦しくて、辛くて、良いことなんて一つもないって、あなたも、そう、思っているのでしょう……?」


 触れる指先が、心の中へと入り込んでくる。


「辛い現実からは逃げて、甘い幻想の中で愉しみましょう……?」


 甘く、囁く言葉に脳が溶けそうだッ……。


「悪いけどっ……、心に決めた相手がいるんだわッ……」


 侵食される心をどうにか元の形に留め、目の前の女を睨み返す。


「それにやっぱ、俺は喰われるより喰う方が性に合ってる……!」

「強がっちゃって」


 女の指先が、頬に伸びて来る。

 細い指先が、口内へと侵入し――、


「喰らえ」

「きゃっ……!?」


 咄嗟に手首を返し、手の中で作り出していた闇を自分に向けて放ち、“自分を自分で喰らった”。

 夢魔は慌てて逃れようとしたが、その腰に腕を回し、ガッチリ抑え込む。


「逃げンなよッ……、楽しむんだろ……!?」

「小僧ッ……!」


 そのまま喉元へと噛みつこうとしたが、それは手で防がれた。


 構わない――。


 牙を剥き出しにし、女主人の腕を噛み千切りそのまま腕を狼のそれに変化させて襲い掛かる。

 爪を振り下ろし、肩口から胸元まで、大きく切り裂いた。


 ――鮮血が、辺り一面を染め上げる。


「次はっ……、決めるっ……」

「ひっ――、」


 短い悲鳴を上げ、女は逃げ出した。

 問題ない。逃げるなら、追い詰めればいい――。


 自分の身体がどんどん獣のようになっていくのを感じながら闇の中を逃げる女の裸体を追い掛け、息を荒げ、罵声を放つ。

 悪夢が逃げるだなんてなんて笑える光景だ。

 高揚していく気持ちが不安を塗りつぶし、ようやく追いついて掴んだ肩は、


「ぁ……?」


 突然小さな蛇に変わって崩れ去る。

 女だけではない。


 足元の闇も、空も、壁も……?


 気が付けば俺は蛇に囲まれた空間に放り込まれ、巨大な女主人が俺を見下していた。

 下半身が蛇となり、裸体を光沢のある粘液でぬめらせ、舌を、なめずる様にして。


「驚いた事は、認めてあげる」

「こんにゃろっ……」


 肩口から大きく裂けた傷口はそのままで、腕からも血を滴らせ、女主人だったものは自らの血を口へと運ぶ。

 甘い香りを楽しむように。

 魂の重みを、舌の上で転がすように。


「若い子は大歓迎。高く売れるし、使い道もたぁーっくさん」

「なんで夢魔が奴隷の売り買いなんてしてんだ……。てめぇらは夢を喰ってりゃそれで満足だろッ……」

「不思議な事を言うのねぇ……? 肉体を手に入れたのなら、肉体の快楽を追い求めるのが普通ではなくって……?」


 女主人は心底意外そうに告げる。


「足りないものを欲しいと思う気持ちは、人も夢魔も、おんなじじゃない?」


 甘く、俺を取り込もうと伸ばされる蛇を、俺は纏った影を操って弾いた。


「一緒にするなッ……。お前らは勝手に上がり込んで住み着く、盗賊と同じだろうが!」

「それは視点の違いでしかないわ」


 周囲の壁は不気味に蠢く。

 この場の主導権を奪い取ることはやはり難しそうだ。


「なら、テメェの理論で喰らってやるよ……!」


 全身を影で覆い、防御態勢――。

 このまま飲み込まれればただでは済まないが、こうして俺と奴との間に一枚、始祖の悪夢の皮を被せれば逃げるだけの時間は稼げるはずだ。


「もう一度来るというのなら、歓迎するわ? その気があるのなら、ね」


 こちらの意図などお見通しだったらしい。


「ああッ……、楽しみにして待ってろ」


 そうして四方を囲む蛇の壁が崩れ落ち、雪崩となって降り注いでくる。


 悪夢のような光景に、俺は――、「ぜってぇ、喰ってやるッ……!」


 飲み込まれそうになる意識を、夢の中から引き上げた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ