始まりは決意から 1
始まりは決意から
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「闇堕ちした? メルティ嬢ちゃんがか?」
驚いた様にそう言ったのはヒゲ面に眼帯をした中年の男だった。男が持っていた手入れ中の剣を取り落とすと、それは足元の床に突き刺さる。文句の唸り声を上げたのは彼の足元で丸まっていた大きな猫だ。
「ああ、悪ぃベルル。――――おい、本当なのかトーキ?」
牙を見せられ慌てて猫に謝ってから、男はソファの背もたれに寄りかかりながら改めてトーキに目をやる。
「……はい。間違いなくそうだと思います。メルティはノーマルでしたから、能力を使えるようになったということは、それ以外理由が考え付きません」
メルティがノーマル。そのことをすでに知っている男は、重い息を吐き出した。いっそ嘘や冗談の類であれと思うものの、彼女を好いてるトーキがそんなことをするわけがない。
結局、男は認めたくない事実を認めざるを得なかった。
「あ、あのー……」
おりてきた重い沈黙に戸惑いながらも、黒い髪と双眸をした少女が恐る恐る手を上げる。年のころは15,16。トーキより少し年上そうだ。
「どうしたネ? ミヤコ」
カウンター席に座ってミルクの入ったビール用のジョッキを傾けていたパレラが応じると、ミヤコと呼ばれた少女は小さい声で尋ねた。
「あの、闇堕ちって何ですか?」
まるで分からない、といった風のミヤコにへこんでいた男が顔をそちらに向ける。
「おいおいミヤコ。オメーこっちに来てからもう2ヶ月だろが。そろそろこっちの常識身につけろや」
「に、2ヶ月くらいで異世界の常識全部身に付けられるわけないじゃないですか! 意地悪言わないでくださいよレイギアさん」
反論するも腰が引けてるミヤコ。彼女はこちらに来てから何度となく彼――レイギアに小突かれている。本人に悪気はなくとも手加減し切れていない拳は十分な恐怖だ。彼女にはその恐怖が身に沁みているのだろう。
彼女はミヤコ・サイジョウ。この世界でもあちらの世界でもない全くの異世界からの訪問者だ。――――と言っても、本人に「訪問」の意思はなく、何かに引きずられて大きな穴に呑み込まれたと思ったら、気付けばこの世界にいたという。行くところがないので「ギルド」に世話になりつつ元の世界に変える方法を探している最中だ。
「ち。減らず口ばっかり育ちやがって。まあいい。説明してやるよ――――トーキが」
「いきなり丸投げはよくないと思いますレイギアさん。……しますけど」
この中年男のいきなりなところと人の都合を考えないところは今さら矯正のしようがない。トーキは軽く文句を言いつつミヤコに向き直る。
「ええと、ミヤコさん〈リーブズ〉は分かりますよね?」
「あ、うん。この世界と同じ世界だけど違う次元に住んでる生き物のことだよね?」
それくらいなら覚えている、と言うようにミヤコがさらりと答えると、トーキは微笑みながら頷いた。
「そうです。そして彼ら――〈リーブズ〉は、人間より遙かに強い生命力と不思議な能力を持つ存在であり、他の次元に生きながらも、他のどの生物よりも僕たち人間との共生を果たしている存在でもあります」
〈リーブズ〉。彼らがそう名づけられたのは、ヒトの歴史でおよそ400年前のことだ。
「僕たち人間が、本来交わるはずのなかった彼らに接触し、共生の道を歩み出したのは、大昔に起こった大戦の頃でした。――――大戦の話は?」
尋ねるとミヤコは潔く首を振った。この世界に来た頃はもっとおどおどとしていたのだが……随分とレイギアの影響を受けてきたらしい。トーキはそんなことを思って内心で笑う。
「じゃあ、この話はまた今度しますね。長くなるので」
「大戦の話教科書だと10ページ以上ある。パレラ、テスト赤点だったヨ」
細かいくだりは苦手ネ。そう言ってパタパタと両手を振り回すパレラにテーブルの上にあった飴玉を投げ渡してなだめてから、トーキは話を再開した。
「戦を重ねた人間達は、ある時自分達の大地に渦巻く強大な生命力に気が付いたんです。彼らは、『それらの力を手に入れることが出来れば勝者となれるはず』と考え、その力の元への接触を試みました」
「あー、よくあるパターンだねー。で、接触は成功したんだよね?」
1人納得したようなミヤコの合いの手に、彼女の世界ではこんなことが「よくあるパターン」と言えてしまうほど日常茶飯事に起こっているのかと問いたくなるが、賢明にもそれは寸前でとめた。さすがにトーキも学習したのだ。彼女の発言の元となる「マンガ」と言う存在があることを。
「――はい。成功してしまいました」
人知を超えた大いなる力。それは、本来人間が手にするべきではなかったものだ。けれど際限なき欲望から、人間は越えてはいけない境界線を越え、犯すべきではなかった罪を犯した。
「大戦は、その様式を大きく変えました。〈リーブズ〉に干渉することに成功した国々が次々に彼らと契約を交わし、その強大な力を借り受け戦いに用いはじめたんです」
昔話のように語り聞く程度でも、その頃の熾烈な戦いは想像するに難くない。強大な力と強大な力がぶつかり合えば、被害は風に煽られた火の如く燃え広がっていくものだ。
今さらな感傷かもしれないが、トーキはそのことが哀れで仕方なかった。
力を持つ者たちはいいだろう。何かあっても、多少ならば火の粉を払えるくらいは出来る。けれど何の力も持たない者たちはただ恐怖におびえ、死を待つ他なかったのだ。
今でこそ能力を持つ者たちは、法と「同等の力」を持って制御されているが、全盛期だったあの頃にそんなものはなかった。
トーキがいうのもおかしな話かもしれないが、いい時代になったと思う。
「トーキ君?」
肩を軽く揺さぶられる。トーキは目の前に前髪を飾りのついたピンで留めている少女の顔を見て慌てて笑顔を取り繕い、話を続けた。