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僕らの世界  作者: 若槻風亜
始まりは選択から
21/21

始まりは選択から 終

 急ぎ足も空しく機嫌を損ねてしまった医者からの帰り道をガーリッドは難しい顔のまま歩いている。戻ったら。あの場所に戻ったら今度こそ結論を出さなくてはいけない。


 一歩踏み出すたびにその時が近付いているのだと自覚すると足取りが重かった。それでもずるずると進んでいると、先ほどマリーニアに叩かれた所と同じ場所を叩かれた。違いといえば遠慮のない一撃であるということだろうか。


 ガーリッドは痛む背中に耐えながら襲撃の主を振り向く。そこには予想通りの人物が立っていた。


「……イテーよおっさん」


 そこにいたのはレイギア・ブルースペルその人。この疲れた時にはぶっちぎりで会いたくない人物ランキング1位を取る男は、片方だけの目を細めて憎たらしく笑ってみせる。


「ああん? 馬鹿みたいに背中丸めて歩いてるからわざわざ声かけてやったお優しい大先輩に生意気な口きくじゃねぇか」


 嘘つけ。からかうネタを見つけたから来ただけだろ。ガーリッドは口に出さずに悪態づく。


「まあいいけどよ。ところで、トーキの方の修業はどうだ? あの甘たれちゃんと出来てんのか?」


 隣に並び立ったかと思ったらそのままガーリッドの隣を過ぎ去り先へ進んでいくレイギア。彼の足が向くのは自分が戻らなくてはいけない修練場だ。どうやら見学に来るつもりらしい。この面倒くさがりの男が珍しい。そんなことを思いながらガーリッドは彼の隣まで早足で並んだ。


「頑張ってるよ。元のスペックがいいのもあるだろうけど、あいつ自身が"やってやる"って気になってるから悪くない」


 悪くない。自然にその言葉に逃げてしまった自分をガーリッドは一瞬で悔いた。悪くないどころじゃない。もしガーリッドが悩んでいなければきっと「よい」と言ってやれるくらいだ。


 また苦い顔をするガーリッドを横目で見ると、レイギアは少しだけ沈黙し、次の瞬間裏拳をガーリッドの側頭部にぶつけた。身長差があれば拳骨を叩き込むところだが残念ながらガーリッドとレイギアの身長差はないに等しい。


 が、殴られた側はそんなこと知ったこっちゃあない。いきなりの襲撃にガーリッドは殺さんばかりの勢いでレイギアを睨み付けた。


「〜んだよおっさん! 言いてぇことあんならはっきり」

「それはそのまんまおめーに返すぞ小僧」


 言い切る前にきっぱりと切り捨てられてしまってガーリッドは言葉を飲んだ。どうやら言われるような事態に自らが陥っていることに自覚はあるらしい。レイギアは心底めんどくさそうにガーリッドに目を向ける。


「っとに俺の周りにいるガキってのはどうしてこう面倒な奴らばっかりかね。ほれ、鬱陶しい空気ばらまいてねーで言え。うだうだしてっと刻むぞ」


 言下にレイギアはちらちらと鞘に収まったままの剣をちらつかせる。まさか本当に剣を出すことはしないだろうがこの男だといつ本当に剣を取り出すか分からない。対する武器がない今レイギアに逆らうのは頭のいい選択ではないだろう。ガーリッドはそう結論付けて、この数日ずっと思っていたことを口にした。


 この時ガーリッドの頭の迷宮のカギが力任せに壊されたのだが、そのことをガーリッドは自覚していない。


「………………誰かに何か教える時に、そいつにそれをやる才能ないって分かったら、あんたどうする?」


 そう。これが、これこそが、ガーリッドの迷っていること。まさかと思ったが、ありえないと思ったが、それは紛れもない真実。あれほどの人物を親に持っているにも関わらず、トーキにはまるでその才がないのだ。剣を扱う、という才が。


 正面で剣を構えた時に覚えた違和感。最初は慣れていないせいだと思っていたが、5日も経つとガーリッドの中では確信となってしまった。放浪して色々なハンターに出会ってきたおかげでガーリッドの目はそういう意味で肥えている。


 その彼の目に、トーキの剣の才はどうしても写らなかった。


 しかしもしかしたらいつか、ガーリッドが気付かないくらい深く眠っていた才が目覚める時がくるかもしれない。そう思うと無下に「向いていない」とも言えなかったのだ。


 しかし話を聞いた男はただ一言でその答えを出す。


「すぐに言うな。向いてねぇって面と向かってはっきりよ」


 あまりににべもない答えにガーリッドはむっとした表情をした。だが前を向くレイギアはその彼の不愉快も気にせずに続ける。


「そう言ってやらなくてどうすんだ。俺たちはハンターだぞ。遊びの趣味なら"いつか"に夢見てもいいかもしれねぇ。だが俺たちは命かけてんだ。いつ来るかも分からねぇ"いつか"のために上手く戦う術も持たないままでいさせるなんてそっちの方がどうかしてるぜ」


 片方だけの眼差しがじろりとガーリッドを捉える。もっともなことを言われたガーリッドはぐっと息を飲み目を伏せてしまった。レイギアの目に耐えられなくなったのだ。


(……馬鹿か、俺)


 反論のしようがない。まさにその通りだった。ハンターという職業が決して楽なものではないということをガーリッドは知っている。自身の苦労もあるが、何よりも多くの知人・友人をこの世界で失ってきた。戦う手段が十分でなかったために命を落とした者だって知っているはずだ。


 それなのに、どうしてガーリッドはトーキに真実を告げることを迷ったのだろう。


 もしかしたら本当にトーキの才が目覚める"いつか"は来るかもしれない。しかし、それまでは? それまでの間何も出来ないままの一般人でいさせるつもりだったのだろうか、自分は。


「――――そうだよな」


 ひとりごちると、ガーリッドは真正面を向き直る。自然と丸まっていた背中もぴんと張り、重かった足取りは軽くなった。どうやら吹っ切れたらしいと、隣を歩くレイギアはにやにやと口元を緩めてそれを眺めている。


「そーと決まったらあいつの武器も考えてやらねぇとな。刀剣類は全部同じだろうからここは――――」

「おや、ガーリッド君にレイギア。珍しいですねふたりで」


 ガーリッドが否定の後に勧めるべきものを思案し始めた時、脇から声がかけられた。途端にそれまでの真剣な表情をがらっと崩すとガーリッドはレイギアも驚くほどの速さで声の聞こえた方へと顔を向ける。視線の先にいるのはバスケットを持ったヴィンセントだった。


「おうヴィンス。何だその荷物。ピクニックにでも行くのかお前」

「こんにちはヴィンセントさん! どちらに行かれるんですか?」


 同一人物に対する対応も腐れ縁と憧れの人というカテゴリの違いのためにまるで違うものとなる。ヴィンセントは訊き方こそ違うものの同じ内容を問われたのでバスケットを少し持ち上げて笑顔を示した。


「トーキたちがお昼を忘れて行ったのでそれを届けに行くついでに授業参観でもしようと思いましてね。どうですかガーリッド君? ウチの息子は」


 トーキとパレラはいつも修行に来る時に母特製の弁当を持ってくる。しかもユーリキアの厚意によりガーリッドの分もあるのでその理由はガーリッドにとって受け入れやすいものだった。だが、もう一方の理由と返された問いに返答に窮して唇を結んでしまう。まさか「お宅の息子さん才能ありません」なんて言えるはずがない。


 しかしガーリッドは忘れている。自分の隣に誰がいるのかを。


 口ごもっていると歩き出しながらレイギアがからかいの笑みを浮かべながらあっさりと答えを言ってしまう。


「剣の才能ねーってよトーキの奴」

「お……っ!!」


 このおっさん何考えてんだ。ガーリッドは先を歩くレイギアを追いかけ手を伸ばして黙らせようとするがそれはあっさりとかわされてしまった。彼の心中は穏やかではない。確かに剣の才能がないというのは間違いないと思っているが、この言い方だとまるで告げ口したような印象を受ける。憧れの人物に矮小さを覚えられたらどうしようと危惧していると、当のヴィンセントはあっけらかんと「おやそうですか」と笑った。


「それならそうで仕方ないですね。ないものはないです。あるものを探せばいいだけですよ」


 それだけです。と結論付けるヴィンセントにガーリッドはぽかんとする。出会った時からヴィンセントは息子たちを大事にしているなと思っていたのだが、どうやら甘やかしてはいないようだ。息子を過信しても見くびってもいない。そんな印象を受ける。


「ところでガーリッド君、ミミックマンでは何を相手させているんですか?」

「あ、はい。デフォルトとキラービーとストーンバットとビッグアントで回るようにしてます。もう少ししたら少しずつ魔物のレベルも上げていくつもりです。グループのセットはもうしてあるんで、あとはグループ選ぶだけですし」


 話をころりと変えて、ヴィンセントがそれを皮切りに修行の様子を訊いてくる。ガーリッドはそれにひとつひとつ丁寧に答えた。曰く、トーキは帰ってくるとすぐに寝てしまいパレラは「頑張ってるヨ! たくさん走って体力ついたネ!」など、あまり客観的ではない説明しかしてくれないらしい。


 修練場に向かいながら、細かく修行の様子を話すガーリッドの話をヴィンセントとレイギアは時々質問やちゃちゃを入れながら聞いていた。ひと通りの話が終わると、それまでひたすらちゃちゃを入れ続けたレイギアがようやくひとつめの質問を口にする。


「ところでさっきグループもうセットしてあるとか言ってたけど大丈夫なのかよ?」

「? 何が」


 大丈夫なのか、と言われても大雑把過ぎて何に対する安心を求めているのかが分からなかった。ガーリッドが問い返すとレイギアは「だからよー」と面倒そうに続ける。


「今トーキとミヤコしかいねーんだろ? グループセット変わっちまったらどうすんだって」


 つまり魔物のレベルが上がったらどうするんだ、ということらしい。しかしその心配がガーリッドにはよく分からなかった。確かにレベルが上がってしまえば危険だが、グループを変えるにはミミックマンの設定をいじらなければいけないはずだ。訳の分からないものを触るようなことはしないだろう。


「大丈夫だろ。設定いじるなって言ってきたし。操作の仕方分からねぇ物なんて触らないだろあいつらだって」


 ミヤコの好奇心を知らないガーリッドの言葉に反論したくなったレイギアだったが、今それ以上に気になっているのはそこではなかった。


「何言ってんだお前? 設定いじる必要なんてねぇだろ。火炎石1個増やすだけでグループのレベルは上がんだからよ」

「――――は?」


 ぴたりと、ガーリッドの足が止まる。視線は真っ直ぐにレイギアに向かっていた。何を言っているのか、と問うような視線に同じく立ち止まった熟練者ふたりが答えを当てていく。


「だから、グループのレベルは火炎石の個数で上がるだろって」

「以前のミミックマンだと火炎石の個数で変わるのは稼働時間でしたが、最新のは火炎石の個数でレベル―――出力ですね―――の変更。時間の変更は本体胸部のタイマーでやるようになってます。……バラグのミミックマンは旧式のようですね」


 蔑みではなくガーリッドの様子からそう口にしたヴィンセントの言葉はガーリッドには届かなかった。言葉の終わりに被ってその両足が目的地に向かって弾かれるように動き出したために。


 怪我をしているとは思えないスピードで遠ざかっていく彼の赤銅の髪を少しの間だけ眺めてから、ヴィンセントとレイギアもどちらともなく走り出す。




     *      *       *




 起動音の直後に聞こえたのはピーという甲高い電子音。この5日の間に一度も聞いたことのない音に一瞬「壊れたのか」とぎくりとしたが、すぐに次の動作が成された。


「『グループが変更されました。グループ3をセットします』」


 機械音の案内。壊れていないことに安心したが同時に「いじるな」という言いつけを破ってしまったことに不安がよぎる。それはガーリッドが帰って来た時に怒られるだろうという単純な理由と、はじめて戦う魔物が出てくるかもしれないという恐怖ゆえだろう。


 そしてトーキの不安は当たる。案内が終了した途端にミミックマンの目に光が灯りその小さな身体が20センチほど浮き上がった。それまで戦ってきたものとは比べ物にならない圧迫感を覚えたトーキはぞっと全身を粟立たせる。


「ミヤコさん離れて!!」


 言いながらトーキはまだミミックマンのそばにいるミヤコの腕を強く引く。その反動でふたりが倒れると同時についさっきまで彼女がいた場所の地面をミミックマンの腕が深く抉った。その腕にうっすらと重なっているヴィジョンはトーキの胴体ほどもありそうな太いツタ。それの下では血でも流れているのかどくどくと太目の管が動いている。


「な……なに、あれ……!?」


 トーキの腕にしがみつきながらミヤコが震えた声を絞り出した。彼女の視線はミミックマンの背後に向けられている。そしてそれはトーキも同様だ。


 ミミックマンが魔物の記憶を呼んで能力を使う時、彼はその魔物のヴィジョンを纏う。デフォルトの時は何もなく、キラービーであれば大きな蜂、ストーンバットなら石のこうもり、ビッグアントなら大きなアリ、というもの。


 しかし今ミミックマンが纏っているのはそのどれでもない。縦に長い頭には鼻や口はなく、ひとつきりの目玉がぎょろりと中央に配置され、ツタが絡んで出来たような大きな身体には手のひらに向けて末広がりで長い腕と対照的に太く短い足がついている真緑の魔物だった。その名前をワンアイドマンドレイクというのだが、トーキにもミヤコにもそれを知る術はない。


 背後にいるワンアイドマンドレイクが目だけを動かし倒れたままのトーキたちを捕らえると、ミミックマンが引っ張られるようにそちらを向いた。それと同時に再び腕が振り上げられる。それが自分たちを狙っていること、そしてこれまでの魔物以上のリーチを持つことに気付いたトーキは震える膝を叱咤しミヤコの腕を引きながら立ち上がり地面を蹴る。


 ミヤコが足を引きずったためそれほど遠くには逃れられなかったが、何とか振り下ろされた腕を避けることは出来た。だが、ミミックマンの攻勢は緩まないどころかいっそう激しさを増す。


 次から次へと振り回されては地面に落とされる腕はその度に地面を抉り土を跳ね上げさせた。トーキとミヤコはそれを毎度ギリギリで避けていく。すると、一撃も当たらないことに焦れたのか腕による攻撃を収めないままミミックマンの背後のヴィジョンが、どこから取り込んでいるのか、腹に当たるだろう部位を膨らませ始めた。


 何をするのかは分からなかったが、間違いなく何か仕掛けるつもりでいる。気付いた瞬間にトーキはさらに遠くへ行こうとミヤコの手をとったまま駆け出そうとした。だがそれがなされるよりもミミックマンの攻撃の方が早い。


「――――――――――――!!」


 空気の取り込みの時同様どこから出しているのか分からない高音がミミックマンから放たれる。間にある空気をことごとく揺らし脳に直接突き刺さるような甲高い音にトーキの視界はゆがんだ。地面を踏んでいる両足がふらつきたたらを踏むが、それでもなんとか堪えた彼は眉を寄せ頭痛に耐えるように頭に手をやる。


 すると、その横でミヤコの身体がぐらりと崩れた。


「ミヤコさん!?」


 とっさに支えるが完全に気絶しているらしくミヤコの瞼はきつく下ろされ身じろぎもしない。触れた腕は完全に硬直しており、トーキが力を入れても肘の部分すら動かなかった。呼吸もあるし脈もあるので死んではいないが決して放っておいてもよい状態ではないだろう。


 ミヤコの異変に恐々とするトーキだが、そのようなことなどお構い無しにミミックマンはさらに攻撃を繰り返してきた。トーキはミヤコを地面に寝かせると片手に持っていた剣を両手で持ち直し振り下ろされる腕を弾いていく。大地の狼(オルフィア)を呼べればすぐに片はつくだろうが、今のトーキにその余裕はなかった。何度か試したのだが、このミミックマンはトーキよりも格上の魔物を纏っている。集中を欠いた状態で攻撃を捌ける相手ではないのだ。


「あっ!!」


 それまで何とか腕による攻撃を捌いていたトーキの剣が高い音を立てて弾き飛ばされた。空中を何回転もしたそれは放物線を描くとトーキから離れた地面に突き立つ。それを目の端で追ったトーキの心臓の音はひどく荒れた。今連撃を終えたミミックマンは一度腕を引いている。しかし逃げる間も契句を唱える間もなくその拳はまたトーキたちに襲い掛かってくるだろう。これはこの短時間ではあるが学んだパターンである。


 どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。


 トーキの頭の中には今はその言葉しか浮かばなかった。


 剣も飛ばされ契句も唱えられない状態で自分よりも強い相手からミヤコと自分を守らなくてはならない。これだけでも困難な状況が明確だ。正直、現状はトーキにはあまりにも重過ぎる。かといってミヤコを置いていくわけにも行かない。


 ぐっと両拳を握り締めたトーキはそこではっとして視線を下げる。眼差しが捕らえるのは――――自身の両手。


「……やるしかない!」


 トーキは浮かんだ躊躇を無理やり押し込めて行動を開始する。上着を脱ぎ、背中の縫い目でそれを裂くと手早く拳に巻きつけた。即席の、綺麗ではないバンテージ。ただの布だ。拳は痛めるだろうし下手すれば骨折する。けれど今はもうこれしかないのだと、トーキは覚悟を決めて正面に目を向け構えた。


 同時に、まるで見計らったかのようにミミックマンが腕を振り下ろしてくる。トーキは自身の身体をその軌道からどかせると、目の高さまで下がってきたミミックマンの腕に向けて両拳を順に数度叩き込んだ。決して破壊できるほどの威力があったわけではないが、その軌道を逸らせるには十分だった。打たれたミミックマンの腕は外に弾かれ寝ているミヤコに当たることなく地面に埋まる。


 トーキはそれを喜ぶこともせずにもう片方の手が振り上げられる前に開いた懐に向けて駆け出した。出力不足なのかワンアイドマンドレイクのそもそもの反応速度がそれほど速くないのか、懐に入り込まれてもミミックマンの動きは鈍い。トーキは好機と――――否。今しかない(・・・・・)と判断して両拳を強く握り締め踏み抜けそうなほど力をこめて地面を踏んだ。


 そして、眼前のボディに向かって連打を叩き込む。


「やあああああ!!」


 右。左。右。左。拳が金属を叩く音が響くたびにトーキの拳は痛んだ。ミミックマンの胸部にこびりついた赤を見て拳が裂けたことを知った。それでもトーキは緩みそうになる両手を懸命に握り締める。痛かったが、辛かったが、その分ミミックマンは後ずさっているのが見えていた。それが目に見えないバンテージとなってトーキの拳を固めていた。


 何度目かの左を叩き込んだ時、ミミックマンの体勢がはじめて大きく崩れその高度が下がる。反撃のために振り回された腕に脇から身体を打たれるが、歯を食いしばって耐えた。今こそ耐えなくてはいけないと、トーキの本能は悟っている。これだけ体勢を崩せることはきっともうない。今のこの機を逃したら、トーキはこの魔物に勝てない。それが分かっているからこそトーキは耐えた。


 そして今、襲撃に耐えきったトーキがやるべきはひとつ。


「――――っ!!」


 深く息を吸い込み腹に力を込め、大きく後ろに引いた右拳を真っ直ぐに突き出す。繰り出した拳はちょうどその高さに来ていたミミックマンの顔の部分に直撃し、その小さな身体は拳に乗せられた勢いの分だけ後方へと吹き飛んだ。


 少しの間の滞空の後、音を立てて落下するミミックマン。トーキはごくりと喉を鳴らしその動向を見守った。構えた両拳を胸の前から動かさず、いつ起き上がってきても対処出来るようにと警戒心を途切れさせずに視線をそれに向け続ける。


 ややあって、鈍い動きで指先や首を動かしていたミミックマンの目から光が消え、少しだけ持ち上がっていた頭が音を立てて地面と対面した。浮かんでいたヴィジョンも姿を消し、残っているのはトーキの弾んだ息遣いだけとなる。


「……お、わった……!」


 勝てたんだ。そう自覚するとそれまで張っていた緊張の糸がぷつりと切れ、トーキはその場にずるずるとへたりこんでしまった。ミヤコも心配だが今更になって震えだす身体は立ち上がることをよしとしない。


「痛っ」


 それでも立ち上がろうとして地面を押すように手を突いたトーキだったが、すぐに顔を歪めさせて再度手を持ち上げる。そうしてトーキの視界に入ってきたのはぼろぼろになった布に巻かれた、同じくぼろぼろになって血のにじんでいる自身の手だ。


 傷だらけで、ひどく不恰好。それでもそんな自分の手を見ているうちにトーキの表情は緩みだす。痛くて痛くて仕方ないけれど、それでもこの痛みが、この格好良くない今の自分が、何故だかとても誇らしかった。





「……うっそだろ……あいつ勝ちやがった」


 坂の途中で足を止めそう呟いたのは全力疾走してきたにも関わらず目立つ疲労を浮かべていないガーリッドだった。彼がここに着いたのはトーキが拳での戦いを決めた時。さすがに無茶だとそれまで以上の速さで足を動かした。


 だが、結論から言おう。ガーリッドが坂道の途中まで来たところで、その決着は見事についてしまったのだ。


「あいつの才能、こっちか――――!」


 ガーリッドはその戦いぶりにはっきりと確信する。剣の才能は残念ながらない。けれど、これ。この拳の――拳闘の才能は確かに彼の身に宿っている。そしてすでにその才華の芽を芽吹かせている。彼の武器は、間違いなくその拳となるだろう。


 知らずにガーリッドの口元に笑みが刻まれていく。奇しくもそれは、トーキが自らの手を見て、自らの奮闘の証を見て、頬を緩ませたのと同じタイミングであった。


 しかしトーキと違いガーリッドの笑みはすぐに引っ込められる。彼は気付いた。倒れていたはずのミミックマンが再度動き始めている。5分が経っていないのかそれとも殴っていた衝動でタイマーが動いてしまったのか。否。理由はどうでもいい。今ガーリッドがなすべきは一刻も早くトーキの元にたどり着き彼と別の魔物のヴィジョンを浮かび上がらせる機械の間に入ることだけだ。


 駆け出すガーリッド。声を張り上げその名を呼ぶとトーキはすぐに異変に気付いたようだった。だが極度の緊張状態から解放された直後の彼ではその反応はひどく鈍い。一歩でも避けてくれればと思っていたガーリッドは一気に口の中を乾かせる。


 間に合え。そう願った彼の願いは、結論から言えば叶えられた。


 だがそれを叶えたのはガーリッド自身ではない。彼の脇を驚くべきスピードで駆け抜けていった黄金(こがね)の風によって、だ。


「おやおや、トーキはどうやら私似のようですね。ふふふ、ユーリはきっと悔しがりますね〜」


 事態にそぐわない、年齢にそぐわない、運動量にそぐわない、ひどく穏やかで楽しげな声と言葉。その主たる男は駆け抜けた反動で揺れている金茶色の髪の下で嬉しくて仕方ないという笑みを浮かべている。


 トーキは傍らに立ち自分を見下ろしてくる彼を見上げ、呆然と呟いた。


「お、父、さん」


 今見たものが信じられない。トーキの声にはそんな驚愕が含まれている。いや、むしろそれだけで構成されているようにも聞こえた。だがそれも無理もあるまい。彼――――ヴィンセントは疾風のように現れたかと思うとミミックマンの側頭部に拳を当て、駆けて来た勢いをそのまま乗せて打ち抜いたのだ。結果ミミックマンは頭部を見るも無残に破壊され地面に横たわっている。


 父が強いことは知っていた。しかし、しかしだ。勢いがあったとはいえ素手の一撃で機械を破壊したとなれば実父のなしたこととはいえ驚きを禁じえないだろう。コントラクトメイトは使っていない。幼い頃から慣れ親しんだ力を感じなかったことがはっきり分かるからこそ余計だ。


 これが父。これがヴィンセント・アーザ。エンデルギルド創設の立役者にして「伝説」を冠する"拳聖"の力。


 今までおぼろげにしか分かっていなかった現実を、トーキはこの時はっきりと自覚した。


「あーあ、壊しやがったな。お、小僧の記憶石は無事か。まあそう簡単には壊れねぇだろうけどな」


 場に流れる何とも言えない空気を断ち切るように暢気なことを口にしたのは後からやってきたレイギアだった。彼は壊されたミミックマンのそばに近付くと機関を壊されたせいか外に放り出されていたガーリッドの記憶石をひょいと拾い上げ、簡単に眺めてから持ち主へと投げ渡す。


 倒れていたミヤコを助け起こしていたガーリッド片手でそれを受け取り、同時に刺し殺さんばかりの鋭さを孕んだ目つきでレイギアをにらみつけた。


「あんたなぁ! こんな事態招いといてよくもそんな暢気に――――!!」

「ああ? 人聞き悪いこと言ってんじゃねーよ。俺はちゃんと"1個以上入れんなよ"って警告してやったじゃねーかよ。それを聞かずに勝手なことしたのはこいつらだろうが」

「その理由がなってねーからこうなったんじゃねぇかよ!」

「質問はねーかとも訊いてやっただろうが。何も訊かなかっただろうがよ、お前も」


 だるそうに返される言葉は屁理屈にも聞こえるがそう言われると「そうだ」としか言いようがなかった。確かに忠告を無視したのはトーキたちで、ガーリッドを含めあの場で説明を受けた4人が4人とも何も質問をしなかったのだ。「もういいだろう」と結論付けて。


 レイギアが悪いと責め立てたかったが、頭に血の上ったガーリッドに飄々と責めの矛をかわすレイギアの相手は難い。悔しげに歯を食いしばって言葉を途切れさせるガーリッド。目ばかりが反論をやめずにいるものの、レイギアにはどこ吹く風かといったところだ。


 しかし、だ。相手が子供ばかりの時はそれまでであっただろうが、今はそう簡単にはいかない。なんせこの場にはもうひとり、彼と昔から付き合いのある大人がいるのだから。


「――――屁理屈ばかり。反省の色が見えませんねレイギア」


 ヴィンセントの手がぽんとレイギアの肩に置かれる。簡単な動作なのにひどく重い気がするのは気のせいだろうか。そういぶかしんでいる目前でレイギアは見るからに硬直し、だらだらと汗を垂れ流しだす。


「ガーリッド君」

「は、はい!」


 不意にヴィンセントに名を呼ばれて反射的に背筋を伸ばして慌てて返事をすると、彼の憧れの人物はにこりと優しい笑顔を彼に向け、同時にレイギアの後ろ首をわしづかみにした。


「ちょっとこの大馬鹿シメてきますからウチの息子とミヤコちゃんをお願いしますね。すぐ戻ります」


 言うなり抵抗するレイギアをずるずるとどこかへ連れて行くヴィンセントの背中を見えなくなるまで見送ってから、ガーリッドとトーキは顔を見合わせる。


「……あー、と、な。色々言ってやりたいこともあるんだけどよ、ヴィンセントさんって――――」

「……昔から口調は穏やかだけど結構物騒だそうです」


 憧れの人の意外な一面を知ったことに戸惑いを隠せないヴィンセントと、父のあまり知られていない素性を知られてしまったトーキは、互いになんとなく気まずくなって明後日の方向へと目を向ける。しばらくしてから帰ってきたヴィンセントの襟元が少し汚れていたことには、お互いに口には出さなかった。




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