始まりは終わりから
始まりは終わりから
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トーキが友人のパレラとそれを見かけたのはほんの偶然だった。学校帰りにめったに通らない道を、珍しく通った。ただそれだけ。けれど、ただそれだけのことが、運命の分かれ道。
「めう? あれに見えるはメルティ、カ?」
低身長のパレラは10センチはあまっている袖に隠れた腕を目の上に当てて遠望の構えを取る。顔のそばにそんなに袖が垂れていては視界はよくないだろうと言いたいところだったが、彼がその手の話に聞く耳持たずなのは分かっていたので何も言わずに彼が見る方向に目をやった。
その先にいたのは、長く背に流れた赤い髪、白い花を模した大きな指輪の紅白の対比が目に鮮やかな1人の少女。間違いなくトーキの友人にして想い人のメルティだ。
「メルティまた絡まれてるカ? 助けるカ? トーキ?」
パタパタと両袖を振り回すパレラを押さえながら、トーキも彼同様「またか」と思っている。
彼女――――メルティ・ロビンはとにかく絡まれやすい。彼女自身が何かしているわけではない。こう言ってはなんだが、特別美人であるためでもない。ただ彼女の赤い髪は、赤い目は、この地域ではひどく疎まれる。何もしていなくても、ただそれだけで彼女はその"意識"によって傷付けられるのだ。
そのため、これまで何人の人に絡まれてきたか――その時々に助けているトーキにももう分からない。
「今回もそうなんだろうなぁ。助けるよ。ただし君は手を出しちゃ駄目だよパレラ」
「めう? トーキはメルティにいいところ見せたいカ?」
駆け出そうとしていたパレラは真顔でそんなことを言った。彼に自分の恋心を見抜かれていることは知っているが、彼の喧嘩を止める理由に挙げられるとは思わなかった。
「……もうそれでいいよ。だからおとなしくしていてね」
「めう。パレラはトーキの味方。トーキの恋路の邪魔はしないヨ」
「ありがとう。じゃあ、くれぐれも君は吠えないでね?」
「めう!」
長い袖を垂らしたまま敬礼するパレラに笑顔を残し、トーキは駆け出す。
メルティに絡んでいる不良は全部で6人。苦戦するほどの人数でもないし、どうやら彼らはノーマルらしい。それなら少し脅せば逃げてくれるだろう。
いつもならそこまでしないが、今の彼女に絡む連中がトーキは気に食わなかった。たとえ、何があったのか知らないとしても。
「――――『我が名に従え。地を駆け吠えよ』――――」
走りながら契句を唱えるトーキ。その左手がほんのりと茶色の光を帯びる。一度手を覆うほどの大きさになった光はすぐに手の平に収まるほど小さくなる。ノーマル相手の、しかも脅し。これで十分なのだ。
トーキとメルティたちとの距離が2メートルほどになる。トーキは光を纏った左手を大地に叩きつけようとして――――縫い付けられたように動きを止めた。
発動寸前までいった動きを止めたのは周囲に満ちた膨大な殺意。そして、ノーマルの彼女が口にしても単なる言葉でしかないはずのそれが伴った威圧感。
「――――『我が名に従え。肉を裂き歌え』――――」
赤い髪がまるで赤のマントをはためかせたかのようにその背で大きく広がる。その眼差しに映っているのは――――狂気。
「だっ、駄目だメルティ! やめろっ」
「使えないはず」という概念を捨て、その能力を感じ取ったトーキの静止は虚しく響き渡る。
「『血塗られた道化』!!」
呼びかけと同時にメルティにまとわりつくように現れたのは名の通り、血で汚れた一体のピエロ。ピエロは残酷は笑顔を浮かべると子供のように大きな拍手をして身をよじった。
その動作の不気味さに、自分達の絡んだ少女が異端者であったことに、不良たちは一斉に青ざめ逃げ出そうとした。けれど、それは夢の中の出来事。現実の彼らは、当の昔におぼれている。
二つに裂かれた彼ら自身の体から流れ出る、黒く赤い鮮血の海に。
ピエロが喜んでいたのは、たらふく人を殺せたからだろう。
血の海に至る一歩手前でその動きを止めたトーキ。どうやらこの距離が、あのピエロの能力の及ぶ限界だったのだろう。――――運が良かったとしか言えない一歩だ。
トーキが何も言えずに立ち尽くしていると、いまだ大笑いしているピエロに触発されたかのように、メルティの口から細かな笑い声が漏れだした。それはやがて、大きな哄笑と変わる。
「あは、あははは、あはははははははははは! やったやった! やってやった! 死んだよ。こいつら死んじゃったよ! あはははははははははははははは!!」
子供のように無邪気な笑い声。いつもの彼女の声より上ずった声がその喜びの深さを語っているようだった。彼女は今、純粋に、素直に、喜んでいる。彼らの死を。
トーキは眉を寄せた。その表情は、怒りというよりも困惑に近いだろう。
「ああ、いい子。いい子よビアーゼ。あたしの能力! これで誰もあたしのこと馬鹿に出来ないわ。あはははははははは」
ビアーゼ。そう呼びかけられピエロは更に大きく手を打ち鳴らした。どうやらそれがあのピエロの名前らしい。
「名前まで知ってるカ。相当深くつながってるネ」
「パレラ……」
いつの間にか隣にパレラが来ていた。目をぐっと細めた表情は、いつのも彼を忘れさせられた。それは目の前のものを悼むかのような視線で、その視線が、トーキが言葉にしたくもなければ考えたくもないことが真実であることを語っている。
パレラは少し深く息を吸ったようだった。
「メルティ」
そしてためらいなく、笑うメルティに声をかける。メルティはようやくトーキとパレラに気付いたように視線をそちらに安定させた。ピエロはさもつまらなそうに空中で横になってだれた様子を見せている。
「――――ああ、トーキとパレラ。ねぇ見て。あたしも能力を手に入れたよ。これでもう誰もあたしのこと殴れない。あたしのこと悪く言えない。今度はあたしが、全部を傷付けてやるわ」
言下、メルティの周囲が歪む。パレラが「逃げる気だ」と言った言葉と被るようにトーキは溜めていた力を放とうとした。けれどそれを妨げるように、ピエロ――――ビアーゼがいつの間にか両手にはめた鋼鉄の長い爪を頭の上でぶつけ合わせて耳障りな高音を発生させる。それのために生じた一瞬のめまい。呼び出すのが一瞬遅れた。
その一瞬が、終わりの始まり。
完全に歪みの中に消える直前にメルティが残したのは、たった一言。
「結局、世界なんてキレイゴト。あたしを嫌いな世界なんて、みーんな壊れてなくなればいいんだわ。あはははははははは」
言葉は残滓すら残さずにぷつりと切れ、そこに残されたのはトーキとパレラ。そして暴力的で残酷な現状を語る、赤い匂いだけだった。