始まりは選択から 3
「悪いわねミヤコちゃん、お客様なのに手伝ってもらっちゃって」
包丁を手に来客の少年少女が持ってきてくれたフルーツケーキに向き合いながら、ユーリキアは眉を八の字にして笑う。息子に来いと呼びかけてまさか来客の方が来るとは思わなかったが、如何せん彼女の方がパレラより手際がよいのでユーリキアとしては助かっていた。
「いえいえお気になさらず……」
しかし返事をするミヤコは気もそぞろ。どうしたのかと振り向けば、彼女は冷蔵庫に視線が向きっぱなしだ。耳を澄ませばぶつぶつ言っている声が聞こえてきた。
「型は旧式チックだけどやっぱり普通の冷蔵庫だ。……コンセントもないのにどうやって動いてんのコレ??」
聞き慣れない“コンセント”という単語にはじめは首を傾げたユーリキアだが、すぐに彼女が異世界からの訪問者であるということを思い出し、それもそうかと納得する。世界が違えば発展している知識も使われる単語も違うだろう。……もっとも、それを言うならば使われる言語が違くてもおかしくないのだが、何故か言葉は通じている。このことについて、初めて会った時ミヤコは「お約束」と言っていた。
「冷蔵庫の仕組み気になるの?」
「わひゃあ!?」
真後ろまで言って声をかけると飛び上がりそうな勢いで驚かれ、むしろ声をかけたユーリキアのほうが驚いてしまう。
ユーリキアが目をぱちくりさせているのをみて、ミヤコは「しまった」と言うような表情をしてから照れ隠しに笑って見せた。ほんのり赤い頬が自分の行動を恥ずかしがっていることを教えてくれる。
「え、えーと、そうなんですよ。どうやって動いてるのかなーって」
先ほどの反応をなかったことにするように話を続けるミヤコ。わざわざ掘り返すほど意地悪な性分をしているつもりはないので、ユーリキアは笑顔でそれに応じた。
「ミヤコちゃんの所の冷蔵庫はその、コンセント? っていうので動いてるの?」
「っていうか、大きい所でたくさん動かすために必要なエネルギーを作ってて、それを色んな家に流してるんですよ。で、その流れてきたエネルギー――電気なんですけどね――で機械を動かす、そのつなぎがコンセントなんです。――でもこの世界の機械はそゆのなしで動いてるから不思議で」
そもそもこんなファンタジーな世界に機械があることにすら驚いたのだが、それは黙っておくことにした。悪気があったわけではなく、特殊能力のある世界は魔法的なもので全てあがなっていると思っていたがための意見だが、下手をすると野蛮と思っていると判断されかねない。
この世界の人々は異世界の生き物と共存しているためか「違うもの」を受け入れやすい気質をしているが、さすがに見下してくる相手に無条件に優しくしてくれるほど甘くはないだろうから、それはまずいだろう。
「へぇ、便利なのね。この世界はね、大体こういう物を動力にしてるのよ」
そう言ってユーリキアは冷蔵庫の隣にある箱の蓋を、足踏みタイプのスイッチを踏み押して開け、中を示す。中にたくさん入っているのは青い石だ。一瞬見紛うほど、その透明度は氷に近い。
「冷たい……これ何ですか?」
箱の中に充満していたのは冷えた空気が流れ出てくる。その感覚は冷凍庫を開けた時と同じもののように思えた。
「これは氷冷石。『アルプレイト』のひとつで、冷気を内包したものよ。これを、冷蔵庫の炉に放り込んでエネルギーを抽出するの。投入口がこれで、抽出済みのカスを取り出すのがこっち」
最初に示されたのは冷蔵庫の側面にある小さな戸。開けると中は空洞で、下に向かって先が続いている。それを覗き込んでいると、続いて足元側にある取っ手が引かれ、内包されていた引き出しのようなものが引き出された。中に入っていたのは大きさのバラバラなただの石。
「……ふつーの石……」
不思議そうな顔をするミヤコだが、説明もあったのでこの石が元氷冷石であることはすでに察している。エネルギーを抽出し終わってこうなっただろうことも分かる。しかしその仕組みがよく分からない。|一体コレは何なのだろう《・・・・・・・・・・・》。
眉を寄せて考え出すミヤコを見てユーリキアは楽しげに笑った。
レイギアは「馬鹿な娘」と言っていたが存外そうでもなさそうだ。好奇心は強く、知らないこと・分からないことを「これは何か」と考える力がある。こういう人間は見ていて楽しいので、ユーリキアは改めて彼女のことが気に入った。
「ミヤコちゃんはアルプレイトは知ってる?」
問いかけるとミヤコはまた少し大げさにハッと反応を示す。ほら、面白い。
「えと、知らないです」
こちらの世界に来てまだわずかしか経っていないミヤコにとって、優先して覚えるのはこの世界の常識である。それは人との付き合い方であったり生活のルールであったりと様々だ。しかしその中に、今ユーリキアが口にした「アルプレイト」なるものは入っていない。
素直に首を振ったミヤコにユーリキアは少し楽しそうな顔をした。人にものを教えるのが好きなのだろうか、ミヤコの目に今のユーリキアは教え好きの友人の表情と被って見える。
「アルプレイトって言うのは、簡単に言うとエネルギーを内包した岩石のことね。冷蔵庫とか何かを冷やす時に使う氷冷石、通信に使う伝信石、ヴィーグルに使う涼風石、消費エネルギーの多い機械に多く使われる火炎石、光に使われる雷光石。代表的なものでこんなものかしらね」
この他にも色々あるが、挙げだしたらきりがないので割愛する。
「このアルプレイトは大陸のどこに行っても質さえ問わなければ採取が可能なんだけど、生活に使える、機械を動かすのに必要なエネルギーを内包したものは鉱山で取るか、再使用の物を使うかどっちかね」
このエネルギー鉱石が初めて採取されたのはリーブズ発見の頃とほとんど同時期――つまり大戦の頃となる。それが活用され始めたのは大戦も後期の頃だが、今では必要不可欠な主要エネルギーとなっている。火を燃やしたりするよりも効率がいい上、|時間が経てば使用済みのものも再使用が可能となるのが重宝される理由だ。
「再使用なんて出来るんですか? ……もうただの石ですよこれ」
不思議そうにミヤコが示したのは先ほど冷蔵庫から取り出したばかりの石。そこら辺に転がっているものとなんら大差ないそれは、触っても普通の石と同じ感触、重さしかその手に与えてこない。これがどうしたら再びエネルギー鉱石に返り咲くというのか。
元いた世界にも太陽エネルギーなどの再生可能エネルギーはあったが、それらはあくまで「自然に繰り返される」という前提のもとに成り立っている。それから考えるに、どちらかというとこのアルプレイトなる物は化石燃料の系統に思えた。
「出来るのよこれが。昔は誤解されがちだったんだけど、アルプレイトは|石自体に価値があるわけじゃないのよ。ただ、エネルギーが蓄積するのが今の所石が一番相性がいいってだけなの」
石自体に価値はない。今築き上げたばかりのアルプレイトのイメージを根底から揺るがす発言にミヤコは多少混乱する。そんなミヤコに、ユーリキアはさらに説明を続けた。
「アルプレイトは最初からエネルギー体として発生するんじゃなくて、そこらにある石にエネルギーが蓄積されて発現するの。だから、さっき言った鉱脈も|石の鉱脈じゃなくて|エネルギーの鉱脈って言った方が正しいわね。再生するのはこの鉱脈にもう一度石を埋め直すだけでいいの。ちなみにこのエネルギーは――今日はもうやめましょうか」
上調子で言葉を続けていたユーリキアは、しかし説明を受けている側の少女を見て苦笑を浮かべ言葉を止めた。すでにこの時点でミヤコは笑顔が固まっている。頭は悪くないが処理能力はあまり高くないらしい。
「うぅ、すみません〜。通信簿にもよく『一度に処理できる量を超えると混乱しがちです』って書かれてた人間なんです私……」
どんよりと落ち込むミヤコを慰めるようにユーリキアはその頭を撫でる。笑顔を浮かべる内心では娘も欲しいなぁと考えているのは秘密である。
「ゆっくり覚えていけばいいわよ」
もしいつかこの世界を去り元の世界に返るとしても、このままずっとこの世界に居続けることになっても、急いで覚えなくてはいけないことではないのだから。
ユーリキアの優しい慰めにミヤコは少し呆けてから笑顔で頷いた。自分を拾った男なら「せっかく俺が説明してやってのに理解出来ねぇたぁどういう了見だ」と頭に拳骨を落とされていたことだろう。こんな優しい両親に育てられたトーキが羨ましく思えてきた。
「じゃ、持って行きましょうか」
「あ! ユーリさ……あ、いや、何でもないです。行きましょう」
とっさに呼び止めたと思ったらミヤコはすぐに前言を撤回する。トレイのひとつを手にしようとしたユーリキアは不思議そうにその顔を見つめた。もうひとつのトレイに手を伸ばそうとしていたミヤコはそのまなざしにひるんだ様子を見せる。怖がっている、というよりは恐縮しているように見えたので、ユーリキアは子供たちにする以上に優しさを心がけて笑顔を浮かべる。
「どうしたの? 何か訊きたいことがあるなら訊いていいのよ?」
レイギア辺りが居たら噴き出されそうなほど異様に優しい声音だと自分でも思った。子供たち相手なら逆に怒っているのかと恐れられたかもしれない。しかしこの少女にはあった選択だったようだ。ミヤコはほっとしたように少し表情を柔らかくした。
「じゃあ、その、こんなこと訊いたら怒られちゃうかもしれないんですけど、でもあの、気になったって言うか、だからなんだってわけじゃないんですけど、その」
「ミヤコちゃんミヤコちゃん、怒らないから。どうしたの?」
頬に汗をかいて苦笑いを浮かべながら改めて問い直す。それほど訊きづらいことを訊きたいのかと逆に好奇心が沸いた、というのあった。母親になってからは落ち着いてきたがユーリキアはもともと好奇心が旺盛な性質だ。
改めて許しを得て、ミヤコは深呼吸の後にまっすぐにユーリキアを見る。真剣な問いであるからこその誠意の姿だ。
そして少しの戸惑いの後、疑問は簡潔にして明瞭にミヤコの口を伝い出る。
「ユーリさんは、トーキ君がハンターやることに反対なんですか?」
そう思ったのはトーキがハンターをやると言い出した頃に、明らかに不可能と思われていることをしようとしているのに送り出してくれる彼の両親をほめた時だ。トーキは謙遜しつつも頷いたが、その時ともに「母には渋い顔されたが」と言っていた。そのことが、気になっていたのだ。
問われたユーリキアは軽く目を見張ったが、すぐに表情を柔らかくして首を振る。
「ガーリ君に聞いたかもしれないけど、私も昔ハンターだったからね。トーキがやりたいなら別にハンターになったって構わないの。悪い仕事とは思ってないし。けど、勉強はちゃんとして欲しいとも思ってるわ。……私は6歳の頃からハンター一筋で生きてきたから、勉強なんて出来なかったから」
言葉の後半、ユーリキアは寂しげに笑う。生き方に後悔なんてしていない。けれど、町や村で勉学に勤しむ同年代の少年少女が羨ましかったのも事実なのだ。それに勉強はしただけ将来選べる選択の幅が広がる。選ぶ道が決して揺るがないというのならばいいかもしれないが、そうでないなら若いうちからそれを狭めることはないと、ユーリキアはそう思っている。
「え、6歳から? ハンターって15歳からじゃないんですか??」
確かマリーニアがトーキの仕事に付き合う理由もそれのはずだ。せっかく得た知識が揺らいでしまう発言にミヤコは驚きを隠せない。しかし、その驚きもすぐに身を潜めた。
「ああ、その制度出来たの8年くらい前だからね。私がなった頃はライセンス発行し放題の混沌時代だったから」
軽く笑って「懐かしいわ〜」と口にするユーリキアだが、むしろミヤコはそんなカオスな状況の中で燦然と輝く栄光を手に入れたユーリキアとヴィンセントに改めて尊敬の念を抱くことになる。この二人の子供ならトーキもきっとすごい人物になるはずだ、なんて、そんな予感めいた考えまで浮かんできた。
「ま、そんなわけでハンターになることは反対してないわ。――ただ、メルティちゃんを追いかけていることには、さすがに抵抗あるかしら」
息子が一心に追いかけている少女の名前を口に出した時、ユーリキアは初めて表情を本格的に曇らせる。ミヤコはその横顔を眺めながら、感じたことをそのままに口にした。
「……闇落ちしたら助からないって思ってます、よね? レイギアさんもこっそり出来るのか心配してたし……」
レイギア・ブルースペルは出会った当初ミヤコが思っていたよりもずっと思慮深い男だった。しかし彼は「やらないで後悔よりやって後悔しろ」が心情なので仕事などでもマリーニアが「無理だ」というものを強引に受けては成功を収めて帰ってくる。その間彼は「無理」という単語を辞書から消している。
その彼が、無理だと思っている。それがミヤコの知らないこの世界の「常識」のひとつで、きっと彼は多くの落ちた者を見てきたのだろう。長くハンターをやっていたのなら、多分、ユーリキアも。
「……トーキには悪いけど、助ける方法があるとは思えないの。昔からたくさんの人がそれをしようとして失敗して、結局悲しい結果で終わってる。――私も、無理だった――」
その時深く深くその色を染めた群青のまなざしがいったい何を見ているのか、ミヤコには知る術もない。そしてそれを問いかける資格を自分が持ち合わせないことを知っていたから、ただ沈黙してその表情を見つめた。
ややあって、ユーリキアはぱっと顔を上げて少し恥ずかしそうに笑う。
「古い話をしちゃったわね。でもやって後悔よりはやらないで後悔の方がずっと辛いから。気の済むまでやればいいと思うわ。私たちは、帰ってくる時2人でも3人でも笑顔で迎えてあげるだけだから」
それが親として、ユーリキアとヴィンセントに出来ること。そして、しなくてはいけないこと。ユーリキアはそう考えていた。
「さ、そろそろ行きましょうか」
今度こそトレイを持ち上げるユーリキアに続いてミヤコもまたトレイを持ち上げる。先を行く女性の後ろ姿に、ミヤコは女性としての強さと母としての強さを見た気がした。