始まりは選択から 1
始まりは選択から
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タチトカゲ退治の依頼から帰ってきて3日が経過した。はじめての冒険を終えたトーキは――――高熱を出して寝込んでいる。
「…………まだ熱いわね」
トーキの額に手を当て眉を八の字にする群青色のストレートヘアーの女性・母ユーリキア。彼女の言葉に、その後ろに立っていた金茶色の髪をした男性・父ヴィンセントの、メガネの奥にある同色の双眸が細まる。
「長いですね。いくらはじめて外に出たからって疲労でここまで高熱出すほどやわに育てたつもりはないんですけど」
妻と入れ替わりに我が子に手を伸ばし、汗で額に張り付いてしまっている前髪を上げてやった。一層良く見えるようになったトーキの頬は真っ赤で、息もひどく荒い。身体を起こすどころか目を開けることや声を出すことすら辛そうで、ヴィンセントは痛ましげに目を細める。
「めうー……トーキ元気にならないネ。早く一緒に遊びたいヨ……」
枕元にしゃがみ込んでつまらなそうに、寂しそうにするパレラの目の下にはクマがある。トーキが倒れてから、もう1人の息子はほとんど寝ていない。いつもトーキの顔を眺めて辛そうな顔をしている。
ユーリキアはパレラの頭をそっと撫でた。最初の頃は「寝なさい」と口をすっぱくしていた彼女も、パレラが頑としてそれを拒み続けたためかもはや何も言わない。それでも折を見ては彼を寝かせようと色々試しているようだが、その全てが無意味に終わっている。
「もしかして外で何か変な病気でももらってきちゃったのかしら」
「マリーはおかしなものは何も口にさせてないししてないはずだって言ってましたけど、あの子のいない所で何かしたんですかね」
原因が分からずアーザ夫婦は眉を寄せて唸りあった。もちろんすでに医者には見せているし、問題はないと言われている。だが所詮は普通の人間向けの町医者だ。もしも原因が外のものならば対処は出来ない。
しかし、外の対処が出来る医者は今この街にいない。
こうなったら隣町まで行くか。夫婦がそんな結論を出そうとした時、ずっとしょんぼりしていたパレラが突然跳び上がった。その眼差しはトーキのある一点に向けられている。
「パレラ? どうしました?」
ヴィンセントは同じようにパレラの視線があろう位置に目をやるが、彼がどこを見ているのか分からない。それが分かったのか、パレラはもどかしそうに腰を曲げて近くに来たヴィンセントの肩口の布を引っ張った。
「ヴィンスパパ、ユーリママ、これ。ピアスの色が濁ってるネ」
彼が指差すのはトーキの両耳に付けられている赤いピアス。本来なら澄んだ真紅のガーネットであるそれが、今は墨でも零したように濁っている。それを見たヴィンセントとユーリキアはようやく息子の異変の原因が分かった。
「なるほど、これね」
吊り気味の大きな目のためかはっきりした印象を見る人に与える顔には呆れと、それ以上に安堵が浮かんでいる。
「そういえばオルフィアの力を使ったと言ってましたね。一度実戦レベルで力を解放したから町用の調整だと合わなくなったんでしょうね」
穏やかな顔立ちに似合いな柔らかい笑顔を浮かべ、ヴィンセントは一度大きく息を吐いた。はじめて息子が外に出たことのインパクトがありすぎて少し気が動転していたらしい。思い出せば、こんな風に熱を出したのははじめてではない。ずっと昔にも、今と同じ理由で同じことがあった。
落ち着いていればこんなに長いこと苦しめることもなかっただろうと後悔しながら、ヴィンセントは妻に声をかける。
「ユーリ、手伝ってください。調整し直します」
「分かった。どうする? 強くする? 弱くする?」
腕まくりをしながら見上げてくる妻に、少し考えてからヴィンセントは答えを返した。まだ早い気がしないでもないが、必要だろう。
「弱くします。多分、一度強い力で解放されたからトーキの中に流れ込む力の量が増えてしまったのでしょう。でも容器が小さいから、増えた分に対応し切れていない」
元々トーキの“容器”は大きいが、そのためにまだ子供の身には余りすぎる大きな力を誘い込んでしまった。それを外から制御するのがこのピアスだ。
今回は制御を少し弱めて、容器の大きさを大きくする。そうすればこの熱は収まるはずだ。恐らく今回の高熱は対応し切れていない『大地の狼』の力がトーキの中で暴れているためだろう。
もう一方が気にかかりはするが、あちらの方が放っておいても問題はないので、オルフィアに合わせて調整しても問題ないだろう。
「りょーかい。じゃ、やろうか」
「ええ」
2人は静かに息を吸い込んだ。
「「――――我が名に従え――――」」
重なり合った契句に、部屋中に強い光が満ち溢れる。
* * *
ぼんやりと目を開けたトーキの視界に最初に映ったのは、しょげた顔をした幼馴染だった。目の下のクマが気になって、トーキはためらわずにその名を呼んだ。
「……パレラ……?」
乾燥した喉では掠れた声しか出せなかったが、耳の良い彼はそれでもその声にすぐに気が付く。パレラはハッとしてこちらを向き、そして先ほどの表情が嘘のように明るい笑顔を咲かせた。
「めう! トーキ目覚めたカ。気分はどうネ?」
額に手を当てられる。
小さな手が何をしたいかは分かるが、|年中どこにいても温かい《・・・・・・・・・・・》彼の手では意味がない。そんなことも気付けないほど動揺している彼の気持ちが嬉しくて、トーキはくすりと笑った。
「大丈夫だよパレラ。もう随分楽になったから」
「めう。それは良かったヨ。ちょっと待ってるネ、トーキ。今水持ってくるヨ」
目が覚めたということは力の流れが安定したのだろうから、もう安心だ。
トーキの両耳のピアスの色が鮮やかな真紅に戻っていたことを確認したパレラは、座っていた椅子から飛び降りて部屋を駆け出す。
そして、ややあって戻ってきた彼は両親を引き連れていた。
「大丈夫トーキ? うん、熱は下がったわね」
額に手を当てられる。今度は年中指先の冷たい母の手だったのでひんやりした感触が気持ちよく、トーキは深く息を吐いた。
「後は体力が戻るまでゆっくり寝てるんですよ。いいですねトーキ?」
母の後ろから顔を出して笑う父にトーキは素直に頷く。逆らう気なんてもとよりないし、たとえあってもこのだるさを引き連れて暴れる気になんて到底なれない。
トーキが了承するとヴィンセントは「よろしい」と言うように頷いた。
「はいトーキ。水」
両手で差し出されたトーキ用のコップには並々と水が注がれている。こんなに飲めるのかと危ぶんだトーキだったが、いざ口を付けると物足りなさを感じるくらいであった。喉を大きく鳴らしながらコップを傾ければすぐにその中身は無くなっている。
汗たくさんかいたからね、と母が笑った。その手にはタオルと替えの服が抱かれている。確かに、全身が水を被ったようにぐしょぐしょだ。トーキはそれを受け取ろうと手を伸ばすが、あっさり避けられてしまった。
「……お母さん?」
嫌な予感しかしない。
「病み上がりが無理しないの。やったげるからおとなしくしてなさい」
嫌な予感的中。トーキはぎくりと身体を強張らせる。
「お、お母さん。自分で着替えるからいいよ。僕もう子供じゃない――――」
「問・答・無・用」
「――――――――っ!!」
にっこりと笑っているが押し寄せてくる重圧感が言葉通りの空気を辺りに撒き散らした。そして、抵抗する間も無くトーキは服を剥ぎ取られ汗を拭かれ、着替えさせられる。
気遣いも優しさも愛も分かっているのだが、この母の前では息子に人権はないのだろうかと本気で思ってしまうことがよくあるトーキであった。
なんだかんだで人心地ついたトーキは、シーツを取り替えるからとベッドの上からどかされ今は椅子の上に膝を抱えて座っている。パレラが別室から持ってきた背もたれのない椅子なので病み上がりには辛いかと思ったが、後ろに立つ父の好意により身体は彼にもたれることが出来たのでそうでもなかった。
トーキはきびきびと動く母を眺めながら父に声をかける。
「僕、どうしたの?」
パレラが3日間寝込んでいたのだと教えてくれたが、その間はもちろんその前の記憶すらない。依頼から帰ってきて、ギルドでミヤコに迎えられて、ギルドの人たちが初依頼達成とガーリッド歓迎を含めて祝賀会(という名の宴会)を開いてくれたところまでは覚えている。が、そこまでだ。
「皆さんが飲み始めた頃に倒れたって、お前を運んでくれた子が言っていましたよ。それからはずっと寝込んでいました。なかなか熱が下がらなくて焦りましたよ」
調整後3時間でこれだけ回復するならば、もう少し早く気付いていればあんなに苦しまなかっただろうにという悔いはまだ残る。だが体力の回復を除けば完全に回復した息子の様子を見るとそれより安堵の方が勝ってしまう。
「運んでくれた――――って、誰が?」
父が「子」というならば年下だろう。エンデル・ギルドには若いハンターがたくさんいるが、トーキの家を知っている者となると限られてくる。順当にいけばマリーニアだろうが、もし彼女ならこんな遠回しな言い方はしないだろう。
「ああ、確か――――」
父の言葉尻にベルの音が鳴り響く。玄関に設置された来客を告げるチャイムの音だ。誰であろうか。母の側でその手伝いをしていたパレラが出ようとして駆け出す。ユーリキアは慌ててそれを止めた。
「パレラ、ママが出るから。あんたは上着着てヘッドホンしなさい。あとスリッパ」
「めう。忘れてたヨ」
大き目のタンクトップとズボンだけを身に付けて、長い髪をばさっと背中に流した状態のパレラは、自分の状態に気付いて隣の自分の部屋に駆け込んだようだ。
その彼に続くように部屋を出た母は来客に返事をしながら玄関に小走りで駆けて行く。トーキが誰であろうかと考えていると、父が「いいタイミングだね」と笑った。どういうことかと目で問うと、父はめがねの奥の金茶色の双眸を細める。
「お前が倒れてから、毎日お見舞いに来てくれているんですよ。あの子達は」
あの子達?
誰のことか見当もつかずに首を傾げたトーキだが、母と上着・ヘッドホン・スリッパをつけたパレラに引き連れられてきた姿に意外なほどあっさりと納得する。
「やっほー、トーキ君。治ったんだって? よかったねー」
「よお、やっと元気そうだな」
顔を見せたのは、ミヤコとガーリッドの2人だった。