始まりは自覚から 8
トーキは空を蹴って周りを飛び回る相棒に手を向けた。狼はそれに懐くように頭を擦り付けてくる。
「さあ行くよ、オルフィア」
名を呼ぶと狼――――オルフィアは低く唸ることを返事とした。それを契機に、トーキは戦場に駆け出す。最初に狙ったのは手前にいた、あの光耐性を持つリザードマンだ。
「トーキ君っ!?」
隣を通り過ぎる時にマリーニアが何か叫んだ。けれどトーキにはそれを聞き返す余裕はない。それより今は目の前の敵をどうにかすることが先決だ。
「オルフィアッ」
走りながら相棒の名を唱えたそれは叫ぶような大きさで響く。オルフィアは一声吠えると姿を半透明に変えた。すると、トーキの足と拳に茶色の光が纏う。
トーキがリザードマンの前で大きく跳び上がると、強化された脚力はトーキを上空に誘った。リザードマンの真上まで跳んだトーキは大きく拳を振りかぶり、そして、落ちてくると同時にそれを振り下ろす。
か弱き人の拳であろうと、属性付与のされていない単純な打撃であろうとも、リザードマンとオルフィア――――『大地の狼』では格が違いすぎる。
盾をかざしたリザードマンだが、『大地の狼』の力を憑依させたトーキの一撃には勝てなかった。盾は砕け、大きな顔に拳が埋まる。手や耳に骨が折れ肉がつぶれる音や感触が伝わりトーキは顔を歪めた。今さらだが剣を使えばよかったと後悔する。
ここに来た頃は血の匂いや肉片を見て嘔吐を繰り返していたトーキも今ではそれに慣れたつもりだった。だが、さすがに直に手に死の感触が伝わってくるのは辛いものがある。
それでも耐えて地面にしっかりと二本の足で立つトーキは、青い顔をしていたがはっきり前を向いていた。
「トーキ君……」
「マリーニアさん、大丈夫です。僕も戦います。……僕も、戦いたいんです」
はっきりと「意思」を伝えてくるトーキの真っ直ぐな眼差しを見て、マリーニアは深く瞑目した後、目を開けると同時に属性付与された矢を放つ。背後でリザードソルジャーが倒れた。別のリザードソルジャーが迫っていたらしい。
トーキが振り返り呆気なく絶命した魔物を見下ろしていると、いきなり頭を撫でられる。驚いて振り返る頃にはそれも終わっており、手の主も背中を向けていた。
「無理はしちゃ駄目よ。――――さ、ガーリッド君を助けましょう」
「――――っはい!!」
その返事を合図に2人は二手に分かれて駆け出す。トーキは剣を引き抜き、最初に吹き飛んできたリザードソルジャーと相対しているガーリッドに駆け寄った。同時に、オルフィアを元の状態に戻し空いた手を払って指示を飛ばす。
オルフィアはそれを受けると空中を蹴って一陣の風の如くガーリッドの前にいるリザードソルジャーに向けて駆け出し、突撃した。凄まじいスピードで突撃されたリザードソルジャーは大きな体をくの字に曲げて吹き飛び、遙か後方に転がる。
「ガーリッドさん、大丈夫ですか?」
「ああ。……悪い。助かった」
ばつが悪そうな顔をするガーリッドにトーキは表情を柔らかくして首を振った。
「いいんです。『助け合い精神も大事だろ』ですから」
それは今朝ガーリッドがトーキに言った言葉。昨晩の救出について礼を述べたトーキにガーリッドはそう言ってくれたのだ。だから、トーキだって同じ言葉を彼に言える。
「ガーリッドさん。僕が今ここに来たのは、僕が、マリーニアさんとあなたを助けたいからです」
強くガーリッドを見上げると、彼は目を瞬かせ、次いで笑った。
「――――あとで朝言ったこと謝るわ。だから、今は助けてくれ」
叩くような勢いで頭に手が置かれる。力加減は利いていないが悪気がないのは分かったのでトーキは笑顔を返した。
そして一度まぶたを下ろし、再び開いた時にはトーキの表情はまた厳しいものに変わっている。
改めて周囲を見回すと、3体のリザードソルジャーに囲まれていた。トーキは腕を天に向かって上げる。応じたのは、緑の目をした黒い風。
空を蹴ったオルフィアは主の後ろにいたリザードソルジャーの首元を通り過ぎた。すると、赤い飛沫が振った後に栓を抜いた炭酸水のような勢いで噴き出し、その噴出元はぐらりと体を傾けて倒れる。
他の2体がそれに動揺している隙に、トーキはその内の1体の足元に向けて駆け出した。そしてリザードソルジャーが反応する前に深く踏み込んで太い足に向けて剣を振り切る。
1体目を倒した直後にトーキの元に戻ってきていたオルフィアが憑依したためにその勢いは通常よりずっと威力を持った。振り切ったトーキの剣は狙った足をすんなりと切り落とす。つんざくような悲鳴が上がり、トーキは一瞬目の前が歪んで膝をついてしまった。
だがその前にオルフィアに指示を出すことは忘れず、憑依を解いたオルフィアによって怒りに我を忘れて力任せに剣を振り下ろそうとしたリザードソルジャーは腕と頭を無くす。消えたそれらはすでにオルフィアの腹の中だ。
これで残すはあと1体。トーキは最後の1体に向けて手を向けた。
これで、終わりにする。
トーキの意思を感じ取ったオルフィアは四肢を踏ん張り低く唸りだした。徐々にその身に帯びる光が強くなる。
同時にトーキもオルフィアの力の脈動を感じ取った。身のうちに流れ込んでくるような、激しく暴れるそれは、今まで感じたことのない熱を帯びている。
トーキはその熱を、怖じずに世界に吐き出した。オルフィアの目がカッと見開かれる。
【ウォォォォォォォォォンッッッ!!】
空気がびりびりと震えた。『大地の狼』の咆哮が大地を揺るがすと、地面が盛り上がって縦に長い巨岩の形となって空中に次々に浮かんでいく。それらは角度を変えると鋭い方を魔物に向けた。
オルフィアが今一度吠えると、それらは一斉に魔物に向かう。一瞬後、そこにあった魔者の姿は5を数えた巨岩の下敷きとなっていた。
岩が地面にぶつかった衝撃で舞い上がった砂煙が消える頃、周囲はしんと静まり返っている。どうやらマリーニアの方も終わっていたらしい。すでに彼女のコントラクトメイトは姿を消していた。
「終わった……勝った……」
呆然としていたと思ったら、トーキは突然座り込んでしまう。今まで小さなことでオルフィアの力を使ったことはあるが、こんな風に命のやり取りをしたのは初めてだ。今さら、手が振るえている。
乾いた笑いをこぼしているトーキの頬を地面に降り立ったオルフィアがぺろりとなめた。トーキはそちらを向き、相棒の首に縋る。顔に浮かぶのは笑顔だった。
「やったよオルフィア。僕、勝てたんだ。自分の意思で戦って、勝ったんだよ……」
微かに掠れた声。けれど涙を見せるつもりはない。「男の涙はそんなに軽いものじゃない」と父に言い聞かせられて育ったためか、トーキには「何があっても泣くものか」という意思がある。――――意地と言ってもいい。
オルフィアは自分の首に顔をうずめる主に向けて優しく鳴いた。
その様をマリーニアの治療を受けながら見ていたガーリッドは、心の中で彼の先ほどの戦いぶりを思い出し素直に感心する。
剣の腕はからきしのようだが、〈コンダクター〉としては優秀なようだ。彼の戦いぶりは“コンダクター”の名の由来を見事に表していた。
遙か昔大戦の頃、契約者達は“コントラクター”と呼ばれていた。
それが今日の呼び方――――〈コンダクター〉に変わったのは大戦半ばの頃だ。ある者が契約者達の戦いぶりを見て感嘆し、「指揮するが如く」と言ったことがその始まりと伝えられている。
コントラクトメイトに指示を与え意のままに操るその姿はその表現を人々に納得させ今日に至る。
故に彼らはこう呼ばれる。“指揮者”と。
トーキの戦い方は正にそれであった。トーキはコントラクトメイトを大切にし、あのコントラクトメイトもトーキを守ろうとしている。その信頼関係も強さの秘密かもしれない。
「ガーリッド君」
腕に包帯を巻いてくれていたマリーニアがそちらに視線を落としながら小さな声で呼びかけてきた。ガーリッドはトーキに聞かれたくない事だと判断して小声で応じる。
「――――“指揮官”は、見た?」
マリーニアの疑問は、ガーリッドがあの大群のリザードソルジャーを見た時に抱いたそれと同じものだった。ゆえにソレをガーリッドも探したのだが、その姿を見つけることはついに出来なかった。ガーリッドはそのことを伝え素直に否定を口にする。
「見てねぇ。絶対いるはずなんだ……でも、今は分かんねぇな。俺が見た時はもっとたくさんいたのに、いつの間にかいなくなってる。近くにいる気配もねぇ」
「それは私も同感。帰らせる前にウェルリーに辺りを探らせたんだけど、散り散りにここから離れていっていたらしいの」
ウェルリーとはマリーニアのコントラクトメイト・『月光の射手』だ。狩人の系統だけ合ってかの〈リーブズ〉は遠望に優れる。〈リーブズ〉の図鑑に登録されている事実ゆえガーリッドは疑わずにそれを受け入れた。
「解散したってことは、“指揮官”が倒されたってことか?」
逆にそれ以外の理由は考えづらいが、そうなると「誰が」倒したのかが疑問に残る。
頭を抱えるガーリッドとは反対に、マリーニアは心当たりがありそうな表情をした。頭に浮かぶのは、無邪気な笑顔と金色の双眸。
初めて自分の意思で戦った。
これが、自分にとっての本当のはじまり。