始まりは自覚から 5
翌朝、トーキはまだ早朝と分類するのにふさわしい時間に起きてしまった。重い頭を浮かせて辺りを見回すと、最初に頭のすぐ上に寝ているパレラの姿が目に入る。それから足元の方に弓を抱え座ったまま寝ているマリーニアの姿。
自分が共に町を出た2人は確認できたが、昨晩タチトカゲの群れに襲われた時に助けてくれたあの青年――――ガーリッドの姿がない。
トーキはふらりと立ち上がり改めて辺りを見回した。姿も剣もないけれど彼が身に付けていた冒険者用の分厚い布のマントも荷物は置きっぱなしだ。トーキたち――正確にはマリーニア――に対する信頼なのかそれとも単に無用心なだけなのか。
恐らく前者だと判断し、トーキは共通の荷物を入れている大きな袋から容器を取り出して静かに歩き出した。近くに川があるのでそこかもしれない。いなかったとしても水をくんで戻ってくればいい。いまだ寝ぼけた頭は、彼をわざわざ探す必要性がないと考え至らないまま、そう思ったのだ。
5月に入り空気が随分暖かくなってきたが、まだ朝のこの時間は少しひんやりとする。その空気の中を歩くトーキの目は徐々に冷めてきて、川の近くまで来てようやく覚醒した。
しかし、自分は何をしているのかと思うより早く、トーキの目は川辺に求める姿を見つけてしまう。しかも相手にも同時に見つけられては引き返しようもない。気配に敏感なパールランクハンターに振り返りざま剣を向けられて、トーキは手を上げつつ心中で息を吐く。
「何だお前か。っと……」
「トーキです。トーキ・アーザ。昨日は助けてくださってありがとうございますガーリッドさん」
昨晩の間に言い忘れていた言葉を真っ先に口にする。昨日のうちから引っかかってはいたのだが、自覚するほど不機嫌でそれどころではなかったのだ。
「ああ、気にすんなよ。助け合い精神も大事だろ?」
ガーリッドは剣を鞘にしまいいれ、腕に巻いていたバンダナを額に巻き直した。その様子を黙って見ていたトーキは改めて彼の色彩を確認する。バンダナで前髪を上げた髪も、それに隠れがちな目も、赤みの強い赤銅色をしていた。
「こんな早くに起きて、どうかしたか?」
問いかけにトーキは笑って首を振る。
「いえ、早くに目が覚めちゃったんで……。あなたがいないのが気になったのと、あとは水汲みにと思って」
手にしていた容器を上げて示すと、ガーリッドは納得したように頷いた。それなら早くくめと言うような手振りをされ、トーキは頷くと彼の横を通り抜け川岸にしゃがみ込んだ。川の流れに容器の口を向けると面白いくらい早く中に水がたまりだす。
トーキがそれに視線を落としていると、その後ろではガーリッドが頭を掻きながら何か問いたそうな顔をしていた。少し逡巡してから、しかし彼はすぐにその口を開く。
「お前昨日俺が最初に何て言ったか覚えてないのか?」
「え?」
突然の問いかけに何事かと驚きを込めて振り向きその顔を仰ぎ見ると、ガーリッドはすぐに肩を竦めた。
「って、覚えてるわけないか。あんな状況だし、何より覚えてたらこんな風に寄ってくるわけねーよな」
1人納得した様子のガーリッドの独白を聞き、トーキはようやく彼の問いの内容を理解する。
「『足手まとい』って言われたことですか? 本当のことですから反論のしようがないですし、はっきり物事言う人はエンデル・ギルドにもいるんで慣れてますよ」
エンデル・ギルドのレイギア・ブルースペルは彼とは比べ物にならないほど相手を気遣わずにはっきり物を言う。あれに比べれば、ガーリッドのあんな台詞大したものではない。
笑顔で告げた言葉に気負いがないことを感じ取ったのか、ガーリッドは軽く目を見開いてから笑い返してきた。
「あ、そ。何だ意外と強いんだな。もちっとひ弱な奴だと思ってたぜ」
少し引っかかる言い方だが、褒められたと思っていいだろう。トーキは特に反論もせずに笑顔で礼を述べる。
「――――にしても、お前チビだな。年いくつだ?」
はっきり言うにもほどがある。頭の上から見下ろされ不躾な問いかけをされてトーキは少しむっとした。
「14です。――――背はまだ伸びます。成長期ですので」
本日はじめての不機嫌な顔は丁寧な対応を続けたトーキの年齢にあったもののように思え、ガーリッドは歯を見せて快活に笑う。手のかからない子供は楽だがガーリッドには物足りない。これぐらいの方が彼にはちょうどよかった。
「そうか、そりゃ悪かったな。俺も背ぇ伸びたのはハンターライセンス取った後だったからお前もそのうち伸びんだろ」
かき混ぜるように寝癖1つついていない群青の髪を撫でてやると、終わる頃にはぐしゃぐしゃになってしまっていた。トーキは抵抗するわけでも文句を言うわけでもなかったが、眉を八の字にした笑顔をガーリッドに向ける。対応に困っているのが目に見えて分かったのでガーリッドはすぐに手をどけた。
「で、14で外に出られてるってことは、お前も〈コンダクター〉か」
「はい」
さすがにハンターをやっていると例外対象者が何者かもすぐに分かるらしい。トーキは久々に悪意のない分類確認に気を軽くして頷き、続けて問いかける。
「僕もってことはガーリッドさんも〈コンダクター〉なんですよね? コントラクトメイトってどんなのですか?」
コントラクトメイトとは人間と契約した〈リーブズ〉の事を指す。名称が長いためコントラクトやメイトなどと訳されることが多い。ちなみに前者は年配の者が、後者は若者が多く使用している。トーキのようにフルで使う者はあまり多くない。
トーキが返答を期待する眼差しを向けるとガーリッドは頬を掻いた。少し困ったような表情を浮かべているように見える。
「聞き方悪かったか? 俺はノーマルだよ。お前も、って言ったのはダチにいるのと、あとはマリーの姉さんもだから」
勘違いを悟りトーキはすぐさま謝った。頭まで下げたのは、別に彼だからというわけではない。ノーマルと〈コンダクター〉の分類を間違えたら誠意を込めすぐに謝る。もはやこれは反射の域にある。
どうやら彼は〈コンダクター〉に嫌悪は持っていないらしいが、一般の人たちはそうではない。〈コンダクター〉であることはエレメンタリークラス(6歳から12歳の子供が通うクラス)やミドルクラス(12歳から15歳の子供が通うクラス)ではいじめの格好の餌食だ。下手をするとハイクラス(15歳から18歳の子供が通うクラス)以上でも同様。
そんな空気の中でノーマルを〈コンダクター〉と間違えれば、間違われた本人は本当の〈コンダクター〉以上の大惨事に見舞われる。
というのも、本物の〈コンダクター〉にノーマルの身では勝てないからだ。
異端者は迫害を受ける。過去何度となく繰り返されるそれは現在とて変わりない。けれど現在に生きる異端者たちはそうでない者たちでは抗いがたい力を持つ。
ルールに縛られた大人ならまだいい。だが感情のままに力を発動させる子供は怒らせれば何をしでかすか分からない。その何かをしでかさない子供がいじめの対象ならばいじめる側は救われる。だが何かをしでかす子供がその対象であれば、いじめる側は自らの首を絞めていることになる。
子供だからとて侮れない。彼らはすでに保身を知っている。
その異端者がどちらであるかを早急に判断し、害がなければ攻撃し、害があるなら偽りの異端者を攻撃する。決して反撃がないと知るから、本物の異端者に攻撃できない分執拗に、無邪気に、絶望に叩き落そうとしてくる。
攻撃された者の痛みを、何一つ考えずに。
「おいコラ、帰って来い」
言葉と同時に落とされた平手とぶつかり頭がいい音を立てた。容赦ない一撃にトーキが頭を抱えて丸くなると、気にもせずにガーリッドはその肩甲骨の辺りの布を掴んで引きずり出す。
「……ガーリッドさん、僕犬猫になったつもりはないんですけど?」
ずるずると引きずられながら文句を口にしても足でブレーキをかけてみても進行は止まらない。腕一本で引きずられてしまうほど軽い体重ではないつもりなのだが、彼には関係ないらしい。
「安心しろ。俺もお前みたいなすぐに暗くなって自分の世界入り込んじまうめんどくせーペットはいらねーよ」
斬り捨てるようにスパッと悪いところを言い切られ反論に詰まる。「トーキ君って結構ネガティブ?」と出会った頃のミヤコにも言われたことがあるが、そんなに自分は分かりやすいだろうかと自問自答してしまう。
「お前なんか目的あるからその年でハンターやろうとしてるんじゃねーのかよ? そんないちいちへこんでたらやってけねーぞ」
指摘されハッとする。そうだ。トーキにこんなところでぐずぐずしている暇はない。早く、他のハンターが彼女を討つより早くに彼女を探し出して元に戻してやらなくてはいけないのだ。そのためには、まず強くならなくては。
トーキは思い切り足に力を入れガーリッドの腕を引っ張って彼を引き止めた。突然強い力で抵抗されたガーリッドは驚いて足を止める。トーキはその彼を強い眼差しで見上げた。
「あの、ガーリッドさんはノーマルで、でもあんなに強くなったんですよね?」
思い出すのは昨晩の戦い。彼はバスタードソード一本でタチトカゲの群れを圧倒した。そしてその力量が最初から会ったものでは決してないはずだ。であるなら、彼は今のトーキにとってもっとも教えを乞うに相応しい人物であるだろう。
「何だいきなり……まぁ、そうだけど」
勢い込んだトーキのテンションに不思議そうな顔をしながら「強い」と言う言葉は違わず肯定するガーリッド。トーキは更に強い眼差しを彼に向ける。
「――――あの、僕に剣を教えてくれませんか?」
現在進行形でマリーニアの世話になっているトーキが自身で言う台詞ではない。それは自覚している。だがマリーニアは〈コンダクター〉だし、そもそも武器がまるで違う。習うにしても限界があるのだ。
トーキは強くならなくてはいけない。そのためには剣を習得することだって欠かしてはいけない大切なことだ。そして今目の前にいる青年は己の腕ひとつでパールランクに上り詰めた人物である。コントラクトメイトの力を借りずに強くなるためにはノーマルである彼のやり方が恐らく一番合うはずだ。
「剣を? 別にいいけど――――お前、何で強くなりたいんだ?」
真剣、と言うよりは必死さの漂う少年の頼み事にガーリッドは思わずそう問いかける。別に理由なんて気にするつもりはないが、聞いておけば自分も同じように必死になれるかもしれないと思ったのだ。正直今のままでは彼との温度差が激しすぎて本気で教える気になれない。ガーリッドとて理由を知っているのと知らないのとでは教える気合も変わるだろう。
だがこの時彼は思いもしなかった。この問いかけのせいで気に入りつつあった少年へ嫌悪を抱くことになるなど。
トーキはぐっと拳を握り締める。
「助けなきゃいけない子がいるんです。もう彼女を守ってくれる人はいないから、僕が守らなきゃいけないんです」
思い浮かぶのはあの時引き止められなかったメルティの姿。彼女に取り付くピエロの姿。今でも耳にこびりつくあの笑い声が悔しさともどかしさを呼び起こす。
「本当に、本当に大事な人なんです。だから」
「やっぱ断る」
お願いします、と続くはずだった言葉は声になる前に掻き消えてしまった。あっさり、だがきっぱりと拒否されてトーキは文句とも非難とも言いがたい言葉を口にしようとする。
しかしあからさまな不機嫌を浮かべる眼差しに口を閉ざされてしまった。向けられたそれは口答えしようものなら殴られそうな剣呑なもので、防衛本能からトーキの口は次に続く言葉を出すことを拒んでしまう。
ひるんで引き下がるトーキのおびえを隠そうとして引きつった顔を見下ろしガーリッドは舌打ちしないでいるのが不思議なくらい不愉快そうな顔をした。
「別に女のために戦うのは構わねーけどよ、お前の言い方超気に食わねぇ」
歯に衣着せぬ物言いで気に食わないと言ってのけられ、トーキは目をぱちくりさせる。一体何を指してこの台詞が出たのだろうと本気で考えた。頼み方が悪かったのだろうか。だが教えを乞うた時には何の反応もなかったはずだ。考えているとガーリッド自身が答えを口にする。
「助けなきゃ? 守らなきゃ? 何だその恩着せがましい義務的な理由」
昨晩から内容はきついが口調は穏やかであったガーリッドのそれは攻撃的なものに変わっていた。年上を怒らせてしまった恐怖にトーキは身を硬くしてそれを聞く。
「俺が強くなったのは、守りたいものがあって、強くなりたいって思って強くなろうとしたからだよ。『何々しなきゃ』なんて言って義務感で戦おうとしてるお前みたいな奴に教えることなんてねぇよ」
言うや否やガーリッドは身を翻しマリーニアたちのいる方向へ歩き出した。残されたトーキはその場で膝を崩してしまう。震える体は力を込めることを拒否するようで立ち上がることが出来ない。理由なんて簡単だ。単に、彼が怖かっただけ。けれど恐怖した自分が悔しくて、トーキは情けなく震え続ける膝を殴りつけた。