過去からの贈り物
優奈が死んだ。友人と行ったバーベキューの帰りに車に撥ねられて。二十一年の短い人生だった。優奈は俺の幼馴染だ。幼稚園の頃から仲良くしていた。お互いにふざけ合ったり勉強したりした。率直に言うと、俺は優奈が好きだった。
葬儀場の受け付けで記帳を済ませると、香典を渡す。大きく引き伸ばされた優奈の笑顔の写真を見てから、遺族にお辞儀する。いつもは笑顔でおもてなししてくれていた優奈の両親は、今日は涙を流している。その姿を見ると、ようやく優奈の死を実感できた気がした。
優奈の顔は、まるで眠っているようだった。キスをして生き返る姫の童話を思い出して実践したくなる。だが、あれは好きな者同士が成し遂げられる奇跡であって、片思いの俺がキスしたところで優奈は嫌がるだろう。
俺は急に胸が締め付けられる感覚に襲われ、足早に会場を出る。こみ上げる気持ちが涙となって溢れる寸前だ。
「おう、悠貴じゃないか」
声のした方を見ると、友人の佐藤輝希がいた。横には日比野沙耶香と日野純也がいる。
「おう、お前達も来てたのか」
簡単に挨拶する。純也は俺の肩をポンポンと叩くと、無言で車に乗り込む。沙耶香が耳元で囁く。
「ごめんね。あれは純也なりの励ましだから」
俺が「分かってる」と答えると、沙耶香はニコッと笑って純也を追いかけた。
「コレ、優奈から」
輝希はポケットから手紙を取り出し、俺に渡す。
「バーベキューの帰りにさ、あたしに何かあったら悠貴に渡してくれって。不思議だよな、人間死ぬ前って分かるのかな」
手紙の封を破り、読んでみる。すると白紙だった。これは何を意味しているんだろうと目を閉じて考える。優奈は別にミステリー好きではなかったはずだ。
……。
キーン!
金属音が聞こえる。これは聞き覚えがある。野球部にいた高校時代に嫌というほど聞いた。
「レフト、レフト、悠貴取れー!」
ん!? と思って目を開けると、そこはグラウンドの真ん中だった。何が起こったのか? 優奈の葬儀場にいたはず。
ポテンッ
という鈍い音とともに、ボールが目の前に落ちてきた。
「悠貴ー、しっかりしろー!」
この声は、優奈? グラウンドの外を見ると、セーラー服を着た優奈がメガホン片手に応援している。隣には眼鏡を掛けた沙耶香もいる。沙耶香は高校時代、眼鏡を掛けていた。卒業式にコンタクトで出席したときは、一瞬誰だか分からなかった。
キーン!
また金属音だ。ボールがこっちに向かってくる。
「レフト、悠貴取れー!」
輝希が叫ぶ。俺は慌ててグローブを構え、ボールをキャッチする。痛い。これは重力に従って落ちてくるボールの痛みだ。
そう、思い出した。惨敗した甲子園の予選の前日、コーチとノック練習をした。
「よし、今日はここまで! 明日は絶対に勝つぞ!」
コーチが鼓舞する。これって、過去に戻ってしまっている? まさか。しかし、痛みは本物だし優奈もリアルだ。
だとすれば、明日、惨敗することになる。その悔しい思いをもう一度味わわなければならないのか。つらい。
「悠貴ー、聞いてるの? 何よぼーっとしちゃって」
優奈が胸にグーパンチをする。
「え?」
「だから、明日負けたりなんかしたら承知しないんだからね」
そうは言っても負けるものは負ける。過去は変えられない。
「ねえねえ、皆でカスト行こ?」
「明日試合っつーのにファミレス? 勝ってからでよくね?」
「佐藤君、前祝いだよ」
皆でワイワイした高校の青春に懐かしく思う。このあと行くファミレスで、優奈がドリンクバーのコーラをこぼしてしまったっけ。
「ねえ、悠貴も行くでしょ?」
「あ、ああ」
俺と輝希は更衣室で着替え、優奈と沙耶香と合流する。
道中、学ランのポケットに紙があることに気づく。見ると、白紙の手紙だった。
「何だそれ?」
輝希が尋ねる。俺は慌ててポケットに仕舞う。
「なんでもねーよ」
そうこうしている内に、ファミレスに到着した。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
輝希は三を指で作る。
「四人だろうが。店員さん四人です」
輝希のふざけぐせは変わらない。
俺達は、大テーブルに案内された。メニューを開き、注文品を決める。優奈がベルを押す。
「お決まりですか?」
「ドリンクバー四つ。それと……サラダ四つ、以上で」
は? 俺はチーズハンバーグを食べたかったのに。
忘れていた。あのときも優奈にサラダしか注文させて貰えなかった。
「仁科、何でだよ」
輝希が文句を言うと、優奈も反論する。
「あんた達は明日試合でしょ? サラダで栄養をつけるの」
「んじゃ、勝ってからでよかったじゃねえか」
「だって勝つか分からないじゃない。もし負けたら一生カスト来れないし」
べーっをする優奈を沙耶香がなだめる。
「あっ、ドリンクバー取りに行こうかな」
優奈が立ち上がる。過去ならここで優奈がコーラをこぼすはず。でも過去を変えることができるのかな。俺は実験することにした。
「仁科、俺が持ってくるよ。何がいい?」
優奈はキョトンとしている。何かまずいこと言ったかな?
「珍しーい。悠貴があたしの代わりに……。あたし泣いちゃう」
優奈は泣き真似を始めた。こんな展開は過去には無かった。
「泣き真似はやめろよ。で、何がいいんだよ」
「んじゃ、コーラで」
スッと笑顔に戻る。調子のいいヤツ。
「俺はメロンソーダ」
「私も」
輝希と沙耶香もか。仕方がない。
「分かったよ」
俺はお盆を取ってドリンクを四つ並べた。
「はい、注文の品四つ」
無事にドリンクを運ぶことができた。過去は変えられる。
となると、明日の試合も勝てるかも。いや、試合の勝ち負けは俺個人の意思じゃどうにもならない。
過去を思い出す。
五回の裏、ツーアウト一塁。俺は一塁にいた。監督から盗塁のサイン。俺は足に自信があった。相手ピッチャーが投げた瞬間走り出す。しかし、間に合わなかった。というより俺は途中から諦めた。どうせ間に合わないだろうと。
九回の表、監督は俺をピッチャーに指名した。一対三という点差の中、俺は打たれに打たれ、一対十にしてしまった。九回の裏はメンバー全員が諦めモードであっけなく終了した。
「悠貴、聞いてる? またぼーっとして」
過去を振り返っていると、優奈が話しかけていた。
「何?」
「もう、早くサラダ食べないと置いてくよ?」
皆サラダを八割方食べ終えていた。俺は慌ててサラダを搔き込む。
「じゃあね」
俺達は別れ、明日に備える。すでに暗くなっている。このまま練習しなくて良いのか。未来を変えるには努力も必要だと思う。ならばと、河川敷に降りて練習をすることにした。
ノルマは百球、百振り。コンクリートの橋桁に向かって投げる。バットを持って振る。明日は筋肉痛だなと思いながら夜は更けていく。
*
翌日、試合当日がやってきた。俺達は、ホームベースを中心に整列する。観客席を見ると、優奈と沙耶香がいた。こっちに手を振っている。
挨拶を済ませ、レフトポジションに着く。
「プレイボール」
試合が始まった。
一回から五回表まで、〇対〇。いい試合だ。そして五回の裏。ツーアウトランナー無し。
「六番レフト、高田君」
俺の名前が球場中に響き渡る。打てーという優奈の声が聞こえる。ピッチャー投げた。
「ボール」
危なかった。振っていたらストライクだった。
再びピッチャーが投げる。俺は思いっきり振った。
キーン!
という心地よい音と共に、三遊間を抜けて行く。ツーアウト一塁だ。歓声が一層強まるのを感じる。監督から盗塁のサイン。絶対に間に合わせる。ピッチャー振りかぶった瞬間に走り出す。キャッチャー二塁に送球。二塁がキャッチし、俺にタッチしようとする。俺は全力でスライディングし、ベースをタッチ。審判の判定は。
「……アウトー」
歓声が落胆に変わるのが分かった。間に合わなかった。過去を変えることはできなかった。
それからウチのチームは一点取ったものの、三点取られ、ついに九回の表になった。
「ピッチャー交代、ピッチャー高田」
俺の出番だ。緊張感に包まれながらマウンドに上がる。昨日の練習を思い出して、全力投球。
「ストライクアウト」
「ボールフォア」
ランナーを出してしまった。ここからは一点もやるもんか。
「ストライクアウト」
あと一人。俺は振りかぶる。
「ストライク」
「ストライク」
「ボール」
「ボール」
「ボール」
フルカウント。俺は思いっきり投げる。
ズバンという音が響く。
「ストライク」
やったー、一対三のままだ。次が最後。逆転のチャンスはある。
しかし、あっという間にツーアウトランナー二三塁になる。俺が二塁打を打てば同点のチャンス。
バットを思いっきり振る。ファール。また振る。ファール。もう次はヒットを打たなければ。
ピッチャー投げた。俺は練習を思い出し、全力で振る。
「アウトー、ゲームセット」
負けた。俺達の夏は終わった。
*
試合終わり。優奈と沙耶香が慰める。
「大丈夫だよ、悠貴は頑張ったもん」
「そうだよ、高田君はよくやったよ」
俺は? という顔をする輝希。沙耶香は輝希の肩をポンポンと叩く。
俺はふと白紙の紙のことを思い出した。なぜかは分からないが、なんとなくだ。
紙を取り出すと、文字が浮んできた。
『悠貴へ 高校三年最後の夏、惜しかったね。でも、あたしは知ってたよ。悠貴がファミレス帰りにこっそり練習していたのを。悠貴は頑張ったその結果だから、あたしは悔しくないよ。』
まさか、過去を変える度に手紙の文字が浮かぶのか?
「何それ?」
覗き込む優奈に驚き、手紙を仕舞う。
今日、俺は誓った。優奈の死を必ず阻止してやる。優奈の未来は俺が守ると。
《了》