第45話 エルフと幸せの頬袋と記念日
「それじゃあ──いざ!」
ベルは器を抱えるように持ち上げ、まずはと肉を一切れ口へ運んだ。
鼻先を掠める食欲を誘う臭いに促されるままに、肉を噛んだ瞬間、脂の層がとろけ、塩味と甘味が絶妙に調和した甘辛いタレがじゅわっと口いっぱいに広がった。
キラキラと輝くご飯を一緒にかき込めば、タレを吸った粒が口の中でほろりとほどけ、熱々の湯気と一緒に香ばしい匂いが鼻に抜ける。
濃厚なのにくどくなく、野菜を一緒に口へ入れればシャキッとした歯ごたえと甘みが加わり、そこに肉の旨味が後から追いかけてくるようだ。
まるで後味に追われるかのように、一口、また一口と、ベルの手は止まらない。
「ん〜っ! これ、幸せになる味!」
リスのように、頬を幸せで膨らませながら、ベルは思わず身をくねらせた。
テオも隣で同意するように短く鳴き、尻尾を勢いよく振る。
合間に作りすぎたスープをひと口すすると、ふわりと立ち上る香りが鼻をくすぐり、体の芯から温まるようだった。ほんのりとした塩気とだしの旨味が舌を包み、先ほどまで口にしていた濃いタレの後味を優しく洗い流していく。
「明日の朝もこれが飲めるなら──結果、作りすぎちゃったのも良し! ね!」
ロイは静かに頷いて応える。
「はい、明朝も温め直してお出しします」
その言葉に頬を緩めつつ、冷静さを取り戻したベルは、丼の中身を惜しむようにすくいながら、ゆっくりと大事に食べ進めていく。
それでも、やがて器の底が見えてしまうと、名残惜しさと共にスプーンを置いた。
「はぁ〜……最高だった……!」
テーブルの上には食べ終わった器と、まだたっぷり残ったスープの鍋。ベルは鼻歌混じりにそれらを片付け始める。
そんな中、ロイが僅かに動きを止める。
「──ベル様、申し訳ありません。EV車両用の充電ステーションまで、ワタクシを押して頂いてもよろしいでしょうか」
「えっ!? ロイ、また!? 何、何、どうしたら良いの!?」
ベルは慌てて振り返るが、先ほどのように声が出ないわけではないらしく、ロイの声は穏やかだった。
「今回は多少の余裕は残しておりますが、早めに補給した方が良いかと」
「お腹空いたって事……? もう、心配かけないでよね……っ!」
ベルは半ば不安げに、ロイに案内されるまま、その体を荷車でも押すようにして、外へと押していく。やがて案内は石畳の広場の隅で止まり、灯りに照らされた背丈ほどの箱が並んでいる場所へとたどり着いた。
「お手数をお掛けしました」
ロイの背中の一部が開き、黒くてつるんとしたロープのような物をそこへ繋ぐ。やがて、大きなガラスのような瞳の奥に淡い緑の光がふわりと灯る。
「間に合った……の?」
「はい、ありがとうございます。ステーション内の電源容量も十分ですし、明け方にはワタクシも満腹かと」
「ほんと? よかったぁ……」
ベルはその場でへたり込み、テオは横で安心したように尻尾を振る。
食事(?)中のロイのそばの芝生で、一人と一匹がのんびりと食休みをしていると、やがてその耳に、男の震えるような声が響いてくる。
お化けの類か何かかと、ベルが構えたのも一瞬、その声は真横から聞こえて来ていた。
「施設屋上を大きく占める高効率太陽光発電システムによって生み出された後、大容量蓄電設備に蓄えられ、更に上質な整流器ユニットを経た電気は、パルスの乱れも無く……大変、甘露でございますね──」
「……え? あ、そう……? よ、良かった、わね……?」
食事(?)の歓びに打ち震えるロイを尻目に、やがて気を取り直したベル。途中だった食事の後片付けも終え、ロイの横へテントを張り始めていた。
「ロイもお腹空いてたんなら、先に言ってよー」
「申し訳ありません。お腹を空かせたベル様にお願いされたら、どうしても──」
再会早々に恥ずかしげもなくお願いした内容が脳裏に蘇る。
「うぐっ……そ、それはそれとして!」
ベルは慌てて顔を背け、言い募る。
「今後はロイも必要な物とか、やりたい事があったら先に言う事! いいわね!?」
「申し訳ありません……」
「もう、びっくりしたんだから……また動けなくなったらどうしようって、ほんとに怖かったんだからね」
ベルのテントを張る手が一瞬止まり、俯いたまま言葉を続ける。足元ではテオが心配そうに、ベルの顔を見上げていた。
「だからね、ロイ。今度からは無理しないで、ちゃんと教えて? 私たち──仲間なんだから!」
「ベル様……はい、かしこまりました。今後は遠慮なく言わせていただきます」
「うん! よろしい!」
腰に手を当て、やや尊大な構えを見せるベル。
一拍置いて、ロイが穏やかに答えた。
「私もベル様とテオ殿のことを案じておりました──だからこそ、これを」
ロイが差し出したのは、ローレライから託されていた小さな板の様な機械。皆で“しゃしん”を撮った時に使った物だった。
「詳しい説明は省きますが──これをお持ちいただければ、ベル様が何処に居ても、即座に探し出せます」
「え? そうなの? 凄いのねー……」
「荷物にしまい込まず、肌身離さず持っていて頂ければ、例えまた迷子になっても、今回のような心配をせずに済みます」
ベルは端末を両手で受け取り、迷子という言葉に少しバツの悪そうな顔で視線を逸らした。
「えっと……ごめんなさい……」
「問題ありません。元よりその機能をベル様にお伝えしてなかったワタクシの落ち度です。ただ、これからは常にお持ちください」
「うん……あ、そうだ」
ベルは受け取った端末を手の中で転がし、ふと何かを思い出したようにぱっと顔を上げる。
「ねぇロイ、これってしゃしん?残せるやつでしょ? せっかくだし、今日の記念にあの綺麗な絵を残せないかな?」
「お任せください。暗所撮影モードに切り替えますね」
端末から小さな光が灯り、ベルとテオの顔を柔らかく照らした。
ベルはテオを抱え上げ、ロイの横にしゃがみ込む。
「はい、テオも笑ってー! ……って笑えないか。じゃあせめて良い顔して!」
テオは首をかしげるが、小さな板からは音が小さく鳴り、三人の姿が切り取ったように浮かび上がった。
「やった! ほらロイ、見て見て!」
ベルは二人に板を見せつつ、満足げに頷く。ロイはわずかに首を傾け、どこか嬉しそうに答えた。
「良い記録が残せましたね。今後も定期的に撮影して記録に残しておくと良いかもしれません」
「ふふっ、そうね。今度から旅の思い出もちゃんと撮っておこうっと!」
「ひとまず本日は、ベル様の迷子記念日という事で──」
「──!? そんな記念日やだー!!」
ベルの悲痛な叫び声によって、ひと気の無い石畳の広場がにわかに賑やかになる。
その後もベルはロイとテオを引っ張り回し、何枚も写真を撮っては笑い転げていた。テオがあくびをした瞬間や、ロイの背中に寄りかかってポーズを決めた一枚も記録に残される。
光に照らされた広場は、まるで本当に小さなお祭りでも始まったかのようだった。




