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第43話 エルフと休憩所と二つの光

 滑らかな石畳で出来た広場に、ベルとテオの足音がぽつぽつと響く。相変わらず、どう作ったのか想像もつかない石畳だ。

 その広場に面して、せり出した屋根のついた大きな建物が、まるで旅人を迎えるように横に伸びていた。

 見える部分の大半が、大きく透明な板ガラスで覆われており、雨上がりの夕日を反射してきらきらと輝いている。

 その姿は、まるで宝物庫のようで、ベルにはやけに豪華な造りに思えた。


「……なんか、ちょっと休憩、どころじゃない気がするんだけど」


 旅人の休憩所、とロイから聞いていたが、目の前に広がるのは村の広場と家並みがすっぽり入りそうな豪華で巨大な建物だった。

 その奥には緑の芝生までもが広がっている。芝生の先には舞台のようなものまであり、まるで祭りでも開けそうなほどだ。


 建物中央は小さな建物が張り出しており、入り口付近に立つのぼりが風に揺れていた。

 右手にはパンの看板が見える店や、商店らしき建物。

 左手には、もはや馴染みを覚え始めた“じどうはんばいき”がいくつか並んでいる。


「……ほんとにここ、休憩所?」


 とりあえずとばかりに、ベルは絵に惹かれてパン屋らしき店へ足を踏み入れる。その奥には、見慣れない大きな袋が山のように積まれていた。

 辺りに薄く積もっているのは、さらさらとした白い粉。ベルは思わず指先でつまみ、鼻へと近づけてみる。


「白い粉? えっと……小麦粉、かな?」


 どこか懐かしい匂いに、在りし日の記憶が呼び起こされる──エルフパンが美味しく焼ければ、男なんてイチコロよ!──という母のありがたい言葉だ。

 確かに母の焼いた長いエルフパンは美味しかった。しかし、肝心のパンを焼く手順はさっぱり思い出せない。

 それどころか、今は火を熾すのすらままならなかった。


「火鉢も道具も全部ロイの所だ……魔法も……う……ダメそう……」


 試しに、と地球産の魔力を指先へ集めてみようとするも上手くいかない。

 焼ければ美味しいパンになる粉を前に、どうにもならず、ベルは小さくため息をついた。


「はぁ……いや、まだよ! 建物はこんなに大きいんだから!」


 気合を入れ直して振り返ったベルは、ふと目を丸くする。

 小麦粉の袋を嗅ぎまわっていたテオの全身が、白く染まっていたのだ。


「わぅ?」


「えっ……ふふっ、なにそれ!テオ、いつの間に白毛になったの?」


 思わず吹き出すベルの前で、テオはぶるぶると身を震わせる。粉がぱっと舞い上がり、元の黒い姿に戻った。

 その様子がまた可笑しくて、ベルの笑いは止まらなかった。


「ひー、面白かったぁ……」


 未だに愉快そうにお腹を押さえるベルの後ろを、やや不満げに尻尾を怒らせテオが続いて歩く。


「ごめんごめん、次はあっち探そっか」


 ベルが笑いを引きずりながら指差した先は、ガラスの向こうに市場の如く棚が並んで見える建物だった。

 扉を押して入った途端、鼻をくすぐるのはすえた匂い。


 正面奥に並ぶ棚には空白が目立ち、いくらか残る商品も、しわしわに干からびた野菜や果物らしきものだけだった。以前は様々な生鮮食品が並び、色鮮やかに棚を飾っていた事だけが伺える。

 横へと目をやれば、用途の分からない奇妙な小物──精緻な鉄の鎖に、食べ物らしき形をした小さな飾りが雑多にぶら下がっていた。

 その中に、見覚えのある料理の姿が一つ。ベルはそれを思わず手に取る。


「ナポリタン……だっけ?」


 光の塔で食べ、議事堂でも見た、ナポリタンなる物。山盛りの麺に赤いソースが絡んでいて、空中に浮いたフォークは見間違えるはずもない。


「……これ、食べられるのかなぁ?」


 ベルが首をかしげながら、テオの鼻先へとナポリタンを差し出す。

 テオは鼻を数度ひくつかせたが、すぐに興味をなくして別の棚へ向かう。

 どうやら食べ物ではないらしい。


 市場の奥を抜けると、ぱっと視界が開けた。

 そこには長机と椅子が整然と並ぶ大広間。壁際には横長のカウンターがあり、その奥には銀色に光る台や大きな鍋が並んでいる。まるで祭のための調理場のようだった。


「わぁ……! ここだ、ぜったいごはん食べるとこ!」


 ベルは目を輝かせ、カウンターをひょいと乗り越える。テオも後を追い、二人はそのまま厨房へ突入した。


 中は銀色の台や鉄の箱がずらりと並び、見慣れぬ器具ばかり。

 それでも棚を覗き込んだベルは、すぐに白い袋を見つけて声を弾ませた。


「テオ!やった!これ、ごはんってやつよ!」


 袋の中身を掬い上げると、さらさらと指の隙間から流れ落ちる白い粒。

 一瞬の喜びは、すぐに首かしげへと変わる。


「……あれ? なんか砂みたい……」


 粒を指で潰そうとするが、固くてびくともしない。

 思い切って口に入れ──あまりの硬さに慌てて吐き出した。


「うぅ……でも確かロイは、鍋に入れて……煮て……た? えっと……」


 記憶に新しいのは、湖でロイが手際よく調理していた光景。

 ただ、自身も魚を捌いていて、よく見てなかったため手順は曖昧だった。そもそも火も道具も、今は用意が出来なかった。


「……やっぱり今は無理かぁ……ええい、他はどうだ!」


 ベルが勢い半分で大きな取っ手を引けば──ひんやりした空気が顔を撫で、白い息が漏れ出してくる。中には氷に閉じ込められた肉や野菜の袋が、ぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。


「ひゃっ!? な、なにこれ……すっごく冷たい!」


 ベルが目を丸くする横で、テオの耳と尻尾が一気に跳ね上がる。

 凍った肉に鼻を押しつけ、「わぅ! わぅ!」と吠え立てるその姿は、今すぐ飛びつきたいと全身で訴えていた。


「ちょっ……ちょっと待って、テオ! だってこれ、かっちかちで……噛めないでしょ!?」


 ベルは慌てて袋を押さえるが、テオの期待に満ちた目が突き刺さる。

 宝の山を見つけたはずなのに、どうにもならない現実に、ベルの困惑はますます深まっていった。


 その後も、ベルとテオは別の厨房も次々と覗いていく。

 だが──開ければ出てくるのは、どれもこれもかちこちに凍った袋ばかり。肉、肉、魚、肉、野菜──見たこともない赤や緑の丸いもの。


「……うぅ、みんな凍ったのばっかり!こんな物、どうやって食べてたのよ!?」


 肩を落とすベルの横で、テオは一つ一つに鼻を押しつけては尻尾を振り、食べたい!と猛アピールを繰り返す。

 さらに棚を探せば、透明な袋に入った粉や、香りの強い茶色や黄色の液体が並んでいた。ベルは一つ開けてみるが──


「うわっ、これ……匂いが強すぎる……調味料、なのかなぁ?」


 眉をしかめて袋を閉じ、次に手にしたのは銀色の包みに包まれた小さな四角。

 見覚えのある形に、ベルの目がぱっと輝く。


「ちょこれーとだ!」


 勢いよく包みを開いた瞬間──


「……バター!? なぁんだ……」


 そこにあったのは、幸せを固めて作ったような茶色い板とは似ても似つかない、淡い黄色の塊。鼻を近づければ、馴染みある乳脂の香りが返ってくる。

 分かってしまえば食べられる物だと知っていても、肩にずしんと落ちる落胆は抑えられない。

 流石にバターは丸かじりする物では無いと、ベルも理解していた。


 夢見ては砕かれ、拾っては裏切られ──結局どれも、今すぐ満足に食べられそうな物は見つからない探索となった。




 気づけば、窓の外はすっかり闇に沈んでいた。

 ベルは陽が落ちていたことにすら、食べ物を探すのに夢中で気づかなかったのだ。


「……どうしよう、もう真っ暗……」


 ぽつんと呟き、机に突っ伏すベル。その足元で、テオも疲れたように鼻を鳴らす。


 その瞬間──強烈な光がベルを射抜いた。


 まるで魔物の目のように、闇を切り裂く二つの白い光が一直線に迫ってくる。


「ひゃっ……な、なに!? ちょ、ちょっと待ってこっち来ないでーーーっ!!!」


 ベルが慌ててテオを抱え込んで逃げようとしたその時、光は目前で止まった。

 ガラス窓の向こうで、低く重たい機械音が静寂を揺らす。


 ベルが固唾を飲んで相手の動向を見極めようとする中、強烈な光の向こうで何かが動く気配がした。

 やがて、逆光の中でゆっくりと浮かび上がる姿は──馴染みのある黄色い箱。


「……ロイ!?」


 逆光の中に浮かんだ黄色い箱に、ベルは堪えきれず駆け出していた。

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