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第42話 ゴーレムと迷子と白抜きのフォーク

 ──システムリブート。

 プロセッサに残された最小限の電力で、エネルギーマネジメントサブルーチンが再起動する。


《警告:バッテリーレベル 10%》

《警告:ソーラーチャージ効率 50%以下》

《警告:稼働時間残り──》


 電力関係の警告を無視し、落ちる前にあらかじめタスクしていた起動シークエンスが開始される。 

 感情パラメータのスレッドが同期されると同時に、揺らぎが走り、不安そうに名を呼ぶ主人の姿がリプレイのように流れた。

 光学センサーの復旧を前倒しし、視界に淡い光が戻る。灰色の雲の切れ間から差す陽が、地上へと光の梯子を降ろし、水に濡れた地面を輝かせていた。


 しかし──予測していた顔はセンサーへと映らない。


 光学記録から最後の映像を確認する。

 視野の真ん中にあったのは、心配そうに自分を覗き込む主人の顔。そして、その肩口からひょっこり顔を出す子犬。

 後回しにしていた各部アクチュエイターに、慌てて電力を行き渡らせる。

 ようやく起動シークエンスを完了させ、体を起こし、各種センサーをフルに使ってロイは周囲を見渡していく。


「……誰も……居ない……」


 どのセンサーにも、覚えのある生体反応が返ってくる事は無かった。

 その代わりに、大きな相違点が検知される。


「──バスが……ありませんね」


 スリープ直前に捉えていた、通りの商店は視界にある。だが、その前に停まっていたバスが、今は存在しない。店の軒先の地面にはわずかな乱れ。雨に濡れずに残っていた、積もった砂に残る小さな足跡は、店内へと向かう物ともう一つ。

 その足跡は、消えたバスがあった場所へと向かっていた。


 ロイの推論モジュールが動き出す。

 ──ベル様とテオ殿は、暇を持て余し、食料調達のために商店へ入った。

 ──成果があったか否か。その後、物珍しさからか、バスへと乗り込む。

 ──そして、まだ生きていたバスが、二人を乗客と認識して自律起動、発進した可能性が高い。

 何処へ──


「なんたる失態……いえ、自責は後です、まずはバスの行き先を──」


 脚部モーターに設けられた歩道走行用の制限を無視し、ロイは店先のバス停へと駆け寄る。

 掠れて読み難くなっている時刻表を見るや否や、ローレライへと通信を飛ばした。


「ローレライ、緊急事態です。助力を頼みます」


《──! あらあら!どうしたの!?》


 滅多にない焦りの声に、ローレライが息をのむ。


「ベル様たちとはぐれました」


《……なっ──!》


 短い驚愕が返る。ロイは余計な情報を切り捨て、核心を急いだ。


「不要な詳細は省きますが、二人はグリッドQYAZ-4528地点へ向かうバスに乗った模様です。トレース可能ですか?」


《……分かったわ、少しまってちょうだいね────》


 そこから暫く、時間にして数分の間にも、ロイの推論モジュールは焼き切れんばかりに稼働していた。


《居た──》


 その一言に、処理が一瞬止まる。


《確かに、ロイちゃんの言う地点に稼働してたと思しきバスを見つけたわ。でも……》


「二人は──!?」


《ごめんなさい。衛星からでは、中の様子までは分からないわ……それに、さっきまで降ってた雨のせいで地面の痕跡も直前の記録も……》


 雨雲は地面の痕跡を洗い流していた。それだけでなく、監視衛星の目すら遮り──二人の動きを隠してしまっていた。


「そうですか……いえ、ありがとうございます、助かりました。バスの終点か、少なくともその経路上に、お二人が居る可能性が高まりましたので」


《そうね……私もそう思うわ……ところで、ロイちゃん……バッテリーが深刻なレベルで低下してるみたいだけど……大丈夫?》


「少々問題ではありますが……大丈夫です、何とかします」


《……分かったわ。私は衛星からバックアップするから、くれぐれも無理はしないでね?》


「はい、感謝します。ローレライ」


 通信を終えると、再度、バッテリー警告が繰り返される。


「まずは……バスの終点へと向かいましょう──差し当たっての問題は、ワタクシのバッテリーですね……」


 無視しても湧いてくる稼働限界を伝える警告が、煩わしさと共に感情パラメーターを揺らし、ロイの危機感を煽ってきていた。


「なるほど……これが苦しい……という事ですか」


 ロイは小さく息を吐くように呟いた。

 けれどその直後に、かすかに微笑むような声音を乗せる。


「──しかし、立ち止まる理由にはなりません。ベル様を見つけねば」




 ──車を飛ばし、辿り着いたのは郊外の車両基地。

 雨に濡れた地面はまだ黒く艶を帯び、水溜まりが灰色の空を映している。

 どのバスも同じようにその身を風雨に晒しており、乗客の居なくなった今、役目を終え、ただの鉄の塊となっていた。

 その中の一台、車列から外れ、広場の入り口付近で停車しているバスへと、ロイは目星を付ける。


「……まだ熱が残っている……この車両で間違いありませんね」


 ロイは車を降り、光学センサーにサーモグラフィ、臭気センサーまで総動員し、車内を走査した。座席の間に残る、埃がわずかに乱れた跡──ベルとテオがここに居た証拠だった。

 安堵が一瞬、処理を乱す。


「──ベル、さ……」


 感情パラメータが閾値を越えかけ、音声出力にノイズが走った。

 ロイは意識的にパラメータをリセットし、再び立ち直る。


「二人は、どちらへ……?」


 迷子の鉄則は、その場で助けを待つこと。旅慣れたベルがその事を知らないとも思えない。

 だが、最後にベルが見た自分は、声も出せず、自力で動けない状態だった。そんな自分を来る事を信じて、じっと待つだろうか。


「いいえ。ベル様なら……必ず戻ろうとする」


 その推論に従い、ロイは来た道を注意深く引き返す。センサーをフル稼働させ、路肩から建物の軒先まで、わずかな痕跡すら見逃さないように。

 だがその分、活動限界までの時間は容赦なく削られていった。


《警告:バッテリーレベル 6%》


「このままでは、持ちませんね……」


 推論モジュールのはじき出す確率も、分の悪い物になっていく。

 焦りを押し殺しながら進むと、ふと視界の端に異変を捉える。それは、軒先に屋根のある、古びたバイク店だった。

 通り過ぎそうになる車を急停車させ、すぐさま降りて周囲を観察する。


「屋根があるのに、ここだけ地面が湿っている……人ひとりと、犬一匹分……雨宿りでしょうか……お風邪を召さないと良いのですが……」


 二人の痕跡を発見し安堵すると共に、視覚情報に違和感を覚え、ふと視線を脇へと落とした。


「……? これは……」


 店の横、均された土の地面の中で、そこだけわずかに盛り上がり、濃淡が違って見える場所がある。


 しゃがみ込み、指先で軽く掻き取る。表面の土は湿って柔らかく、わずかに混ざる砂粒が散っていく。

 浅く掘られた土の中に、犬の絵が描かれた缶詰とくすんだ銀紙が埋められていた。


「犬缶に、チョコレートの包み紙……」


 思わず声音が和らぐ。


「ゴミをその辺に埋めていくのは、本来、褒められた行いではありませんが……今だけは、助かりますね……」


 ──恐らく、これが二人の手元にあった食料の全て。

 車内に残された荷物を考えれば、他に調理道具も保存食も持ち出していないはずだった。


「……つまり、ここで長く留まる事はできない」


 痕跡の位置も、車両基地からこちら側──つまり、自分の居た地点へ戻る方向にある。


「やはり、ベル様は……ワタクシのもとへ帰ろうと……」


 安堵と同時に、胸を締め付けるような感情パラメータの揺らぎが走る。喜びと心配が同居し、処理系にわずかなラグが生じるほどだった。

 戸惑いを押し込むように視線を上げると、 視界に大きな青い案内標識が入る。その端にあるのは、白抜きのフォークとナイフのピクトグラム──


「──ローレライ」


《えぇ、聞こえてるわ》


「元いた地点の監視を依頼します。一応、二人が現れる可能性がありますので」


《了解。こっちは任せて……でも、ロイちゃん、貴方、もうそろそろ限界が──》


「すいません、ローレライ。これ以上は──バッテリーに余裕がないので」


 自分への心配は不要とばかりに通信を打ち切るロイ。


「──そうですね、ワタクシもそろそろお腹が空きました……」


 ロイは運転席へと戻り、手を掛ける必要のないハンドルを握り締める。


「少しだけ食べると、逆にお腹が空いてくる……という事、ありますよね」


 バッテリー警告を無視し、意志を持った車は滑るように走り出す。

 向かう先は──道の駅。

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