第39話 エルフと大河と白い酒
「……え……?」
木に添えていたはずが、気が付けば虚空に伸ばしていた手を、ベルはゆっくりと引っ込める。その手に向かって、精一杯の背伸びしていたテオは少し寂しそうに元の姿勢に戻っていった。
「大丈夫かい?」
見守るように隣に立っていたネスカが、静かに問いかける。
その言葉でようやく、ベルは先ほど見たものが現実でない事をハッキリと実感した。
「……ねえ、さっき、小さな女の子がいた気がするの。白い着物で、私に手を振って……」
ネスカはベルの話を満足げに聞いたかと思えば、わざとらしくふむふむと頷く。
「なるほど……ふふ、それはこの地に堆積した“魂の残響”かもしれないね」
「……残響?」
「何かを強く想った人々の気持ちや記憶が、この場所に重なり続けて混ざり合って、今も残っている……そんな感じかな」
「……ふーん」
先ほど見た光景を無意識になぞるかのように、ベルは視線を神殿のような建物へと向ける。落ち葉の隙間から見える石畳が、まだ少しだけ揺れているような気がした。
その遠くを見る視線へと、再度ネスカの声が優しく重なる。
「その女の子は何か言ってなかった?」
「ううん、でも何か言いたげに、地面を指さしてた……」
「なら、そこをもっとよく視てごらん」
「よく見るって言ったって……」
「やり方はさっきとそう変わらないよ、ホラホラ」
「ちょ──ちょっと、そんな押さなくても──もうっ」
ベルはネスカに押されて、道の真ん中へとやってくる。
「やってみれば良いんでしょ……なんでアンタそんなに楽しそうなのよ……」
文句を言いながらも、ベルは目を閉じて周囲の魔力を探り直す。そして呼吸を合わせる様に、自らの魔力と周囲の魔力の波を合わせていく。
やがて自らの足元に、大河のような流れを感じ始めた。それは全てを押し流しそうな奔流にも、優しくたわんだシーツの波にも見える。
そして、大河には細い支流があり、風に揺らぐ木の枝のようにゆらゆらと形を変え、こちらを呼ぶように輝いていた。
「……うん、なんか、女の子が指差してた辺り……地面の中に、何か流れてる。すごく大きな流れ……そこから、細い支流みたいなのが、あっちの方に延びてて……なんか、懐かしい感じ……」
「大きい流れは“魔力の源流”だよ。そして、その細い支流はおそらく、君の世界と何らかの繋がりを持ったものだ──その先に、君の“帰る手がかり”があるのかもしれないね」
手がかり──その言葉にベルの心臓が跳ねた。
思わず身を乗り出し、集中が乱れたその瞬間──
「あの支流の先に──痛っ!?」
強い頭痛を感じ、頭を抱える様にベルがしゃがみ込むと、仲間達も心配そうに駆け寄ってくる。
「ベル様!?」
「わふ!?」
ネスカですらも心配そうに覗き込み、ベルの肩を抱いて優しく起こした。
「ごめん、余計な事言ったかも……大丈夫かい?」
「うん……大丈夫……痛かったのは一瞬だけ……」
無事を伝えるベルの様子に仲間達は胸を撫でおろす。
「不用意に近づきすぎると危ないって、最初の時に言ったじゃないか」
「なるほど、こういう事なのね……でも……」
「気持ちは分かるけど……ベル君が見たのはこの世界の根源的な力の流れなんだ、慎重にやっていこう」
「はぁ……分かったわ……焦りすぎたみたい」
「それじゃ源流は一旦置いておいて──他にも、あの大木に触れた時、何か見えたかい?」
ベルは支流の輝きを記憶から溢さないように手を握り締めると、一つ深呼吸をして、ポツポツと語り出した。
「えぇ、見たわ……不思議な景色だった──」
人々の笑顔が集まったあの温かな光景を思い出していくと、焦燥に逸った心が落ち着いて行くのをベルは感じる。
「人がたくさん居て、何かに向かって手を合わせてた……それから、温かそうな白い食べ物?飲み物?みたいなのを受け取って、嬉しそうに笑ってたの」
「お、また食べ物の話かい?流石ベル君」
「見たんだからしょうがないじゃない……」
「いや、いつもの調子が出て来たから安心しただけさ」
そう言ってネスカはいたずらっぽく笑った。
「アンタね……」
「──ベル様、少し休憩にいたしましょう。飲み物などいかがですか?」
またもいつもの言い合いが始まりそうな雰囲気を遮り、ロイが二人の間に割って入る。
心配そうにベルの足元をうろうろしていたテオも、すかさずロイの頭を踏み台にしてベルへと飛びついた。
「おっと……そうね、一旦、気分を落ち着けた方がいいかも……」
色々な意味で、ロイの提案を受け入れたベルは、抱きとめたテオの頭を撫でながらひとつ息をついた。
「あちらにベンチと自動販売機があります、そこで休みましょう」
「えぇ、任せるわ」
「──境内に人が集まり、配られていた温かそうな白い物……恐らく──」
ブツブツ言いながら皆を先導するロイに疑問符が湧きながらも、ベルはその後ろを大人しく着いて行く。
ベルは案内されるままに、近くにあった長椅子へと腰掛けた。目の前には最近知ったばかりの“じどうはんばいき”なる機械。驚くほどに町じゅうどこにでもあるソレにも、もはや見慣れて来たところだった。
「ここの“じどうはんばいき”は飲み物を売ってるの?」
「はい──と、言いましても、今は殆どの自動販売機が災害時飲料供給モードのようですので、タダで配布されているような状態ですが」
「へー、配布ねぇ……あ、そう言えば……私が見たアレは何だったのか──」
ベルのその言葉にロイの目が光った──ように見えた。
「そう、それです!」
「わっ! え、え? 急に何?」
「ベル様が見たと仰っていたのは、おそらく──」
ロイの勢いに驚き、抱いていたテオを落としそうになるベル。
その間にも伸びた機械の腕が、自動販売機の正面をなぞる様に動く。そこには棚に陳列されるように筒状の物や、どこかでも見た透明な水筒が並んでいた。
やがて、機械の指先はある一点を指して止まる。
「コチラかと!」
そこには、花のような模様の入った赤い筒が、飾られるように置かれていた。何か文字のような物も書かれているが、ベルには読めない。
ネスカだけが、なるほどねーと小さくこぼしていた。
「えっと……見た目は全然違うけど……」
自信満々のロイに、ベルは申し訳なさそうに告げるも、ロイの勢いは止まらない。
「大丈夫です、大事なのは中身ですので──」
言いながらもロイは、赤い筒が陳列された箇所の下の出っ張りを押す。すると、ガコンと何かが落ちる音と共に、機械の下の方から同じものが転がり出て来た。
それを手に取ったロイは、手慣れた様子で口を開く。カシュっという音が辺りに小さく響いた。
「こちらはこの国の言葉で“アマザケ”と発音します」
「アマ──ザケ──?」
耳慣れない発音の言葉にベルの長い耳がぴょこぴょこと跳ねる。
「はい。どうぞ、容器が熱くなっておりますので、お気を付けください」
「ありがと──わ、温かい……」
ベルはお礼を言いつつ、差し出されたそれを受け取る。鉄で出来ているらしいその容器は、ロイの言葉の通り熱く、知らずに触ればびっくりしてしまいそうだった。
容器の上面、小さく開いた口から中を覗けば、確かに白い液体が入っているのが見える。
ベルが思わず鼻を近づけて匂いを嗅ごうとすると──
「アマザケ──“甘いお酒”と書きます。ですが──」
「えっ、お酒!?」
耳慣れた言葉にベルの長い耳がぴょこぴょこと跳ねる。
「はい。ですが、酒粕に含まれるアルコールは製造過程で──」
「──飲んで良いのね!?」
待ちきれないとばかりに耳を跳ねさせたベルが、ロイの言葉を遮りながら確認を取る。その後ろで、ネスカは笑いをこらえるように口を押えて黙っていた。
「え、あ、はい。勿論でございます」
「やった──あちちっ」
待ってましたとばかりに、口を付けるベル。案の定、容器の熱さに少し驚きつつも、ちびちびと含んで行く。
「……ん……っく……っく──」
あの光景の中で、老若男女、皆が笑顔で受け取っていた飲み物、その味は──
「ふぁぁ──甘くて、ホワっと温かくて……美味しい~」
穀物由来らしき優しい甘さに、酒精を感じさせる華やかな香り。 口当たりはドロッとしており、時折感じるツブツブとした食感も相まって、飲み物と言うよりもスープかシチューを飲んでいるような満足感をベルに与えていた。
そして、そのどこか覚えのある味を感じさせる飲み物に、ベルは以前テオに隠れて飲んだお酒を思い出していた。
「はふぅ……なるほど……にゃるほど……」
あのお酒の味を思い出しながら、ベルはゆらゆらと体を揺らしながら、二口、三口と飲み進めて行く。
そうして、少しもしない間に──
「あれ?まさかベル君、甘酒で酔ってる?」
「いえ……その様な事が起きるはずは……」
「いくらあってしでも、こんくらいで酔わないってばー!ねー?テオ―?にゃっはっは!」
そう言ってベルは、膝の上で丸くなっていたテオの上にぐにゃりと倒れ込んで頬ずりを始めた。
「ふにゃあ……テオぉ……あったかい〜」
不意の行動にテオは短く鳴いて目を丸くしたが、抵抗するでもなく、そのままされるがままに。
ベルは気持ちよさそうに目を細め、頬ずりしながらテオの頭をよしよしと撫でていた。
その如何にもな様子に、ネスカは笑いをこらえきれずに噴きだす。
「ぷっくく……これは酔ってるね~、エルフって甘酒でも酔えるのかな?流石ベル君、面白いなぁ──っぷくくく」
「アルコール度数は1%未満のはずですが……」
「うーん。じゃあ、甘酒がお酒だと思い込んでるみたいだし、プラシーボ効果ってやつかな?」
「なるほど……しかし、プラシーボ効果だけでここまで酔えますか?」
「まぁ、ベル君だし」
「なるほど……」
ベルの小宴会で周囲がにわかに賑やかになって暫く──
差し込む日差しも斜めになって、空が朱に染まる兆しを見せ始めていた。
「そろそろ、戻りませんと暗くなってしまいますね……」
ロイの言葉に、ベルはテオを枕にしたまま小さく唸りながら答える。
「やだー、帰りたくな〜い……だってここ……あったかいもん……テオぉ……」
撫でまわされながら耳元で甘えるように呟かれたテオは困ったように鳴いていた。
「ケーブルカーとロープウェイで手早く降りましょう。帰路の安全を考えるなら──」
嫌な思い出を刺激する言葉に、ベルはガバっと身を起こした。
「!──ヤダ!あの空飛ぶ箱乗りたくない! 歩いて帰ゆ!」
そうしてベルは駄々っ子のようにじたばたと暴れ始める。
「……」
無言で頭を抱えるロイの肩に手を置いて、ネスカはまた笑いをこらえるのに必死だった。




